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子ども時代の慢性的なトラウマ経験がもたらす5つの後遺症と4つの治療法

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サクラの生育歴は、子ども虐待の臨床に従事した経験がある者なら、これだけで直ちに性的虐待の既往と重度の解離性障害を強く疑う所見に満ちている。

今日、このような症例が子どもも大人も「統合失調症」「双極性障害」「境界性人格障害」などと誤診をされ、延々と精神科の治療を受けているという場面にしばしば出会う。(p124)

しい気分の浮き沈みや慢性的なうつ状態、幻覚、対人関係の不安定さや依存症。

こうした症状は、精神科では、双極性障害や統合失調症、パーソナリティ障害と診断され、大量の薬物治療につながることがしばしばです。

しかし、何度薬を変えても、いくら薬の量を増やしてもよくならず、むしろ悪くなるばかりで、より悲惨な状態になってしまうことがあります。

近年の研究では、こうしたケースは、一見、統合失調症や双極性障害のような有名な精神疾患に思えるかもしれませんが、実際には似て非なるもの、つまり発達障害やトラウマと関係していると考えられるようになっています。

発達障害はなぜトラウマを抱えやすいのか、双極性障害や統合失調症と間違われやすいどんな5つの後遺症が生じるか、治療には何が役立つか、という点を、講座 子ども虐待への新たなケア (学研のヒューマンケアブックス)という本を参考にまとめてみました。

これはどんな本? 

講座 子ども虐待への新たなケア (学研のヒューマンケアブックス)は、虐待など、子ども時代の慢性的なトラウマ経験を抱えた子どもたちを治療してきた専門家10人による、トラウマの影響や治療についての解説書です。

まだあまり馴染みのない、アタッチメント障害や解離性障害の病態や、その精神療法について、具体的に書かれています。

発達障害はトラウマにつながりやすい

子ども時代に慢性的なトラウマを抱えるきっかけは人それぞれであり、どんな子どもでもリスクはあります。しかし特にトラウマを抱えやすいのは発達障害の子どもたちだと言われています。

発達障害の子どもがトラウマを抱えやすいのはどうしてでしょうか。

子もに発達障害があり、しかも親がそれに気づいていないとき、子どもは「手のかかる子」とみなされる場合が少なくありません。

親にとって育てにくいだけでなく、親族や教育者から、しつけがなっていないと批判されると、家庭内で、厳しい言葉や体罰が飛び交うようになってしまう場合があります。極端な場合は、それがエスカレートして虐待の域になってしまうこともあるでしょう。

虐待された子どもの統計によると、その3割近くが発達障害の自閉スペクトラム症(ASD)を持っています。これは、ASDが虐待を引き起こすリスク要因になりやすいことを示しています。

実に3割近くの被虐待児がASDを基盤にしている。これらの子どものうち9割までが知的な障害を伴わない高機能群であった。(p10)

ASDは、ほとんど言葉でコミュニケーションができない自閉症から、知的能力が高く、コミュニケーションの問題も軽いものまで様々です。後者は、以前、高機能自閉症アスペルガー症候群と呼ばれていたグループです。

虐待につながるリスクが高いのは、意外にも、この高機能なタイプのほうだと言われています、なぜなら、一見ほかの子と変わらないので、発達障害だとわかりにくく、しつけの問題などと誤解されやすいからです。

ASDの子どもは、知覚過敏性があるため、特定の音や身体のふれあいを嫌がったりして、手のかかる子、育てにくい子、わがままな子とみなされがちです。

また他の人の感情を理解したり、共感したりするのが苦手なため、ごく当たり前と思われることがわからなかったり、できなかったりします。

学校でもいじめの対象になりやすく、生活のさまざまな場でトラウマを抱え込む危険があります。

さらに、親もまたASDだったり、ASDだと親子の絆の愛着(アタッチメント)の形成が遅れたりすることも、リスクを増す一因となっています。

またもう一つの発達障害であるADHDの場合も、落ち着きがなくじっとしていられない、集中できない、自制心がないといった傾向から同様の問題につながりがちです。

ADHDの場合、ADHDの問題行動の結果として厳しく扱われることもあれば、逆に虐待の結果として多動になることもあり、両者が複雑にからみあっていることもあります。

虐待を受けた子どもも多動性行動障害を示すことが多く、虐待による多動なのか、もともとのADHDなのかという鑑別は非常に困難で、両者がかけ算になっていると考えられるケースも多い。(p11)

また、ASDとADHDを両方持っている子ども(たとえばASDの積極奇異タイプ)もいて、その場合はコミュニケーション障害がある上に多動なので、対人関係のトラブルが絶えません。

子ども時代の辛い経験がもたらす5つの後遺症

残念ながら、小さな頃にトラウマ体験を抱えてしまった場合、どんな症状が現われるのでしょうか。ここでは特に5つの点を考えてみたいと思います。

1.アタッチメント障害(愛着障害)

子ども時代の辛い体験が一番最初に引き起こす問題、それは「アタッチメント障害」です。アタッチメントとは「愛着」を意味する言葉です。(p24)

愛着、すなわち子どもと親の絆が正しく育まれれば、子どもはいつでも温かい親のイメージを思い浮かべられるようになり、自尊心や感情のコントール、対人関係のコミュニケーションなどの点で安定した成長を遂げます。

しかし不安定な愛情や歪んだ愛情を注がれると、子どもは支え保護してくれる親のイメージを感じられず、いつも不安を抱え、他人を警戒し、心身のさまざまな不安定さを示すようになります。これが「アタッチメント障害」です。

アタッチメント(愛着)がどの程度しっかり機能しているかは、ボリス(Boris)とジーナ(Zeanah)は5つの段階に分類しています。(解説は要約しています)(p30,180)

アタッチメントの適応レベル

レベル1【安定型】親との健全な絆を育んだ子ども
レベル2【不安定型】親に対してよそよそしい(回避型)、あるいは依存的(抵抗・両価型)
レベル3【不安定型】親に対しての態度が一貫性がなく混乱している(混乱型)
レベル4【安全基地の歪み】親を突然失った状態。極度に不安定
レベル5【反応性愛着障害】虐待・ネグレクトによる重篤な心身の障害

愛着の不安定さは、過度の警戒や交感神経の緊張を引き起こすため、身体的には眠りが妨げられたり、多動になったりして、すでに述べたように、ADHDと区別しにくくなります。

よく似ているADHDと愛着障害の違い―スティーブ・ジョブズはどちらだったのか | いつも空が見えるから

また心理的には、親との安定した絆が育めなかったため、他の人との安定したコミュニケーションが苦手で、自尊心がなく、慢性的な不安やうつが生じます。

気分の浮き沈みも伴い、双極性障害と間違われることもあります。

2.反抗挑戦性障害と行為障害

子ども時代の辛い経験は、アタッチメント障害による対人関係の不安定の結果、大人にわざと逆らったり、周囲をわざといらただせたりする行動を繰り返す反抗的な態度につながる場合があります。

そのように権威に反抗し、トラブルを繰り返す状態は反抗挑戦性障害と呼ばれます。

また年齢が上がると、高確率で非行を繰り返す行為障害にもつながります。

反抗挑戦性障害と行為障害は虐待児の46%にも上ると言われています。(p17)

3.解離性障害

子ども時代のトラウマは、幻聴など統合失調症に似た症状を引き起こすことがあり、これは解離性障害として知られています。

解離とは、耐えがたい苦痛のもとで心を切り離す働きのことです。意識を切り離したり、記憶を切り離して封印したりします。

“解離”とは、心身の統一がバラバラになる現象である。

非常に苦痛を伴う体験をしたとき、心のサーキットブレーカーが落ちてしまうかのように、意識を身体から切り離す安全装置が働くことがもともとの基盤になっている。(p15)

たとえば、厳しく怒られているとき、意識が離れて、天井から、まるで傍観者のように自分を眺めていた、という体外離脱体験が生じることがあります。意識を体から切り離して苦痛を遠ざけているのです。

また辛い記憶が失われて封印されると、健忘が生じたり、それがフラッシュバックの形で突然再生される幻聴などの幻覚が生じたりします。

さらには人格を切り離して多重人格になることもあります。突然キレる現象や、キレたときの記憶が飛んでしまう状態は、多重人格としての人格交代が生じていると考えられます。

こうした状態は、表面的な症状だけみると、統合失調症と誤診されがちですが、実際には異なる原因によるものであり、治療法も違うので注意が必要です。

統合失調症と解離性障害の6つの違い―幻聴だけで誤診されがち | いつも空が見えるから

4.複雑性PTSD

子ども時代に慢性的に辛い状況に置かれると、トラウマの後遺症として、心的外傷後ストレス障害(PTSD)にも悩まされます。しかもそれは単なるPTSDではなく複雑性PTSDです。

ここで言うトラウマは、犯罪被害や震災被害のような一回だけのトラウマではなく、反復してトラウマに曝されるという複雑性トラウマである。

トラウマを心の骨折にたとえることがある。その言い方を用いれば、心の複雑骨折である。(p12)

PTSDでは、トラウマの影響で、過覚醒や頻脈など生理的な不安定さが生じます。またフラッシュバックが絶えず生じ、トラウマを思い出させる場所や状況を避けるようになります。

アタッチメント障害や解離性障害、PTSDは互いに重なり合う部分がありますが、PTSDは現在トラウマにさらされている状態ではなく、安全な環境に移されてから生じるという特徴があります。あとになって苦しむのです。(p16)

5.脳の変化

ここまで考えてきたアタッチメント障害、反抗挑戦性障害、解離性障害、複雑性PTSDは、単なる傷ついた心の問題なのでしょぅか。

決してそうではありません。近年の画像によって脳を調べる研究では、性的虐待や暴言、厳格な体罰、DVの目撃などよって、脳の容積が変化することがわかっています。

だれも知らなかった「いやされない傷 児童虐待と傷ついていく脳」(2011年新版) | いつも空が見えるから

たとえば性的虐待の被害者の大学生は、健康な人に比べて左の視覚野が8%、右の視覚野が5%も減少していました。(p42)

小児期に激しい虐待を受けると、脳の一部がうまく発達できなくなってしまう。

そうして脳に傷を負ってしまった子どもたちは、成人になってからも精神的なトラブルで悲惨な人生を背負うことになる。(p42)

ここまで挙げたさまざまな後遺症は、別個に生じるものではなく、一人の子どもに連続して生じます。

たとえば、子どものころはアタッチメント障害と診断されたのが、学童期には反抗挑戦性障害、青年期には解離性障害や複雑性PTSD、そしてうつ病や薬物依存などに発展することがあります。

一人の子どもの診断名が、あたかも出世魚のように成長とともに変わっていくことは、正式には「異型連続性」と呼ばれます。

これは脳にダメージが蓄積していくことで、発達がさまたげられ、成長とともに様々な問題が生じる結果です。

このように、子ども時代の慢性的なトラウマ経験は一般的な発達障害以上に脳の発達に甚大な影響を及ぼすことから、「第四の発達障害」とも呼ばれています。(p18)

本当に脳を変えてしまう「子ども虐待という第四の発達障害」 | いつも空が見えるから

子ども時代のトラウマを治療するには

子ども時代の慢性的なトラウマ経験による後遺症は、脳に器質的な変化をもたらすほど重大なものなので、治療には困難を極めます。

短い期間で克服できるようなものではなく、長い期間をかけて、多くの人との関わりによって、少しずつ回復していく以外に方法はありません。

子ども時代に刻まれたトラウマ経験の治療は戦争からの復興のようなものであり、生々しい爪あとを完全に除き去ることはできません。しかしその経験を受け入れて未来へと進んでいくことは、困難とはいえ不可能ではありません。

治療にはさまざまな方法が用いられますが、ここでは4つだけごく簡単にまとめてみました。

1.発達障害のペアレントトレーニング(PT)

まず最初に、家庭内の現在進行形のトラウマを防ぐ方法として、親が発達障害について学び、子どもの特性に配慮した接し方を知るペアレントトレーニング(PT)が重要だと言われています。(p77)

ペアレントトレーニングは応用行動分析学(ABA)の手法を取り入れた環境と個人の相互作用を重視した行動療法だとされています。

ASDやADHDなどの発達障害は、遺伝的要素が大きい先天的な脳機能の問題であり、しつけの問題ではありません。

しつけだと思って、厳しく叱りつけたり、体罰を与えたりしても、生まれつきの脳の機能に偏りがあるのであれば、子どもはなかなか親の言う通りにできません。そうするとさらにしつけが厳しくなり、虐待の域にエスカレートすることもあります。

さらに、同じ問題行動でも、ASDが原因の場合と、ADHDが原因の場合では対処法が異なるという点にも注意が必要です。

たとえばADHDの子どもは冷静になればわかるのに、つい衝動的に不適切な行動をしてしまいます。対するASDでは、そもそも社会的な場面でどう行動すればよいのか対処法を思いつくことが困難です。

ADHDの子どもに適した方法が、ASDの子どもではまったく逆の結果をまねくこともあるため、専門家の指示をあおぎ、子どものタイプを見極めることは大切です。

また、ASDやADHDの子どもは、親子の愛着(アタッチメント)の絆を築くのが難しい場合もあるので、親が言葉や行動で愛情をしっかり伝えられるよう、子どもへの接し方を見なおす必要があります。

子どもが発達障害の場合、親も同様の特徴を抱えていることもあるので、発達障害について理解するペアレントトレーニングは、親自身のためにもなります。

2.「自分の物語」を作るTF-CBT

すでにトラウマ記憶が存在していて、さまざまな症状が現れている場合、アメリカで主流な治療法とされているのは、トラウマフォーカスト認知行動療法(TF-CBT)です。

TF-CBTは、成人のPTSDの治療法である認知行動療法と持続エクスポージャーをもとに開発された、トラウマと向き合い、それを乗り越えていくための精神療法です。

これまで、トラウマを抱えている人に対しては、過去を捨てて、新しい自分として生きていこう、といった励ましが行われることが少なくありませんでした。

しかし、それでは過去の辛い経験に蓋をしてしまってより重い解離症状につながりかねません。

近年の研究では、回復するにはむしろ、過去に受けた不適切な養育やトラウマと向き合い、それを乗り越えていくことが不可欠だとされています。

しかしながら、子どもにとってみれば、親のことが大切であると同時に、自分の過去はとても大切なものである。

誰しも、過去のさまざまな体験を抜きには、現在の自分を語ることはできないであろう。現在の自分は過去の蓄積である、とも言えよう。

であるにもかかわらず、「キミは大切な存在」という一方で、「キミの過去は忘れなさい」では、ダブルメッセージになってしまい、子どもは混乱するしかないだろう。(p60-61)

トラウマフォーカスト認知行動療法では、自分の過去と向き合い、虐待などのトラウマ経験も含めて、「自分の物語」として捉え直し、新たな視点を見つけることが重要視されています。

まずリラックスや感情のコントロールについて学んでから、セラピストの問いかけにしたがって辛い経験を思い出し、それを絵や文章で「自分の物語」としてまとめていきます。

自分の過去のトラウマ記憶の物語が完成したら、それよりも過去のできごとや、今の自分ともつなげていき、すべてをひとつながりの物語としてとらえなおし、最後に同じような経験をした人が元気づけられるようなメッセージを添えます。

そのようにしてバラバラになっていた自分の記憶を再編集し、封印していた過去とも客観的に向き合い、未来につながる自分の一部として受け入れていくことがTF-CBTの目的です。

TF-CBTは、日本では、兵庫県こころのケアセンターや東京女子医科大学女性生涯健康センターを中心にTF-CBTが実施されてきたそうです。  

TF-CBTの8つのステップ「PRACTICE」

P…心理教育とペアレンティングスキル(Psychoeducation、Parenting Skill)
親と子どもに症状や対処法などの知識を教え、回復できるという励ましを与える

R…リラクセーション(Relaxation)
呼吸法やマインドフルネス、グラウンディングなど、リラックスするためのトレーニングを行う

A…情動表現と調整(Affect Expression and Regulation)
感情を感じ取る方法や、ネガティブな感情のコントロール法を教える

C…認知のコーピングと修正(Cognitive Coping and Processing)
感情と思考、行動につながりがあることを教える。

T…トラウマの物語を創る(Trauma Narrative)
トラウマ記憶に向き合い、それを自分の物語の一部として、新しい見方ができるよう助ける

I…現実生活におけるトラウマリマインダーの克服(In Vivo Mastery of Trauma Reminders)
日常生活の中でトラウマを思い出させる状況を克服できるよう段階的に訓練する

C…親子合同セッション(Conjoint Parent-Child Session)
親子の関係を強化し、お互いにどう対応するとよいか教育する

E…将来の安全と発達の強化(Enhance Future Safety and Development)
将来にわたり安全な環境を維持できるよう必要なスキルを身につける

3.自分の中のパーツと対話する「自我状態療法」

さらに症状が進み、トラウマ記憶が重い解離症状を引き起こしている場合には、自我状態療法が用いられます。(p113-132)

トラウマのフラッシュバックや人格交代により、普通に治療では歯がたたない、極度に解離が強い症例に有効であるとされ、バラバラになった各人格を交流させることで、心身の統一を目指します。

これまでの精神外来では、多重人格を無視したり、まともに取り合わなかったりする場合が少なくありませんでした。しかし、自我状態療法では、すべての人格を正面から扱い、一人の人間としてコミュニケーションします。

一般の精神科診療のなかで、多重人格には「取り合わない」というのが主流になっているように感じる。

…しかしこれは、すべての葛藤を切り離して処理をするという病理的防衛が身についているからに他ならない。

「見て、見て」と観客を求めているのではなく、「傷ついた私を何とかして」という悲鳴である。

…子ども虐待を生き延びるために身につけたこの病理に対し、治療者がそれに向き合うのを避けることによって、次の世代に病理の連鎖を送り込む役割を「治療者」自身が担うことになってもよいのだろうか?(p132)

自我状態療法では、まず安全な場所のイメージをふくらませて、トラウマが噴出したときのための避難場所を確保します。

次に、空想上の一つの部屋に各人格(パーツ)が集まるところをイメージしてもらい、それぞれのパーツ同士で話し合いをし、わだかまりを解決していきます。

いわばグループセッションを一人の頭のなかでするようなもので、それぞれのパーツが抱えているトラウマ、パーツ同士のいざこざなどを処理し、すべてのパーツが自然にコミュニケーションし合えるようになることを目指します。

最終的には、「産まれる必要があったから生まれたのであって、いらないパーツは一人もなく、みんな大切な仲間」として、すべての人格が互いを受け入れられるようになれば、記憶の断裂などのさまざまな症状が収まります。

自我状態療法には、トラウマ記憶を処理するためにテクニックとして、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)も併用されます。

詳しくはこちらをご覧ください。

トラウマを治療する自我状態療法「会議室テクニック」 | いつも空が見えるから

4.少量処方による薬物治療

そのほか、症状に応じて、薬物治療が行われることもありますが、統合失調症や双極性障害で用いられる大量の薬物はかえって症状を悪化させるといわれています。

発達障害や解離性障害では、薬への過敏性があるので、ごく少量の処方が原則であり、場合によっては漢方薬が効果を示すこともあるそうです。

しずれにしても、薬ではトラウマ記憶の処理はできないので、薬物治療だけでさまざまな症状を抑えこむことはできません。

精神科医はすぐに比較的大量の抗精神病薬を多用するが、副作用ばかりで有効性は乏しい。また、抗不安薬は抑制を外すだけで、禁忌と言ってよい。

トラウマは、統合失調症でも単なるうつ病でもないことを認識してほしい。(p131)

発達障害や解離性障害の薬物治療についてはこちらもご覧ください。

精神科の薬の大量処方・薬漬けで悪化しないために知っておきたい誤診例&少量処方の大切さ | いつも空が見えるから

トラウマ記憶を乗り越える

この記事で考えてきたことをまとめると、うつ病や統合失調症、双極性障害と診断され、長い間薬物治療をしてもよくならないとしたら、次の点を分析してみる必要があります。

■発達障害が関わっていないかどうか
■精神病ではなくトラウマが関与している症状ではないか
■トラウマや解離を専門とする精神療法や薬物治療を試したほうがよいかどうか

もちろん、さまざまな精神症状の原因は人それぞれであり、ここで考えたトラウマとはさらに別の原因がひそんでいる場合もあるでしょう。

しかし一つの可能性として、子ども時代のトラウマがうつ病や統合失調症、双極性障害、その他のさまざまな疾患と似た症状を引き起こすことを知っておくなら、適切な治療法を選ぶ助けになると思います。

今回参考にした講座 子ども虐待への新たなケア (学研のヒューマンケアブックス)には、アタッチメント障害(愛着障害)などのもっと詳しい説明や、自我状態療法やトラウマフォーカスト認知行動療法といった特殊な治療法の具体例なども載せられているので、関心のある人は読んでみてください。


「芸術家は右脳人間」は間違い―自閉症の天才画家からわかる創造性における左脳の役割

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術家は右脳人間で左利きが多い。

そんな話を聞いたことがありますか。いわゆる自己啓発的な「脳科学」の本や、 マスメディアなどで人気のある話題ですが、これは最新の科学に基づくものではありません。

近年の脳科学では、自閉症の天才画家の研究などから、創造性における左脳の役割がわかってきています。そして芸術家の創造性には、左脳も右脳も重要である、という証拠が集まっています。

芸術は右半球に側性化しているという考え方が一般に流布しているが、十分な科学的根拠に基づいているわけではなく、初期の理論が作業仮説としてその後の研究に影響を及ぼしているにすぎない。(p22)

創造性=右脳 でないとしたら、実際には右脳はどんな働きを担っているのでしょうか。なぜ芸術には左脳も必要なのでしょうか。そもそも創造性とは、脳のどこの機能と関係しているのでしょうか。

芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察という本から考えてみたいと思います。

これはどんな本?

この本は、カリフォルニア大学のダーリア・W・ザイデルによる、近年の芸術に関する脳科学の発見を集めた論文的な本です。

脳損傷が生じた画家や音楽家たちや、生まれながらに芸術的才能を持っていた自閉症の画家の例、最新の脳の画像分析の成果など、さまざまな研究を通して、脳の創造性が分析されています。

とても面白い本ですが、内容はかなり難しく、気軽に読める本ではありません。

「芸術家は右脳人間」は間違い

冒頭で述べたように、テレビなどのメディアや、芸術関係の本などで、よく芸術家は右脳タイプであるとか、右脳を鍛えれば創造性が伸びるなどと、まことしやかに語られていますが、現在の脳科学では、その説は否定されています。

言語理解や発話、書字、読みなど、脳内の局在が知られている機能と異なり、芸術表現の制御に対応する神経ネットワークの局在は知られておらず、左右どちらかの半球への側性化や特殊化も知られていない。(p22)

論理的思考は左脳、芸術的思考は右脳という考えは、ずっと以前の脳科学によるものです。

何かの活動をしているときの脳の状態を画像化するMRIなどの技術が進歩した結果、確かに言語コミュニケーションやリズムなどの一部の機能は、左脳が主な役割を担っていることが確かめられました。

しかし、芸術に関しては、特有の脳の領域はなく、音楽家であれ画家であれ、脳の広い領域を用いて創造性を働かせていることが明らかになっています。

芸術家には左利きが多く右脳を使っている証拠だ、という俗説もありますが、1995年の大規模な統計では、左利きの画家は2.8%で、一般人口の左利きの率である10%よりむしろ少ないことがわかっています。

かつては自画像から右利き、左利きかを分析していましたが、画家が鏡を使って反転させて描いていることも多いそうです。ラファエロ、ミケランジェロ、ピカソのように、以前は左利きとされていたものの、実際には右利きだとわかった人もいます。(p183-184)

自閉症の天才画家たち

芸術家の創造性に関する、右脳と左脳の役割を調べるに当たり、研究者たちがとても興味深く感じているのは、自閉症の天才画家たちの創造性です。

自閉症の中には、特定の分野で飛び抜けた才能を示す人たちがおり、一部はサヴァン症候群と呼ばれます。

そのような才能は、カレンダー計算、素数の判別などの数学的才能から、楽器演奏という音楽的才能、そして写真のような絵を描ける美術的才能までさまざまです。

この本では、自閉症の天才画家のうち、特に有名な3人の人物が取り上げられています。

1.ナディア

自閉症の天才画家として最初に報告されたのは、1977年のナディアです。

ナディアは、精神遅滞を伴う自閉症と診断され、言葉によるコミュニケーションができない少女ですが、3歳半ごろから、さまざまな角度から見た馬のスケッチを並外れたリアルさで描くことができました。

学校に通うようになって絵の訓練を集中的に受けましたが、技能が進歩することはなく、少しずつ話せるようになるとともに、むしろ絵の才能はなくなっていき、ほとんど絵を描かなくなりました。

2.EC

2003年に報告されたECは、高機能自閉症の36歳の男性で、ナディアとは違い、平均レベル下位の言語能力を持っていました。

7,8歳ごろから、いきなり上手な絵を描き出して、その後ずっと白黒で極めて写実的な絵を描いています。

彼は下描きも修正もなく、正確な模写を描けました。また以前に描いた作品を記憶だけで再現することもできます。

しかし背景がたいてい同じだったり、用紙の端の見切れている物も省かずにそのまま描いたりする特徴もありました。

技術が進歩することはほとんどありませんが、マンガの表現技法を学び、少しずつレパートリーを広げることができました。

3.スティーブン・ウィルシャー

オリヴァー・サックスが1995年に詳しく報告した画家スティーブン・ウィルシャーは、今や自閉症の天才画家の代名詞ともいえる存在です。

子ども時代から、驚異的な建物の写実絵を描いていて、そのまま大人になっても同様の絵を描き続けています。

色はほとんど使われず、モノクロのスケッチが中心の画風です。絵の細部から描き始めて、まったく修正することもなく全体のバランスの整った風景を描いてしまいます。

その点について詳しくは以下の記事で取り上げています。

絵の描き方から分かる自閉症スペクトラムの4つの特徴 | いつも空が見えるから

自閉症の天才画家の画力はどこからくるのか

これら3人の自閉症の天才画家を比較すると、幾つかの共通点が浮かびあがります。

■言語コミュニケーション能力が限られている
■最初から高度な技能があり、その後はほとんど進歩しない
■写実的な作風
■色はあまり使わない
■下描きや修正が必要ない

これらは一見、まったく異なる性質のように思われますが、実際には、脳の機能の観点からすると、互いに密接に関連しているものだそうです。

抑制経路が働いていない

まず一つわかることは、彼らの脳には、何かたぐいまれな才能があるというより、むしろ抑制経路が働いていないということだといいます。

脳と芸術との関係を考える上でもう一つ重要な手がかりは、彼らの作品にみられる顕著な特徴で、それは高度に空間的で素晴らしい記憶力を示す、写真とも思えるような写実的な表現となっている点である.

こうした表現になる理由としては、自閉症ではない人には存在する神経ネットワークが彼らには欠如しているかあるいは十分に発達していないために、そのネットワークによる干渉を受けることがないことが考えられる.(p97)

自閉症の天才画家たちは、極めて写実的な絵を描きますが、彼らが特別な眼の機能や記憶能力を持っているわけではないようです。

最近の研究では、チンパンジーは写真記憶ができることがわかっていますが、わたしたち人間の脳には、もともと見たものを写真のように把握する能力が備わっているようです。

しかし、わたしたち見たものすべてを覚えていられないのは、受け取った視覚情報のうち、必要な部分だけを判断して、取捨選択する機能が備わっているからだと考えられています。

わたしたちにとって、普段目に入るすべてのものが大切な意味を持っているわけではありません。駅前の通りを歩くとき、あらゆる看板や通り過ぎる無数の人、落ちているゴミなどすべてに注目することはありません。

むしろ、自分の見たいものだけ、興味のあるものだけ、目的としている場所だけを見ています。これは無意識のうちに必要な情報を選り分ける機能が働いているからです。

しかし、自閉症の天才画家たちの場合は、どうやらこのシステムが働いていないようです。風景の細部の細かいところ、重要でないところまで、すべて写真を撮るように記憶していると考えられます。

自閉症の人は、パニックになったり、頭を壁に打ちつけたりすることがありますが、これは情報が取捨選択されず、そのまま全部入ってくるために、あまりの刺激に圧倒されてしまうからだという研究者もいます。

自閉症の天才画家たちは風景を正確に模写しましますが、画家が技法として用いる遠近法とは異なるそうです。技法を凝らしているわけではなく、あくまで「見たまま」を描いているということなのでしょう。

サヴァン症候群の人たちが見たままを描ける理由については以下の記事でも考えました。

なぜ自閉症・サヴァン症候群の人は精密な写実絵を描けるのか | いつも空が見えるから

「意味システム」とは何か

しばしば、言語能力と絵を描く能力は相反するものだと考えられがちです。

ナディアが学校に通い、言語能力が向上したとともに画力が失われたことも、それを裏付けているかのように思えますが、ECの例では言語能力は存在していました。

そのため、自閉症の天才画家が写真のような絵を描ける理由の一つは、言語能力の欠如ではなく、むしろその言語能力と関係している「意味システム」の不全だと言われています。

自閉症例では、大脳皮質にも問題がある可能性が示唆されている.

そのために、言語学的な意味に関係するだけでなく経験自体や経験の意味するところを貯蔵するシステムでもある“意味システム”が描くことに関係した神経システムと離断された状態にある、と考えられるのである.(p97)

「意味システム」とは何でしょうか。それは、先ほど考えた、五感から受け取った情報を、意味に基づいて取捨選択して、加工する機能だと思われます。

わたしたちが見たものすべてを記憶しているわけではないのは、どれが自分にとって大切な意味を持っていて、どれがあまり意味のない情報であるか、選別できるからです。

自閉症の天才画家たちは、見たものをそのまま描く写実的な絵は描けますが、そこにオリジナリティを込めることはありません。

意味システムは、抽象画や象徴画には不可欠なものです。見たものや記憶の素材を再構成して、本来とは異なる意味を含ませ、まとめあげなければならないからです。

自閉症のうち、言語能力に問題がない高機能自閉症やアスペルガー症候群の人たちは、冗談を真に受けてしまったり、隠喩表現の理解が難しかったりすることがありますが、それは言外の意味を感じ取る「意味システム」の働きが悪いことによるのかもしれません。

また自閉症の天才画家たちが、トレーニングによる技術の向上がないか、あるいは比較的限られているということも、やはり新しく学んだことの意味、つまり要点を把握して自分のものにすることが苦手だということを示しています。

一般に自閉症傾向を持つ人たちは、生活に新しいことを取り入れるのが難しく、興味の対象が限られていると言われています。

脳で情報が統合されていない

「意味システム」などの情報の加工が働いていないということは、自閉症の人たちの脳の中で、感覚の統合がうまくいっていないことを示唆しています。

本来ならば、五感から受け取ったさまざまな感覚が、意味によって分類され、取捨選択され、コンパクトにまとめられていくわけですが、自閉症の天才画家たちは未処理の情報をそのまま感じ取っているようです。

fMRIを用いた研究の結果から、自閉症における白質の異常に由来する不十分な繊維結合を考える理論も提唱されている(Just et al..2004).

要約すると、認知症の芸術家の場合も、自閉症の天才画家の場合も、神経システムの機能低下や発達異常の結果、健全な抑制経路による干渉が除去されて、特定の組織にある種の孤立化が生じて自由に活動する事態が生じたと考えられるのである.(p104)

自閉症の天才画家が写真のような絵を描けるのは、必要な部分だけ抜き出した形に加工されていない、未加工の、見たままの映像記憶が存在しているからです。

また写真のような絵に、ほとんど色が用いられないのは、脳の別々の部分で認識される色と形が統合されていない可能性を示唆しています。(p97)。(逆にカラフルな絵を描く自閉症の子どもの場合は形がない場合もあります)

新しい経験を技術として身につけ、自分の幅を広げることが難しいのも、経験の意味するところを統合し、まとめあげるのが難しいのだと思われます。

言語コミュニケーション能力が限られているのも、その場の雰囲気や、相手の顔の表情、話の流れなどの他の情報と、耳で聞く言葉とを統合して考えるのが難しいからでしょう。

以下の記事で触れているように、いわゆる「空気が読めない」という問題の正体は統合機能の不足だとする考え方もあります。

なぜアスペルガー症候群の人はポケモン博士になれるのに人の顔が覚えられないのか | いつも空が見えるから

創造性における左脳の役割

ここで最初の話に戻りましょう。

こうした自閉症の画家の脳の働きが、芸術家の創造性における左脳と右脳の役割を調べる上で興味深いのはなぜでしょうか。

すでに述べたとおり、芸術の創造性は、特に左脳や右脳に偏っているわけではありませんが、言語能力は、左脳が主な役割を担っていることが判明しています。

それで、言語によるコミュニケーションが苦手な自閉症の人たちは、何らかの左脳の機能低下があるのではないか、と推測されています。

とすると、自閉症の天才画家たちの絵は、ほぼ右脳のみの創造性を表している、と解釈できます。

自閉症の視覚芸術家たちの素晴らしいグラフィック技能が主として右半球によってコントロールされているとしたら(彼らには言語技能が存在していないかあるいは極端に低いという事実から演繹して、彼らの左半球はおそらく機能不全である)、脳損傷事例から機能を推測する論理を適用すると、彼らの作品に創造性がみられない点は、左半球の機能低下により左半球の支援が欠如しているためと考えられる.(p257)

右脳は、写実や空間把握においては重要な役割を果たしていると考えられているので、芸術家の創造性の一端を担っていることは明らかです。

自閉症の天才画家たちは、正確な写実性を示しましたが、そこに意味を込め、オリジナリティを加えるという創造性は示しませんでした。

そのため、抽象絵画や象徴絵画のような、独特な解釈を必要とするオリジナリティのある絵を描く場合、そのアイデアは右脳ではなく左脳によって創造されている可能性があります。

大衆的メディアといくつかの教科書のなかでは、右半球は“創造的”と特徴づけられているが、実際にそうであることを示す十分な証拠は存在していない.

この本で説明されているように、左半球の認知力が創造性を発現させるとする説のほうが有利なように思われる.

言語の左半球への特殊化は、意味を伝達する単語の無限の組み合わせを可能にする結合システムを支える認知様式がもたらしたのである.

そうした広範な組み合わせと結合が、創造性の基盤を提供していると考えられる.

…文芸作品によって証明されているように、言語は創造性と対照をなすものではない.(p251)

左脳は言語を操る能力を持っていますが、その能力の一部は「意味システム」に依存しています。小説家は、左脳の「意味システム」によって、さまざまな概念を再構成して、創造性を示します。

実際に、脳の左半球を損傷した人の中には、見た対象の細部は理解できても、全体の意味を理解できない「同時失認」という症状が起こる場合があり、左半球が意味の統合と再構成に関わっているのは明らかなようです。(p188)

左半球の言語能力が高い小説家が示す、要点をすぐさま把握し、自分なりの考えを練り上げ、新しいものを生み出す能力は、ちょうど自閉症の天才画家の絵に不足していた部分でした。

そうすると、オリジナリティにあふれた芸術家の創造性は、右脳によるイメージや空間などの認識と、左脳による意味の把握と再構成の両方が協力して生じるものだと考えられます。

つまり、独創性は右脳の専売特許なのではなく、むしろ左脳と右脳両方が複雑に関与しあってはじめて産まれる、ということです。

創造性は脳全体に散在している

しかしながら、創造性において、左脳と右脳が協力しているといっても、どちらが何をしているのか、そう簡単に分類できるものではないようです

芸術家の中には、左脳や右脳の機能障害に見舞われた人もいます。脳損傷や病気などで、脳の一部が失われた人たちです。

この本にはそのような症例がたくさん紹介されていて、確かに脳損傷により、絵の作風が変わることもあります。

しかし興味深いのは、脳損傷に直面した画家たちは、色の用い方や細部の表現が変化することはあっても、絵の作風が変化することはほとんどなく、何より創作意欲がなくなることは決してなかった、ということです。

この本は全編を通じて、高名な芸術家は脳損傷の病因や程度にかかわらず、発症後も芸術産生を続けていくことをみてきた.

このことは芸術的才能と技能は脳内に広く散在して表象されていることを示唆している.

…成人の右半球あるいは左半球のさまざまな領域に生じた損傷は、芸術的産生の消失、劣化、あるいは消滅をもたらさなかったのである.(p260)

また一般に空間把握は右脳によると思われていますが、左脳の損傷で遠近法が破綻した画家もいます。(p36)

そもそも左半球の働きが弱いと思われる自閉症の画家の写実画も、技法としての遠近法の消失点は正確ではありませんでした。(p94)

遠近法という空間的な要素さえも、やはり左半球と右半球が協力して生み出しているものだと考えられます。(p191)

芸術的才能は、脳のどこか一部の機能によるものではなく、左半球、右半球を問わず、非常に広い領域のさまざまな機能が相互に絡みあった、複雑なネットワークによってもたらされるといえるでしょう。

また、ここまで芸術的才能における左半球の「意味システム」の役割を考えてきましたが、独創的なアスペルガーの作家たちの例を考えると、「意味システム」が創造性の源というわけでもありません。

独創的なアスペルガーの芸術家たちの10の特徴―クリエイティブな天才の秘訣? | いつも空が見えるから

言語能力が限られた自閉症の天才画家の例を見ると、左半球の「意味システム」の不全は、確かにオリジナリティに影響を及ぼします。

アスペルガーの小説化たちの研究によると、自閉症傾向があると、確かに独自性は損なわれ、パッチワークのような、これまでの知識や経験を貼りあわせた作風になると言われています。

自閉症・アスペルガー症候群の作家・小説家・詩人の9つの特徴 | いつも空が見えるから

しかし彼らの作品に独創性がないかというとそうではなく、非常にユニークなものとして愛されています。

ルイス・キャロルはほかの作家からの引用やパロディを貼りあわせて「不思議の国のアリス」を描きました。フィンセント・ファン・ゴッホは、モデルがないと絵を描けない画家でした。

しかしどちらも一流の作家です。芸術においては「空気が読めない」感覚統合の弱さもまた個性なのです。

確かに彼らの左半球の「意味システム」の働きは普通より弱めだったのかもしれませんが、そのぶん、取捨選択されず蓄積したさまざまなイメージや膨大な知識を組み合わせて、不思議で独創的なものを創り上げました。

芸術的才能にはさまざまな形があり、個々の人の左半球と右半球、脳全体のバランスによって一人ひとりまったく違う仕方で開花するといえるでしょう。

ちなみにオリジナリティのある独創性については、この本では前頭葉の抑制機能の弱さと、ドーパミンの過多が関係していることを示唆する部分があり、なんとなくADHDとの関連もうかがえます。(p258)

ADHDの画家ピカソとアスペルガーの画家ゴッホの共通点と違い―発達障害がもたらした絵の才能 | いつも空が見えるから

今回読んだ 芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察は、非常に多くの実例を引用して、脳と芸術的才能の関係を調査している、とても面白い本です。

内容が難しいのでだれにでも勧められるものではありませんが、芸術と脳の関係に興味があり、難しい本も読める根気のある人には、他にあまり類例のない資料として読み応えのある一冊だと思います。

芸術と脳の関わりや、美的感覚とは何なのか、といった点については、まだ研究が始まったばかりなので、これからの進捗に期待したいところです。

アスペルガーは「共感性がない」わけではない―実は定型発達者も同じだった

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スペルガー症候群(自閉スペクトラム症)の人は、「共感性がない」

これまで、幾度となく繰り返し見た言葉です。アスペルガーをはじめ、自閉症と共感性のなさは、たいていの場合セットで語られてきました。

しかし、このブログで何度か過去にも取り上げてきたとおり、近年の研究では、どうもそれは正しくないということがわかってきています。

これまでの研究は、すべて定型発達者の観点から見れば、アスペルガーの人たちは共感性がない、というものでした。それはあたかも地球から見れば、太陽が地球のまわりを動いているように見えるのと同じです。

しかしちょうど宇宙から太陽と地球をを眺めるかのように、より公平な観点から定型発達者と自閉スペクトラム症(ASD)の人たちを見ればどうなるでしょうか。

発達科学ハンドブック 8 脳の発達科学という本には、とても興味深い最新の研究について書かれていました。

これはどんな本?

発達科学ハンドブック 8 脳の発達科学は脳の発達について、心理学と脳科学の大勢の研究者の論考がまとめられている本です。

このブログで過去に取り上げてきた愛着障害(p228-236)、発達障害と時間感覚(p113,174,178)、自閉症と睡眠障害の関連(p286)などの話題もあって興味深く思いました。

自分と似ていない人に共感しにくいのはみんな同じ

アスペルガー症候群をはじめ、自閉スペクトラム症(ASD)の人たちは、共感性に乏しい。それはかつての研究者がみな感じていた、当たり前とも思える事実でした。

アスペルガー症候群の人と会話をしてみれば、自分のことを話し続けたり、聞き手の気持ちを顧みないように思えることは確かです。そのため、研究者たちは、彼らには共感性がない、と判断してきました。

ところが、その判断には、客観的な立場から考えてみるというメタ認知が欠けていました。

そもそもアスペルガー症候群の人に「共感性がない」と判断している時点で、それは、定型発達者である自分のほうが、アスペルガー症候群の相手に対して共感できていないことを示しているのではないでしょうか。

地球から見れば、動いているのは太陽のほうだと思えるかもしれませんが、もしも太陽から見ることができれば、動いているのは地球のほうだと思えるでしょう。

アスペルガー症候群の共感性のなさばかり研究していて、定型発達者の共感性について逆の立場から調べる観点を見落としていたのです。

発達科学ハンドブック 8 脳の発達科学によると、その点について、とある研究が2013年に行われ、導き出された結論についてこう書かれています。

定型発達者は自分と似た性格の人に共感し、似ていない性格の人に共感しにくい(Komeda,Taunemi,et al.,2013)ことを考えると、自閉症スペクトラムの人が、自分と似ていない定型発達者に対して共感できないということは驚くべきことではない。(p272)

定型発達者もまた、自分と似た性格の人には共感できるものの、そうでない人には共感しにくいことが明らかになったのです。

ということは、アスペルガー症候群の人が共感性に乏しく見えていたのは、実際には、定型発達者がアスペルガー症候群の人に共感しにくいのと同様、自分とは違う人には共感しにくい、という当たり前のことを観察していただけだったのかもしれません。

アスペルガーから見たおかしな定型発達症候群 | いつも空が見えるから

そこで、その点を確かめるため、別の研究が2015年に行われました。その研究では、自閉スペクトラム症の人が、定型発達者と自閉スペクトラム症の人それぞれにどう反応するかが調べられました。

すると…

自閉症スペクトラムの人は、自閉症スペクトラムをもつ他者に対して、定型発達者が他の定型発達者に対して行うのと同様に、自分と似た他者の判断時に活動する腹内側前頭前野(ventro-medial prefrontal cortex)が活動し、共感的な反応を示すことが明らかになった。(p272)

自閉スペクトラム症の人たちは確かに定型発達者には共感できませんでした。しかし同じ自閉スペクトラム症を持つ人相手には、いとも簡単に共感できていたのです。

しかも、自閉症傾向が強いほど、自閉スペクトラム症の人に対して共感できる度合いは、より高くなりました。共感性は乏しくなるどころかより強くなっていたのです。

【11/11】ASDの人は互いに共感し合える | いつも空が見えるから

結局のところ、定型発達者もアスペルガー症候群の人も、自分と似ている人には強く共感でき、自分と違う人には共感しにくいということが明らかになりました。

アスペルガー症候群の人が共感しにくいと言われていたのは、定型発達者が多数を占める世界で、定型発達者の観点から研究されていたがため生まれた錯覚だったのです。

その点は、自閉症の当事者研究に関わっている熊谷晋一郎先生も述べていました。

熊谷晋一郎先生による自閉スペクトラム症(ASD)の論考―社会的な少数派が「障害」と見なされている | いつも空が見えるから

他の人の気持ちに関心があるかどうかが関係?

では、アスペルガー症候群の人たちについて、「心の理論」、つまり、他人の感情を理解する力が弱いと言われる点はどうなのでしょうか。

たとえば有名にサリーとアンの課題(誤信念課題)では、アスペルガー症候群の子どもは、正しく他人の心を読み取れない、と言われています。

しかし誤信念課題の成績は、心の理論の弱さそのものを示すとは限らない、という可能性が最近出てきたそうです。

たとえば、誤信念場面をビデオで見せたときの視線を追跡した研究では、自閉症スペクトラムの成人は、定型発達者とは異なって、自発的に相手の心の状態に目を向けないことがわかってきた(Senju et al.,2009)。

このことからは、自閉症スペクトラムの人は、心の理論そのものに不全があるというよりも、心の理論に付随する自発性に問題があるのではないかと考えられる(千住.2014)。

自閉スペクトラム症の人が、自分と似ている人に共感できることからすると、他人の心を読み取る心の理論が発達していないわけではないようです。

むしろ、この研究が示すのは、心の理論の自発性だといいます。

わたしたちは自分と似ている人であれば、自動的に心の理論が働き、何も考えずとも共感できます。しかし、自分と似ていな人に共感するためには、自発性に関心を示して分析しなければなりません。

自閉スペクトラム症で問題となっているのは、共感する能力がないことではなく、自分とは違う人の感情を考えてみようとする、他者への関心があるかどうか、ということになります。

アレキシサイミア(失感情症)と混同しているかもしれない

さらに、他者の気持ちへの関心が乏しい場合、それは自閉症そのものの症状ではないかもしれない、という可能性も指摘されています。

アスペルガー症候群には共感性がないと言われていたころ、自閉スペクトラム症の研究はまだ始まったばかりで、自閉スペクトラム症本来の症状と、依存症や二次障害とが混同されていました。

アスペルガー症候群など発達障害の人は、脳機能のバランスの悪さや、社会生活でストレスがたまりやすいことが起因して、他の心身の問題を併発しやすいと言われています。(重ね着症候群の記事を参照)

そして、その依存症や二次障害の中には、自分の感情がわからず共感性も乏しくなる失感情症(アレキシサイミア)も含まれています。

自閉スペクトラム症の共感性の乏しさは、実は併存しているアレキシサイミアの症状を混同しているのではないか、という研究が行われたところ、次のような結果が出たそうです。

自閉症スペクトラムの人は全般に共感能力が低いのか、それともアレキシサイミアを併発した自閉症スペクトラムの人に限って共感能力が弱いのかが検討された(Bird et al.,2010)。

…アレキシサイミア得点を統制した場合は、島前部の活動における自閉症スペクトラムの人と定型発達者の差がみられなくなった。

…これらのことを考えると、自閉症スペクトラムのすべての人がアレキシサイミアをもっているわけではないことから、共感能力の弱さは、自閉症スペクトラム特有の症状ではないことが明らかになった。(p272)

他者が痛みを受けているのを見るときの脳機能の働きを調べたところ、アレキシサイミア傾向を除外すると、自閉スペクトラム症と定型発達者は、同じように共感性を示していることが明らかになったのです。

どうやら、アスペルガー症候群の人は共感性が乏しいわけではなく、併存している失感情症が他者の心への関心の乏しさに関係している、ということが示唆されました。

自閉スペクトラム症の人が失感情症を併存しやすいことは確かですが、すべての場合に併存しているわけではありません。

何より、失感情症は、定型発達者でも愛着障害などの症状の一つとして見られます。

もちろん、問題の原因をすべて失感情症に帰せるわけではないとは思いますが、共感性に関係する一つの要素とみなすことができそうです。

長引く病気の陰にある「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」 | いつも空が見えるから

共感性の乏しさはだれにでも生じうる

今回の内容を簡単にまとめてみるとこうなります。

■定型発達者も自閉スペクトラム症の人も、自分とは違う人には共感しにくい

■自閉スペクトラム症では、心の理論が弱いわけではなく、自発性に乏しい可能性がある

■他人の心への関心の乏しさは、併存している失感情症(アレキシサイミア)が関係しているかもしれない

かつて、地球から空を見上げる人は、太陽のほうが動いていると考えました。やがて太陽は静止していて、地球のほうが動いているという考えが主流になりました。そしてさらに、広い宇宙の観点から見れば、実は太陽も地球もどちらも動いていることが明らかになりました。

アスペルガー症候群に特有だと思われていた共感性の乏しさも、実は、逆から見れば定型発達者のほうが共感性に乏しいと捉えることもでき、さらには自閉スペクトラム症にも定型発達にもどちらにも関わるものだとわかってきた、といえそうです。

もちろん、これまで自閉スペクトラム症の色々な見解が興っては廃れてきたのと同様、今回書いたことも、そのうちまったく言葉足らずだと思われるようになるかもしれません。

また、わたし自身の理解不足のため、内容を正しく伝えきれていないかもしれません。まだ十分に内容を整理できていませんが、とりあえずメモ代わりに記事にしておこうと思いました。

おそらく、この問題には、もっとさまざまな要因が関係している可能性があり、たとえば前に取り上げた自閉スペクトラム症の人は愛着形成が遅れやすいことや、解離しやすいことなども関係しているような気がしますが、よくわかりません。

今後も先入観を捨てて、色々な角度から考えていきたいものですね。

自閉スペクトラム症(ASD)の人は会話するとき顔が近い―東大の研究

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たしたちは他人が近づいてくると、ある距離のラインを越えた時に「近すぎる!」と不快感を覚えます。このラインの内側はパーソナル・スペースと呼ばれます。

東大の研究によると、自閉スペクトラム症(ASD)、アスペルガー症候群(AS)の人は、不快に思う対人距離が短いために、コミュニケーションをするときに相手のパーソナルスペースに接近しすぎる、という研究が出ていました。

自閉症スペクトラム障害の人は対人距離を短く取る - 東大などが確認 | マイナビニュース
自閉症者は対人距離を短く取る 自閉スペクトラム症の人と自閉スペクトラム症でない人のパーソナルスペース(コミュニケーション空間)の比較 - 280128release_rcast.pdf

自閉症の人は対人距離が短いことが判明――東大など│EconomicNews(エコノミックニュース) はてなブックマーク - EconomicNews(エコノミックニュース)

自閉スペクトラム症の人は、対人距離を短く取る傾向がある―東大・浅田晃佑氏ら | サイエンス - 財経新聞

この研究は、定型発達者と自閉スペクトラム症の人とで、居心地のよい距離感が各々異なることを示していて、それがお互いのコミュニケーションの行き違いの一因になっているように思えます。

対人距離が近すぎる

東大の先端科学技術研究センターの、浅田晃佑 特任研究員、熊谷晋一郎 准教授らのグループは、自閉スペクトラム症(自閉症、アスペルガー障害、広汎性発達障害など)の人のパーソナルスペースについて研究しました。

研究では、12歳から19歳の自閉スペクトラム症の人とそうでない人それぞれ16名(男性15名、女性1名)を対象に、不快と感じる対人距離のラインを調べたところ、自閉スペクトラム症の人は対人距離を短く取る傾向がありました。

その距離は人によって異なっていましたが、自閉スペクトラム症の度合いが高いことと距離が短いこととが関係していたそうです。

また、自閉スペクトラム症の人も、そうでない人も、アイコンタクトを取ると対人距離を長く取るようになったことから、視線の接触と対人距離の調節に関係があることがわかったとされています。

定型発達と自閉スペクトラム症のすれ違いの一因?

この研究からすると、定型発達者と自閉スペクトラム症の人が会話する場合、それぞれ適切と感じる対人距離が異なっていることがわかります。

対人距離が近すぎると、相手はパーソナルスペースに踏み込まれたと感じて不快感を感じる可能性があります。逆に対人距離が遠すぎると、相手は親密さが感じられず、よそよそしく感じます。

定型発達者がふさわしいと感じる対人距離で会話すると、自閉スペクトラム症の人のほうは「遠すぎる!」と思って、よそよそしさや疎外感を感じ取りやすいかもしれません。

逆に自閉スペクトラム症の人がふさわしいと感じる対人距離まで接近して会話すると、定型発達者のほうは「近すぎる!」と思って、失礼で配慮に欠けるという印象を持つかもしれません。

定型発達者と自閉スペクトラム症の人とでコミュニケーションが難しい理由は色々あると思いますが、もしかすると、対人距離の違いがそれぞれの印象を左右しているのではないか?と思えるとても興味深い実験だと思いました。

自閉スペクトラム症の人のパーソナルスペースの研究は前にもどこかで読んだ覚えがあって、そのときもなるほど、と思ったのですが、今回の説明でより理解が深まった気がします。

確かに、わたしの知り合いのアスペルガー症候群の人は、すべてではないにしても、会話の時に「近すぎる!」と感じる人が複数います。わたしは、思わず一歩後ずさりしてしまうのですが、そうすると相手は一歩にじり寄ってきます。

アスペルガー症候群のパーソナルスペースなどの話を知らないときは、近視かな?と適当なことを思っていたのですが、こうした研究からすると、それが相手にとって程よい安心感を得られる距離だったようですね。

研究のプレスリリースの最後で、

自閉スペクトラム症の人も、自閉スペクトラム症でない人も、対人距離には人によって差があることを踏まえて社会生活を送ることで、よりよいコミュニケーションを行うことができると期待できます。

と結ばれていますが、お互いの居心地のよい距離感が違うというのは…、とりあえず、互いの感覚の違いを知るのが第一歩ではあるものの、具体的にどう対処すればいいのでしょうね。

人間は本質的に芸術家―たとえ脳が傷ついても最後まで絵を描き音楽を楽しむのをやめない

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なたは絵や音楽が好きですか? 

自分で描いたり演奏したりするのはちょっと…という人でも、きっと、好きなイラストや好みのメロディがあると思います。

疲れたときに、大好きな音楽を聞くと元気が出る、癒されるという人は多いですし、アートセラピーのように、絵を描くことで傷ついた心を癒す人もいます。

絵や音楽をはじめ、芸術は、わたしたちの心を揺さぶる力を秘めています。芸術は、一見、生きるために必須でないように思えますが、経済不況でも、震災被害のもとでも、戦争のもとでも、決して廃れず生き残ってきました。

わたしたち人間がこれほど芸術を愛し、それによって心を癒されるのはなぜでしょうか。

近年の脳の研究によると、人間は本質的に芸術家であり、音楽や絵は、人間を人間たらしめているもの、つまり他の動物とはっきり異ならせている重要な要素だとわかってきました。

人は多くの場合、たとえ脳が萎縮したり、損傷したりしても、最後の最後まで、絵を描いたり、音楽を楽しんだりする能力を持っています。

知の逆転 (NHK出版新書 395)芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察という本から、そのことを示す例を見てみましょう。

これはどんな本?

今回参考にしている本のうち、知の逆転 (NHK出版新書 395)は高名な6人の科学者・研究者のインタビューで、そのうちの一人に脳神経科学者のオリヴァー・サックスが含まれています。

芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察 は、カリフォルニア大学脳研究所のダーリア・W・ザイデルによる、芸術に関わる脳機能を分析した本です。

脳が傷ついても音楽は消えない

わたしたちは、だれでも、音楽に馴染みがあります。自分で音楽を演奏したり作曲したりして楽しむという人もいれば、好きな音楽を流して鼻歌を歌う人もいます。

たいていの人は、自分の好きな曲や、思い出深い懐かしいメロディをよく覚えています。

音楽は強い力を持っているので、音楽療法は、深刻な脳の病気を持つ人の助けになることさえあります。

脳が傷つこうとも音楽の力は失われない、ということは、どんな例がからわかるのでしょうか。

知の逆転 (NHK出版新書 395)の中で、オリヴァー・サックスは、自分が見てきた音楽の力についてこう語っています。

音楽の力というものを強く意識したのは、パーキンソン病の患者に触れたときと、音楽がないと完全に動きも言葉も思考も停止してしまう『レナードの朝』に出てきた嗜眠性脳炎の患者を診たときです。

音楽が鳴っている間はダンスすることも歌うこともできて、音楽が彼らをほぼ正常に戻すと言ってもいいのですが、音楽が止まったとたんにその力も消えてしまう。(p139)

サックスが振り返っているのは、映画化もされた有名な本レナードの朝 〔新版〕 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)の中で書いた、パーキンソン病の人たち、そして嗜眠性脳炎の人たちの例です。

その人たちは、音楽が鳴っているときだけ正常な体の運動機能を取り戻すことができました。

わたしの友人のパーキンソン病の人も、いつもリズムのいい音楽を聞いています。普段は手足が思うように動かないのが、音楽があると、リズムの力でスムーズに動けるようになるのだそうです。

音楽の力で、重い症状が消失するのは、パーキンソン病だけではありません。 天才の秘密 アスペルガー症候群と芸術的独創性では、サックスの別の研究についてこう触れられています。

オリヴァー・サックス(Sacks 1995)は、ある自閉症の男児について、歌っている間は、自閉症的な人格が「消失している」と表現している。

「自閉症的な人格」は、男児が歌うのをやめたとたんに戻った。

当然のことながら、音楽療法は、自閉症やアスペルガー症候群の人々の助けとなるのである。(p191)

この報告では、自閉症の子どものことが書かれています。音楽は、自閉症によって覆い隠された本当の人となりを引き出すことがあるのです。

さらに、音楽は、脳が萎縮して、言語や記憶が失われた場合にさえ、どこかにしっかりと保存されています。知の逆転 (NHK出版新書 395)にはこう書かれています。

言語表現力をなくした失語症の患者でも、音楽の力を見せつけられました。そういう患者の多くは、本人にとっても驚きなのですが、(言葉を失っても)歌を歌うことはできるのです。(p141)

失語症の患者は、うまく言葉を話すことができません。頭ではわかっていても、言葉として表現できないこともしばしばです。しかしメロディが流れると、歌を歌うことができる場合があります。

これはメロディが流れることで、失われたはずの運動機能を取り戻すことができるパーキンソン病の人たちとよく似ています。

さらに、言葉だけでなく、記憶を失くした場合でさえ、音楽は最後まで失われません。そのことを示すのはアルツハイマー型認知症の人たちの例です。

サックスはこう言います。

個別の記憶や、エピソード記憶は失われてしまっても、音楽は残っているのですね。

一般的に音楽の力というのは、多かれ少なかれ病気によって侵食されずに長いこと残っています。(p142)

アルツハイマー型認知症の人たちの場合、記憶がなくなっても、過去に慣れ親しんだメロディは覚えていることがあります。その点は最近のこちらの記事でも書かれていました。

認知症の脳でも音楽は認識できる―音楽療法の患者・家族への効果 | 佐藤由美子

古い音楽、昔の歌が流れると、静かに聞き耳を立て始め、涙を流したり、微笑んだりします。おそらく、そのメロディによって、失われてしまったはずの記憶が呼び起こされ、昔の感情がかきたてられるのでしょう。

いずれの場合も、脳が傷ついたり、損傷したり、萎縮したりしても、音楽の力は最後まで残ることが多いことがわかります。

人間の脳には、言葉に特化した領域や、運動を担う領域、記憶を保存する領域などがあります。

しかし音楽に特化した領域は存在しないと考えられています。音楽は脳の広い範囲を使って感じ、楽しむ特別なものであり、脳のどこか一部が損なわれても、決してメロディは失われないのです。

▼2016/02/11追記:
音楽の処理を話し声とは別に行っている神経回路が発見されたそうです。その部分だけが音楽に関わっているわけではないでしょうが、興味深い結果です。

今まで未解明だった「音楽」が脳で処理されるメカニズムが明らかに - GIGAZINE

脳が傷ついても絵を描くことをやめない

脳が損なわれても失われない芸術は音楽だけではありません。絵もまた、人の脳全体に根ざす独特な機能であり、脳の病気を患った画家の中には、言葉や記憶が失われても、生涯の最後まで絵を描き続ける人が少なくありません。

芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察に載せられている2004年の報告では、アルツハイマー型認知症になった、ドイツの商業画家カロルス・ホーン(Carolus Horn)について書かれています。

彼は、アルツハイマー型認知症が進むにつれ、絵の色使いやスタイルが変化していきましたが、それでも描くことはやめませんでした。

人生の最後の段階に近づくと描く能力自体が急激に悪化していったが、描く技法にもさらなる変化が生じ、(それまでは情景全体を描いていたのに対して)個々の物品や単純な線、幾何図形、走り書きなどを描くだけになったが、それでもそれらの創作には、“芸術的なひらめき”が保たれていたのである。(p53)

アルツハイマー型認知症は、絵を描く技能には、確かに大きな影響を与えたことがわかります。記憶が失われるにつれ、正確に描く技能も消えていきました。

しかしたとえ記憶は失われても、描きたいという思いは決して失われませんでした

また、2003年には、前頭側頭型認知症になった、芸術の教師だった女性について、報告されています。

その女性は、MRIで調べると、認知症のため、前頭葉や側頭葉が萎縮していました。

しかしそれでも、やはり絵を描くことはやめませんでした。

言語表現が重度に障害されたこの女性の場合は、芸術による表現も悪化していったのである。

彼女の芸術表現はきわめて茫洋としたものになっているが、それでも抽象画の段階には至っていない。

ここで重要な点は、創作活動以外の点では彼女のこころが明らかに衰えているにもかかわらず、彼女は絵を描き続けたことである。(p53-54)

この女性の場合、言葉は失われ、心も衰えましたが、絵を描くことは残りました。

言葉は、脳の一部分(ウェルニッケ野やブローカー野)に宿る機能なので、そこが損傷すると失われます。しかし絵を描く能力はどこか特定の場所のみに宿っているわけではありません。

この本では、そのほかにも、有名な画家である、ウィレム・デ・クーニングや、ウィリアム・ウテルモーレンなどの画家の例も書かれています。

やはりアルツハイマー型認知症の進行とともに、描く力は衰え、作品数は大幅に減ったものの、彼らは体調の許す限り最後まで絵を描き続けました。

ウィリアム・ウテルモーレンは、こちらの記事によると、自分の名前を書けなくなっても、絵を描いていたことが伝えられています。

劇訳表示。 : アルツハイマーを発症した画家。その作品の変遷。【William Utermohlen】

認知症以外にも、脳が萎縮したり 損傷したりする場合はたくさんありますが、多くの場合、絵を描く能力は最後まで残ります。

エドゥワール・マネは、梅毒のため脳の運動機能などが破壊され、異常な疲労感を感じるようになりましたが、それでも亡くなる直前に大作「フォリー・ベルジェールのバー」を完成させました。(p261)

また不登校の子どもや被虐待児では、近年、脳の萎縮が見られる場合があることが知られるようになってきましたが、そうした子どもにも芸術療法(アートセラピー)が効果を発揮する場合があります。

なぜ芸術療法(アートセラピー)は認知症や不登校の脳機能を回復させるのか | いつも空が見えるから

言葉のコミュニケーションができなくても、絵を通して心を表現する自閉症の子どももいます。

CNN.co.jp : 「5歳のモネ」が描く作品、世界が注目 - (1/2)

たとえ、言葉によって自分の気持ちを表現する能力が麻痺していたとしても、絵を描くことで、心を映し出すことが可能なのです。

人を人たらしめているものは何か

こうした数々の例を見ると、音楽や絵などの芸術が、いかに、わたしたちの心の奥深くに根ざしているものなのかがよくわかります。

それは明らかに、体の運動や、言葉によるコミュニケーション、そして記憶や人格よりも、奥深くに存在する、人間性の一部です。

芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察にはこう書かれています。

成人の右半球あるいは左半球のさまざまな領域に生じた損傷は、芸術的産生の消失、あるいは劣化をもたらさなかったのである。

芸術家ではない人たちの記憶に基づいて物体を描く能力も、同じように脳の損傷によって消失することはない。(p260)

芸術を楽しむ能力は、脳が傷ついても失われません。芸術は人間を人間たらしめているものでもあります。

走ったり飛び跳ねたりすることは動物でもできます。声を発してコミュニケーションすることも鳥やイルカをはじめ、多くの生き物が自然におこなっていることです。

しかし絵を描いたり、音楽を楽しんだりすることは、人間だけの特権です。

人間だけが音楽に合わせてダンスする

オリヴァー・サックスは、知の逆転 (NHK出版新書 395)でこう述べています。

小さな子供を見ていると、実際に鳴っている音楽もしくは想像の中で鳴っている音楽に合わせて、自然とダンスしています。

音楽のビートに対してこのように反応する他の霊長類はありません。チンパンジーも犬もできません。(p140)

音楽を楽しみ、音楽に合わせて踊るのは、人間だけの特徴です。

オリヴァー・サックスは、音楽嗜好症: 脳神経科医と音楽に憑かれた人々 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)の中でアーサー・C・クラークのSF小説幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))を引き合いに出して、人間の音楽の特異性を説明しています。

その物語では、音楽を知らない異星人たち(オーバーロード)が、地球にやって来ます。そして、音楽という意味のない音のパターンを大勢の人が心底楽しんでいるのを見て、奇妙に感じつつも感銘を受けます。

オーバーロードたちが宇宙船に戻って、思いを巡らしていることが想像できる。この「音楽」なるものは人間にとって何らかの効き目があり、人間の生活の中心であることを、認めざるをえなかっただろう。

しかしながら、それには思想がなく、何の提案もしない。姿もシンボルも言語的な要素もない。説明する力もない。世界と関係があるとも限らない。(p9-10)

進化の観点から人間を研究している人たちは、音楽のような「意味のないもの」が、これほど人類の生活の中心に深く根ざしていることに困惑しています。ダーウィンは、こう述べました。

楽譜をつくる楽しみも素質も人間にとってほとんど無用な能力なので……最も不可解な才能の部類に入れなくてはならない。(p10)

しかしどれほど不可解に思えようと、音楽は、わたしたち人間の心の一番奥に流れている旋律であり、ほかのあらゆる動物と一線を画する人の営みなのです。

人間だけが自分から絵を描き始める

一方で、ダーリア・W・ザイデルは芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察で人が絵を描く能力についてこう述べています。

絵を自発的に描くのは、人間固有の特徴である。

…盲目の人でも自発的に描くことができ、眼の見える類人猿にはそうした能力がない事実は、この能力が人間の脳に選択的に備わっている神経回路に依存していることを示している。(p152)

人間はたとえ目が見えなくても、自分から絵を描きます。これは、人間と98.4%の遺伝子を共有しているチンパンジーにはできないことです。

さらに、神経内科医の岩田誠は見る脳・描く脳―絵画のニューロサイエンスの中でこう書きました。

かつて私は、賢くはなかったとしても、少なくとも言葉を操っていたことは事実であろうと思い、ホモ・サピエンスとよぶよりは、ホモ・ロケンス(喋るヒト)とよびたいとのべたことがあるが、ショーヴェ洞窟からの綿々とした絵画の歴史を考えるとヒトは喋ることがその特質なのか、描くことがヒトのゆえんであったのか、容易には結論が出せなくなってしまうことに気が付く。

…そうなれば、私たちはけっしてホモ・ロケンスなどではなく、ホモ・ピクトル(描くヒト)とよばれてしかるべきではないだろうか、とも思われるのである。(p7)

彼は、ヒトをヒトたらしめているもの、つまり人間にしか備わっていない能力の1つは絵を描くことであり、人間は「ホモ・ピクトル」と呼ぶに値すると考えたのです。

人間は本質的に芸術家

音楽という芸術、そして絵という芸術についての研究が示しているのは、、わたしたち人間は、本質的に芸術家であるということです。

人類の歴史は、芸術との関わりなしに語ることはできません。ほとんどあらゆる文化で、人は絵や音楽を通して、生きることに楽しみを見い出し、困難のもとで勇気づけられ、豊かな未来を創造してきました。

人はあらゆるものを失っても、最後の最後まで芸術的感性を持っています。脳の一部を失い、言葉を失くし、記憶を失っても、美しい絵を見て心を揺さぶられ、懐かしい音楽を聞いて癒やされます。

才能のあるなしにかかわらず、いつでも芸術を楽しみ、音楽や色や風景の美しさを感じ取って喜ぶことができます。

最後に、知の逆転 (NHK出版新書 395)のまえがきに書かれている味わい深い言葉を引用して終わりましょう。

生きていくこと自体がその人独自のアートなのだろう。もって生まれた遺伝子と、環境すなわち出会いがそのアートをつむいでいく。

人によって絵葉書のようであったり、大絵巻のようであったりして、それぞれにおもむきがあり、味わいがあり。長ければ長いほど良いというものにもあらず。(p9)

わたしたちは生まれたときから、最期の瞬間まで、アートを楽しむことができます。だれもが芸術家であり、豊かな感性によって歓び、楽しみ、人生を彩り、人間らしくあることができるのです。

女性のアスペルガー症候群の意外な10の特徴―慢性疲労や感覚過敏,解離,男性的な考え方など

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近年、アスペルガー症候群がよく知られるようになりました。

しかし、みなさんが知っていることは、じつはほとんどが男性のアスペルガー症候群の情報です。

女性の場合には悩みごとも対処法も男性とは異なります。

れは、女性のアスペルガー症候群 (健康ライブラリーイラスト版)の冒頭に書かれている言葉です。

アスペルガー症候群(DSM-5では「自閉スペクトラム症:ASD」に統一)というと「空気が読めない」「オタク気質」「理系」といった特徴を持つ男性を思い浮かべる人が少なくありません。

しかし同じアスペルガー症候群といっても、女性の場合は現われる特徴がかなり異なっていて、アスペルガー症候群であることがわからないまま、さまざまな苦労を抱えていることが明らかになってきました。

特に、コミュニケーション能力にはそれほど問題がないように思えても、独特の脳機能に由来するストレスを抱え込み、子どものころから、慢性疲労、慢性疼痛、概日リズム睡眠障害など、原因不明の身体症状を抱える人が少なくないようです。

また、記憶や感覚の処理が普通の人とは違っていて、解離症状を示したり、独特なパニック症状「メルトダウン」や、過去が生々しくフラッシュバックする「タイムスリップ現象」に悩まされる人もいます。

この記事では、そうした女性のアスペルガー症候群の意外な10の特徴、およびその対処法を、さまざまな資料を参考にしてまとめてみました。

これはどんな本?

今回おもに参考にしたのは、どんぐり発達クリニックの宮尾益知先生による女性のアスペルガー症候群 (健康ライブラリーイラスト版)です。

あまり知られていない女性のアスペルガー症候群について、具体的な情報や対策が豊富で、全ページにわたりイラスト付きで解説されている、とてもわかりやすい一冊です。

この記事で、特に出典元を記さず、ページ数のみ載せている引用は、この本からのものです。

そのほかに、子どもの発達障害とトラウマ治療の第一人者である杉山登志郎先生の発達障害のいま (講談社現代新書)や、マイケル・フィッツジェラルド博士の天才の秘密 アスペルガー症候群と芸術的独創性など、さまざまな資料をもとにしています。

1.アスペルガー症候群に見えない

アスペルガー症候群の診断基準が確立されてからも、症例の中心は男性でした。

男性のほうが女性より数倍多いとされてきました。

しかし、女性の研究が進み、男女で特性の現れ方が違うという説が出てきました。(p56)

女性のアスペルガー症候群の10の特徴を考えるにあたり、一番最初に考慮する必要があるのは、冒頭で述べたように、男性とは症状が異なることです。

男性のアスペルガー症候群に多い、コミュニケーションが苦手なオタク気質のエンジニアのようなステレオタイプに当てはまらないため、一見、アスペルガー症候群とは思えないことが多いそうです。

女性のアスペルガー症候群は男性とは少し違った特徴、すなわち性差(ジェンタ―ディファレンス)があります。

一般に、アスペルガー症候群は、女性よりも男性に多いと言われていますが、もしかすると診断基準が男性向けだったため、女性のアスペルガー症候群が見過ごされてきたのではないか、という可能性が注目されています。

注意していただきたい点として、これから考えるさまざまな特徴は、女性のアスペルガー症候群に多いとされるものですが、一人の人にすべての特徴が見られるとは限りません。

また自閉スペクトラム症は、一般の人から重い自閉症の人まで、連続性をもつものなので、男女問わず、アスペルガー症候群でない人でも、いくつかの特徴が当てはまることは十分にあるでしょう。

たとえ多くの項目が当てはまるとしても、あくまで参考程度にとどめ、自己診断に頼らず、専門家の判断を仰ぐようにしてください。

2.原因不明の体調不良になりやすい

アスペルガー症候群の女性の多くが、睡眠障害をはじめとする体調不良に悩んでいます。

朝起き上がれないくらいの疲労感がしばしばあります。(p30)

アスペルガー症候群の女性は、男性とは違って、ある程度の社会性があり、コミュニケーションもむしろ大人びているので、子どものころはアスペルガー症候群だと疑われることはありません。

しかし、学校に行き始めると、コミュニケーションの問題より先に、原因不明の身体症状という形でストレスが表面化することが多いと言われています。症状には以下のようなものが含まれます。

■慢性疲労症候群
子どもの慢性疲労症候群(CCFS)について研究している兵庫県立リハビリテーション中央病院 子どもの睡眠と発達医療センターによると、慢性疲労症候群になる子どものうち、かなりの割合に自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)がみられると言われています。

慢性疲労症候群の身体症状の中には、絶えず続く重い疲労感、自律神経失調症、原因不明の発熱などが含まれていて、原因としてアスペルガー症候群の神経異常が関係しているよ場合があるようです。

慢性疲労症候群の子ども(CCFS)には発達障害が多いー治療にはADHDや自閉スペクトラム症の理解が不可欠 | いつも空が見えるから

■線維筋痛症
重い疲労が特徴の慢性疲労症候群と類似した病気の中に、ひどい体の痛みを特徴とする線維筋痛症があります。

子どもの線維筋痛症(若年性線維筋痛症:JFM)の研究をしている東京女子医科大学 膠原病リウマチ痛風センター の宮前 多佳子先生によると、こちらもやはり、素因として自閉スペクトラム症がしばしば認められると言われています。

慢性疲労症候群も線維筋痛症も女の子に多い疾患ですが、いずれの場合も気づかれにくい女性のアスペルガー症候群が関係している場合があるのです。

子供の体の痛み「若年性線維筋痛症(JFM)」とは? 原因と治療法 | いつも空が見えるから

■概日リズム睡眠障害
すでに述べた子どもの慢性疲労症候群(CCFS)には、概日リズム睡眠障害が伴いやすいことが知られています。

概日リズム睡眠障害とは、朝起きられず夜眠れないなど、睡眠リズムがずれてしまい、生活に支障をきたす症状です。不登校の原因の一つとしても注目されています。

兵庫県立リハビリテーション中央病院 子どもの睡眠と発達医療センターによると、概日リズム睡眠障害の治療のため入院する子どもの場合もやはり、自閉スペクトラム症の割合が高いことがわかっています。

子どもの睡眠と発達医療センター、睡眠障害で入院する子どもの2/3が自閉スペクトラム症 | いつも空が見えるから

■摂食障害
思春期の女性が抱えやすい疾患の中には、摂食障害もあります。

摂食障害の中には、食べることができなくなる拒食症、食べるのをやめられない過食症が含まれます。

アスペルガー症候群の女性は、味覚の過敏性のために偏食になったり、認知の偏りが生じて自分の体型を客観視できなくなったりすることがあります。

天才の秘密 アスペルガー症候群と芸術的独創性にはでは、アスペルガー症候群だったと思われる女性哲学者シモーヌ・ヴェイユについてこう書かれています。

ヴェイユは強迫観念的に生のものを食べること、また次第に、料理していない食べ物にこだわるようになった。

アスペルガー症候群の人たちにとって、かなり限定された食生活は珍しくない。(p183)

発達障害のいま (講談社現代新書)も、これまで難治性とされてきたシゾイドパーソナリティのやせ症(拒食症)についてこう述べています。

シゾイドの全部ではないが、その99パーセントまでが自閉症スペクトラム障害と置き換えて読むことができるのである。

つまりシゾイド型やせ症とは、その大多数が自閉症スペクトラム障害に併存してきたやせ症であったのだ。(p176)

■統合失調症
統合失調症と診断されているものの、薬物治療によってむしろ悪化したり、治療が長引いて泥沼化してしまうような場合は、アスペルガー症候群の症状が誤診されている可能性があります。

発達障害のいま (講談社現代新書)によると、たとえば幻聴がある場合でも、統合失調症とアスペルガー症候群では性質が異なります。(p216)

統合失調症の幻聴は自分の思考が外部の言葉として聞こえてしまうタイプのものであり、抗精神病薬がよく効きます。

しかしアスペルガー症候群で幻聴が生じる場合、実際には幻聴ではなく、過去の出来事の聴覚的なフラッシュバックであり、抗精神病薬は効果が乏しいそうです。

そのほかにも、一見、統合失調症と思える症状が出たとしても、統合失調症とアスペルガー症候群では様々な違いがあることが紹介されているので、気になる方は読んでみるようお勧めします。

■難治性の心身症
そのほか、さまざまな体の不調を訴えて病院にかかっても、検査で異常がないため「心身症」と診断されてしまう場合には、女性のアスペルガー症候群が背景にある可能性を考慮する必要があるとされています。

アスペルガー症候群特有の感覚過敏や、神経機能の偏りのために、一見検査では正常に見えても、心身に強い負荷がかかっているため、慢性的な重い体調不良が生じるのです。

アスペルガー症候群など発達障害の脳機能の脆弱性をベースにして、さまざまな心身症状が生じているのに、おおもとの発達障害に気づかれていないケースは、「重ね着症候群」と呼ばれています。

治りにくい病気の背後にある大人の発達障害「重ね着症候群」とは | いつも空が見えるから

3.コミュニケーションはできるが幅が狭い

友達がいないわけではないのですが、交流の幅は狭く、Aさんにとって、図書館で好きな本を読んでいるときがいちばん幸せでした。(p13)

アスペルガー症候群というと、「空気が読めない」「コミュニケーションが苦手である」といった特徴の代名詞であるかのように理解している人もいますが、女性のアスペルガー症候群の場合、典型的なコミュニケーション障害は少ないようです。

たとえば、だれも友だちがいないほど孤立していることはないものの、内気で交流の幅が狭いことがあります。

コミュニケーションができないわけではないものの、ガールズトークが苦手で、何気ない世間話やおしゃべりが得意ではなく、話のペースについていけないこともあります。

女性同士の会話に求められる暗黙のルールがわからず、知らず知らずのうちに嫌われたり、のけものにされたりしてしまうこともあります。

4.考え方が男性的

まわりの人が「女性らしさ」に価値をおいていても、自分にとっては価値がないので、関心をもたない。(p19)

アスペルガー症候群の女の子が、ガールズトークなど、女性同士の付き合いを苦手とする理由の一つには、考え方が男性的である、という点があります。

同年代の女の子が夢中になるファッションやアイドル、うわさ話などに興味を持てず、一般に男性が好みそうなマニアックな話題に関心があります。

「女性らしさ」より「実用的かどうか」のほうに価値を置いていて、いわゆる理系の進路に進むこともあります。

女の子のグループとは仲良くできなくても、男友達とは楽しくやっていける人もいます。

天才の秘密 アスペルガー症候群と芸術的独創性にはシモーヌ・ヴェイユについてのグレーの言葉が引用されています。

彼女はどんな性的接触も恐れていたけれども、「同僚」としては、女性よりもずっと、男性のほうとびっくりするほどうまくやっていけたということである。(p184)

アスペルガー症候群の女性の中には、ときおりアイデンティティそのものが男性である性同一性障害を抱えている人もいるようです。

5.感覚が過敏すぎる・鈍感すぎる

アスペルガー症候群の女性が、さまざまな心身症などの体調不良に悩まされやすい理由の一つは、五感の情報の受け取り方が、一般の人たちとは異なることです。

たとえば、視覚が過敏でまぶしく疲れやすかったり、聴覚が過敏で、ちょっとした騒音や子どもの声、テレビの音などが苦痛になることもあります。人が気づかないような匂いに敏感な人もいます。

近年では、アスペルガー症候群の人の感覚世界は、一般の人たちと大きく異なることが知られつつあります。

自閉スペクトラム症の独特な視覚世界を体験 | いつも空が見えるから

視覚や聴覚以外でも、たとえば天才の秘密 アスペルガー症候群と芸術的独創性によると、シモーヌ・ヴェイユは、体に触れる衣服に対して過敏性がありました。

「彼女の衣類はいつも同じような修道士風、また男性向きに裁断されたもので、肩からかけるケープ、男の子のようなぺたんこの靴、長くてゆったりしたシャツ、黒っぽい色の体を隠す長さのあるジャケットだった」。

ゆったりとした衣服と靴を好むというのはアスペルガー症候群の人の共通の特徴であり、触れるということに問題があることを暗に示している。(p178)

こうしたさまざまな感覚過敏は、普通に生活しているだけで疲労が蓄積する原因になります。

その一方で、中にはある種の感覚が鈍感すぎる感覚鈍麻のせいで体調不良を抱える人もいます。

たとえば、疲労や痛み、温度変化などに気づかない失体感症(アレキシソミア)のため、知らず知らずのうちに体に無理を強いてしまうことがあります。

また、大半の人が心地よいと感じるようなリラックスした感覚を味わうことができず、体を休めるのが難しい人もいるようです。

6.感情があふれて「メルトダウン」する

人間関係の悩みやトラブルに対処するなかで、急に感情をもてあまし、パニックになることがあります。(p20)

感覚過敏の問題は、情報があふれてパニックになるという別の問題にもつながります。

自閉スペクトラム症に特有のパニックは、一般の人のパニック症状と区別して「メルトダウン」と呼ばれることがあります。

涙・・・アスペルガー症候群のメルトダウン(発作)に陥った女性を必死に止めようとする介助犬 : カラパイア

すでに述べたアスペルガー症候群の人の感覚過敏は、身の回りにある刺激や情報を、そのまま受け取ってしまうことと関係しているようです。

定型発達の人たちは、無意識のうちに刺激を選り分け、調節する脳のフィルター機能が働いているため、必要でない情報は無視することができます。

それはちょうど、蛇口をひねって、コップに注がれる水が調度良い量になるよう調節しているようなものです。

しかし脳のフィルター機能がうまく働いていないと、身の回りのあらゆる情報がそのまま脳に流れ込んでくるので、圧倒され、苦痛を感じます。

常に蛇口が全開なので、コップに注がれる水は容易にあふれ出してしまいます。

アスペルガー症候群の人の脳ではそれと似たことが起こり、過剰な情報や刺激に圧倒されるとパニックになってしまうことがあります。

男性のアスペルガー症候群では、感情がメルトダウンすると暴力をふるったり逃げ出したりしますが、女性のアスペルガー症候群では、落ち着いて考えられなくなり、急に泣き出したり、茫然自失の状態になったりするようです。

人によっては、脳内に過剰にあふれる情報を処理するため、感情や記憶を切り離す脳の機能「解離」を用いて対処するようになる人もいます。

一般に、解離というと、解離性障害や解離性同一性障害(多重人格)を思い浮かべ、心的外傷や虐待によって起こる病的なものと考える人が多いかもしれません。

しかし、アスペルガー症候群の人は、大きな心的外傷などのトラウマ経験がなくても、独特の脳機能や、周囲になじめない孤独感のため、自然と解離しやすいと言われています。

自閉スペクトラム症についての手記で有名な女性当事者であるドナ・ウィリアムズは、解離性同一性障害のような複数の人格を抱え持っていました。

アスペルガーの解離と一般的な解離性障害の7つの違い―定型発達とは治療も異なる | いつも空が見えるから

感覚過敏に解離を用いて対処する場合、メルトダウンしたときに、リストカットや角突き行為などの自傷行為を行なって、意識を飛ばす人もいるようです。

なぜ無意識のうちに自傷をやってしまうのか―リスカや抜毛の背後にある解離・ADHD・自閉症 | いつも空が見えるから

7.自分だけのマイワールドを持っている

ほかの子といっしょに「ごっこ遊び」をすることができませんでした。

いつもひとり、「マイワールド」に没頭するようにして、ごっこ遊びをしていました。(p12)

「解離」の作用の中には、記憶や感情を切り離して、現実が現実でないかのように思えることや、空想に没入して、それをありありと感じることなどが含まれます。

想像力豊かなアスペルガー症候群の人の中には、頭のなかに自分だけの世界を持っていて、苦しくなったとき、そこへ逃避するようにしている人もいます。自閉っ子のための努力と手抜き入門にはこうありました。

自分の心のなかで◯◯王国といった王国を作り、そこに住むキャラを動かしていたり、そういうファンタジーの豊かな方は自閉圏の方にけっこう多くいる (p15)

女性のアスペルガー症候群 (健康ライブラリーイラスト版)では、コミュニケーションの行き違いによる疲れを癒やすために、ペットやぬいぐるみに語りかけることが提案されています。(p66)

特に想像力が豊かに人の場合は、そうした対処法を無意識のうちに、セルフメディケーションのようにして行なっていて、ありありとした実在感を伴うイマジナリーフレンド(空想の友だち)として現われることがあるかもしれません。

アスペルガーは想像上の友だちイマジナリーフレンド(IF)を持ちやすい? | いつも空が見えるから

このような豊かな想像力や視覚イメージ力を生かして、クリエイターとして活躍しているアスペルガー症候群の女性もいるようです。

8.トラウマを抱えやすい「タイムスリップ現象」

アスペルガー症候群の人は記憶の処理方法が特殊で、トラウマ経験を抱え込みやすいこともわかっています。

たとえば、過去の嫌な体験をまざまざと思い出し、そのときの感情そのものを再体験してしまう特殊なフラッシュバック「タイムスリップ現象」が生じることがあります。

あまり知られていない「発達障害のいま」の5つのポイント | いつも空が見えるから

発達科学ハンドブック 8 脳の発達科学によると、一般の人は月日が経つと記憶の内容が変化しやすいのに対し、アスペルガー症候群の人は、ほとんど変化せず、そのままの記憶をはっきり覚えていることが多かったそうです。

自閉症スペクトラム障害(自閉スペクトラム症,autism spectrum disorder:ASD)においては、これとは逆の結果、すなわASD方が健常者よりも虚再認が少ないという結果が報告されている(Beversdorf et al,2000)。

…この結果は「心の理論」をはじめとする自他の心的状態の認識に困難を示すASDにおいて、記憶の側面にも特殊性があることを示唆しており、ASDのさらなる理解に結びつくものと考えられる。(p174)

アスペルガー症候群の人の中には、過去の出来事の日付や出来事の細部などを非常に正確に覚えていたり、映像として記憶したりしている人もいます。

アスペルガー症候群では外部からの情報がほとんど加工されずに脳に直接飛び込んでくるのと同様、保存された記憶も加工されないまま保持されるのかもしれません。

こうした記憶の特殊性のためか、いじめ、虐待、災害、犯罪などのトラウマ記憶が強く残りやすいので、場合によっては医療的なトラウマ処理が必要になることもあります。

特に、アスペルガー症候群の女性は、社会的経験の未熟さのため、性被害に遭うことが少なくなく、前もって対策することが必要だといわれています。

9.こだわりが強く変化が苦手

アスペルガー症候群の人の多くは、同一であること、規則的であることを好みます。

同じ道順や手順にこだわれり、それ以外の方法を認めたがりません。

そのため、ほかの人と行動を合わせることが苦手です。(p33)

アスペルガー症候群の人は、なにごともつねに一定であることを好むため、融通が利かない、生真面目で扱いにくい人と思われがちです。

時間をぴったり守りすぎたり、手順やものの置き場所などに強くこだわり、少しでも変わると嫌がったりパニックになったりすることがあります。

女性の場合は、思春期の体の変化に戸惑いを覚え、強いストレスを感じて体調を壊してしまうこともあります。

融通が利かず、こだわりが強いことは、女性同士の目的のないおしゃべりに加わりにくくなる一因です。

狭い範囲の物事にこだわりを持ち、変化が苦手なため、結果として視野が広がりにくくなり、特定の話題以外では会話が弾まなくなります。

しかしその分、狭い範囲のことを徹底的に長期間研究するような仕事には向いていて、研究者として成功しているアスペルガー症候群の女性もいます。

たとえば動物管理学者のテンプル・グランディンは、アスペルガー症候群を公表している女性のうち、最も有名で成功した人物といって差し支え無いでしょう。

自閉症の動物学者テンプル・グランディンのTED「世の中には いろいろなタイプの脳が必要だ」まとめ | いつも空が見えるから

10.ADHDの女性との違い

アスペルガー症候群は、同じ発達障害としてニュースなどでよく取り上げられるADHD(注意欠如・多動症)と混同されることがあります。

特に、ADHDの中でも、多動性が少ない不注意優勢型は、ネット上の色々なサイトの説明を見ても、アスペルガー症候群との区別があいまいになってしまっている場合があるようです。

確かに、アスペルガー症候群とADHDは、ときどき併存することもありますが、基本的には別物です。たとえば、おおまかに言って次のような違いがあります。もちろん、あくまで傾向にすぎず、すべての場合に当てはまるとは限りません。

※以下の説明のアスペルガー症候群のついてのページ数は女性のアスペルガー症候群 (健康ライブラリーイラスト版)を、ADHDについてのページ数は、姉妹本である女性のADHD (健康ライブラリーイラスト版)を参考にしています。

■興味の範囲
アスペルガー症候群は「こだわり」が強く、変化を嫌うため、興味の範囲が狭く、特定のことにマニアックです。(p15)

ADHDは「新規性探求」が強く、次々と新しいことに目移りするので、興味の幅がとても広く、さまざまな分野の知識を持ちます。(p23)

■会話の難しさ
アスペルガー症候群の女性がガールズトークについていけない理由の一つは、受け答えが人より遅かったり、興味関心がなかったりして、ペースについていけないことです。(p14)

ADHDの女性が同性の間で浮いてしまうのは、思考の多動性のため、一人で話しすぎたり、衝動的に会話を横取りししたりしてしまい、身勝手に思われるからです。(p14)

■規則正しさ
アスペルガー症候群の女性は、変化が苦手なため、規則正しく、同じ規則やルールに沿った生活を続けることを好みます。(p33)

ADHDの女性は、変化の無さに絶えられず、次々と新しいことを始めたり、予定をつめ込んだりしすぎるので、規則正しい生活が苦手です。(p16)

■まわりから浮く理由がわかるかどうか
アスペルガー症候群の女性は、いじめられたり、仲間はずれにされたりしても、特に子どものころは理由がわからず、おかしいのはまわりのほうだと感じることが多いようです。(p16)

ADHDの女性は、悪いとはわかっているのに、衝動性や不注意から余計なことを言ったりしてしまうので、自分がまわりから疎まれやすい理由がわかり、自己嫌悪になりがちです。(p15)

■細部か全体か
アスペルガー症候群の女性は細かい細部にこだわりすぎて、融通が利かない人と思われがちです。(p33)

ADHDの女性は、おおまかな全体ばかり見て細部が疎かになり、大雑把な人、適当な人と思われがちです。(p21)

女性のADHDについて詳しくはこちらをご覧ください。

気づかれにくい「女性のADHD」の10の特徴&治療に役立つポイント集 | いつも空が見えるから

こちらのゆうメンタルクリニックのまんがでもADHDとアスペルガー症候群の違いがわかりやすく説明されています。

マンガ【ADHD・注意欠如多動症】6回「ADHDとアスペルガーの5つの違い!」マンガで分かる心療内科・精神科in池袋 | ゆうメンタルクリニック池袋西口院~心療内科・精神科

女性のアスペルガー症候群に対処するには?

もし、ここまで挙げたような特徴に、自分や、子ども、配偶者などが当てはまるとしたら、どうすればいいのでしょうか。

個人の自己診断には限界がありますから、性急にアスペルガー症候群であると結論したりせず、専門家による客観的な判断を仰ぐことが大切です。

現状では、残念ながら、女性のアスペルガー症候群に詳しい医師は少なく、専門的な医療機関もあまり多くないようです。

特に、慢性疲労、胃の不調、月経前緊張症(PMS)などの身体症状で内科や婦人科を受診したり、ストレスや睡眠障害などで精神科を受診したりしても、おおもとにある発達障害に気づかれず、ずるずると治療が長引き、難治性とされることがしばしばです。

もしアスペルガー症候群の特徴に当てはまると思うのであれば、インターネットなどで、発達障害を専門とする医師・医療機関を探して受診することが必要です。

薬物療法

発達障害の薬物療法-ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方によると、一見、統合失調症や双極性障害、うつ病などの精神症状を抱えているように思えても、アスペルガー症候群などの発達障害が根底にある場合、治療の方法が大きく異なると言われています。

たとえば、発達障害がベースにある場合は、薬物への過敏性があるため、一般の精神科の処方ではかえって悪化してしまい、少量処方に切り替える必要があるようです。比較的効き方がマイルドな漢方薬を活用して体調を整えることもできます。

専門的な医療機関では、ほかにも感覚統合療法や認知行動療法など、発達障害の成人や子ども、その家族などを対象にしたさまざまな治療やアドバイスが受けられるかもしれません。

感覚過敏・感覚鈍麻への対処

アスペルガー症候群の人がストレスを減らすには、感覚過敏に対処する必要があります。

たとえば、視覚の過敏性があり、明るさに敏感であるなら、サングラスを常にかけたり、UBカット率の高いレンズにしたり、デジタル機器の輝度を低く設定したりすることが役立ちます。

聴覚の過敏性がある場合には、ノイズキャンセラーを使ったり、特定の騒音域を軽減してくれる耳栓を用いるとよいでしょう。

音楽を楽しむためにもWestone TRUイヤープラグで耳を守ろう!|テックウインド株式会社

衣服への過敏性については、自分の感覚過敏などを考慮した上で、体質に合った服を探すとよいでしょう。近年は自閉スペクトラム症向けの服を作っているアパレルメーカーもあるようです。

自閉症の子どもたちを助ける、奇妙な洋服の大きな効果 « WIRED.jp

疲労感や痛みを感じにくいという感覚鈍麻に対しては、疲労を感じていなくても意識して休息をとったりできるよう、セルフモニタリング技術を学ぶとよいかもしれません。

セルフモニタリングには、日記をつける、活動量計を身につける、睡眠時間を記録するといった可視化・数値化が役立ちます。

トラウマを未然に防ぐ

アスペルガー症候群の女性はトラウマ記憶が残りやすいため、あらかじめ自分の特性をよく理解して、トラウマが生じそうな状況を注意深く避けることが大切です。

たとえば、アスペルガー症候群の人には接客業やサービス業、マルチタスキングは向いていません。自分の合わない仕事に就いてしまうと、心身のストレスを抱えたり、同僚からいじめられたりするかもしれません。

性的な被害に遭わないよう、男女関係や異性に対する振る舞い方について信頼できる人に教えてもらったり、マナーや距離感についてのアドバイスを調べたりして、注意深くあることも大切です。

具体的な対策などは、 女性のアスペルガー症候群 (健康ライブラリーイラスト版)にかなり詳細に書かれているので、ぜひご覧ください。

もしトラウマ経験に直面してしまった場合は、専門的な医療機関で、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)や、TF-CBT(トラウマフォーカスト認知行動療法)などを受ける必要があるかもしれません。

子ども時代の慢性的なトラウマ経験がもたらす5つの後遺症と4つの治療法 | いつも空が見えるから

自分の脳について理解を深める

アスペルガー症候群は、病気ではなく、生まれつきの脳の傾向なので、治療したり変えたりすることはできません。

そもそも、アスペルガー症候群は「障害」ではないので、治さなければいけないわけでもありません。

近年の研究によると、アスペルガー症候群などの自閉スペクトラム症は、「障害」ではなく、「認知特性の違い」であり、自分の特性をうまく活かせる環境に身を置けば才能ともなりうると言われています。

熊谷晋一郎先生による自閉スペクトラム症(ASD)の論考―社会的な少数派が「障害」と見なされている | いつも空が見えるから

脳神経科医オリヴァー・サックスは、道程:オリヴァー・サックス自伝で前述のテンプル・グランディンについてこう述べています。

テンプルはいまや世界中の自閉症コミュニティの人々にとってのヒーローであり、彼女のおかげで、自閉症とアスペルガーは神経学的欠陥ではなく異なる生き方であり、彼らは独自のユニークな気質とニーズを持った人たちであると、世間のみんなが考えざるをえなくなったとして、広く崇敬されている。(p391)

アスペルガー症候群の女性にとって大切なのは、自分の脳の特徴についてよく理解し、強みと弱み、得意なことと苦手なことをわきまえることです。

自分の長所を発揮できるような仕事を選んだり、アスペルガー症候群であることに配慮してくれるような人と付き合ったりすれば、合わない環境に由来するストレスが減り、体調も上向くことでしょう。

家族や同僚、学校の先生、友だちなどに、自分の特徴について、わかりやすく、敬意をもって伝え、理解を深めてもらうことも大切です。

おわりに:女性のアスペルガー症候群の本をもっと読む

アスペルガー症候群の女性が、自分の特徴をうまく活かしていくために、さらにできることは何でしょうか。

それは、女性のアスペルガー症候群について扱った解説書や、女性当事者の経験談に積極的に触れることです。

アスペルガー症候群の人の脳の特徴は、さまざまな点において一般の人とは異なっているので、テレビなどのメディアで報道されている、一般の人向けのアドバイスが当てはまらないばかりか、有害であることさえあります。

万人に役立つライフハックや勉強法などない!―ADHDやアスペルガーに必要なのはオーダーメイド | いつも空が見えるから

文字通りに受け取ってしまう性格のせいで、自己啓発書や子育て指南書、健康法、宗教などの内容を一字一句その通りの行おうとして、極端に走って失敗してしまうこともあります。

アスペルガー症候群であることをよく知らないままドクターショッピングを繰り返せば、延々と体調不良を抱えたまま、時間とお金を無駄にすることにもなりかねません。

それで、世の中にあふれるさまざまな情報に振り回される前に、まず自分が何者なのかよく理解する必要があります。

あたかも、自分の脳の取り扱い説明書を読むかのようにして、女性のアスペルガー症候群に関する様々な本を調べてみるなら、世の中の物事にどう接したらよいかが次第に見えてくるでしょう。

そうすれば、ちまたにあふれる情報に対しても、どれが自分に適していて、どれが自分にそぐわないものなのかが判断しやすくなり、振り回されることがなくなります。

そのようなわけで最後に、アスペルガー症候群の女性が、自分自身の特徴への理解を深めるのに役立つ本を紹介して終わりたいと思います。

以下に挙げるのは、今回取り上げた本も含めた女性のアスペルガー症候群の解説書、そしてアスペルガー症候群の女性当事者による国内および海外の手記・体験談の一部です。

大半は図書館で借りたり、古本で安く買ったりもできると思うので、ぜひ積極的に目を通してみてください。あたかも鏡を覗きこむかのように、自分自身について、さまざまな発見ができるに違いありません。

■女性のアスペルガー症候群の解説書

■女性のアスペルガー症候群の当事者による本(国内)

■女性のアスペルガー症候群の当事者による本(海外)

視線を調べて大人の発達障害(自閉スペクトラム症)かどうかを2分で判別できる技術が開発

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井大学子どものこころの発達研究センターなど、複数の研究機関の共同研究で、思春期から成人の自閉スペクトラム症(ASD)[従来のアスペルガー症候群を含む]の診断の補助に活用できる技術が開発されたというニュースがありました。

視線パターンで思春期・青年期の自閉スペクトラム症を高率で見分けることが可能に | お知らせ | 国立研究開発法人日本医療研究開発機構

ASD、成人男子も機器で診断 福井大など開発、乳幼児以外も実証 特集・医療最前線 福井のニュース |福井新聞ONLINE:福井県の総合ニュースサイト はてなブックマーク - ASD、成人男子も機器で診断 福井大など開発、乳幼児以外も実証 特集・医療最前線 福井のニュース |福井新聞ONLINE:福井県の総合ニュースサイト

成人男性の自閉症、2分で診断 映像見せ視線測定  :日本経済新聞 はてなブックマーク - 成人男性の自閉症、2分で診断 映像見せ視線測定  :日本経済新聞

対人の障害、視線で8割判別…福井大など : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

ASDを2分で判別、80%の精度

自閉スペクトラム症(ASD)の特徴の中には、視線が合わないアイコンタクトの異常が含まれています。

この特徴を診断に役立てるため、研究チームは以前、簡単に視線計測ができる機器Gazefinderを開発しました。

これは人の顔や、音楽に合わせて動く幾何学模様の2分間の映像を見せて、視線の動きを調べ、迅速かつ客観的に自閉症の可能性を判別できるツールだそうです。

しかし、この機器は、これまで子どもの自閉症のみを対象として、実験されていたので、成人の自閉症の診断にも役立つかどうかは不明でした。

今回、Gazefinderを用いて、思春期から成人期の16歳~40歳の自閉スペクトラム症(ASD)の男性患者を対象にして、定型発達者との視線の違いを比べたところ、80%の精度で、両者を区別できたそうです。

研究にあたった福井大学の小坂特命教授はこう述べているそうです。

障害が見過ごされて成長し、社会人になってから職場でうまくいかずに悩む男性の診断に活用できる。[福井新聞]

誤診により、効果のない薬を処方されていた例もある。自閉スペクトラム症と分かれば、環境を整えるなど薬を用いない改善方法も見込める。[日経新聞]

もちろん、これだけで自閉スペクトラム症が診断できるものではありませんが、有用な診断補助ツールとして使用できるよう、今後は女性も含めて、引き続き大規模な検証を実施していくそうです。

今回の研究の中心となっている福井大学子どものこころの発達研究センターは、これまでもこのブログで、友田先生の愛着障害の研究などで取り上げたことがあります。

共同研究にあたっている金沢大学大阪大学なども発達障害の研究が盛んですから、今後の進展が気になるところです。

【4/20】発達障害のミュージシャンのための本「なぜアーティストは生きづらいのか? 個性的すぎる才能の活かし方」

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達障害のアーティストが、才能を潰すことなく、末長く創作活動を続けるために役立つアドバイスを解説した本なぜアーティストは生きづらいのか? 個性的すぎる才能の活かし方が2016/4/20に発刊されるようです。

著者は、元バンドマンでマネージメントの経験もある専門学校の新人開発室室長の手島 将彦さん、そして自閉スペクトラム症など発達障害についての著書が多数ある信州大学医学部附属病院子どものこころ診療部の本田 秀夫先生です。

目次によると、

■第一章 「生きづらさ」の原因を探る
■第二章 音楽の現場でのトラブル・シューティング
■第三章 多様性が音楽業界を救う

の三部からなっていて、おもに、発達障害(自閉症スペクトラムまたはADHD)のミュージシャンを対象とした実用的なアドバイスが扱われているようです。

詳しい内容や、目次の詳細な点については、出版社リットーミュージックによる商品紹介ページをご覧ください。

なぜアーティストは生きづらいのか? 個性的すぎる才能の活かし方 | リットーミュージック

どの程度、具体的で有用な本なのかはわかりませんが、発達障害のアーティストへのアドバイスを題材とした専門家の本は珍しく、しかも音楽業界の出版社が手がけているということで気になりました。

著者の一人の本田 秀夫先生の過去の本は、Amazonレビューではどれも高評価なので、医学的な方向でも、おそらくは信頼に値する内容なのではないかと思います。

もう一人の著者の手島 将彦さんも、TwitterなどでWeb上でも情報発信されているようです。

読んでみるまで何ともいえませんが、特にミュージシャンなど音楽業界に関わる方で、ADHDやアスペルガー症候群などの傾向を自覚している人がいれば、手にとってみてもいいかもしれません。


少数派を「障害者」と見なすと気づけないユニークな世界―全色盲,アスペルガー,トゥレットの豊かな文化

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ワシントンDCのガロデト大学(世界で唯一の聴覚障害の学生のための大学)を訪ねて、「聴覚障害」について話したとき、聾の学生のひとりから手話で、「ご自分が手話障害だと思ったらどうですか?」と言われた。

それはとてもおもしろい形勢逆転だった。というのも、何百人という学生がみんな手話で会話をしていて、私は通訳をとおしてしか何も理解できず、何も意思を伝えられない、言葉の不自由な人だったのだ。(p318)

れは、道程:オリヴァー・サックス自伝の中で、脳神経科医オリヴァー・サックスが語っているエピソードです。

わたしたちの社会では、健康な「健常者」と、何かが欠けて劣っている「障害者」という区別が大きな疑問もなく受け入れられています。しかしそれは本当に正しいのでしょうか。

H・G・ウェルズの架空の短編小説「盲人国」(タイム・マシン 他九篇 (岩波文庫)収録)では、ある旅人が、目の見えない人だけの村に迷い込みました。

旅人は最初、盲人たちを哀れんでいましたが、やがて、異質なのは自分のほうで、その村には豊かな文化が根づいていることを知りました。

わたしたちの社会で「障害者」とみなされている人たちも、ある面では「健常者」より優れた能力を持っていることが少なくありません。そしてそれを活かして独自の文化を創りあげています。

この記事では、幾つかの本を参考に、全色盲、自閉スペクトラム症、トゥレット症候群などの人を通して、彼らの豊かな文化について考えます。

そして、「健常者」と「障害者」という見方は、実のところ「多数派」と「少数派」の違いを反映しているにすぎないのではないか、という点を考えたいと思います。

これはどんな本?

今回扱う本は、多岐にわたりますが、主に次の3冊を引用しています。

先天性全色盲のエピソードは、オリヴァー・サックスの 色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426)によります。この本の前半は全色盲の人が大勢暮らす島への旅行記です。

自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)については、金沢大学の研究者たちによる、自閉症という謎に迫る 研究最前線報告(小学館新書)を参照しています。

トゥレット症候群については、やはりオリヴァー・サックスの音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々などを参考にしました。

全色盲の人にしかわからない色がある

あなたは、カラフルな景色を見るのが好きですか? 

多くの人は、この世界に様々な色があることが当たり前すぎて 、色のありがたみをあまり意識していないかもしれません。

しかし、想像してみてください。もしこの世界に色がなかったら、どう感じるでしょうか。目に見えるあらゆるものがモノクロ、グレースケール、灰色で、りんごもバナナも、おしゃれな服も、多種多様な花も、何もかもが白黒です。

そんな味気ない世界は耐えられない。そう思うかもしれません。

しかし、先天性全色盲という3万人に1人の障害を患って生まれてきた人は、一度も色を見たことがなく、まさにそのようなモノクロの世界に住んでいるのです。

なんて可哀想な人たちがいるのだろう、と感じますか。それこそが冒頭で考えた、「健常者」から見た「障害者」への視線です。

ところが、実際に当事者の声に耳を傾けてみると、印象が変わるかもしれません。

全色盲の島の豊かな文化

オリヴァー・サックスの旅行記、色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426)では、先天性全色盲のため生まれつき色を見たことがないカリフォルニアの女性、フランシス・フッターマンがこう述べています。

「全色盲」という言葉は、私たちの視覚の欠点についてしか説明していません。

つまり私たちに備わっている能力や、私たちが見たり作りだしたりする世界については何も語っていないのです。(p268)

彼女は、「全色盲」という言葉では、生まれつき色の見えない人の「欠点」だけしか説明できていないと述べています。そして、むしろ自分たちには「備わっている能力」や、「見たり作りだしたりする世界」があると語っています。

「色の見えない人」に、どんな優れた能力や独自の世界があるのでしょうか。彼らは深刻な障害を持った不自由な人ではないのでしょうか。

サックスはこの本の中で、遺伝的な先天性全色盲の人たちが人口の1割近くを占める特殊な太平洋の島、ピンゲラップ島、ポーンペイ島を訪れます。

そこでは、先天性全色盲の人たちは「マスクン」と呼ばれ、障害者ではなく、独自の個性を持つ人たちとして、社会における立場を確立しています。

マスクンたちは、確かに色が見えず、色を手がかりにした情報がほとんどわかりません。また昼間の明るさが苦手で、視力が極端に弱いというハンディキャップも抱えています。

しかしその一方で、島の大半の人にはない特殊な能力を持っています。

通常の視覚の持ち主では見分けられなく全色盲の人だけが見分けられるもの、つまり色合いは同じでも明度が多少違うものもある。(p78)

先天性全色盲の人たちは、有彩色、つまり赤や青などの色みのあるカラフルな色を見ることはできません。

しかしその分、明るさのわずかな変化には明敏で、わたしたちが見分けがつかないような明度の変化がわかります。無彩色、つまり、さまざまな明るさのグレーは、だれよりも詳しく判別できるのです。

たとえば、ある先天性全色盲の女性が作った織物は、ノルウェーの古い物語を題材にした、とても繊細で美しいものですが、模様を見て楽しむことができるのは全色盲の人だけです。わずかな明度のコントラストによる色で織られているからです。(p76)

わずかな明度の差に敏感だという能力は、日が暮れたあとに、ひときわ威力を発揮します。闇夜で魚がはねたり、かすかに水面が揺らいだりするのを見分けられるので、マスクンの多くは夜釣りの漁師として活躍しているのだといいます。(p88)

それだけでなく、マスクンたちは観察力が秀でています。色を手がかりとして利用できないぶん、さまざまな感覚を用いて、ものを見定めることに慣れています。

さきほど登場した全色盲のフランシス・フッターマンはこう言います。

新しい物に出会うと、私はその触感、匂いなど、色彩以外のすべての属性を徹底的に感じとるようにします。

叩いたり軽くこつこつと打ってみて、その音を調べたりもします。

すべての物には独特の性質があり、それを感じるのです。様々な明るさや暗さの中で見ることもします。

…もし私が色を見ることができたら、印象はどう変わるでしょうか。物の持つ色に圧倒されて、その他の性質を認識できなくなるかもしれません。(p274)

全色盲の人たちは、色の手がかりが使えない代わりに、そのハンディキャップを補うためのさまざまな能力を発達させ、それを独自の文化、個性、芸術として活用しているのです。

「障害者」か「少数派」か

こうして当事者の文化について知ると、「色のない世界に住んでいるとは、なんて可哀想なんだ」と感じた人たちの印象も変わるかもしれません。

もし仮に、色の見えない全色盲の人が99%を占める街に、色の見える「健常者」である あなたが暮らすことになったら、どうなるでしょうか。

一人だけ、夜に自由に活動できず、繊細なグレーを多用した情報や芸術を理解できず、観察力に欠けた不注意な人として、孤立してしまうかもしれません。

そうなれば、「障害者」とみなされるのは、色が見えるという不可思議なことを言って、社会的役割を果たせない、あなたのほうかもしれません。

自閉スペクトラム症のアウトサイダーな多様性

障害者なのか、少数派なのか、という文脈で、頻繁に登場するのは、自閉スペクトラム症(ASD)の人たちです。

自閉スペクトラム症は、さまざまな程度の自閉症の人を含む名称で、その中には、高機能なアスペルガー症候群の人たちも含まれます。

自閉スペクトラム症の人たちは、かねてから、三つの障害を持っていると説明されていきました。

それは「社会性の障害」「コミュニケーションの障害」「想像力の障害」であり、いわゆる空気が読めない、心の目が不自由な人、と表現されることも少なくありませんでした。

しかし、近年、当事者研究などを通して、それは、本当に「障害」なのか、実際には「個性」ではないのか、という疑問が提起されるようになりました。

アスペルガー症候群の豊かな文化

自閉スペクトラム症に関する研究が明らかにしたのは、成功した著名人の中に、自閉症の性質を持っている人がかなりの程度含まれているということです。

たとえば、愚直なまでにひとつのことにこだわり、反復練習を続けることによって、特定の分野の職人、求道者として成功する人がいます。数学や哲学といった難解な学問を扱うのに長けていて、歴史に名を残す人もいます。

特に、火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)で紹介されたテンプル・グランディンは、動物学者として成功し、自閉症は欠陥ではなく異なる生き方また才能であることを世間に知らしめました。

自閉スペクトラム症の人の多くは、そこまでの能力に恵まれていないかもしれませんが、それでも、ユニークな感性や、人と違う視点を持っていて、研究職やデザイナー、自然や動物に関わる仕事において、優れた能力を発揮できる場合があります。

自閉症という謎に迫る 研究最前線報告(小学館新書)では、MEG(脳磁図計)で、定型発達児と自閉症児の脳のネットワークを調べたところ、次のようなことがわかったそうです。

これは自閉症児が定型発達児よりも、脳の多様性が高いことを意味しているということです。

芸術だけでなく、脳の機能の観測値から見ても、彼ら(彼女ら)はアウトサイダー(集団の外部)に位置する存在です。

ふと想像してしまうのですが、アインシュタインやレオナルド・ダ・ビンチ、エジソンなどは、幼少期にMEGで測定したら、どのあたりに分布していたのだろうと……。(p134-135)

自閉スペクトラム症の人たちは、定型発達児に比べ、何かが劣っているというよりも、脳の多様性が強いためにアウトサイダーとなり、社会で苦労を味わいがちなのです。

生まれもっての多様性が、周囲にマイノリティ(社会的少数者)として否定的に扱われる環境であり、これこそが彼らを苦しめていると感じています。(p135)

こうした多様性を持つ自閉スペクトラム症の人たちが、社会で孤立してで苦しみつつも、いかにユニークな文化を創造するか、ということは、以下のような記事で扱いました。

独創的なアスペルガーの芸術家たちの10の特徴―クリエイティブな天才の秘訣? | いつも空が見えるから
自閉症・アスペルガー症候群の作家・小説家・詩人の9つの特徴 | いつも空が見えるから

「障害者」か「少数派」か

それでは、自閉スペクトラム症は、「障害者」なのでしょうか、「少数者」なのでしょうか。

そもそも、近代まで、社会の中で、自閉症が問題になることはほとんどありませんでした。

たとえば、自閉症とサヴァンな人たち -自閉症にみられるさまざまな現象に関する考察‐には、江戸時代の文献を調査すると、アスペルガー症候群らしき人が幾人も見つかるという例が挙げられています。そして、当時の風潮についてこう分析されています。

江戸時代には、精神遅滞や自閉症の人は「障害者」として認知されていたのではなく、社会の一員として生活していたことが窺われる。

しかし彼らが、何らかの違和を醸し出していたであろうことは、予想できる。

ただ、江戸時代の人々は、その違和を奇として、珍しがり、驚き、愛でたのであった。(p13)
[※引用にあたり表外漢字は常用漢字に置き換えています]

江戸時代の人は、自閉症の人たちを「障害者」とはみなさず、変わった人として珍しがり、社会のユニークな一員として尊重していたようです。

同様に、21世紀に入った今日でも、一部の文化圏では、自閉症を「障害者」というより、もっと肯定的に捉えているところがあります。

再び自閉症という謎に迫る 研究最前線報告(小学館新書)から引用しましょう。

ラテン系の家族を対象とした2001年の調査では、対象の親の55%が、自閉症の子どもを授かることは神の思し召しであると答え、…そのうち68%が神からの祝福、11%が試練であると考え、罰であると答えたのはわずか3%であったことから、おおむね肯定的なメッセージと捉えていることがわかります。

また、ネイティブハワイアンの親は、発達の遅れのある子どもを社会の一員と同じように捉え、またそれをさす語彙も存在しないとしています。(p158)

こうした文化圏の考え方は問題を違った角度から見るようわたしたちを促します。

もしかすると、自閉スペクトラム症の人が今の世の中で苦労しているのは、何かが劣ったり欠けたりしているという本人の問題によるのではなく、多数派に合わせてデザインされた社会で生きているためではないのでしょうか。

熊谷晋一郎先生による自閉スペクトラム症(ASD)の論考―社会的な少数派が「障害」と見なされている | いつも空が見えるから

もし、自閉スペクトラム症の人が99%を占める社会で、つまり自閉スペクトラム症の人たちのためにデザインされた社会で、定型発達者のあなたが暮らすことになったら、どんな不自由に直面するでしょうか。

ささいなやりとりに気を使いすぎる厄介な人、その場に合わせて態度を変える裏表のある人、一つのことをコツコツと続ける根気のない人とみなされないでしょうか。

それはまさに、「定型発達症候群」という概念に要約されています。

アスペルガーから見たおかしな定型発達症候群 | いつも空が見えるから

週末はトゥレット症候群の凄腕ドラマーに早替り

3つ目に取り上げるのは、トゥレット症候群です。

トゥレット症候群は、さまざまな激しいチック症状が特徴です。 衝動的な奇声や体の動きのため、トゥレットの人は子どものころから、いつも人目を引いてしまい、戸惑いや非難の視線を浴びることが少なくありません。

トゥレット症候群は、やはり多動性や衝動性を伴い、チック症状も現われるADHD(注意欠如多動症)としばしば併存することもあります。

トゥレット症候群の人は、こうした問題のために様々な苦労を味わいますが、一方で、その衝動性や多動性を、優れた能力として活かすことができる場合もあります。

トゥレット症候群の豊かな文化

妻を帽子とまちがえた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)に出てくるトゥレット症候群のレイは、ウィットに富むコミュニケーションを異常なスピードで返し、卓球やドラム演奏では、すばらしい才能を発揮します。

知の逆転 (NHK出版新書 395)には、彼についてこう書かれていました。

トゥレット症候群の患者は自己制御できない突然のチック症状、突然の叫びや不用意な動作などを起こすわけですが、同時に彼らは鮮やかな想像力と高い知覚能力を持っているのです。

…ウィティ―・ティキ・レイの場合、月曜日から金曜日まではビジネスのために薬を飲んでスローダウンするのですが、週末になると薬を止めて、素晴らしいジャズ奏者(ドラム)や卓球選手に早替りします。ある種の二重生活者ということになりますか。(p137)

レイは、社会の一員として働くためには、薬を飲んで、トゥレットの症状を抑えなければなりません。

しかし、週末には、逆に、薬を飲まないことが必要なのです。トゥレットの爆発的なエネルギーのおかげで、彼は優秀なドラマーや卓球選手に早変わりできるからです。

音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々の中では、プロのジャズドラマーである、ディヴィッド・アルドリッジも、やはりトゥレット症候群が、いかに音楽に寄与しているかをこう述べています。

「私はトゥレット症候群のとてつもないエネルギーを利用し、高圧の消化ホースのようにコントロールすることを覚えた。

…演奏したいという衝動と、トゥレット症候群の果てしない緊張から解放されたいという欲望は、火に注ぐ燃料のように互いを高め合った」。

アルドリッジにとって、そしておそらく多くのトゥレット患者にとって、音楽は動きと、そしてあらゆる種類の感覚と、不可分の関係にある。(p316)

トゥレット症候群の人たちは、普段の生活では、あふれるエネルギーが、予測できない激しいチックとして現れて、偏見や誤解を味わいます。

しかし、音楽などの助けを借りて、そのエネルギーを収束できれば、人並み外れた才能として生かせる場合もあるのです。

「障害者」か「少数派」か

ではトゥレット症候群は「障害者」なのでしょうか、「少数派」なのでしょうか。

色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426)の中でサックスは、トゥレット症候群の人が人口の大半を占めるラクレテ村に出かけたときのことをこう回想しています。

私は、トゥレット症候群を患う友人のローウェル・ハンドラーと一緒に、カナダのアルバータ州北部にあるメノナイト派の人々が暮らす田舎町に出かけたことがある。そこでは遺伝的なトゥレット症候群がごく普通に見られるのだ。

…いつものように、人々が振り返ってローウェルを見た。そして、皆がにっこり微笑んだ。彼らはローウェルの行動を理解し、チックを始めたりかん高い声を挙げて彼に返事する人さえいた。

トゥレット症候群の人々に囲まれて、いろいろな意味でローウェルは自分がようやく「家に帰った」気持ちになったという。(p272)

トゥレット症候群の人が多数派を占めるこの場所では、トゥレット症候群の人が激しいチック症のため、人目を気にして、肩身の狭い思いをする必要はありません。

むしろ、それが普通であり、微笑ましいことであり、共同体の一員であるしるしなのです。ビジネスのために、週に5日も無理やり薬で症状を抑えつける必要もありません。

もしトゥレット症候群でないあなたが、トゥレッツヴィル(トゥレットだらけの村の意)とも呼ばれるラクレテに住むことになったらどう感じるでしょうか。

もしかすると、一人だけ神経をすり減らし、めまぐるしい会話についていけず、卓球では負け続け、ストレスを溜め込み、二次障害を抱えてしまうかもしれません。

それぞれが独特のニーズと才能を持った人

これら3つの例、全色盲、自閉スペクトラム症、トゥレット症候群について考えると、わたしたちが「健常者」また「障害者」として考えているものは、おおかた、「多数派」と「少数派」の違いであることがわかります。

いわば、多民族国家において、大多数を占める中心民族を「健常者」とみなし、独自の文化とコミュニケーションを持つ少数民族を「障害者」としているようなものです。

もちろん注意しなければならないのは、これは、全色盲や自閉スペクトラム症、トゥレット症候群などの人に、医学的な問題が何もなく、彼らの状態が申し分なく健康であると言っているわけではありません。

その人たちは生活の中で、さまざまな苦労を抱え、重い症状に苦しんでいる場合も少なくありません。それらは「個性」で済まされる問題ではない、と言う当事者もいることでしょう。

実際にハンディキャップを抱えている人たちを、何事もないかのように一律に平等に扱うとしたら、それは現実から目を背けていることになります。

むしろここで言いたいのは、「健常者」とみなされている人も「障害者」とみなされている人も、それぞれが特有の才能や欠点を持っているということです。

LDを活かして生きよう―LD教授(パパ)のチャレンジには、そうした考え方が「インクルージョン」として紹介されています。

インクルージョンとは、障がいのある人々に対して、日常社会におけるすべての教育、雇用、消費、余暇、家庭活動における機会を保証するという理念です。

ノーマライゼーションをさらに進めた考え方で、障がいの有無、人種のちがいなどの区別をせずに、包含し、そのなかで、特別なニーズをもつ人には必要な対応を行うこととされています。

…線を引いて二種類の人間がいるかのように区別したり、一方の人を差別したりすることは不合理でおかしなことです。

一人ひとりの状態に応じた適切な対応が求められているのであって、能力や特性を無視して同じ対応をしなければならないということではありません。(p145)

わたしたち一人ひとりは、「健常者」と「障害者」に二分されるのではなく、取り巻く環境によっては、だれもがハンディキャップを抱えたり、才能を発揮したりする可能性があります。

耳の聞こえる人を中心にデザインされた社会では、ろう者の人たちは様々なサポートを必要とするかもしれません。しかしろう者が中心となってデザインした社会では、耳の聞こえる人のほうが、コミュニケーションのサポートを要するでしょう。

わたしたちは、それぞれが異なる独自のニーズを持つ人である、といえます。必要なのは、だれかれかまわず一律に扱う「平等」ではなく、一人ひとりを別個の人間として尊重する、本当の意味での「公平」です。

発達障がいの人が知っておきたい「多様性」とは何か「本当の公平」とは何か | いつも空が見えるから

そのように考えるなら、わたしたちは、社会的にハンディキャップを抱えている人を、欠点のある劣った人としてではなく、長所も持ち合わせた一人の人、独特のニーズと才能を持つ個性的な人とみなせるようになります。

それらの人の持つ独特の文化や豊かな世界を、対等の立場に立って楽しみ、互いに学び合い、敬意を込めて尊重しあうことができます。

この記事で取り上げた、先天性全色盲、自閉スペクトラム症、トゥレット症候群の人々はまさにそうした豊かな文化を教えてくれるものです。そのほかの様々なコミュニティの人たちの場合も、これと同じことが当てはまります。

わたしたちは誰一人同じ個性を持った人間がいない世界、多様性の入り混じった複雑で味わい深い世界のただ中に生きているのです。

脳MRI画像で自閉スペクトラム症を85%判別―ADHDやうつ病ではなく統合失調症と脳活動が類似

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工知能技術(AI)を使って、MRI画像から自閉スペクトラム症(ASD)を高い精度で判別できる技術が、東京大学や国際電気通信基礎技術研究所(ATR)によって開発されたそうです。

ASDに特徴的な脳内の結合を調べることで、国や人種にかかわりなく、ASDと定型発達者を80%前後の判別できるとのことです。

また、ADHD、うつ病、統合失調症の患者の脳活動も同様に分析したところ、統合失調症との類似性が示され、ASDと他の疾患との関係性もわかってきました。

ATR|株式会社 国際電気通信基礎技術研究所

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人工知能で自閉症判別=脳活動の特徴検出-東大など:時事ドットコム

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人工知能(AI)で自閉症判定 専門医診断と8割一致 - 産経ニュース

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"自閉症" 脳の働きの違いを人工知能で特定 | NHK「かぶん」ブログ:NHK

脳回路の16個の機能的結合が特徴的

現在、自閉スペクトラム症(ASD)の診断は、専門家による問診などが主体で、症状を数値化できる客観的なバイオマーカーの開発が求められています。

研究チームが注目したのは、安静状態のときに示す脳活動(デフォルト・モード・ネットワーク)を見ると、ASDの人には特有のパターンが認められることでした。

国内の181人(ASD74人・定型発達者107人)のデータを調べたところ、脳回路を構成する約1万個の機能的結合のうち、ASDに特徴的なのはわずか16個だけで、それに注目すれば、ASDかどうかを85%の精度で見分けられました。

また米国の88人(ASD・定型発達者それぞれ44人)の場合も、75%の確率でASDを判別でき、人種・国籍が違っても有用な判別方法だとわかったそうです。

この16個の機能的結合が強い(同じタイミングで活動を始めるなど)というデータから以下のような点がわかったといいます。

■右下前頭回や上側頭溝など、社会機能への関与が示唆されている部位が関係
■7割は左右両半球間を結ぶもので、左半球の小領域どうしを結ぶものはなかった
■これまでの仮説(弱結合、強結合、距離依存)は否定された。

これら16個の強い機能的結合は、ASDの人に特徴的な脳活動の時空間ゆらぎを反映していて、ASDの症状と深く関わっている「ASDの実体」であると想定されています。

現在、その部分を対象にした、ニューロフィードバックによる治療法の臨床研究が昭和大学で進められているそうです。

ASDはADHDやうつ病ではなく統合失調症と類似

今回開発された人工知能技術は、他の精神疾患や発達障害にも応用でき、各疾患のつながりや、客観的診断に役立つバイオマーカーを調べていく予定だそうです。

すでに、統合失調症やうつ病、注意欠如多動症(ADHD)のデータに対して、このASDのバイオマーカーを適用したところ、それらの患者群とASDにどれほど関連性があるかが、世界で初めてデータとして明らかになりました。

その比較結果は、公式プレスリリースの図5にグラフ化されています。

結果として、うつ病やADHDでは定型発達者との間に有意な差がなく、統合失調症とASDの脳活動が類似していることが明らかになりました。

 最後に、このASD判別法を統合失調症・うつ病・ADHDなど他の精神疾患のデータに適用しました(図5)。

各疾患群とその対照群(健常群/定型発達群)のデータセットについて、個人のASD度をもとに疾患群/対照群の判別を行ったところ、うつ病・ADHD群についてはそれぞれの対照群との間で統計的に意味のある区別がつきませんでしたが(ADHD, P=0.65, AUC=0.57; うつ病, P=0.83, AUC=0.48)、統合失調症群については患者群と対照群との間で統計的に有意な区別ができました(P=0.012, AUC=0.65)。

このことは、ASD度という脳回路図から決められる生物学的指標のもとで、ASDと統合失調症の類似性を明らかにしたものです。

過去の遺伝子研究で2つの疾患の類似性が分かっていましたが、脳活動や脳回路図に基づいて類似性を示したのは本研究が初めてです。

かねてから、自閉スペクトラム症は、統合失調症と類似しており、うつ病になりやすく、ADHDとかなりの程度重なると言われていましたが、少なくとも脳の機能的結合の特徴からは、類似しているのは統合失調症のみでした。

これまで問診などの主観的方法で診断されてきた発達障害や精神疾患を、こうしたバイオマーカーを用いて比較することで、精神疾患の分類と定義が見直され、診断・治療・創薬が画期的に進歩するとされています。

国際電気通信基礎技術研究所の川人光男所長は各報道機関に対してこう述べています。

脳のどの部分に働きの違いがあるか、一人一人、具体的に特定できるようになるので、それぞれの人に合った非常に的確な診断や治療につなげられる可能性がある―NHK

脳内の16対の回路がどのように活動しているか調べれば、自閉スペクトラム症を見分ける客観的な物差しになる。この回路を標的にした創薬が進歩する可能性もある―毎日新聞

人工知能を使った指標の開発は精神疾患にも応用することが可能で、脳回路に基づく病気の解明にもつながる―朝日新聞

そのほか、同時期に、金沢大子どものこころの発達研究センターのMEG(脳磁計)を用いた研究で、自閉症の子は、声を掛けられてからすぐの反応において左右両脳の同調性が健常児よりも18%低く、左右の脳の反応にばらつきが見られたというニュースもありました。

法医学問題「想定問答」(記者会見後:平成15年  月  日) - 160414.pdf

自閉症児 両脳同調性低く 金大、音声反応で初の成果:北陸発:北陸中日新聞から:中日新聞(CHUNICHI Web) はてなブックマーク - 自閉症児 両脳同調性低く 金大、音声反応で初の成果:北陸発:北陸中日新聞から:中日新聞(CHUNICHI Web)

さきほどの研究は、安静時の脳活動の結合を調べたものでしたが、こちらは声をかけられて注意を喚起されたときのものなので、場面ごとに様々な違いが出てくるのかもしれません。

脳科学によって生物学的に分析する意義

現在の精神医療は、医師の直感や患者の主観に大きく左右されているので、状況証拠からある病名がついたとしても、誤診や思い込みが少なくないはずです。

すると、治療してもよくならないばかりか悪化する人もいるでしょうし、じつはその病気でない人が自分の体験談をネット上や書籍などで公表して病気の定義に混乱を招くことも起こりがちです。

こうした精神疾患や発達障害は、基本的には脳の問題だと思われるので、たとえば胃腸の病気が、胃腸の検査によって診断されるように、脳の疾患が脳の検査によって診断されるようになれば誤診も少なくなるでしょう。

今回の分析は、日本で85%、アメリカで75%の確率でASDを判別できたとのことですが、もしかすると分析の精度が悪いのではなく、もともとASDと誤って診断されていた人が20%前後含まれていた可能性もあるのではないでしょうか。

また、慢性疲労症候群や線維筋痛症などの身体症状を抱える人のうち、素因として、自閉スペクトラム症(ASD)などの発達障害を抱える人たちを簡単に判別して、原因に応じたアプローチができるようになるかもしれません。

これまでも、ADHDをSPECT画像で分類したダニエル・エイメン博士や、愛着障害とADHDを脳画像で比較した友田明美先生など、さまざまな研究者が脳画像による診断を試みてきましたが、いまだ主流にはなっていません。

その〈脳科学〉にご用心: 脳画像で心はわかるのかに書かれているように、現在の発展途上の脳画像の技術を、安易に臨床に持ち込むことに警鐘を鳴らす人もいます。

それでも、こうした脳画像を用いた分析によって分かることは多く、今回の研究で、ASDの脳活動がADHDやうつ病ではなく、統合失調症と似ていることがわかったのもその一例だと思います。

今後もこうした脳科学による研究が進み、精神疾患や発達障害を生物学的な見地から分析・分類できるようになり、それぞれの人が自分の脳の特徴を客観的なデータで正確に把握し、対策を練ることのできる時代が来てほしいと思います。

解離性障害をもっとよく知る10のポイント―発達障害や愛着障害,空想の友だちとの関係など

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記憶が失われる、自分が自分でないように思える、現実感がなくなる、さまざまな幻聴が聞こえ、視界に黒い影が見える、だれかの気配を感じる、自分の中に他人がいる、 次々に別の人格が出てくる…。

うした症状は「解離性障害」として知られています。有名な記憶喪失(解離性健忘)や、多重人格(解離性同一性障害)も、この「解離性障害」と呼ばれる病気の一つです。

解離性障害はしばしば子ども虐待や性犯罪のようなおぞましい事件の被害者が発症する極めて異常な病気だと説明されることがあります。確かに悲惨なトラウマ経験の結果、解離性障害になる人もいます。

しかし、実際には、解離性障害の原因はもっとさまざまであり、目立ったトラウマ体験がない、ごく普通と思える家庭の子どもが発症することもあります。またADHDやアスペルガー症候群といった発達障害が関係していることもあります。

さらに、意外に思えるかもしれませんが、解離性障害は決して異常な病気ではなく、たとえさまざまな解離症状があっても、病気とはみなされず、ごく普通に暮らしている場合もあります。

頻繁な離人感や、空想の友だち現象、さらには複数の人格が自分のうちに存在するという強い解離症状があっても、それをうまくコントロールして社会に適応している「マイノリティ」な人たちもいるのです。

この記事ではこころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害という本やその他の資料から、解離性障害の原因や実態をもっとよく知るのに役立つ10のポイントをまとめてみました。

これはどんな本?

今回おもに参考にしたこころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害は、解離性障害の専門家たちが、解離をさまざまな観点から網羅的に説明した共著です。

第一部は、「解離性障害Q&A」と題して、総勢30人以上もの専門家が、解離性障害をめぐるよくある50の疑問に、1問につき1ページずつ割いて詳しく答えています。

第二部は、有名な医師たちによる座談会からはじまり、専門的な論文が幾つか掲載されています。

基本的には一般向けではなく専門家の本ですが、特に「解離性障害Q&A」の部分は少し知識のある人なら、役立つ情報が多いのではないかと思います。

解離性障害について知っておきたい10の特徴

これから解離性障害の原因や実態を理解するのに役立つ10の話題を考えますが、もちろん、解離性障害の原因は人それぞれです。

複数の要因が複雑に絡み合っていることもしばしばですし、途中でも触れますが、素人判断による診断や治療はたいへん危険です。

このブログを含め、ネット上の情報は、あくまで参考程度にとどめて、治療においては専門家の指導を仰ぐようになさってください。

1.虐待ばかりが原因とは限らない

解離性障害や解離性同一性障害(DID)というと、とかく身体的・性的虐待を受けた子どもが発症するなどの凄惨なイメージがつきまといます。

確かにそうした残酷な子ども時代を過ごしたために解離性障害を発症する人は少なくありません。

しかし、柴山雅俊先生は、虐待より目立たない慢性的なストレスが解離性障害につながるケースがあることを語っています。

私自身は、家族の内や外における居場所のなさがもう少し焦点を当てられてもいいようにに思う。

両親の不和、家族成員間の対立、葛藤のため、つねに自分がその緩衝役を強いられ、いわば身代り、犠牲者としての役割を強いられてきた症例。

転校を繰り返し、そのためイジメの対象となった症例。

多くの症例が「安心していられる居場所」をこの世に得ることができずに、過度の緊張を強いられていたと訴える。(p112)

柴山先生が重視するのは、虐待などの壮絶な体験よりも、むしろ「安心していられる居場所」の欠如です。

虐待などの深刻な外傷を受けた場合でも、解離性障害の引き金となるのは、虐待そのものではなく、その苦痛を一人で抱え込まなくてはならない状況です。

深刻な虐待を受けても、愛情深い家族や友人が支え、安心できる居場所となって保護し包み込んでくれるなら、徐々にであれ傷を癒やすことができ、解離性障害のような深刻な問題を発症せずにすむかもしれません。

一方で、外からは、それほど悪くは見えない家庭で育ったとしても、両親の不和や家庭内の緊張などのせいで「安心していられる居場所」がどこにもなく、常に板挟みになって自分を犠牲にしてきたような子どもは、深刻な解離性障害を発症するかもしれません。

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 解離性障害とは、子どものころに、ひとりではとても抱えきれないようなストレスを抱え、まわりのだれも、家族や友人も助けになってくれないような状況で、たったひとりで生き延びなければならなかったときに生じる防衛反応なのです。

2.本当に女性に多いのか

一般に、解離性障害は、女性のほうが男性より何倍も発症しやすいと言われています。たとえば、アメリカやヨーロッパでは患者の8割以上が女性で、アラブやインドでも6割が女性だったという報告があるそうです。(p26)

日本の柴山先生の統計でも、53人中44人、つまり83%が女性でした。(p139)

解離性障害の患者の圧倒的多数が女性であるのはなぜでしょうか。以下のようなさまざまな説があります。

■社会文化的要因
性的虐待などの被害のターゲットになりやすいのは女性です。また女性は社会的に抑圧され、感情を表現する機会が与えられないことが多いと考えられます。(p26)

■脳の構造の違い
男女の脳の構造の違いやホルモンバランスの違いが関係している可能性もあります。

■養育者と同性である
近年、解離性障害の原因として、幼少期の養育からくる愛着障害が注目されています。もしかすると、乳幼児の養育が一般に母親によって行われているため、同性である女児が影響を受けやすいのかもしれません(p104)

■症状の性差
解離性障害は男性と女性で症状の出方が異なり、男性患者が見過ごされている可能性があります。

このうち、ここで注目したいのは最後の症状の性差です。

パトナムやクラフトといった解離性障害の専門家たちは、女性のDIDと男性のDIDを比較したところ、女性は攻撃性を自分に向けるのに対し、男性は外に向けるのではないかと述べているそうです。(p89)

この本でもちらっと触れられていますが、日本でも2007年、相撲取りの横綱朝青龍が暴行事件を起こしたときに、当初、解離性障害との診断名が発表されたのを覚えている人もいるかもしれません。(p17)

朝青龍が本当に解離性障害だったのかどうかは定かではありませんが、実際に男性の解離性障害や解離性同一性障害(DID)の患者の一部は、暴力犯罪などに関わってしまい、病院ではなく、少年院や刑務所にいるのかもしれないと言われています。

男性多重人格者の73%、女性患者の27%に殺人を含む暴力犯罪を認めたという報告もある。(p89)

概して解離性障害は若年女性に多いとする報告が多いが、一方で、Putnamは、男性の解離性障害の患者の多くは、精神保健サービスにかかることなく、非行や触法行為のため警察や刑務所などで扱われているのではないかという指摘をしている。(p139)

近年、脳のさまざまな疾患において、症状の現れ方に性差(ジェンダー・ディファレンス)があることが注目されています。

もちろん、解離性障害の男性が、すべて攻撃的だったり犯罪に関わったりするわけではありませんが、全体の傾向としての症状の違いはあるのかもしれません。

3.大人になってから発症すると症状が違う

解離性障害の患者は、一般に子どものころから、強い解離傾向を持っていると言われています。

外傷体験やストレスによって解離性障害を発症する前から、強い空想傾向を持っていたり、交代人格や空想の友人による幻聴など、独特な体験を有していたりすることがあります。

そのため、解離性障害は、子どものころからの素地がある場合と、大人になってから初めて外傷体験に遭遇した場合とでは、症状の現れ方が異なるそうです。

岡野憲一郎先生はこう述べていました。

成人になってから初めて深刻な外傷体験を負った際にみられる解離症状は、やや異なった現れ方をします。

それらは一過性に現れ、また限定された内容が繰り返される傾向にあります。

…明確な人格の形成にまで至るような多彩で創造性に富んだ内容は備えていません。(p40)

もともと解離傾向があったわけではなく、成人になってから初めて深刻なトラウマを経験した場合は、PTSDなどの激しいフラッシュバックや身体症状として現れ、はっきりした人格交代などの解離症状は少ないそうです。

それで、DIDのような解離性障害は、あくまで子どものころから強い解離傾向という素因を持っていて、しかも幼少期に強いストレスを経験した人にみられるものだとされています。

DIDはあくまでも本来高い解離傾向をその素地として持っている人が、幼少時の外傷やストレスをきっかけとして発展させるものと考えられます。

ちょうど言語の獲得には臨界期があるように、解離の能力や病理の発現にも一定の年齢の制限が存在するようです。(p40)

以前に読んだ本では、別人格が誕生するのは、幼少期のころに限られている、という説明もありました。

心の中に創られる別人格の8つの特徴―解離性同一性障害とイマジナリーコンパニオン | いつも空が見えるから

 

 思春期以降にはじめて交代人格の存在が明らかになる場合でも、交代人格は実際には幼いころに生まれて深く潜行していて、成長したあとに初めて自覚されたにすぎないとも言われています。

なぜ大人になってからトラウマ体験に遭遇した場合には、解離性障害というよりもPTSDのような症状に発展しやすいのでしょうか。

この本の中で、国立精神・神経センターの金吉晴先生は、外傷体験を受けたとき、完全に解離することで対処した場合は解離性障害になるのに対し、不完全な解離が起きた場合にPTSDになるのではないか、という考察を述べています。

トラウマ体験の最中、不完全な解離が生じると、部分的に意識があり、逃げたい、抵抗したいのに身体が動かなくなり、大きな恐怖や恥辱感が残ります。

そうすると、その恐怖体験がPTSDになり、激しいフラッシュバックなどにつながるのではないかとされています。(p119)

生来の強い解離傾向がない人でも、恐ろしい状況に直面すると生物的メカニズムとして解離が生じますが、その効果が不十分なためにPTSDのような別の症状へ発展してしまうのかもしれません。

4.ADHDと解離性障害の複雑な関係

解離性障害は、子どものころからの解離しやすさや、幼少期のストレス体験のみならず、注意欠如・多動症(ADHD)自閉スペクトラム症(ASD)といった脳の発達障害とも深い関連があるようです。

犯罪者や非行少年の原因を説明した有名な説にDBD(破壊行動障害)マーチというものがあります。

それによると、ADHDの子どもは手がかかるために、そして親もまたADHDの衝動性を持っていることが多いために、不適切な養育になりやすく、結果として慢性的な解離が生じ、非行や反社会的行動へと発展していくと言われています。(p92)

話をややこしくしているのは、ADHDによる不注意などの症状と、虐待などの結果生じる解離による症状(後で説明する愛着障害)はとてもよく似ていて見分けにくいことです。

かつ解離により適切な注意集中ができなかったの、一度得た情報が状態の切り替えによって健忘されたりすれば注意欠陥と判断され、まさにADHDの症状と見分けがつかない。(p102)

つまりADHDのせいで虐待されて解離症状が生じる場合もあれば、虐待されて解離症状が生じた結果ADHDのようになる場合もあるということです。

子どものPTSD 診断と治療にはこのように書かれていました。

ADHDとトラウマ障害の近似点は、脳科学的な研究からもうかがえる。

HartやTomodaの研究では、被虐待児における脳容量や活動異常の部位が、ADHDで報告されている部位とほぼ同領域であることを報告している。

…心ここにあらずで注意が散漫な不注意優勢のADDと思われていた症状は、トラウマ障害の解離であるかもしれない。(p117)

このように、ADHDと解離症状は非常によく似ていますが、ADHDの場合はもともとの脳の傾向であるのに対し、トラウマによる解離症状は後天的に身につけた防衛反応であり、治療の方法も異なるとされています。

とはいえ、すでに述べたDBDマーチのように、もともとADHDの素因を持っている子どもが不適切な養育を受けて解離性障害になる場合も少なくなく、場合によっては、ADHDと解離は区別できないほど複雑に絡み合っているといえます。

よく似ているADHDと愛着障害の違い―スティーブ・ジョブズはどちらだったのか | いつも空が見えるから

 

 5.アスペルガー症候群は原因がなくても解離しやすい

解離性障害は、虐待などのトラウマ体験によって発症することが多いとされていますが、特に目立った原因がない場合、高機能広汎性発達障害やアスペルガー症候群などの自閉スペクトラム症(ASD)が関係している可能性もあります。

一般的に、解離性障害は虐待の既往との深い関連があるものと理解されていますが、高機能広汎性発達障害における解離性障害の場合、必ずしもそうではなく、ここに独自の特徴が反映されているものと考えられます。(p21)

自閉スペクトラム症(ASD)では、虐待などのトラウマ経験がなくても解離性障害を発症するという独自の特徴があり、それにはASD特有の解離しやすさが関係しているようです。

ASDと解離の関係性の一つは、ファンタジーへの没頭しやすさです。

高度なファンタジー世界への没頭は解離状態との識別が困難な自己意識の不連続を引き起こすため、もともとファンタジーに没頭しやすい高機能広汎性発達障害の場合は、解離へと滑りやすい基盤を持っているというものです。(p21)

ASDの人は、自分の世界に深く没頭しやすいという、解離性障害になりやすい子どもの空想傾向と似た特徴を持っています。

またそもそもASDの人は自ら進んで解離を用いることで、日常生活で生じる苦痛に対処している可能性もあります。

更に、高機能広汎性発達障害においては、むしろこのような意識状態の変容自体が、脅威的な外界の中で適応をするための発達の過程とみる必要性があるのではないかと杉山らは指摘しています。(p21)

ASDの人は、もともと解離しやすい脳の傾向を持つだけでなく、 強い孤独感や疎外感、感覚過敏などによる苦痛を経験しやすいので、目立ったトラウマ体験がなくても、知らず知らずのうちに解離によって感覚を麻痺させて対処しているのかもしれません。

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6.混乱型の愛着パターンは解離性障害になりやすい

ADHDや自閉スペクトラム症は、生まれつきの脳の傾向からくる発達障害ですが、近年、幼少期の養育環境が関係する愛着障害(アタッチメント障害)もまた解離性障害のリスクになるとして注目されています。

パトナムも最近では、従来思われていたよりも、愛着の障害によりDIDが引き起こされると指摘しています。(p48)

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 子どもの愛着パターンは、幼少時の親との関係から、一般に4つに分類されます。

A型(回避型)…親の関心が不足している家庭の子どもに多い
B型(安定型)…安定した家庭の子どもに多い
C型(抵抗・両価型)…親が過干渉する家庭の子どもに多い
D型(混乱型)…虐待や精神的に不安定な家庭の子どもに多い

このうち、特に解離性障害になりすいのはD型(混乱型)だと言われています。

1991年にはBarach,P.M.M.がはじめて解離性同一性障害とD-アタッチメントの関連を示唆し、2003年にLyons-Ruth,K.によって、D-アタッチメント・タイプの幼児はのちに解離性障害になるリスクが高いと指摘された。(p78)

D型の子どもは、本来安心させてくれるはずの親の行動が予測不能な環境で育ったため、他人に対する強い恐れがあり、他人を信頼することも拒絶することもできない混乱した振る舞いを見せます。

D型のアタッチメントパターンとは近接と回避という本来ならば両立しない行動が同時的に、また継時的にみられたり、また、フリーズしたり、初めて出会う人にむしろ親しげな態度をとることなどが特徴である。(p98)

愛着崩壊 子どもを愛せない大人たち (角川選書)によると、ADHDのリスク遺伝子を持つ子どもはD型アタッチメントにもなりやすいと言われていて、環境要因だけでなく、遺伝的要因も関係しているようです。

ADHDの子どもを持つ親は、自分自身もADHDのことが多く、無秩序な子育てをする場合があり、ADHDの子どもは脳の過覚醒のためそれに過敏に反応するので、D型アタッチメントが生じやすいのかもしれません。

こうした事情もあって、ADHDと解離性障害は密接に関連しているのかもしれません。

発達障害と似て非なる「愛着崩壊 子どもを愛せない大人たち」 | いつも空が見えるから

 

ただし、近年の研究では、病的な解離の背景に明確な遺伝的な要因は見つからなかったとされています。(p27,83)

つまり、発達障害などとの関連性は考えられるものの、やはり病的な解離性障害の最も大きな原因は、「安心できる居場所」の欠如といった環境のほうにあるといえます。

発達障害の子どもは、その一般的でない特性ゆえに、そのような望ましくない環境に遭遇しやすいので、結果的に解離につながる場合があるということでしょう。

7.強い解離現象があっても「障害」とは限らない

ここまでのところで、虐待以外のさまざまな要因が解離性障害の発症と関係していることを考えました。

それは裏を返せば、深刻なトラウマを経験していなくても、日常生活でさまざまな解離現象を経験し、それとうまく付き合っている人もいるということです。

解離症状が強いからといって、必ずしも、解離性障害という「障害」として、治療の対象になるわけではありません。

空想や白昼夢は内容によっては、解離性障害や解離と関連がある一方で、内容によっては、適応促進的に働く機能とみなされている、というのが現状といえます。

要するに、空想にふけることや白昼夢をみることは、解離という現象の一種ということはできますが、それのみで解離性障害とはなりません。(p16)

解離性障害になりやすい子どもにみられる強い空想傾向や、自閉スペクトラム症の子どものファンタジーへの没頭などは、解離症状の一種ではあるものの、日常に支障をきたしていない限りは治療を必要とするものではありません。

たとえ交代人格のような極度の解離症状がみられる場合でも、「障害」とみなすか否かは、生活に大きな支障が及んでいるかどうかに左右されます。

極端な例をあげれば、たとえば交代人格をもっていたとしても、その人の社会的、内的な生活の調和がとれていて、ある程度安定した生活が営めるのであれば、通常ではない(そのような体験化の様式がマイノリティである)という理由だけでそれを障害と見なすことはできないでしょう。(p9)

解離という現象自体は病的なものではなく、多かれ少なかれ、すべての人の脳に備わっている防衛機制の一つです。

たまたま解離が強く働く脳を持っていて、独特な現象が生じるとしても、それらとうまく付き合って日常生活を送れるのであれば、治療の対象にはなりません。

解離性障害や解離性同一性障害(DID)を病気として治療する場合でも、目標とするのは解離症状のコントロールであって、治療が成功した場合でも解離しやすさそのものは残るといわれています。

8.正常な解離としての空想の友だち現象

解離性同一性障害(DID)の交代人格と類似しているために、解離性障害に関係する書籍の多くで取り上げられている現象の一つに、空想の友だち現象(イマジナリーコンパニオン:IC)というものがあります。

イマジナリーコンパニオンは、目に見えない空想の友だちがありありとした存在感をもって感じられ、一緒に遊んだり会話したりすることもできる不思議な現象です。

この本でも、幾つかの箇所で、解離症状とイマジナリーコンパニオンの関連性について説明されています。子どもの解離性障害に詳しい白川美也子先生はこう書いていました。

想像上の友人現象(imaginary companionship)は、正常児の20%から60%にみられるが、解離性障害の子どもには42-84%と多い。

正常児のもつ想像上の友人は、2歳から4歳までに現れ、通常8歳くらいまでに消失する。

養護施設の子どもたちの想像上の友人は(1)支援者、(2)パワフルな保護者、(3)家族成因などの役割をもっていることがあり、さらに被虐待の子どものそれは、「神」、「悪魔」などの名前をもっていることがある。

このように、子どもの示す解離現象には、想像機能が非常に大きな役割を果たしている。(p97)

この説明からわかるように、イマジナリーコンパニオンは、幼少期の子どもの一部にみられる、ごく正常な解離現象です。

しかし解離傾向が強い解離性障害の子どもには、より頻繁にイマジナリーコンパニオンがみられます。

普通の子どものイマジナリーコンパニオンは単なる遊び相手にすぎないことが多いようですが、複雑な環境で育った子どもの場合は支援者や保護者、家族といった役割を持ち、さらに虐待児の場合は超越的存在のイメージを持っていることがあるとされています。

イマジナリーコンパニオンは、DIDの交代人格と似ているように思えますが、交代人格とは違い、一般的に、明らかな引き金がなくても現れ、記憶の分断がなく、人格交代して意識を乗っ取ることはないと言われています。(p240)

そしてたいていの場合、成長とともに消えてしまいます。

イマジナリーコンパニオンのうち、特に青年期以降も残るようなものは、病的ではないかと疑われることもありますが、先ほども考えた通り、強い解離症状があるとしても、それ自体は必ずしも障害ではありません。

空想上の友達との内的対話、ある場面で極端に「人が変わる」こと、頻繁な離人感や既視感(デジャヴュ)、都合が悪いことは急に「聞こえなくなる」ことなどは、上述の例ほど適応性は明確でないかもしれませんが必ずしも不適応的、病的とも言えません。

極端に苦痛に満ちた境遇にある人地にとっては、空想にのめり込むことがむしろ適応的かもしれませんし、環境に適応するために著しい健忘や麻痺を伴う体験化の傾向を発達させたのかもしれないという視点は重要です。(p9)

解離症状の背景には、確かに解離しやすい素地や、ストレス環境があるのかもしれません。しかし、環境に適応するために役立っている場合は、病気ではありません。

無論、決して一般的とはいえず、社会的にみると「マイノリティ」ではあるでしょう。しかし少数派であることは、決して「障害」ではありません。

ちなみに、解離性障害の研究の祖ともいえるラルフ・アリソンの本「私」が、私でない人たち―「多重人格」専門医の診察室からによると、多重人格者にみられる人格のうち、イマジナリープレイメイトは「想像人格」と呼ばれ、交代人格とは区別されています。

交代人格が自己の分離による「断片」なのに対し、想像人格は、想像力によって作り出される「膨張」であり、たいていは善良で友好的だと説明されています。(p254,付録の解説p10)

9.治療には専門家の見極めが必要

解離性障害は、さまざまな原因が複雑に絡みあい、多彩な症状をみせる複雑な病気です。

そのため、このブログの情報も含め、ネット上の知識などで素人診断を下したり、見よう見まねで治療を試みたりするのは危険です。

まず、一見解離性障害のように思えても実は他の病気であったり、その逆に別の病気と診断されていても実は解離性障害としての治療が必要だったりする場合があります。

この本にはたとえば、統合失調症との違い(p18,24,48)や、境界性パーソナリティ障害との違い(p20,23,48)が書かれていました。これらの病気との違いはこのブログでも過去に扱いました。

統合失調症と解離性障害の6つの違い―幻聴だけで誤診されがち | いつも空が見えるから

 

境界性パーソナリティ障害と解離性障害の7つの違い―リストカットだけでは診断できない | いつも空が見えるから

 

また他の病気と同様に、自助グループや家族会、ネット上のコミュニティなどが助けになる場合もありますが、解離性障害の特有の不安定さのため、よりストレスを抱え込んだり、再外傷体験につながったりするなど、安全性の危うさが指摘されています。(p49)

さらに、医師選びにおいても慎重さが求められます。たとえば一般にトラウマ処理に用いられる治療法であるEMDRでは、解離の専門家が慎重に行わないと、健忘障壁が一気に低くなることで封印されていた記憶が拡散するなどの危険もあるそうです。(p42,43)

治療を進めることで、隠れていた人格が目覚め、一時的に悪化したように見えることもしばしばで、治療には専門家による安全のサポートが必要です。(p45,47)

解離性障害は、自分の手には負えず、触れることさえ危険な記憶を隔離している防衛反応ともいえるので、いわば危険物の取り扱いに熟達した信頼できる専門家を探して受診し、信頼関係を深めた万全の体制で治療を始めることが大切です。

子ども時代の慢性的なトラウマ経験がもたらす5つの後遺症と4つの治療法 | いつも空が見えるから

 

10.治療の目標は解離症状のコントロール

解離性障害の専門家のもとで、万全の体制で治療を始めたなら、すでに書いた通り、目ざすべきゴールは、解離傾向そのものを治療することではなく、解離傾向をコントロールして安定化させることです。

人格が複数に分かれているような解離性同一性障害(DID)の場合でも、必ずしも人格を統合し、ひとつにする必要があるわけではありません。

解離性同一性障害は、1人の心の中に2つ以上の異なる人格が存在している状態です。かつてはそのこと自体が病的とされ、1つの人格に統合するということが最終的な治療の目標になると、当然のように考えられてきました。

そのため、好ましくない人格を消したり、似たような人格を融合させていくような方法がとられたこともありましたが、そういった治療は必ずしもいい結果を生みませんでした。(p33)

交代人格は、それぞれ必要があって生まれたものなので、無理に統合すると、かえってストレスにもろくなる危険が生じるかもしれません。

多重人格やイマジナリーフレンドは必ず人格を統合し、治療する必要があるのか | いつも空が見えるから

 

あるDIDの患者は、症状が回復するとともに、状況に応じてどの人格を表に出すかコントロールできるようになり、困ったときに別の人格がアドバイスしてくれるようになったといいます。

自分の意志に反して解離しそうになったときは、地に素足をつけるグラウンディングなどの技法によって解離を抑制するスキルも身につけました(p28)

何度も考えてきたとおり、解離性障害になる人の解離傾向は幼いころからのものですし、解離症状があっても、日常生活に大きな支障がないなら「障害」ではありません。

解離性障害の人が持つ強い解離傾向は、こまやかな感受性や芸術的な才能として役立つことも多いそうです。

治療の目標は、強い解離傾向を消し去ることではなく、それをコントロールして、「障害」ではなく「個性」や「強み」に変えることだといえるでしょう。

解離性障害と芸術的創造性ー空想世界の絵・幻想的な詩・感性豊かな小説を生み出すもの | いつも空が見えるから

 

解離性障害の理解を深めるために

今回紹介したこころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害は、専門的な本ではあるものの、比較的わかりやすく、気づきも多い一冊でした。

今までこれほど大勢の専門家が解離について語っている本を読んだことがなかったので、さまざまな専門家に意見に触れることができて、とても新鮮でした。

これから解離性障害について知りたい人には、とてもわかりやすく書かれた解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)わかりやすい「解離性障害」入門のほうをお勧めしますが、解離についての本をすでに何冊か読んでいて、さらに詳しい点が気になる人はこの本を読んでみるといいかもしれません。

ひとつ個人的な意見をいうと、Q&Aの部分のイマジナリーコンパニオンについての説明(Q30,Q31)は疑問に感じる内容も多く、その点だけは他の専門家によるこれまで紹介してきた本のほうが参考になるように思いました。

解離性障害は、いまだ研究途上の病気であり、患者や家族も、いったい何が起こっているのか、どう対処すればよいのか、どの病院に行けばよいのか、といった悩みを抱えがちです。

そんなとき、多くの患者を診て回復へと導いてきた解離性障害の専門家による本を読んでみるなら、あたかも地図を参照するかのように、自分の居場所がわかり、向かうべき方向もおぼろげながら見えてくるものと思います。

発達障害や線維筋痛症でも受給できる? 制度改正にも対応の「障害年金というチャンス」感想

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汎性発達障害や高次脳機能障害、慢性疲労症候群、脳脊髄液減少症、線維筋痛症、化学物質過敏症…。

これらは見た目には大変さがなかなか伝わらないのに、当人は、非常に苦痛の多い日常生活を送っていることの多い、理解されにくい病気や障害の一例です。

重い症状のために働くこともままならない、しかも通院でどんどんお金が減っていく。そして長年治療してもほとんど良くならない。そんな悪循環に追い込まれている人は少なくありません。

そのような状況で、少しでも生活を支えるために活用できる制度の中に、障害年金制度があります。

しかし手順が複雑だったり、医師や窓口の職員が制度を理解していなかったり、そもそも制度を知らなかったりして、本来は受給資格があるのに、支援を受けられず困窮してしまっている人が多くいるといいます。

今回読んだ障害年金というチャンス!という本は、この複雑で理解しにくい制度を専門とする社会保険労務士たちによる、わかりやすい解説本です。

ガンなどのメジャーな疾患から、冒頭に挙げた理解されにくい病気のケースも含めて、障害年金とはどんな制度で、だれが活用できるのか、どうやって申請するのか、といったことが詳しく書かれています。

この記事では、この本の感想として、障害年金制度を取り巻く問題点や、最近改正された点、社会保険労務士の役割などについて考えてみました。

これはどんな本?

この本は、脳脊髄液減少症の患者の障害年金受給に協力し、さまざまな難しいケースをこなしてきた社会保険労務士チームによる障害年金制度の解説本の第二弾です。

2014年に発刊された第一弾の誰も知らない最強の社会保障 障害年金というヒントのときも感想を書きましたが、その後、2015年から2016年にかけて障害年金制度の改正がなされ、前回の本に対する意見や質問も色々と届いたため、この第二弾が執筆されたそうです。

「障害年金というヒント」脳脊髄液減少症の社労士チームによる受給の手引き | いつも空が見えるから

 

 本の構成は、まず巻頭特集として、障害年金制度の仕組みや申請の方法が、カラーページのイラストやチャートで図解されているので、そこを読むだけでもかなり役立ちます。

本文は、複数の社労士が各章を担当して、成功事例だけでなく失敗事例も包み隠さず示しながら、制度の仕組みや問題点を様々な角度から明らかにしています。

特に第五章では、難しい病名ごとの解説もあり、脳脊髄液減少症、慢性疲労症候群、線維筋痛症、化学物質過敏症、広汎性発達障害などが扱われています。

障害年金制度の闇

この本で特に印象に残ったのは、障害年金制度の深い闇と、それに対処すべく試行錯誤する社労士たちの苦労話や創意工夫でした。

前回の本でも、障害年金制度がいかに理不尽かつ ややこしい制度であるかが切々と綴られていましたが、全体を通して、比較的明るく希望を持たせる論調だったと思います。

それに対し、今回の本は、よりはっきりと、より深刻に、障害年金制度の闇が克明に吐露されていて、まるで社労士の活動を追ったドキュメンタリーを読んでいるような気持ちになりました。

確かにたくさんの成功例は出ているのですが、その一方で壮絶なまでの闘病患者の苦痛や、力の限り奮闘したにもかかわらず、制度の闇にはばまれて、結局患者を救えなかった例などが、包み隠さず収録されています。

前回の本では、「結局、社労士の宣伝本ではないか」、という批判も寄せられていて、このブログでも少しそうした書き方をしました。この本にはその点についてこう書かれています。

私たちが認められるようになるには、凹んでいる暇なんてなく、努力していくしかないというのが現実です。

この本の存在も「結局、自分たちの宣伝か……」と言われてしまうかもしれませんがそれでいいのだと思います。(p79)

筆者たちは、確かにこの本は社労士たちの活動をアピールするものではあり、宣伝のように受け取られてもそれでも構わないといいます。

というのは、宣伝以前に、いかに国の障害年金制度が理不尽すぎるものであるか、そしてそれをかいくぐるために社会保険労務士たちがどんな働きをしているか、そのことさえ世の中に知られていないので、それを知ってほしいという願いが込められているようです。

たとえば…

■病態はまったくよくなっていないのに障害年金が止められる (p48)
■がんで余命3ヶ月と宣告されたのに、「初診日から1年6ヶ月経過しないと受給できない」との返事が来て受け取れない (p54)
■患者を診たこともない認定医が独断で受給資格を判断し、しかも認定医がだれなのかは決して明らかにされない。(p89)
■逆に認定医のほうは診断書を書いた医師の名前を見れるので主観が入る可能性は十分にある。(p91)
■そのおかげで、以前の調査によると各都道府県によって障害年金の不支給率に6倍もの格差があった。(p85)
■うつ病、統合失調症、双極性障害は精神病態なので支給の対象だが、強迫性障害、パニック障害、解離性障害などは神経症なので対象外とされている。 (p95)
■何の問題もなく学校に通っていた人は保険料を納めていたと判断されるのに、家計を助けるために働き、夜間学校に行っていた人は納付要件から外れて受給資格がないことも。(p112)
■重い病態なのに、障害年金を受け取れず自殺する人や、再審査などで時間がかかりすぎて死後になって受給資格が送られてきた人も (p104)

などなど…。

全部は到底ここに書ききれません。

熟練の社会保険労務士でさえ意味不明と思えるような事態に何度も遭遇し、時にはあらゆる手をつくして何とか受給に成功するものの、別の時には依頼者を救えなかった話など、壮絶さがかいま見えます。

難しいケースの成功事例ばかり挙げられていれば確かに宣伝のように受け取れますが、失敗も多数書かれているので、むしろ社会保険労務士の仕事のありのままの実態を知ってほしいという意気込みが感じられました。

新制度で変わったところ

今回の本が書かれた目的の中には、制度改訂で変更された点について、わかりやすく紹介する、というものもありました。

簡単にいうと、

■初診日の証明条件の緩和(2015年10月から)
障害年金の請求には初診日の証明が非常に重要で、初診日が証明できないために涙を飲む人も少なくなかったが、複数の第三者の証明が考慮されるようになった。ずっと年金を納付していたなら、申し立てのみで認められることも。

■精神・知的・発達障害の受給格差の調整(2016年夏から)
精神の診断書に「日常生活の判定と程度」が設けられ、能力を数値化することで、受給できるかどうか、何級になるかが客観的に示せるようになった。

といった部分が変更されたようです。書籍にはもっと詳しくわかりやすく図解されていて、具体例も挙げられているので、気になる人はぜひ読んでみてください。

この変更にともなって、以前、初診日が証明できず不支給だった人や、精神・知的・発達障害の受給率の地域格差に阻まれてしまった人に再チャンスが生じるとのことです。

発達障害や慢性疲労症候群で2級を受給するには?

この本の特徴は、障害年金の取得において難しいといわれる、このブログで扱っているような各種疾患の事例が載せられていることです。

その中には、脳脊髄液減少症(p180,192,211-217)、線維筋痛症(p191)、慢性疲労症候群(p193)、化学物質過敏症(p194)、高次脳機能障害(p195)、広汎性発達障害(p196)などが含まれています。

広汎性発達障害は、アスペルガー症候群、レット症候群、小児期崩壊性障害、特定不能の広汎性発達障害などを含むものです。

いずれも、診断書の書き方が特殊なので、社労士や医師にも経験や知識が必要とされるようです。単に個人で窓口の福祉担当職員に尋ねるだけだと、その病名では受給できないと追い返されることもあります。

特に脳脊髄液減少症は、筆者らの専門ということもあり、障害年金受給に立ちはだかる問題について具体的に書かれています。

たとえば、国が専門家や患者会の意見を聞かずに独断で作成した事例集がマニュアルとなっているため、個人で申請した場合、典型的な症状の場合以外は不支給とされることが多く、社労士たちが経験と分析で対応して何とか対処してきたことなどです。

またそれぞれの疾患について、障害基礎年金の受給ラインとなる2級の目安も記載されています。

詳しくは本書を見てほしいと思いますが、たとえば線維筋痛症はステージIII、慢性疲労症候群はPS8など、それぞれに応じた目安があるそうです。

広汎性発達障害の場合も、コミュニケーション障害などに加え、診断書に記載する二次的障害として抑うつや希死念慮があることや、日常生活能力の判定・程度の部分で、身の回りのことにも多くの援助が必要であることを示すなど色々と条件があるようです。

注意すべき点として、こうした点は、医師がどの程度、障害年金制度や患者の日常を理解して診断書作成しているかによって変わってきます。

たとえば、患者が本来一人でできるはずがないことを家族と暮らしているために「できる」と書いてしまったり、病院を受診できる比較的調子の良い日の患者しか見ていないので、診断書の症状を軽めに書いてしまうことがあります。(p38,88,190)

特に、ここに挙げられている脳脊髄液減少症、線維筋痛症、慢性疲労症候群、化学物質過敏症、高次脳機能障害、発達障害などは、いずれも外見では症状がわかりにくく、医師でさえ、患者の日常生活の苦労をあまり把握していないことの多い病気です。

患者と医師の間で認識の違いがあり、それに気づかないまま診断書を作成してもらうと、症状が実際より軽く評価されてしまい、本来なら受給できるはずの人が弾かれてしまいます。

そのようなときに、事情をよく知っている社労士がパイプ役として医師と患者の認識の違いに気づき、症状の程度が正確に反映された診断書を作ることができれば、少しでも受給の理不尽さを減らすことができるとされています。

外見からは、障害がわかりにくく、年金事務所で支給できないと言われ、あきらめきれずに相談に来られて受給できた人もいます。

医療でもセカンドオピニオンというものがありますが、障害年金も一度無理だと決めつけられても、あきらめずに、他の窓口や専門家に相談してみてください。(p197)

と書かれていました。

社会保険労務士に相談・依頼すべきかどうか

もちろん、障害年金の受給申請をするとき、個人で調べてやってみることも可能です。労力が伴うものの、費用の節約と思って、社会保険労務士には頼まないことを選ぶ人もいます。

ある程度の成功報酬を求める社労士に相談・依頼する価値はどこにあるのでしょうか。この本を読んだ限りだと以下のようなメリットがあると感じられました。

■受給資格があるかどうか分析してもらえる
障害年金の受給資格は非常に複雑なので、素人が自分に資格があるかどうか見極めるのは困難です。しかし無料相談などで経験ある社労士に事情を説明すれば、少なくとも見込みがあるかどうかはわかります。

先ほど挙げたように強迫性障害、パニック障害、解離性障害といった、本来受給資格がないような場合でも、診断書を工夫することで成功する例もあったり、逆に絶対受給資格があると思える場合でも、保険料の納付が足りないなど、意外な理由で受給不可だとわかる場合もあります。(p98,112)

■医師とのコミュニケーション
先ほども書いた点ですが、診断書を作成する医師と患者の間で症状の程度や日常生活の困り具合の認識に差がないかどうか、あらかじめチェックしてもらえます。(p38、88)

■初回だからこそ診断書のチェックが必要 
初回の診断書の内容が適切でなく不支給になってしまうと、再度申請しようとしてもマイナスからのスタートになってしまうそうです。(p69、75)

■初診日証明の手助け
初診日証明の条件が緩和されたとはいえ、それでも証明が難しいことがあります。熟練した社労士の場合、当時の薬局のデータ照会や残された日記など様々な手がかりを駆使する経験を積んでいます。(p138)

■不服申立てや再審査のサポート
たいていの人は不支給の通知が来たときに落胆してあきらめてしまいますが、実際には不服申立てや再審査の手続きができるので、サポートしてもらえます。(p118)

などなど。

もちろん、社会保険労務士にもさまざまな腕の人がいるでしょうし、依頼人に親身になって寄り添う人もいれば、金利主義の人もいるかもしれません。そして、どんなに熟練の社労士でも失敗し、多くの時間と労力が水の泡になることもあります。

ですから、どんな場合でも、必ず社会保険労務士に相談・依頼するのがいい、とは言えませんが、患者仲間の口コミなどで、自分と同じ病気のケースを多数経験している信頼できる社労士を知っているのであれば、相談してみる価値はありそうです。

この本で、わたしが特に印象に残ったのは、10代で発症した全身性エリテマトーデスのために30年間、両親と妹しかつながりがなく、家と病院の往復だけで過ごしていたという、ある男性のエピソードです。

家族の協力でついに障害年金を受給できたとき、妹さんがこんなことを言ったそうです。

兄は病気になってから仕事もしていないので、自分の自由になるお金がなかったけど、障害年金が出るようになり、兄は初めて自分のお金を手にしたと思う。(p163)

ずっと病気で家族に養ってもらっているのと、少しでも自分の自由になるお金があるのとでは全然違います。

少しでもお金があれば、いつも世話してくれている家族にささやかに感謝のプレゼントを買うことだってできますし、病気の中でも自分のやってみたいことにチャレンジすることもできるでしょう。

実際この方は、障害年金受給をきっかけに自立訓練のサービスに参加できるようになり、社会との接点も生まれたそうです。

お金の話をすると、恥ずかしいとか、いやらしいとか、がめついとかみなす人がいます。この本についても様々な意見が寄せられるのは避けられないでしょう。

でも、この世の中で生きている限り、お金はどうしても必要なものであり、生活を支え、人間らしく生きるために最低限の収入は不可欠です。

障害年金の制度についても、本当に必要としている人が、後ろめたさや居心地の悪さを感じることなく、堂々とそれを受け取り、病気の中でも、心の余裕や与える喜びを手にして、自分の幅を広げていけると良いなと思いました。

今まさに障害年金を必要としている人がいれば、とりあえずこの本障害年金というチャンス!、あるいは金銭的余裕がないなら、図書館にもあるであろう前著誰も知らない最強の社会保障 障害年金というヒントを読んで、障害年金の制度について知ってほしいと感じました。

アスペルガーのミュージシャンに役立つ「少数派」という才能の活かし方―ゲイリー・ニューマンやスーザン・ボイルから学ぶ

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■インタビューで記者のレコーダーを壊そうとした上、浴室に90分も閉じこもった、クレイグ・ニコルズ

■ステージを降りると、突然どう喋っていいのかわからなくなり、無愛想でよそよそしくなるゲイリー・ニューマン

■ちょっとした刺激で、気分が激しく変動して、パニックになってしまうスーザン・ボイル

れら三人はいずれも飛び抜けて優れたミュージシャンですが、同時に「わがまま」「自分勝手」「気分屋」とみなされてしまうような言動も見せてきた独特な人たちです。

古今東西、アーティストの奇妙な振る舞いについてのエピソードは数知れず、彼らは独特で理解不能な人たちなのだ、と溜め息混じりに語られることもしばしばでした。

しかし近年、こうした奇妙に思える振る舞いの背後には正当な理由があることがわかってきました。ここに挙げた三人は、いずれも、自身が「アスペルガー症候群」であることを公表したのです。

「アスペルガー症候群」はいわゆる発達障害の一つですが、音楽業界には、彼ら3人以外にも、同じような特性を抱えている人は意外に多いそうです。

そうした人の中には、自分が抱える生きづらさや周りとのすれ違いの原因がわからず、まわりから理解されず、せっかくの才能が埋もれてしまっている人もいます。周りのマネージャーやバンド仲間、プロデューサーのほうも、その独特すぎる個性を扱いにくく感じているかもしれません。

今回紹介するなぜアーティストは生きづらいのか? 個性的すぎる才能の活かし方は、そんな生きづらさを感じている当事者と、頭を抱えている周りの人たち両方にとって、お互いを理解するのに役立つ一冊です。

これはどんな本?

この本は、音楽専門学校の新人開発室室長の手島将彦さん(@masa_hiko_t)と、発達障害に詳しい信州大学医学部附属病院子どものこころ診療部 本田秀夫先生による、ミュージシャンの抱える生きづらさの原因や対処法についての対談がまとめられた本です。

かたや、音楽業界の現場で、飛び抜けた個性を持つミュージシャンの生活を見てきた手島さんと、かたや医学の分野から個性と多様性を研究してきて、自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体 (SB新書)など評価の高い著書もある本田先生。

この本では、それぞれの観点からの意見と洞察がかっちり噛み合い、ミュージシャンと発達障害の関連性という、これまであまり公に議論されてこなかった話題がじっくり掘り下げられています。

この本の中で、 ミュージシャンの生きづらさと独特の個性の原因として取り上げられているのは、自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群を含む)、ADHD、LD、双極性障害、自己愛など多岐にわたりますが、ほとんどの部分がアスペルガー症候群の解説に割かれています。

それで、あくまでこの本の主旨は、「アスペルガー症候群のミュージシャンのための本」と考えるとわかりやすそうです。

大部分が対談形式で書かれているため、フランクで読みやすい反面、話題のまとまりには少々欠けている印象があります。

しかし、発達障害とミュージシャンという、まだ全容が十分見えていない新しい分野を扱っているわけですから、断定的できっちりした書き方より、気軽な対談形式のほうがふさわしいともいえるでしょう。

なぜ「発達障害」という概念を知るべきなのか

発達障害とミュージシャンの接点について考える前に、まず考えておきたいのは、なぜわざわざ「発達障害」という概念を持ち出す必要があるのか、という点です。

「発達障害」とは、生まれつき脳の働き方に偏りがあるせいで、普通とは異なる感覚や行動を示すようになり、ときに社会的な不適応につながることもあるとされる医学的な問題です。

「発達障害」という概念は、ここ数十年で急速に社会に知られるようになりましたが、不快感を示す人も、いまだ少なくありません。

「これまで個性の範疇とみなされてきたものに、医学的なレッテルを貼るのはどうなのか」「なんでもかんでも病気にする」「障害扱いして差別する」といった反対意見は、今でも根強いものです。

確かに、これまで発達障害、特にADHDやアスペルガー症候群という診断名が、そうしたレッテルのように用いられ、過剰診断されてきたのは事実です。個性が「障害」や「異常」とみなされてしまうとしたら、才能の芽は摘み取られてしまうでしょう。

しかし、近年、発達障害の理解は、当事者による研究なども活発に行われ、一昔前よりも理解が増し加わっています。

その結果、ADHDや自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群を含む)などは、「障害」や「欠点」ではなく、社会的な多数派とは別の特徴や個性をもった少数派である、という見方が強くなっています。

詳しくは以下の記事を見ていただければと思いますが、ADHDや自閉スペクトラム症は、本人に問題があるというよりも、多数派である一般の人たちが中心になって作り上げた社会で生活しなければならないので、不適応を起こしたり、生きづらさを感じたりしてしまう、ということです。

熊谷晋一郎先生による自閉スペクトラム症(ASD)の論考―社会的な少数派が「障害」と見なされている | いつも空が見えるから

 

 この本は、そうした最新の見解の上に成り立っています。

つまり、この本で、あるミュージシャンが「アスペルガー症候群」の特徴を持っている、と考えるとしても、彼らに「障害」や「欠点」があるという意味ではありません。

むしろ、彼らはあたかも「別の種族」のように、社会の大多数とは異なる考え方や行動の特徴を持っているので、それを理解することで、お互いに配慮したり、ちょうど異文化交流のようにわかりあえたりするのだ、ということなのです。

本田さんはよく「種族」という言い方をされていますが、例えば「自閉症スペクトラムという生まれながらの人種があるのだ」ということがわかる・わからないというだけで、たぶん対応は変わってくるんじゃないかなと思うんです。(p147)

こうした、発達障害は、「障害」ではなく「異文化」「別の種族」である、という最新の考え方は、先ほど述べた不快感を示す人たちが危惧するような、レッテルや決め付けによって個性や才能を摘みとってしまうようなものではありません。

むしろ、今まで理解しにくかった個性的なアーティストの奇妙な言動の背後にある正当な理由を知るのに役立つものです。

たとえば、最初に挙げたクレイグ・ニコルズや、ゲイリー・ニューマン、スーザン・ボイルのように、これまで単に「わがまま」「自分勝手」「気分屋」のように思えて眉をひそめられていた行動が、実は当人にとっては十分に意味のある行動だったのだ、と理解する助けになるのです。

著者の手島さんも、音楽学校の室長として指導に当たっている中で、そうした扱いづらいミュージシャンたちに悩まされていました。

しかし、「発達障害」という概念を知って、問題を別の観点から見ることができるようになり、理解不能と思えていた人たちに配慮できるようになったといいます。

そしてあるとき、僕は、幼児教育の現場に従事している妻を通して「発達障害」というものの存在を知ります。

僕はこれまでに体験してきた、いくつもの「わがまま」や「強いこだわり」「個性的なふるまい」の中には、それで説明できるものもあるのではないかと思いました。

そして発達障害に限らず、「人には生まれながらにして多様な個性がある」という当たり前のことを前提として考えることが、アーティスト育成や教育の現場では重要なのに、ついつい忘れてしまっているのではないだろうか、と考えるようになりました。(p110-111)

こうした前提について知っておくと、なぜ、「発達障害」という医学的な概念を、生きづらいミュージシャンのためにわざわざ持ち出す必要があるのか、ということが少しはわかるのではないかと思います。

カギとなるのは、個性の強いアーティストが抱える生きづらさや周囲との軋轢の原因は、本人の人格が歪んでいるとか、欠点があるということにあるではなく、社会の多数派とは生まれつきの脳の働き方が違う、という点にある、ということなのです。

「アスペルガー症候群」のミュージシャンたち

このように、発達障害とは、脳の働き方が社会の大多数とは良くも悪くも異なっているという、生まれながらに違う文化を持つ「別の種族」ともいえる人たちを指す言葉です。

発達障害の中には、主に、自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如多動症(ADHD)、限局性学習症(SLD、LD)などが含まれていますが、この本で特に詳しく扱われているのは、アスペルガー症候群を含む自閉スペクトラム症です。

自閉スペクトラム症の「スペクトラム」とは、虹のスペクトルのように境目がはっきりせずつながっているということを意味しています。

わたしたちのだれもが程度の濃さはあれ、自閉症傾向は持っていますが、特にそれが強い人が、これまで自閉症やアスペルガー症候群と診断されてきました。

塩水と富士山のたとえ

この点をわかりやすく説明するのに、この本では2つの興味深いたとえが紹介されています。

一つ目は、塩水のたとえ。コップの水に塩を入れると塩水になりますが、少量の塩ではほとんど気づきません。でも塩の量が多いと、しょっぱさを感じてむせてしまうかもしれません。

わたしたちの場合、この塩にあたるのが自閉傾向です。わたしたちのだれもが、自閉傾向はある程度持っていますが、ほとんどの人はごく少量なので問題になりません。

しかしアスペルガー症候群などの人は、自閉傾向という塩の量が大半の人より濃いため、具体的な特徴が生活に現れ、しょっぱい塩水のようにはっきりとした違いが感じ取れるのです。(p34)

もう一つは富士山のたとえ。富士山の裾野を見ると、いったいどこからが富士山の一部なのかよくわかりません。すべて地続きになっているからです。

同様に社会の大多数を占める普通の人と、アスペルガー症候群や自閉症の人は地続きになっていて、どこからが自閉症と明確に区別することはできません。

でも、富士山頂のように、明らかに山だとわかる部分は存在していて、そうした飛び抜けた特徴を持つ人たちがアスペルガー症候群や自閉症と診断されているわけです。(p121)

アスペルガー症候群を公表したミュージシャンたち

そのようなわけで、音楽業界にいるミュージシャンのうち、だれが普通の人で、だれがアスペルガー症候群で…とはっきりわけることに意味はありません。だれでも多少なりともわたしもアスペルガー症候群?と思う場面はあるでしょう。

しかし冒頭に挙げたような、さまざまな生きづらさを抱えて周囲とのギャップに苦しめられていたミュージシャンたちは、ひときわその要素が強かったといえます。

この本では クレイグ・ニコルズ、ゲイリー・ニューマン、 スーザン・ボイルのほか、レディ・ホーク、ジェームズ・ダービン、 ジョニー・ディーン、デヴィッド・バーン、 GOMESSなどが、アスペルガー症候群や自閉スペクトラム症を公表しているミュージシャンとして、名前が挙げられていました。(p2.7.9.15)

これらの人たちは、アスペルガー症候群という原因について知ったことで、自分自身のコントロールできなかった問題の理由をよく理解し、周りの人にも説明できるようになり、自分の特性と折り合いをつけてミュージシャン活動に打ち込めるようになりました。

アスペルガー症候群のミュージシャンたちの特徴

さて、この本の本題は、そうしたアスペルガー症候群を抱えるミュージシャンたちが、具体的にどんな問題を日常生活や音楽業界での活動のときにかかえているか、という点です。

もちろん、すでに考えたとおり、要素の濃さは人それぞれなので、この本に列挙されている特徴が、すべて当てはまる人もいれば、一部だけ当てはまる人もいるでしょう。

また自閉スペクトラム症は「種族」だと言われていましたが、「日本人」という民族に全体としての傾向はみられても、各人の個性はさまざまなのと同様、同じアスペルガーのアーティストでも、人によって個性にはバラつきがあることも覚えておく必要があります。

その上で、本書で議論されているアスペルガー症候群のミュージシャンの特徴をシンプルに箇条書きにすると、次のようなリストになります。

アスペルガー症候群のミュージシャンの特徴

■こだわりが強く、信念を大事にする。一方で融通がきかず、想定外のことが起こるとイライラしたりパニックになったりする。(p35)

■新しいことが苦手で、環境の変化や、定期的なルールの見直し、時代の流行に対処しにくい。(p96)

■練習にのめりこみ、寝食を忘れて人の何倍も打ち込んで上達する(p71)

■オリジナリティを発揮するのは不得手だが、膨大な知識と練習量による引き出しの豊富さから、独自の組み合わせを考案したり、即興を演奏したりできる。(p72 125)

■時間感覚が弱い場合があり、具体的な時刻ではなく、キリのよさで動いてしまう。(p81,84)

■ 朝起きるのが苦手で、遅刻が多い。大事な場面では早起きできることもあるが、毎日は続けられない(p41,88,150)

■空気を読んでそつなく振る舞うのが苦手で、twitterやFacebookで情報発信するとき、公私混同したり、過激な発現をしたり、言ってはいけないことを言ったりしてしまう。(p105)

■ロックなどより、テクノ以降の音楽やDTM、アニソンなどと親和性の高い人が多い(p108)

実際には、もっと多くのことが、さまざまな角度から話し合われているのですが、詳しくはぜひ本書を実際に読んで考えてほしいので、ここで紹介するのはこの程度にとどめておきます。

理由がわかれば対処もできる

ここにリストアップした幾つかの点を見ると、なぜ、アスペルガー症候群のミュージシャンが生きづらさを感じたり、周囲と摩擦を起こしたりしやすいのかが、なんとなく見えてきます。

たとえば、強い信念を持っていてこだわりが強い、という特徴は、バンドのリーダーや、企業としてPRしていきたいマネージャーなどの意見とぶつかりやすいはずです。周りに合わせてどんな仕事でも柔軟に取り組むことが苦手だと、「自分勝手」とみなされやすいでしょう。

こだわり強さの裏返しである変化が苦手、という特徴もまた、時代の流れに合わせた要求に答えられなかったり、ライブツアーなどで馴染みのない環境に行くことがストレスになったりする原因です。冒頭のクレイグ・ニコルズが度々問題を起こした原因はそこにあったそうです。

しかし一方で、強いこだわりをもって、自分の信念を貫いて、徹底的に練習する姿勢は、うまくはまればプロ意識として高く評価されることも多いでしょう。残念なことに、そこに至るまでに才能を潰されてしまう人が多いわけですが、アスペルガー症候群に対する理解が普及すれば、そうした悲劇も少なくなるかもしれません。

興味深いことに、ここに挙げられているアスペルガー症候群のミュージシャンの特徴のうちの幾つかは、このブログで過去に詳しく取り上げたものです。

たとえば、朝起きるのが苦手で遅刻しやすい、という点について、近年、自閉スペクトラム症を抱える子どもが「概日リズム睡眠障害」のために不登校になりやすいことがわかってきています。原因がわかれば、医学的な治療によって問題を軽減することもできるでしょう。

女性のアスペルガー症候群の意外な10の特徴―慢性疲労や感覚過敏,解離,男性的な考え方など | いつも空が見えるから

 

オリジナリティを発揮するのが苦手で、膨大な引き出しのよせ集めによるコラージュ的な創作になりやすいことは、ミュージシャンの場合だけでなく、アスペルガー症候群の作家におしなべてみられる特徴であることは以前に扱いました。

自閉症・アスペルガー症候群の作家・小説家・詩人の9つの特徴 | いつも空が見えるから

 

しかしルイス・キャロルをはじめ、そうした作風で成功したアスペルガー症候群の作家は大勢いますし、この本でも、ジャズの名手として即興演奏に秀でるタイプの人がいることが書かれています。

アスペルガー症候群のミュージシャンの中には、ともすれば、自分はオリジナルを作るのが苦手だと思い悩む人がいるかもしれません。

しかし、こうした過去の成功例をかんがみるなら、むしろ自分の長所は膨大な知識や経験を活かしたオマージュ的作風やアドリブなのだ、ということが理解でき、自分の才能を遺憾なく発揮する方向性が見えてくるはずです。

自分の生まれつきの脳を理解する

このように、アスペルガー症候群のミュージシャンが才能を発揮するために大切な要素の一つは、本人が、自分の生まれ持った脳の特性をよく把握することです。

自分がどういう特性を持った人間なのかを知らないなら、的外れの方向に努力したり、周囲に促されるままに欠点を克服しようとしたりして、結局うまくいかず自信を喪失してしまうことにもなりかねません。

この本で繰り返し注意されているのは、苦手なことはさんざん頑張ってもな苦手なままであることが多い、ということです。

特に発達障害の人の場合、生まれつきの脳のせいで向いていないのであれば、ひたすら努力して苦手を克服しようとしても、「すべてにおいてぱッとしない人になってしまう」だけだと言われています。(p50-54)

ショベルカーが公道で他の車と同じように走ったり、ましてやカーレースに出たりしたところで、果たしてうまくいくでしょうか。もともとの脳の構造に合わないことを努力するというのはそういうことです。しかしショベルカーは工事現場でなら、他のどんな車より活躍できるのです。生まれ持った特性に合った努力をするというのは大切です。

まわりの人は良かれと思って苦手を克服するよう勧めてきますから、自分自身の特徴について何も知らなければ、周囲が勧めるままに、自分にまったく合わない「多数派」のやり方にそって生活し、生きづらさを抱えることになりかねません。

しかし、自分が「少数派」であり、どんな脳の特徴を持っているのかということをよく知っていれば、周りの人の提案に感謝しつつも、理解や配慮を求めて話し合い、お互いに納得のいくやり方へと歩み寄ることができるのではないでしょうか。

クリエイティブな組織に必要な「多様性に対する感度」

もちろん、アスペルガー症候群のミュージシャンにとって大切なのは、本人が自分の特徴を理解することだけではありません。

本人が自分の発達障害傾向をしっかり自覚して、それを周りに伝えた上で、周囲の人やバンド仲間、音楽業界の同僚や上司が理解を示してくれるかどうか、という点も、大きく関係してきます。

この本には、理解や配慮を得るため一つの提案として、周りの人にこの本を読んでもらうといいのではないか、と書かれていました。

アスペルガー症候群の人はコミュニケーションが一般的にいって苦手なので、自分のことを本に代わりに語ってもらうというのは、とても賢い選択肢だと思います。

また、この本の最後の方では、企業体質や音楽業界そのものの問題についても切り込まれていました。

音楽業界は、発達障害傾向を持つ人が比較的多いところだとはいえ、それでも多数派による古いシステムと、少数派に対する圧力とが存在している、ということが嘆かれていました。

おそらく音楽業界は多少、発達障害的な特性のある人は多いとは思いますが、細かく見るとその業界の中にも多数派と少数派がどうしても存在するんですよ。

そうすると、先に音楽業界に入ってきた人たちの中で、ある種の文化とかシステムが作られた時に、一般の人から見たら発達障害的な文化なんだけど、その社会の中では多数派になっていて、そこに同じ傾向とはいえ若干違う特性の人が入ってきたときに排除されてしまうということも起こり得るんだと思います。(p147)

その結果、発達障害的な個性的な人たちが大勢在籍しているにもかかわらず、多様性が抑圧され、アスペルガー症候群のミュージシャンが生きづらさを感じる閉塞的な環境が生じてしまっていると言われていました。

これまでの成功パターンという定石にこだわり、新しい若手のミュージシャンたちをもそのパターンに当てはめようとしてしまうため、結果的に同じような個性の作品ばかりが生み出されてしまっているのが現状ではないか、と懸念されています。

しかも、論理的にそれをした方が良いという話ではなく、産業が成熟していく中で積み重なった成功体験をただ繰り返しているだけ。

…大げさに言えば、それが音楽業界不振の根本にあるんじゃないかなって思います(笑)。

よく、「最近のオリコンチャートを見てもつまらない」って皆さんおっしゃるわけです。「同じようなものばっかりだ」って。(p153)

とはいえ、音楽業界が全体として、そうした閉塞的傾向に陥っているとしても、すべての人が一様に多様性に背を向けているというわけではありません。

めまぐるしく変動する現代社会において、優れたアーティストを生み出す組織に必要なのは「多様性に対する感度」だといいます。

コミュニケーションコストがかかることを恐れて、多様性を否定していくと、結局のところは生き残れない。

これだけ環境が変化して、いろんなものが動いている中で、多様性に対する感度が低い組織は、当然対応していけない。(p155-156)

結局のところ、いくら組織が旧態依然に凝り固まっていて、過去の成功体験を模倣しつづけているとしても、時代の流れは確実に変動していきます。

時代の多様性についていけない組織はいつの間にか取り残されて衰亡し、「多様性に対する感度」を意識している組織が台頭し、時代の潮流に乗ることになるでしょう。

アスペルガー症候群のミュージシャンは、そうした「多様性に対する感度」に目ざとくあって、自分の強い個性を受け入れてくれるような人たちを探すことも必要かもしれません。

もっと言えば、今いる環境が、自分の飛び抜けた個性を理解してくれず、いくら努力しても配慮してくれないようなら、そこを見限って自分に合った居場所を探すのは、実はわがままではなく、本当に時代の流れを理解している組織を見極めることにつながるのかもしれません。

以前紹介した研究によると、自閉スペクトラム症の人の脳は、定型発達者の脳より多様性に富んでいることが科学的に明らかにされているのは興味深いところです。

「自閉症という謎に迫る 研究最前線報告」の5つのポイント | いつも空が見えるから

 

自閉スペクトラム症の人たちが確かに多様性を持っていることがわかっている以上、そうしたアーティストを受け入れて柔軟に対応できるかどうかが、時代の多様性に適応していける組織であるかどうかを示す尺度となっていると言っても過言ではないのです。

アーティストは少数派だからこそアーティスト

この記事で考えたように、アスペルガー症候群のアーティストが抱える問題は、まず少数派としての自分の特徴を理解すること、そして少数派に配慮を示し、才能を伸ばしてくれる人たちを探すことによって、解決していくことができます。

興味深いことに、この本には、こんな意見が書かれていました。

このような、言わば「個性が強すぎる人」とその周囲の人とで、どうしてもうまくいかない、相容れない、ということもあるでしょう。

しかし、元々「アーティスト」とは世界で少数派である個性や能力を持っているからこそ「アーティスト」であるわけです。

だから、多数派にとって便利であるようにつくられてしまいがちな社会では、少数派の彼らは最初から不自由を感じてしまうことが多いのかもしれません。(p114)

つまるところ、アーティストは少数派だからこそアーティストなのです。

少数派が持つ多様な個性を尊重できてはじめて、、アーティストとしての才能を伸ばすことにつながるのだといえるでしょう。

このブログでは、様々な少数派に属する人たちの発揮する創造性について扱ってきました。

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文学や芸術を創造する「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」 | いつも空が見えるから

 

 ADHDについてはこの本の中でも時折触れられています。(p45ほか)

愛着障害については、自己愛についての項目で、とらわれ型のアタッチメントスタイルと関連していると思われる記述が少し出てきます(p63)

今回紹介したなぜアーティストは生きづらいのか? 個性的すぎる才能の活かし方は、あくまで、おもにアスペルガー症候群の観点から少数派と多数派、多様性がもたらす創造性の問題に切り込んだ本ですが、同じ考え方はこれら他の少数派のアーティストたちにとっても役立つと思います。

この記事では全体を概観することに努めて、具体的なことはあまり書いていませんが、本書には、さまざまな提案やアドバイスも載せられていて、実践的な場面でも参考になると思います。

生きづらさを感じているミュージシャン、発達障害を自覚しているアーティスト、そしてその周りにいて、時には彼ら・彼女らに手を焼き、時には大きな可能性を感じているような人たちには、ぜひ読んで欲しい一冊です。

発達性トラウマ障害(DTD)の10の特徴―難治性で多重診断される発達障害,睡眠障害,慢性疲労,双極II型などの正体

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ストレスは身体的トラウマ(フィジカル・アビュース)・心理的トラウマ(ネグレクトや心理的虐待)・性的トラウマ(セクシャル・アビュース)の形をとることもあれば、戦争や飢餓、自然災害がストレスとなることもある。

…このときにホルモンの量がごくわずかに変化し、子どもの脳神経の配線を“適応”という形で永久に変えてしまう。(p127)

較的若い10代の時期までにさまざまな精神疾患や心身症を発症する、それも一つだけでなく複数の症状が出て、さまざまな病名で多重診断される、年齢とともに診断名が変わっていく、そして治療がうまくいかず、難治性で延々と苦しむ…。

このような複雑な闘病生活を送っている人たちの存在は、これまで多くの医師を悩ませてきました。ある病気のようでありながら別の病気のような症状も示し、ありとあらゆる身体症状も訴えるという不可解な患者たちです。

診断名をつけようとすれば、うつ病、双極性障害、統合失調症をはじめ、境界性パーソナリティ障害、解離性障害、摂食障害、依存症、慢性疲労、慢性疼痛などさまざまで、近年ではADHDや自閉スペクトラム症などの発達障害も加わって、診る医師ごとに診断名が変わることさえあります。

これまで主流とされていた薬物療法に抵抗性があって、やたらと副作用が出たり、逆にほとんど反応しなかったりして効果がありません。そうなると、医師もお手上げ状態で、患者は、若い時期から何十年も複雑な症状に苦しめられ続けます。

近年、そのような不可思議な病気の原因がようやく明らかになりつつあります。2005年、ボストン大学医学部のヴァン・デア・コーク教授が、発達性トラウマ障害(DTD)という新たな疾患概念を発表したのです。

DTDとは、子ども時代のさまざまな逆境による強いストレス(トラウマ体験)が、子どもの脳の正常な発達を妨げ、これまで知られていた発達障害よりもさらに強烈な傷を脳に刻みつけてしまうという衝撃的な概念です。

この記事では冒頭に引用した友田明美先生のいやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳子どものPTSD 診断と治療などを参考に、発達性トラウマ障害がなぜADHDや自閉スペクトラム症、双極性障害2型などと似ているのか、どのような身体症状を伴うのか、どう対処していくことができるか、といったことをまとめてみました。

これはどんな本?

今回主に参考にした本は、友田明美先生、杉山登志郎先生、谷池雅子先生らによる 子どものPTSD 診断と治療です。

この三人の先生方は、今ではみなトラウマ障害の専門家ですが、もともとの研究分野は異なっていました。友田先生は不登校、杉山先生は発達障害、谷池先生は睡眠障害などを専門としてこられた方です。

しかしそうした様々な心身症状の背後に、子ども時代のトラウマ経験が潜んでいる場合があり、難治性になったり、症状が複雑化したりしていることがわかってきました。

この本は、この三人の先生方の編纂のもと、子どものトラウマについて研究している多くの先生方による多方面からの研究がまとめられていて、タイトルの子どものPTSDのみならず、生涯にわたって影響を及ぼしかねない「発達性トラウマ障害」(DTD)の実態を把握するのに役立ちます。

発達性トラウマ障害(DTD)とは?

今回取り上げる、発達性トラウマ障害(DTD)とは、ボストン大学医学部のヴァン・デア・コーク教授が提唱した概念です。

友田先生による若年者に対する刑事法制の在り方に関する勉強会第7回ヒアリング及び意見交換では、発達性トラウマ障害という概念が次のように簡潔に要約されています。

発達性トラウマ障害
(Developmental trauma disorder,van drr Kolk 2005)

■幼児期に普遍的な愛着障害を呈する
■学童期にADHD様の多動と破壊的行動障害が前面に表れる
■思春期にPTSDと解離症状の明確化
■青年期には解離性障害および素行障害へ展開
■成人期に一部は複雑性PTSDに進展

この要約からわかるとおり、発達性トラウマ障害は「発達性」、つまり成長に伴い、症状が次々に変化して発展していくという特徴を持っています。

発達性トラウマ障害(DTD)の詳しい診断基準についてはいやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳のp139に載せられていました。一般的な概念ではないので、医療機関でこの病名で診断されることはまずないと思いますが、参考までに以下に折りたたんで載せておきます。

発達性トラウマ障害の診断基準

発達精神病理学から生まれた概念

さきほどの要約に挙げられていた愛着障害、ADHD様多動症状、PTSD、解離性障害などの病気は、これまで伝統的なカテゴリー診断によって別々に診断されていました。

しかし、それによって、一人の子どもの診断名がどんどん増えていって多重診断に陥るという問題が生じていました。

発達障害の薬物療法-ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方では、その点が杉山登志郎先生によってこう説明されています。

子どもにカテゴリー診断学を当てはめたときに、しばしば生じるのが異型連続性(heterotypic continuity)と呼ばれる現象である。

一人の子どもが、診断カテゴリーを渡り歩く、あるいはいくつもの診断基準を満たすという現象である。(p27)

この「異型連続性」の中でも特に有名なのは、齊藤万比古先生が提唱した「DBDマーチ」です。

「DBDマーチ」は、学校に行き始めるとADHDと診断されて、その後反抗挑戦性障害、つまり非行に発展し、行為障害や反社会性パーソナリティ障害に進展していくという概念です。

杉山登志郎先生自身も、子ども虐待の結果、ADHDに似た症状を伴う反応性愛着障害を発症し、年齢とともに解離性障害や複雑性PTSDへと発展していく子どもたちがいることに気づき、長らく「第四の発達障害」を提唱していました。

本当に脳を変えてしまう「子ども虐待という第四の発達障害」 | いつも空が見えるから

 

そうした様々な専門家が気づいていた概念をより整理してまとめたものが「発達性トラウマ障害」(DTD)であり、 いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳の推薦の辞の中で、杉山登志郎先生はこう書いています。

多くの症例を経験するうちに、発達障害が基盤ではない症例においても、子ども虐待の症例が、兄弟のように類似した臨床像を呈し、それが加齢とともに同じ変化をし、一つの発達障害症候群と言わざるを得ない状況に展開していくことに気付いた。

世界的な子ども虐待の権威van der Kolkが、この問題について発達性トラウマ障害という呼称を既に提示していることを後に知った。

発達障害の薬物療法-ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方によると、発達性トラウマ障害(DTD)という概念のもとになっているのは発達精神病理学という学問です。(p26)

従来のカテゴリー診断学では、そのときどきに表に現れている症状に注目するだけで、背後にある原因はあまり重視されていませんでした。

しかし発達精神病理学では、表に現れている症状だけでなく、発達にともなってさまざまに変化する症状の関連性や、おおもとの原因に注目して全体像を見ようと努めます。

その結果、これまで多種多様な診断名をつけられていた問題のおおもととして、「トラウマ」が浮かび上がってきたのです。

「トラウマ」とは何か

これまで、杉山登志郎先生らの「第四の発達障害」のような概念では、こうした成長とともに発展する重篤な心身の問題の原因として「子ども虐待」が挙げられていました。

しかし「トラウマ」には、虐待だけでなく、さまざまな心的外傷が含まれています。

たとえば、虐待というと、多くの人は、暴力や性的虐待、育児放棄(ネグレクト)などを思い浮かべるでしょうが、近年、さらに多様な問題が、典型的な虐待と同様のストレスを子どもに与えることがわかってきています。

たとえば、以前の記事で取り上げたように、言葉による暴力精神的な虐待(バーバル・アビュース)、過度に厳格な教育と称して与えられる体罰も、脳の発達に影響を及ぼし、癒やされない傷を刻み込んでいることが明らかになってきました。

だれも知らなかった「いやされない傷 児童虐待と傷ついていく脳」(2011年新版) | いつも空が見えるから

 

さらに、成長し衰退する脳 (社会脳シリーズ)の中で友田先生はこう書いています。

今回の研究で、DVに曝されて育った小児期のトラウマが視覚野の発達に影響を及ぼしていることが示唆された。

また、両親間の身体的な暴力を目にしたときよりも、両親間の言葉の暴力に接したときの方が脳へのダメージは約6倍になるという意外な結果も得られた。

DV暴露による悪影響が視覚野に一番出やすい時期は、11-13歳であることがわかった。(p239-240)

ここで挙げられているのは、家庭内暴力(DV)の目撃です。DVは子どもには直接暴力が向けられない場合もあります。その場合、子どもは機能不全家庭に育ったとは思っていても虐待されたとは感じていないかもしれません。

しかし、直接の暴力にさらされず、ただ両親の間のDVを頻繁に目撃していただけでも、虐待の場合のように、脳の発達にダメージが生じていることが明らかになりました。

それだけでなく、両親の間の身体的暴力によるDVを目撃したときより、言葉によるDVに接したときのほうが、脳へのダメージが6倍にもなるという驚くべき結果も出たとのことです。

しばしば直接殴られるより心をえぐる言葉のほうが傷跡が残ると言われますが、両親の間で飛び交う言葉の暴力は、それを聞いている子どもの脳の発達に痛々しい傷跡を残すことになるのです。

さらに、「トラウマ」には家庭内のこうした問題のみならず、子どものときに恐ろしい事故に巻き込まれること、大規模な災害や戦争体験にさらされること、凶悪犯罪の被害に遭うこと、いじめられることなども含まれます。

それらは程度の差こそあれ、子どもの心身の発達に影響を及ぼす可能性があります。

発達障害より深刻な発達性トラウマ障害

杉山登志郎先生が提唱していた「第四の発達障害」は、しばしば、注意欠如多動症(ADHD)や自閉スペクトラム症と症状がよく似ていて、鑑別が難しいことが指摘されていました。

区別しにくいだけでなく、そもそも発達障害が基盤にある子どもが、トラウマ経験に巻き込まれやすく、さまざまな二次症状を抱えやすいとも言われていて、問題を複雑化させています。

衝撃的なのは、発達性トラウマ障害による脳の発達へのダメージが、従来知られていた発達障害よりも、さらに大きくなる場合があることです。

発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス)の中で、発達障害の認知心理学に詳しい山口真美先生はこう書いています。

一方でまた、生まれたときには問題はないものの、その後の劣悪な環境や経験により、脳は不可逆な変化を受けることもある。

親からの虐待や友人からのいじめはむしろ、もって生まれた障害よりも大きな衝撃を脳に与える可能性がある。(p45)

発達性トラウマ障害において、従来の発達障害より、さらに重い症状が見られる場合があることは、発達障害の薬物療法-ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方でも説明されていました。

身体的虐待および性的虐待の既往のある児童の実に72%に脳波異常が認められたのである。

ASDにおけるてんかんの併存がせいぜい15%、脳波異常の合併が30%程度であることと比較をしてみると、この値の異常さが浮かびあがる。

つまり一般の発達障害よりも子ども虐待の方が、脳の器質的、機能的な変化は遥かに大きいのである。

これはおそらく、先に触れたエピジェネティクスが子ども虐待においても生じているのではないかと思う。またそう考えなくては、子ども虐待をめぐるこの激烈な臨床像の説明がつかない。(p38)

ここで言及されているエピジェネティクスとは、後天的な環境要因によって、眠っていた遺伝子がオンになり、影響が現れることを言います。

ある病気に関係する遺伝子を持っていても、それをオンにする環境要因にさらされなければ、一生その病気を発症せずに過ごせる場合があります。

一方で、幼少期の劣悪な環境は、本来眠っていたはずの遺伝子を呼び起こし、子どもの脳の発達に影響して、脳の構造を変えてしまうことがあるのです。

そのことを物語るのは、成長し衰退する脳 (社会脳シリーズ)に載せられている、子ども時代の虐待が、さまざまな精神疾患の発症に深く関わっていることを示す疫学調査です。

7万人以上を対象とした疫学調査で、精神疾患の多くは児童虐待に起因することがわかり、児童虐待をなくすと、薬物乱用を50%、うつ病54%、アルコール依存症65%、自殺企図67%、静脈注射薬物乱用を78%減らすことができるという結果が出た。(p231)

多くの人は精神疾患のリスクとなる遺伝子を持ってはいても、普通の環境で育ったおかげで、遺伝子は眠ったままにされ、発症につながらないかもしれません。

しかし虐待などの劣悪な環境で育つと、さまざまなエピジェネティクスな変化が生じ、うつや依存症をはじめとする精神疾患のリスクが急激に高まってしまうのです。

発達性トラウマ障害(DTD)の10の特徴

ではこれから、発達性トラウマ障害に伴う10の特徴を見ていきましょう。

ここまで考えたとおり、発達性トラウマ障害は、成長とともに姿を変えていくので、以下の特徴が同時にすべて現れるとは限りません。

また、研究によると、虐待の種類などによって、脳の発達にダメージが及ぶ箇所が異なることが明らかになっています。

つまり、トラウマがもたらす障害の特徴を大まかにくくることはできても、一人として同じ症状を示すことはなく、千差万別、多種多様な症状が現れうるということです。

この多種多様さのために、多重診断に陥ったり、治療が泥沼化したりするというのが「発達性トラウマ障害」の特徴でもある、ということを銘記した上で、以下の10の特徴を読んでいただければ幸いです。

1.根底に存在する愛着障害(アタッチメント障害)

最初の特徴として取り上げるのは、発達性トラウマ障害の根底にある、おおもとの要素、つまり愛着障害(アタッチメント障害)です。

愛着(アタッチメント)とはイギリスの精神科医ジョン・ボウルビィが提唱した概念で、幼少期までに育まれる親との結びつきのことをいいます。

この絆がうまく育まれないと、その後の発達に影響が及んだり、対人関係で困難を抱えたりすると言われています。

子どもが示す愛着のパターンにはA,B,C,Dの四種類がありますが、特に虐待された子どもなどに見られるのは、4番目のD型アタッチメントです。

D型は、無秩序型、未組織型、混乱型などと呼ばれており、保護者である親に頼りたいのに、危険を感じて警戒している混乱した振る舞いをみせます。

このD型アタッチメントが、いかにして形作られ、その後の人生にどんな影響を及ぼすか、ということは、以下の記事で詳しく説明しています。ちょうど今回の記事と同じ問題を別の角度から説明した記事となっています。

人への恐怖と過敏な気遣い,ありとあらゆる不定愁訴に呪われた「無秩序型愛着」を抱えた人たち | いつも空が見えるから

 

D型アタッチメントの特に程度の重いものが愛着障害(アタッチメント障害)であり、発達性トラウマ障害の基盤となっています。

2.ADHDに似た覚醒異常による「闘争か逃走か」

愛着障害は、しばしば発達障害と類似した特徴を見せますが、注意欠如多動症(ADHD)と極めて類似していて、専門家でさえ区別が難しいと言われています。

よく似ているADHDと愛着障害の違い―スティーブ・ジョブズはどちらだったのか | いつも空が見えるから

 

たとえば先ほど紹介した「DBDマーチ」では、ADHDの子どもが非行へと発展していく様子が説明されていましたが、ADHDとみなされていた子どもの多くは愛着障害だったと考えられます。

なぜ愛着障害はADHDと非常に似通っているのでしょうか。

講座 子ども虐待への新たなケア (ヒューマンケアブックス)では、愛着が持つ生物学的な機能について、こう説明されています。

子どもが発達の早期にあるほど、アタッチメント行動や表象は普段の生活のなかで生存のための切実な意味をもっている。

これは、アタッチメント行動が生命活動の根幹にある覚醒水準の制御にかかわっているからだと思われる。(p178)

ここでは、愛着という機能は、脳の覚醒度をコントロールするものである、とされています。どういう意味でしょうか。

赤ちゃんが、親との愛着を育むのは、安心してまどろんでもよい場所を識別するためだと考えられます。

外の世界で身を休めるのは危険ですが、親の腕の中であれば、警戒を解いて休んでも良い、ということを学び、その安心できる場所、つまり親を見分けるために愛着という絆が作られるのです。

ではその愛着がなければどうなるでしょうか。それは自分の命を委ねて安心してまどろめる場所がないということを意味します。すると、常に周囲に警戒する状態が続くため、脳が過覚醒の状態に成長していきます。

子どものころの養育環境だけでなく、犯罪や災害といったトラウマ経験によるPTSDに晒された場合もまた、周囲を過度に警戒しつづける過覚醒傾向が生じます。過覚醒はPTSDの三大症状の一つです。

ADHDの場合は、もともと生まれつきこの覚醒度のコントロールが弱いために、注意を制御するのが難しいと言われていますが、トラウマ障害では、環境に適応するために過覚醒を保つ必要が生じ、覚醒度のコントロールがしにくい脳へと成長していくのです。

 子どものPTSD 診断と治療の中で滝口慎一郎先生と八ツ賀千穂先生がこう書いていました。

トラウマ障害の過覚醒は子どもの命を守るために脳が後天的に身につけた手法のようなものであり、ADHDにおいては、記憶にとらわれない覚醒過剰持続が存在しているといえよう。(p117)

このように原因は異なれど、ADHDとトラウマ障害はともに覚醒度のコントロール異常という同じような脳の異常が生じていて、脳画像の分析でもほぼ同じ結果が得られているそうです。

そうすると、おおもとの原因ではなく、表に現れている症状に注目する従来のカテゴリー診断学では、区別がつかないのも当然で、これまでADHDとみなされてきた人の中に発達性トラウマ障害の子どもが多数まぎれていたのは間違いないでしょう。続く部分ではこう説明されています。

ADHDとトラウマ障害は、行動面や認知も近似しているため、しばしば誤診されかねない。しかし、根底にあるものは異なるため、異なった対処法が必要とされる。

落ち着きがない、着席できないなどの多動症状をや反抗性を示し、一見するとADHDと思われる子どもの中には、過覚醒や回避などのPTSD症状が潜んでいる可能性もある。

心ここにあらずで注意が散漫な不注意優勢型のADDと思われていた症状は、トラウマ障害の解離であるかもしれない。(p117)

注目すべきことに、この引用文の中では、多動・衝動性優勢型のADHDと思える子どもはPTSDかもしれず、不注意優勢型のADHDと思える子どもは解離かもしれないと推測されています。

同じ発達性トラウマ障害でも、PTSD症状が強いか、解離症状が強いかで、表に現れるADHD様症状が大きく異なってくることが読み取れます。

その点は、こころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害でも白川美也子先生がこう書いていました。

先に述べたDTD概念を用いれば、なんらかのトリガーで行動状態がハイパーになれば多動と見られ(行動的にハイポな「動けなくなる」状態は臨床的によくみのがされている)、かつ解離により適切な注意集中ができなかったり、一度得た情報が状態の切り替えによって健忘されたりすれば注意欠陥と判断され、まさにADHDの症状と見分けがつかない。(p102)

つまり、PTSDによる過覚醒、再体験、回避行動のために多動なADHDのようになっている子どもがいる一方で、解離のせいで、心ここにあらずの状態になり、記憶をどんどん解離させて物忘れが激しくなって不注意なADDのようになっている子どももいる、ということになります。

両方の傾向を併せ持っている子どもでも、どちらの傾向が強いかは人それぞれなので、単純に発達性トラウマ障害といっても、子どもによって違った特徴が生じてくる理由がここからも読み取れます。

PTSD傾向が強く、多動で衝動的な子どもは、愛着障害における不安傾向(C型アタッチメント)の要素が強く、過去の傷つき体験に敏感になっているせいで、激しい反応を見せるのかもしれません。そうすると、将来、境界性パーソナリティ障害に発展する可能性が高くなります。

解離傾向が強く、不注意が目立つ子どもは、愛着障害における回避傾向(A型アタッチメント)の要素が強く、恐ろしい現実から感覚を切り離して遮断しているのかもしれません。そうすると、こちらは将来、解離性障害に発展する可能性が高いといえます。

境界性パーソナリティ障害と解離性障害の7つの違い―リストカットだけでは診断できない | いつも空が見えるから

 

PTSDと解離は、ストレスに対する反応として有名な「闘争」か「逃走」かの各々に対応した正反対の方法で、トラウマに対処しているといえるかもしれません。この違いが、その後の人生で現れる症状の傾向にも影響してくるのだと思われます。

3.慢性的な睡眠障害が発達異常の原因?

こうした脳の覚醒度のコントロールの異常から生じる次なる問題は、睡眠障害です。

以前の記事で取り上げたように、ADHDの場合、脳の覚醒度のコントロールが難しいため、夜寝つくのが難しく、朝起きるのが難しいという概日リズム睡眠障害になりやすいと考えられています。

なぜADHDの人は寝つきが悪いのか―夜疲れていても眠れない概日リズム睡眠障害になるわけ | いつも空が見えるから

 

ADHDと脳の傾向が似ているトラウマ障害でも、同様の覚醒度のコントロール異常が生じているわけなので、当然、眠りたい時に眠れなかったり、朝起きるのが難しかったりする、という覚醒モードの切り替え問題が生じます。

もともと幼いころから安心してまどろめる場所を見いだせないために愛着障害が生じたわけですが、常に警戒状態の過覚醒が当たり前となって、それが体質に変わってしまい、リラックスして体を休めることができなくなっているのです。

発達障害の薬物療法-ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方ではこう説明されています。

時間感覚がずれるのはおそらく戦闘モードが続いているからであろう。眠気がない人がたくさんいる。

そこで睡眠薬をたくさん飲んで死んだように眠り、薬が残るので昼寝を長時間し、眠気がなく夜更かしをして眠剤を飲んで眠るという悪循環の生活になる。(p42)

周囲への警戒からくる過覚醒のために夜になっても眠気が生じず、そのため夜更かしして、ようやく疲れ果ててから眠るので、朝起きられない、という悪循環が生じ、概日リズム睡眠障害につながってしまう可能性があります。

近年の研究では、愛着障害で不足するホルモンのオキシトシンは、朝起きるときのストレスホルモンを抑えているのではないか、ということもわかってきているそうです。睡眠障害の背景には、オキシトシンの不足から朝起きるのが苦手になってしまうこともあるのかもしれません。

しばしば、非行に走る子どもは、不登校になったり、夜遊びに興じたりしますが、それは好きでそうしているのではなく、愛着障害に関係したこうした理由のせいで、夜眠れず朝起きられなくなり、結果として社会から逸脱していくのだ、という見方もできるでしょう。

実際、不登校と睡眠障害は密接に関係していて、子どもの睡眠と発達医療センターによると、不登校児の80%に概日リズム睡眠障害がみられることがわかっています。

 子どものPTSD 診断と治療によると、谷池雅子先生も、子どもの睡眠障害の背後には、慢性の強い心理ストレスが存在している場合が多いことを認めています。

筆者の「小児睡眠」専門外来を「リフレッシュされない睡眠」や「昼間の眠気」、悪夢を主訴として受診する子どもの中には、慢性の強い心理的ストレス下にあることが疑われる子どもが多い。(p129)

トラウマ障害による過覚醒が睡眠障害をまねき、その結果として不登校や非行につながるケースも少なくないのではないでしょうか。

また睡眠障害とトラウマ障害は密接な関連がありますが、単にトラウマ障害のために睡眠障害が生じる、という単純な因果関係にあるわけではないようです。谷池雅子先生は同じ本の中で次のように述べています。

PTSDにおいては不眠や悪夢のような睡眠障害が認められるのみならず、睡眠障害はPTSDの発症に先行し、その重症度を予測させることが示唆されている。(p123)

この記述から明らかなのは、トラウマ障害のために睡眠障害になることがある一方で、もともと睡眠障害があることでPTSDになりやすくなる場合もあるということです。

そもそも睡眠は記憶のラベル分けや定着などに関係していますが、睡眠の質が悪いと、記憶の処理がうまくいかなくなります。

そんな状況でトラウマ経験に出くわすと、トラウマ記憶をうまく処理できず、結果としてPTSDのフラッシュバックや解離による健忘や記憶喪失などが生じてしまうのかもしれません。

REM睡眠の障害は、感情的な記憶の適切な処理をゆがめ、PTSDの発症に関係することが示唆されている。(p125)

さらにいえば、三池輝久先生は、乳幼児期の睡眠障害が、ADHDや自閉スペクトラム症の発症を促すとも推測していますから、これらすべてのおおもととして睡眠障害を捉えるという見方も可能かもしれません。

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あくまで推測ですが、生まれつき睡眠障害の傾向を持つ子どもが、ADHDや自閉スペクトラム症になりやすく、周囲の環境に敏感で愛着障害も抱えやすく、覚醒度のコントロール異常が悪化した結果、記憶の処理が困難になり、PTSDや解離性障害に発展する、という連鎖が生じている可能性もありそうです。

谷池雅子先生によると、このようなPTSDを治療するには、プラゾシン(ミニプレス)、クロニジン(カタプレス)、グアンファシンといった薬を用いて睡眠障害を治療することが有効だとされています。

これらはいずれも、交感神経の緊張を和らげる効果を持ち、もともと高血圧の薬として使われてきた薬ですが、いずれも脳の過覚醒を抑制するのに威力を発揮します。ミニプレスは、REM睡眠の質を正常化させることにより、PTSDの悪夢に効果があるとされています。

またトラウマ治療に用いられるEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)も、いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳によると「記憶を整理する浅い眠りであるレム睡眠の状態に脳を近づけ」ることで記憶の処理を促す仕組みです。(p122)

こうした事実を考えると、「発達性トラウマ障害」は、単なる心的外傷による精神的な問題ではなく、むしろ過覚醒によって引き起こされる慢性的な睡眠障害による脳の発達異常と考えることもできそうです。

4.ASDに似た感覚過敏と感覚鈍麻

続いて取り上げるのは、さまざまな感覚異常です。

一般に、感覚過敏や感覚鈍麻といった、感覚の異常は、自閉スペクトラム症(ASD)や、その中の一種であるアスペルガー症候群と関係するものとして取り上げられることが多い症状です。

「発達性トラウマ障害」は、ADHDと似ている特徴が多いため、専門家たちが主にADHDとの区別に苦慮している、ということはすでに述べたとおりですが、同時に自閉スペクトラム症と見分けにくい場合も少なくありません。

 いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳にもこう書かれています。

被虐待による愛着障害患児の症状は、広汎性発達障害(PDD)や注意欠陥多動性障害(ADHD)と症状が非常に酷似しており、鑑別診断は容易ではない。(p116)

自閉スペクトラム症の人たちが抱える感覚過敏は、たとえば、光がまぶしい、匂いに敏感、電車や自動車の騒音が耐えられずパニックになる、皮膚が敏感すぎてタイトな服が着れないなど様々です。

その逆に、感覚鈍麻の問題もあり、疲れているのに気づけない、眠さを感じない、喜びや達成感がわかない、といった心身の感受性の低下も見られます。これらは失感情症(アレキシサイミア)や失体感症(アレキシソミア)とも呼ばれています。

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こうした自閉スペクトラム症に似た感覚過敏や感覚鈍麻は、「発達性トラウマ障害」にもみられ、最初に載せた診断基準において次のような項目がありました。

2.身体機能の制御困難(睡眠、接触、排泄面における問題 ; 接触や音への過敏、鈍感 ; 日常における切り替え困難)

3.感覚、感情、体調への気づきの低下、解離

4.感情や体調についての表現力低下

感覚過敏や感覚鈍麻が、症状の一部に含まれていることがわかります。

ここまで考えてきたことからすると、「発達性トラウマ障害」の感覚過敏や感覚鈍麻は、トラウマ経験に対する防衛反応として発達したものかもしれません。

たとえば、常に周りに警戒して神経をとがらせ過敏な状態を保ってきたことが、身に危険が迫ればすぐに察知できるよう、必要以上に鋭敏な感覚を発達させ、感覚過敏の体質になるのではないか、と推測できます。

逆に、慢性的なトラウマにさらされ、周囲の刺激から感覚を遮断し、苦痛に満ちた心を解離させることで対処してきた場合は、苦痛に対して鈍感になり、自分の感情や、心身の疲れや痛みといったアラームを感知できなくなるかもしれません。

自閉スペクトラム症では、生まれつきの感覚過敏のため、おのずと周囲の世界が苦痛に満ちたものとなるため、自然に解離を用いて対処するようになり、感覚過敏と同時に失体感症などが生じやすいようです。

しかしトラウマ障害では、生まれつき過敏さがあったかどうかにかかわらず、子どものころの劣悪な環境や衝撃的な体験のせいで、「闘争か逃走か」といったストレス反応が刺激され、結果として感覚過敏や感覚鈍麻の体質が刻み込まれてしまうのでしょう。

 いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳では、子どものころ虐待を経験した大人の脳にどんな異常が生じていたかが数々の脳画像を用いた研究によって調査されています。

それらの研究によると、被害者の脳にはさまざまな異常が生じていますが、その意味するところは虐待という異常な環境で生き延びるために脳が選んだ“適応”ではないかと推測されています。

Teicherは、幼い頃に激しいストレスにあうと、脳に分子的・神経生物学的な変化が生じ、おそらく(非適応的なダメージが与えられてしまうと考えるより)神経の発達をより適応的な方向に導いたのではないだろうかと推測している。

たとえそれが過剰適応になったとしても、危険に満ちた過酷な世界の中で生き残り、かつ、子孫をたくさん残せるように、脳を適応させていったのではないだろうか。つまり虐待による脳の変化は、冷酷な世界を生き抜く、“適応”ではないのだろうか。(p127)

幼いころにトラウマを経験した人にとって、この世界はいつなんどき危害を加えられるかもしれない危険な世界であるという印象が刻み込まれます。

すると、命を守るために、危険に気づけるよう感覚が過敏に発達したり、逆に苦痛があまりに耐え難いものであれば、そのもとでも生き抜けるよう、感覚を遮断して逆に鈍感になったりするのでしょう。

その結果として発達したのが、「発達性トラウマ障害」の人たちが抱える、感覚過敏や感覚鈍麻の正体ではないでしょうか。

これらもまた、さきほど考えたADHDとトラウマ治療の類似点と同様、表面に現れる症状のみを見れば自閉スペクトラム症や、その一種のアスペルガー症候群の人たちとよく似ていますが、やはりおおもとの原因が異なります。

ADHDの過覚醒や、自閉スペクトラム症の感覚異常が生まれつきの脳の傾向に起因するのに対し、「発達性トラウマ障害」の過覚醒や感覚異常は、危険きわまりない環境で生き抜くために自ら発達させた“適応”なのです。

もちろん、この場合もADHDの場合と同じように、完全に区別できるわけではなく、両方を合併している人もいるわけですが、異なる原因が絡んでいるわけなので、発達障害なのか、発達性トラウマ障害なのか、その合併なのかで対処法は変わってくるでしょう。

■アスペルガーと愛着障害の相貌失認は違う?

興味深い点として、愛着崩壊子どもを愛せない大人たち (角川選書)という本では、愛着障害と自閉スペクトラム症において、どちらも人の顔を見分けることが苦手、という症状が共通して出やすいことが紹介されています。これは「相貌失認」と呼ばれます。(p121-123)

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発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス)という本では、アスペルガー症候群など、自閉スペクトラム症の人が顔を見分けることか難しくなる原因は、生まれつきの視覚の鋭さのせいで、細部に注目してしまうため、顔全体を見れず、顔認知の能力が育たないせいではないかと言われています。

実際に、ネイボン課題というテストでは、自閉スペクトラム症の人たちは、細部に注目し、全体像を見るのが難しい傾向を示すそうです。(p144-145)

では愛着障害など、トラウマ障害の人の相貌失認も同じメカニズムかというと、はっきりした証拠はないのでなんともいえませんが、正反対の理由で生じている可能性もありそうです。

いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳によると、性的虐待の結果、トラウマ障害では、左の視覚野が縮小していたことが書かれています。またDV目撃では、視覚野が小さくなるとともに右視覚野の血流が増加して過活動状態になっていることがわかったそうです。(p73)

ここでポイントとなるのは、どちらの場合も、右の視覚野が優位になっているということです。先行研究によると、さきほどのネイボン課題において、右視覚野は全体像に注目する役割があり、左視覚野は細部に注目する役割があることがわかっています。(p76)

それで、虐待の結果、右視覚野が優位になる理由がこう書かれています。

これらの事実から、性的虐待を受けた被虐待児の脳、とくに視覚野の部分は細かい詳細な像を無意識下に“視ない”ようにするように“適応”していったのではないかと私は推測している。(p76)

つまり、虐待の結果、細部から目をそらし、全体だけを見るよう適応していく場合があるのではないか、推測されています。これはアスペルガー症候群と正反対です。

発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス)によると、アスペルガーの人が「空気が読めない」のは、場の全体でなく細部しか見えないためだとしていますが、確かに虐待された子どもは、その逆の「空気を読み過ぎる」傾向、細部を見ず極端に全体を意識する視野を育てることがあります。

またアスペルガーの人が細部にこだわって正確な記憶や数値などを重視するのに対し、虐待などで典型的な解離性障害では、記憶があいまいで広がりやすく、細かいことにこだわらないのが特徴です。

そうすると、あくまで推測にすぎませんが、同じ相貌失認でも、アスペルガーなどの自閉症の人たちの場合は細部に注目しすぎるために見分けられず、逆に性的虐待やDV目撃などのトラウマ障害の場合は、全体に注目しすぎて顔の詳細が見えない、あるいはあえて見ようとしないために顔を見分けにくいのかもしれません。

また、愛着崩壊子どもを愛せない大人たち (角川選書)ではオキシトシンが顔の記憶に一役買っていることが書かれているので、視覚の特性に加えて、自閉症と愛着障害に共通するオキシトシンの不足が、顔の記憶の定着を難しくしているのかもしれません。

ちなみに脳神経科医オリヴァー・サックスは、子ども時代の経験から愛着を育むのが難しかったというようなことを告白していますが、心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界によると相貌失認も抱えていました。

豊かな共感性に富むサックスは、明らかにアスペルガー症候群ではなく、細部に注目しすぎるどころか並外れて広い視野を持っていた人ですから、もしかすると全体を見過ぎて細部が疎かになる傾向のために相貌失認が生じていたのかもしれません。

5.依存症、自傷行為で覚醒度をコントロールする

こうしたADHDに似た覚醒度のコントロール異常、そして自閉スペクトラム症に似た感覚異常は、ともに別の問題にも波及します。

覚醒度が常に高く、自分でコントロールしてリラックスすることができない張り詰めた状態、あるいは、覚醒度が低くてぼんやりしていて現実感がない状態は、どちらも苦痛を伴います。

自分の意志で自由に覚醒度をコントロールすることが難しいため、興奮を鎮めたり、意識をはっきりさせたりして気分を楽にするには、普通とは異なる手段が必要になります。

その手段が、依存症や自傷行為です。

再び先ほどの診断基準に戻って、次のような項目に注目してみましょう。

2.自己防衛能力低下(自暴自棄、スリル探求)

3.自己慰撫を目的とした不適応な企図(身体を揺する等の律動的動き、強迫的自慰)

4.習慣性(故意または無意識)あるいは反射的自傷

ここではまず、極端に危険な状況に身をおいてスリルを求める自暴自棄な行為が挙げられています。たとえば、命の危険を伴うスポーツや暴力、犯罪行為に熱中したり、不特定多数の人と性関係を見境なく持つという危険に身を落とすことなどが含まれます。

ついで、自分を慰める行為に依存する傾向があります。ここでは自閉症にみられるような体を揺する行動(ロッキング)や、強迫的なマスターベーションが挙げられています。

もう少し範囲を広げれば、一時的な安らぎを得ようとはまりこむ、さまざまな依存症もここに関係していると考えてよいでしょう。それにはストレスから逃れるためのアルコール依存や、タバコ、麻薬、さらには摂食障害なども含まれるかもしれません。

そして最後に習慣的に行われる自傷行為が挙げられています。たとえばリストカットや抜毛症(トリコチロマニア)、大量服薬(オーバードーズ)などが思い当たります。

こうしたさまざまな依存症や衝動的な自傷行為は、形はさまざまに違えど、特にトラウマ障害に伴う場合には、共通する目的を持っていると考えられます。

子どものPTSD 診断と治療の中で、摂食障害の専門家の中里道子先生はこう述べています。

小児期に、虐待を経験することは、非常に強烈な、否定的情動体験の耐性へのチャレンジであり、様々な感情のダウンレギュレーションの様式を促す。

堪えがたく辛く痛ましい体験をやわらげ、不快な気分、緊張感を緩和するような、対処行動として、自傷行為、自殺企図、強迫的な性的逸脱行動の他、過食や排出行動といった、摂食障害の症状が発展することがある。(p137)

ここでは、これらの自傷行為の原因として、不快な気分や緊張感を和らげる目的がある、とされています。

さきほど考えたとおり、常に過覚醒状態にあって心も体も休まらない場合、張り詰めた緊張を和らげるには、外から何かのきっかけを与えてスイッチを切り替えてやらなければなりません。そのスイッチにあたるのが自傷行為といえるでしょう。

たとえば自傷行為による痛みがきっかけとなって一瞬意識が飛んで解離が生じるので、緊張が和らぐかもしれません。

逆に、低覚醒状態にあって、ぼんやりして現実感がない状態の場合は、常に解離状態にあるので、何かに目を覚ますようなもので覚醒度を高めるスイッチが必要です。

この場合も自傷行為がスイッチとなり、痛みによって現実に引き戻されるかもしれません。

どちらの目的で用いるかは人によって違いますが、以前の記事で考えたとおり、張り詰めた意識を解離させるための自傷行為と、解離から意識を呼び戻すための自傷行為があるようです。

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さまざまな依存症の場合もまた、こうした覚醒度をコントロールする役割をもっています。依存によって得られる快感は脳の覚醒度を高め、意識をはっきりさせるので、その心地よさを求めて、スリルや危険や自己破壊的な習慣がやめられないのです。

最初のほうに挙げた疫学調査では、薬物乱用の50%、うつ病の54%、アルコール依存症の65%、自殺企図の67%、静脈注射薬物乱用の78%が児童虐待に起因するということでした。

これらは依存や自傷を伴うものの代表例といえますが、依存症や自傷行為の中には、「発達性トラウマ障害」による脳の覚醒度のコントロール異常がおおもととなって生じているものが、かなり多く含まれている可能性がありそうです。

依存症や自傷行為は、それらに無関係な人たちから見れば、なぜ有害なことにあれほど執着するのか理解できず、周囲はすぐにでもやめさせようと無理強いしたり、それらが危険であることをこんこんと諭したりするものです。

しかし問題となっているのは、危険性を意識できていないことではなく、自分で自分の覚醒度をコントロールできず、張り詰めた神経を休める手段がほかにないこと、あるいは、現実感が薄れた苦痛の多い日常で意識をはっきりさせる手段がそれ以外にないことにあるのかもしれません。

そのような観点を持つなら、ただ依存症や自傷行為をやめさせようようとするより、まったく別のアプローチを講じる必要があることに気づけます。

6.双極性障害II型に似た気分変動

続いて考えるのは、気分変動の問題です。

「発達性トラウマ障害」の患者は、自尊心のなさによる憂うつな気分のせいで「うつ病」と誤診されたり、解離性障害による幻聴などの症状から「統合失調症」と誤診されたりすることがあるようです。

しかし、三大精神病の中でも、特に「発達性トラウマ障害」と関連が深いのは、双極性障害、いわゆる躁うつ病だと言われています。

解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)は、成人の解離性障害の専門家である柴山雅俊先生による本ですが、解離性障害と双極性障害が見分けにくいことについてこう書いています。

さらに軽躁とまではいかないまでも、自分でも妙にはしゃいだり気分がハイになったりすることは患者の約半数が経験している。

…衝動性は一般に高い。これらのことは解離の病態が、「躁」と「うつ」の双極的な気分変動に親和性があることを示唆している。(p146)

とりわけ解離は先に述べたように双極的な気分変動がみられ、ときに双極II型ないしは双極I型とも思える病態を呈する。その場合、解離性障害と診断するか、双極性障害と診断するかは服薬の内容や治療の継続にからむ重要な問題である。(p147)

この本で説明されている解離性障害とは、つまるところ「発達性トラウマ障害」が大人になったときに発展する症状の一つでもあるので、ここで書かれている内容は「発達性トラウマ障害」の説明とみなして差し支えないでしょう。

そうすると、「発達性トラウマ障害」は、気分の変動を伴いやすく、ふだんはうつっぽい一方で、ときどき軽躁状態になり、気分が一時的にハイになる現象が見られることがわかります。

その気分変動は双極性障害、特に双極性障害2型とよく似ています。双極性障害1型がジェットコースターのような過激な気分変動を伴うのに対し、双極性障害2型は、基本的にはうつの状態が長く、ときどき軽くハイな状態になるという違いがあります。

この点は、子どものPTSD 診断と治療の中で杉山登志郎先生も指摘しています。

さらに双極性障害と診断をされても、一般的な気分調整役の服用による治療のみでは気分変動を止めることが非常に困難である。そのような非定型的で難治性の気分変動が多い。

この起源を辿ってみると、学齢児の被虐待児に認められる激しい気分の上下である。これは抑うつの基盤にハイテンション(一般に午後になると)が認められるという被虐待児特有の気分変動である。(p200)

文脈を見ると、これは外来を受診した子ども本人ではなく、その親のほうに見られる気分障害について説明している部分ですが、親の側の気分障害は「双極II型がほとんど」とみなせるそうです。

そしてその「双極II型」は、親自身が子どものころ受けた虐待による症状であり、そのせいでフラッシュバックや子育ての問題が生じ、結果として子どもが体調を崩して外来を受診しているケースがあるのだそうです。

杉山先生は、 臨床家のためのDSM-5 虎の巻の中でも、愛着障害に双極性障害2型のような気分変動が伴うことを説明しています。

さらにこの愛着障害を基盤にした気分調整不全は、成人にいたった時に、双極性障害II型類似の、気分変動に展開していくという発達精神病理学的な出世魚現象が認められるのである。(p48)

子どものころの愛着障害は、午前中不機嫌で、午後になるとハイテンションになるといった気分変動を伴いますが、それが大人になると双極性障害2型にきわめてよく似た気分障害に発展するのです。

アジア太平洋人精神保健センターの所長ヘネシー・澄子先生による子を愛せない母 母を拒否する子には、「愛着障がいの見分け方」という表がありますが、そこでは愛着障害と見分けにくい疾患としてADHDと双極性障害が挙げられて丹念に比較されています。(p136-141)

こうした様々な専門家の意見を考慮すると、双極性障害、特に2型と診断されている場合、本当に双極性障害なのか、一度自分の生活史を振り返ってみて、「発達性トラウマ障害」として発展してきた形跡がないかどうか調べてみる必要があるように思います。

7.信頼感の欠如による対人関係の混乱

ここまで考えてきたのは、主に自身の体調面に生じる問題でしたが、次に取り上げるのは周囲の人とに関係性に現れるコミュニケーションの問題です。

1番目の項目で取り上げた愛着障害は、もとはといえば、親との関係性に関する問題でした。

その中でも、虐待などの逆境体験のもとで生じる愛着のタイプ、つまりD型アタッチメントは、無秩序型とか混乱型といった呼び名がつけられていることに触れました。

 いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳では、この混乱した愛着の絆がもたらす、その後の人間関係の混乱について、次のように説明されています。

この“歪んだ形”での愛着形成により、子どもは加害者を絶対的に正しいものと思い込んだり、逆に自分こそが悪いのだと考えたりするようになる。

いうまでもなく、これは一種の適応であり、精神分析的な用語を用いるなら防衛機制である。

このような歪んだ形の愛着は、それを基礎として親以外との人間関係にも適用される。

無条件に相手の言うことに従ったり、自分の意見を押し殺して相手に言わなかったりして、できるだけ他者との間に問題を起こそうとしない。

それはしかし、相手に対する不信や、相手との関係を絶って孤立することにもつながりやすい。(p113)

劣悪な環境で育った子どもが見せる混乱した態度は、「拒絶されることへの恐れ」と「見捨てられることへの不安」の重ねあわせです。

保護者である親を求めたいのに、傷つけられるかもしれない、と感じておびえてしまいます。

「発達性トラウマ障害」の診断基準には、これらに伴う、さまざまな混乱した人間関係のタイプが書かれていました。

まずは自尊心の低さ。

2.自責感、無力感、無価値観、無能感、欠陥があるという感覚など、否定的自己が継続

決して親に認めてもらえず、愛されてこなかったことで、自分は無価値だ、無力だ、という思いにさいなまれます。

続いて根底に存在する、あらゆる人に対する不信感。

3.大人や仲間との親しい関係のなかで、極端な不信感や反抗が続く、あるいは相互交流を欠く

生まれたばかりの赤ちゃんを世話する親という、最後の砦ともいえる存在にさえ裏切られたのであれば、どうして他の人たちを信じられるでしょうか。

そのような経験をした人たちが抱える人への恐怖や根深い不信感、自分は無価値だという自尊心の欠如については、以前の記事でも説明しました。

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こうした不信感の結果、自分が傷つけられないために、過度に他の人の意思に合わせ、自分の意思を押し殺して生きるようになる場合があることは、こちらの記事で説明しています。

空気を読みすぎて疲れ果てる人たち「過剰同調性」とは何か | いつも空が見えるから

 

また、他の人を心から信頼できないため、誰も心から頼れる人が存在せず、すべて自分の力に頼って、一人孤独に奮闘していかなければならないと感じる人もいます。

赤ちゃんのとき、安心してまどろむことができる親を見いだせなかったように、大人になってからも、安心して休める居場所がなく、疲れ果ててぼろぼろになってなお、認められるために、自分の身を守るために頑張り続けなければならないと感じてしまうのです。

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さらに、それとは逆の方法で、人への不信感を露わにする人もいます。続く項目には、暴力を振るうケースについて書かれています。

4.仲間、養育者、その他の大人への反射的な身体的暴力、言葉の暴力

ある人たちは人の善意を信じられないがゆえに、高圧的な態度に出て相手を力づくでコントロールするしかないと考えるようになる場合があります。そのようにして配偶者や子どもを支配する暴力的な親を見て育ったのかもしれません。

また親密な接触を求めて必要以上に人に頼り過ぎる人がいるとも書かれています。

5.親密な接触(性的あるいは肉体的親密さに限定しない)を持とうとする不適切な(過剰、あるいは見境のない)意図。または安全や保証を求めて仲間や大人に頼りすぎ

この場合は、他の人とつながっていたいという気持ちはあるものの、他人の愛情を心から信頼できないために、見捨てられることへの不安が強く、執拗に関わりを求めるのでしょう。

さらに、診断基準の続きには次のような項目もありました。

6.共感の気遣いを制御する能力のないことが以下で証拠づけられる。他者の苦痛の表現に対して共感しなかったり、絶えられなかったり、過剰反応を起こす

すでに考えた「発達性トラウマ障害」に伴う、自閉スペクトラム症に似た感覚過敏と感覚鈍麻には、他の人の気持ちへの過敏さと鈍感さも含まれると考えられます。

たとえば緊張した家庭で育ったため、常に家族や周囲の人の顔色を伺って育ち、傷つけられないよう空気を読んで振る舞おうとしてきた場合は、過剰な共感という、他人の気持ちに対する感覚過敏が発達するかもしれません。

それは先ほど触れた、空気を読み過ぎる「過剰同調性」をもつ人たちに相当します。

一方で、相手に合わせるストレスに耐えられず、共感することが苦痛で耐えられない場合には、共感することをやめて、一切空気を読まなくなり、他人への気遣いを示さなくなるかもしれません。

たとえばあらゆることに口出して過干渉し、子どもを支配しようとする親に耐えられなくなり、反発して一切言うことを聞かなくなり、非行に走る子どもがいるかもしれません。

すると、その結果として、他の人の気持ちに配慮しない、暴力的になったり、見境なく人間関係を求めたりするタイプに発展するのかもしれません。

こうした人たちは、一見すると、空気が読めず、他の人の気持ちや立場に配慮できない人、共感しようとしない人に見えるため、、アスペルガー症候群とみなされている場合がありそうです。

さらに極端な場合は、共感する能力そのものは存在するのに、だれにも共感しようとしない人格に成長した結果、他人の苦しみを気にかけない反社会性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害といった、サイコパスにも似た人格に発展することもあるでしょう。

■スティーブ・ジョブズとオリヴァー・サックス

興味深いことに、その不幸な生い立ちから、おそらく愛着障害だったと思われるスティーブ・ジョブズは、子どものころADHDのような多動や衝動性を示し、ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法によると、青年期にはあたかもアスペルガー症候群のような融通性のなさや共感性の乏しさを示し、高圧的に他人をコントロールすることがありました。(p85)

しかのこの本の著者であり、ジョブズの親友でもあるエド・キャットムルによると、晩年は、とても円熟した態度を示すようになり、他の人の感情にも配慮した発言ができるようになって人間的な深みを増したことが記されていました。(p395)

また、オリヴァー・サックスは道程:オリヴァー・サックス自伝の中で、自身が愛着に問題を抱えているようなことを吐露していますが、若い時期にはADHDのような不注意や無謀さを示し、薬物依存にも陥った一方で、アスペルガー症候群のような化学へのマニアックさも示しています。(p289)

そして友人である詩人トム・ガンによると、若い時期は共感性が欠如していたと指摘されていますが、その後、共感性あふれる魅力的な医者へ成長し、多数の温かみあふれる本を執筆したことは周知の事実です。(p339)

この二人がどの程度のトラウマを抱えていたのかはわかりませんが、年齢とともに症状が変化し、ADHDのようにもアスペルガーのようにも見えたこと、信頼できる友という安全基地を見いだすことで愛着の傷が癒やされ、豊かな共感性が育まれたことなど、「発達性トラウマ障害」の観点から考えるととても興味深い人物です。

8.慢性疲労、慢性疼痛など多様な身体症状

ここまで列挙してきた「発達性トラウマ障害」の症状は、おもに精神・心理面での症状がほとんどでした。

しかしすでに考えたとおり、「発達性トラウマ障害」は決して心の傷、心理的な問題ではなく、脳の発達に影響を及ぼし、脳の構造を組み替えてしまうほどに身体的な影響を及ぼす病気です。

当然ながら、「発達性トラウマ障害」にはさまざまな身体面での症状が伴います。それらは人によって千差万別ですが、たとえばひどく疲れやすい慢性疲労や、体のさまざまなところが痛む慢性疼痛、胃腸症状などがあります。

 いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳によると、トラウマなどのストレスから生じることもある子どものうつ病では、次のような身体症状が目立ちやすいそうです。

子どもはうつ病という事態に陥っても、大人のように抑うつ気分や抑制症状を自覚したり認識しないため、なかなか言葉で表現することは難しいといわれる。

…大人のうつ症状と共通する点もあるが、食欲の変化、睡眠の乱れ、からだのだるさを訴えることが子どもの場合多い。

また「集中力がなくなった」、「頭が働かない」、「気力が出ない」、「疲れやすい」、「食欲がない」、「途中で目が覚める」、「朝早く目が覚める」、「頭が痛い」、「お腹が痛い」、などの症状がいくつか断片的に生じるために、小児慢性疲労症候群との鑑別がなかなか難しいこともある。(p17)

ここに含まれているものの中には、疲れやすい慢性疲労、頭やお腹が痛い慢性疼痛、食欲がない胃腸症状などが含まれています。

小児慢性疲労症候群との区別が難しいとの記述からは、特に慢性的な疲労感の訴えが強いこともうかがえます。

これは子どもの例ですが、先ほども引用した大人の解離性障害の専門家である柴山雅俊先生の解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)を見ると、成人後の「発達性トラウマ障害」の症状を垣間見ることができます。

解離性障害の患者の多くがうつ状態を呈する。疲れやすい、だるい、憂鬱で死にたいなどという気分については、程度の差こそあれ、患者のほぼ90%以上が肯定する。(p146)

ここでも、疲れやすい、だるいといった慢性疲労症状がほとんど全員に見られるとまで書かれています。

また発達障害の薬物療法-ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方の中で、杉山登志郎先生もトラウマ障害の身体症状の特徴について説明しています。

生理的症状と心理的症状の相互混乱は極めて深刻な問題である。症状としては「頭が痛い」「腰が痛い」など慢性疼痛の形をとり、やけやたら痛み止めを用いるが効かず、心理的な問題として扱うと初めて軽減する。

一方で眠い、空腹、のどが乾いたなどの生理的な体の訴えが認識できず、一方的な不機嫌や怒りの噴出、抑うつなどとして現れる。(p43)

こちらの記述からは、頭が痛い、腰が痛いなどの慢性疼痛の症状が現れる場合があることがわかります。しかも一般的な痛みではないので、痛み止めでは効果がありません。

同時に先ほども挙げたような体のアラームに無頓着な失体感症(アレキシソミア)がみられ、そうした体の不調は不機嫌や怒りや抑うつとして出てくると書かれています。

不思議なことですが、トラウマ障害の場合、精神的なストレスは、身体症状として表面化し、逆に身体的なストレスは、精神症状として噴出する「生理的症状と心理的症状の相互混乱」がみられる場合があるのです。

これらの記述では、慢性疲労と慢性疼痛がそれぞれ言及されていましたが、ここから思い出されるのは、慢性疲労症候群(CFS)、および線維筋痛症(FM)という原因不明の病気です。

慢性疲労症候群は日常生活が不可能になる重篤な疲労感が特徴で、線維筋痛症は耐え難い慢性的な激痛がおもな症状ですが、両者は合併することもあり、しかも睡眠障害や胃腸症状を含め、多種多様な症状を併発することがあります。

慢性疲労症候群や線維筋痛症の原因はさまざまであり、人によって異なる原因が関係している多因子疾患だと思われますが、中には「発達性トラウマ障害」が原因となっている人がいると考えられます。

実際に、子ども時代の虐待が、慢性疲労症候群や線維筋痛症の発症リスクとなることが報告されており、その場合は、「発達性トラウマ障害」による脳の発達異常から慢性疲労や慢性疼痛、その他のさまざまな症状に発展しているとみなせるかもしれません。

幼少期の虐待経験が慢性疲労症候群の原因に、米大学研究報告 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 

線維筋痛症患者における子供時代の虐待と症状の関連 : 腰痛、肩こりから慢性広範痛症、線維筋痛症へ           ー中枢性過敏症候群ー  戸田克広

 

また、発達性トラウマ障害の人が抱える身体面での問題は、さらに根深いところまで及んでいます。すでに脳に傷が及んでいることを示しましたから、それだけでも相当根深いものですが、事実はあまりにも悲惨です。

成長し衰退する脳 (社会脳シリーズ)には次のような記述がありました。

さらに、被虐待経験者は老化のマーカーであるテロメアの侵食が見られ、寿命も平均に比べ20年も短いなど、医学的な影響も見られている。(p232)

トラウマ障害では、通常の人より、20年も平均寿命が短いそうです。

これだけなら、自殺してしまう人が多いなどの理由で平均寿命が下がっているのではないか、と考えることもできますが、別の研究では、老化のマーカーであるテロメアが侵食されていることまで示されているのです。

悲惨な家庭環境で育った子どものテロメアは約40%も短い | いつも空が見えるから

 

激しいトラウマ経験は、人生のはじまりに脳に傷をもたらし、発達を阻害するだけでなく、テロメアまで侵食して、人生の終わりをさえ早め、一生全体を支配してしまうほど深刻な問題なのです。

9.多重診断になりやすく難治性

以上の点からわかるとおり、発達性トラウマ障害は、脳の発達を左右し、しかも体の奥深くにまで傷を刻みこんでしまうわけですから、多種多様でありとあらゆる症状が生じうるのも当然です。

これまで見てきたとおり、子どものころにはADHD自閉スペクトラム症のような発達障害と診断されやすく、非行や不登校に発展することもあるでしょう。

夜眠れず朝起きられない生活パターンが固定すると概日リズム睡眠障害と診断されます。

そして思春期ごろになって、精神面での不安定さがひどくなると、摂食障害や境界性パーソナリティ障害と診断されやすくなります。何も頼れるものがない心細さは全般性不安障害とみなされてるかもしれません。

大人になると、精神的な変動に注目した結果、うつ病、双極性障害1型、双極性障害2型、そして統合失調症と診断されて、悪い場合には薬漬けの治療を施され、泥沼化してしまうかもしれません。

心身の苦痛から、依存症などにつながり、アルコール依存症薬物中毒として治療を受けることになる人もいるでしょう。犯罪に関わり、刑務所に入る人も少なくないと思われます。

あるいは、心身症として身体面での症状が強く現れてしまい、慢性疲労症候群線維筋痛症、過敏性腸症候群などの診断を受けることもあるでしょう。

ある程度知識のある医者にかかれば解離性障害PTSDといったトラウマとの関係に注目した診断名がつくかもしれませんが、全体を貫く「発達性トラウマ障害」という診断名に気づかれることは少ないはずです。

こうした、若い時期から、ありとあらゆる診断名がつき、ありとあらゆる治療を施されるのに治らない、という極めて嘆かわしい状態こそ、発達性トラウマ障害の悲劇的な特徴なのです。

子どものPTSD 診断と治療にはそうした点を説明する最新の概念についてこう説明されています。

最近では、被虐待経験者にみられる疾患は「生態的表現型(ecophenoytpe)」と呼ばれている。発症年齢の低さ、経過の悪さ、多重診断数の多さ、そして、初期治療への反応の鈍さがみられる。(p100)

ここでは紹介されている「生態的表現型」という概念は、虐待や劣悪な子ども時代などの背景がある場合は、そうでない場合の通常の患者とは明らかに違いが見られるので、はじめにグループ分けをしてから診断や治療に臨んだほうがよい、という考え方です。

引用した文中に書かれている通り、子ども時代、劣悪な環境で育った人たちは、「発達性トラウマ障害」の特徴に表れているように、比較的若くして病気になり、しかも経過が悪く、治療への反応が鈍く、さまざまな症状が出て典型的な症状に収まらないため、どんどん診断名が増えていくのです。

この「生態的表現型」という考え方、あるいは、「発達性トラウマ障害」という連続性をもって変化していく疾患の存在は、これからの医師がよく知っておくべき概念であると同時に、患者の側もしっかり周知しておくべき概念だと思います。

今の日本の医療機関で「発達性トラウマ障害」と診断されることはまずないと思いますが、この概念を知らなければ、表面的な症状を対象とした実りのない治療を受け続け、あまりに治らないので怪しげな民間療法にまで手を出して資産を浪費していく、という最悪のスパイラルに落ち込んでしまうからです。

10.薬への過敏あるいは鈍感

「発達性トラウマ障害」という病気があることを知るべき最大の理由は、表面的な診断名に振り回されて、無意味な治療に時間やお金を浪費することなく、本当に効果のある治療を見極めるのに役立つ、ということです。

「発達性トラウマ障害」の治療法の研究はまだ始まったばかりであり、完全に治る方法が確立されているわけではありません。脳の構造に異常が及んでいる場合もあることを思えば、完治を目指すのは難しいかもしれません。

しかしそれでも、国内外の多くの医師たちの尽力によって、効果的な治療法が徐々に探り出されてきていて、症状を緩和していくことには役立つと思われます。

トラウマ障害の治療を考える上で、特に大切なのは、意外にも薬の少量処方である、ということが、子どものPTSD 診断と治療に書かれています。

一般に精神科医療において、薬物治療の効果が不十分なときに、精神科医は薬の増量を行なう。あるいはほかの薬物を加えてゆく。その結果、多剤、多量処方という状況が生まれていく。(p205)

「発達性トラウマ障害」の人は、たいてい、多重診断を受け、症状も重く、難治性で長年闘病を続けているため、多剤処方を受けたり、複数の医療機関にかかっていたりして、びっくりするような量の薬を服用していることがあります。

しかし、重い症状だから薬を多くするべきである、というのは必ずしも正しくなく、次のような意外な指示が載せられています。

発達障害過敏、トラウマ基盤ともに著効が得られない場合に行うべきは薬剤の減量である。(p205)

そもそも、薬を多くしても効果がなく、治らない、というのは、薬が足りないわけではなく、使い方が間違っている、と考えるほうが自然です。もともとの診断名が間違っていて、効果のない薬を処方しているために、多くしても副作用しか出ないのです。

さらに、トラウマ障害の場合、過敏性があって、薬は意外なほど少量のときによく効いて、量を増やすとかえって効かなくなるという不思議な現象もみられるそうです。その点は、以前の記事で書きました。

 子どものPTSD 診断と治療の中でも、山村淳一先生がこう書いています。

また原則として、思春期症例においても同じ少量処方で十分有効である。

なぜなら、PTSDはうつ病でもてんかんでも統合失調症でもないから、通常の使用量は必要ないのである。

むしろ少量処方では全く不十分という場合、もともとの問題を抱えているか、非常に深刻な喪失などの重度のPTSDに陥っている可能性が高く、一般の内科小児科医では対応が困難で専門の精神科医を受診することが必要である。(p255)

 子どものPTSD 診断と治療のp254-261や、杉山登志郎先生による発達障害の薬物療法-ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方では、トラウマ障害に効果のみられる処方薬の一覧や解説が載せられています。

また、トラウマ障害は、ADHDととてもよく似ていて、脳の働き方も類似しているという研究について触れましたが、かといって同じような薬を用いてよいとは限らないようです。子どものPTSD 診断と治療にはこう書かれています。

薬物療法を行う際、ADHDに使用される中枢神経薬は時としてトラウマ障害の症状増悪をもたらす可能性も示唆されている。

ドパミンを上昇させるメチルフェニデートではなく、むしろニューロトランスミッターを抑制するクロニジンのほうが望ましいとされている。(p118)

一般に、ADHDにはコンサータ(メチルフェニデート)が用いられることが多いですが、トラウマ障害の場合はむしろ過覚醒の抑制に役立つカタプレス(クロニジン)のほうがよいとのことです。

とはいえ、「発達性トラウマ障害」は一人ひとり症状が異なることが特徴です。治療にあたっては、トラウマ障害の専門医にかかって、信頼を深めつつ、じっくり最善の方法を探っていくことが不可欠だと思います。

「発達性トラウマ障害」を克服するには?

以上が、「発達性トラウマ障害」(DTD)の10の特徴に関する説明です。

壮絶な内容なので、読んでいるうちに辛くなってしまった人もいるかもしれません。もし自分や家族、あるいは親しい知人が「発達性トラウマ障害」を抱えていることがわかったなら、どのようにして対処していけばよいのでしょうか。

このブログは、具体的な治療法を提供する立場にはありませんが、過去のいくつかの記事では、簡単に近年行われている治療法を紹介しています。

たとえば、トラウマ治療のために行われることがある さまざまな治療法については以下のような記事でまとめています。

子ども時代の慢性的なトラウマ経験がもたらす5つの後遺症と4つの治療法 | いつも空が見えるから

 

記事の中で参考にしている文献には、もっと詳しい具体的な情報が載せられていますから、それらを手がかりにインターネットで検索するなどして、専門家を探して受診できるかもしれません。

トラウマ記憶を物語へと変える

トラウマ障害の場合、少量処方による薬物療法は、過覚醒を抑制したり、フラッシュバックを軽減したり、睡眠の質を向上させたりと、症状を軽減する助けにはなりますが、根本的な治療にはならないかもしれません。

「発達性トラウマ障害」は愛着障害から始まり、ADHD様症状や解離性障害など、さまざまな症状に発展していく、という成り立ちから明らかな通り、心身両面の問題が複雑に絡み合っている病気です。

たとえば、インシュリンの投与で症状を抑えられる糖尿病のような身体面の問題ではなく、身体面のストレスが精神症状として、心理面でのストレスが身体症状として現れることがあるほど、心身両面がクロスオーバーしています。

そのため「発達性トラウマ障害」の治療には、さまざまな心理療法が用いられ、その中にはポストトラウマティック・プレイセラピー、暴露療法、トラウマフォーカスト認知行動療法、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)、自我状態療法などが含まれます。

こうした療法はいずれも、アプローチはさまざまですが、目標とするものは同じです。いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳にはこう書かれていました。

虐待は起こらないに越したことはないが、一度起きてしまったものをなきものにすることはできない。過去の事実を変えることはできないのだ。

しかし、過去の事実に対する「見方」を変更することは十分可能である。それこそが、トラウマに対する心理療法の目指す最終的な目標である。

…このような解釈の変更を、西澤は「『体験の意味づけ』を変化させる」と表現している。(p111)

心理療法の目的は、どうしても受け入れられなかったトラウマの記憶から目を背けるのをやめ、意図的な解釈を加えることによって、意味づけを変化させることです。

もとをたどれば、トラウマ記憶に対して「闘争か逃走か」という生理的反応によって対処して、戦闘モードを保ったり、解離して逃避したりしていたことが、ここに至るまでの問題の発端でした。

当時は無力な子どもにすぎず、圧倒的なトラウマ経験に対して、そのように反応する以外の術を持っていなかったのです。

しかし、成長した今は違います。思考力を働かせて解釈する理性的な能力が成長しているので、たとえ過去と同じ場面に再び直面したとしても、「闘争か逃走か」以外の、第三の選択肢を選べるようになっているはずです。

その第三の選択肢は、自分で見つけ出す必要があり、それを選びとることも簡単ではありませんが、それを成し遂げるとき、トラウマ記憶は、もはやトラウマではなく、トラウマを乗り越えた物語へと変化します。

現在という時点から過去を振り返る形での虐待の「再」体験は、ただひたすら逃げたかった記憶を、現在の自分と関係付けてとらえる作業であり、それは記憶の整理へとつながる。

西澤はこの作業を「トラウマ記憶を物語記憶へ変える」と表現している。(p110)

過去のトラウマ記憶は、子どものころの小さな自分には、とても立ち向かえない巨大なモンスターのようなものでした。巨大なモンスターは道を塞いでいて、子どものころのあなたは無力であり、ただそこから逃げるしかありませんでした。

しかし、今、成長した自分の足で、もう一度そこを訪れてみると何がわかるでしょうか。あのときの恐ろしいモンスターの顔が思い浮かんで、手が震え足がすくむかもしれません。それでも、勇気を奮い起こして、もう一度あの場所へと行ってみたら?

あの時から長い月日が経過しました。あなたは背の高さも、思考力も大きく成長しています。そして、あの時の場所に着いたあなたは、恐ろしいモンスターが依然として道を塞いでいることに気づくでしょう。

しかし、恐れずにじっくり相対するとき、意外なことに気づくかもしれません。子どものときには決して見れなかった高さから、子どものときには決して持っていなかった冷静な目で見るとき、思わぬ発見があります。

あれほど巨大に見えていたモンスターが意外に小さいことに気づくかもしれません。あるいは、あの恐ろしげな表情に感じられたモンスターが、実は悲しげな表情をしていたことに気づくかもしれません。そもそも、モンスターではなかったことがわかるかもしれません。

成長したあなたの目で過去のモンスターに相対するとき、子どものころとは違う「意味づけ」や「解釈」が生まれていきます。臨床心理士はその過程をサポートしてくれるでしょう。

そして、あなたはその恐ろしいモンスターを乗り越えて、子どものころには進めなかった、その先にある道、モンスターが塞いでいた道へと進んでいくことができます。もはやトラウマ記憶を抑圧する必要はなくなるのです。

■「意識していない幼少期のトラウマ」を探りだすべきか

具体的なトラウマ記憶があり、解離性障害や、PTSDのフラッシュバックなどが生じている場合、トラウマそのものの治療をする必要があるのは確かです。

しかし、さまざまな症状が存在するにもかかわらず、おおもととなる幼少期のトラウマ記憶が思い当たらない場合、衝撃的な記憶は抑圧されていて探り出さなければならない、と結論すべきでしょうか。

本当は間違っている心理学の話: 50の俗説の正体を暴くにはこう書かれています。

多くの研究が、自分の感情の発達史を理解すること自体は、深遠なもので満足をもたらすことがありえるものの、心理的な苦痛から解き放たれる、必要条件でも十分条件でもないことを実証しています。

実際のところ、子どもの頃からの解決できない感情から回復し対峙することにあまり重点を置かない治療法が、過去を志向するやり方よりも同程度またはそれ以上に効果的なのです。(p318)

過去のトラウマ記憶が思い当たらない場合、催眠術など怪しげな方法に頼って本当かどうかもわからない記憶を掘り出そうとする必要はなく、むしろ「今・ここ」に焦点を合わせた認知行動療法などで目の前の問題を解決するほうが効果的な場合があります。

たとえば、「自分には価値がない」といった消極的で歪んだ思考パターンが生活を支配している場合、どのようなトラウマ記憶のせいでそうなったのかという原因を探るより、どのように認知の歪みを変えていけるか、という実際的な解決策に注目する行動療法を試したほうがよいかもしれない、ということでしょう。

マシュマロ・テスト:成功する子・しない子の中でも、「本人が意識していない幼少期のトラウマ」を長期間の分析で明らかにしなければならない、といった考えは古い医学モデルであり、トリガーとなる刺激とそれに反応してしまう行動の結びつきを修正する「直接的な行動修正」のほうが役立つと書かれています。(p233)

杉山登志郎先生によると、消極的な思い込みや思考パターンは、一種のフラッシュバックなので、衝動的に沸き起こる消極的な考え方に対して、認知の歪みを修正するという別の解釈を加えることが、ここまで考えてきた治療に相当するといえそうです。

心的外傷後成長(PTG)

しかし、たとえ心理的なトラウマ記憶の抑圧を解決できたとしても、それですべての症状がなくなるわけではありません。

子どものころから、「闘争か逃走か」に徹した結果、身について体質となってしまった過覚醒をはじめ、さまざまな脳の発達異常からくる問題は消えないかもしれません。

適切な薬物療法や、心理療法による見方の変化は、症状を和らげてはくれますが、根本の問題は、もはや取り返しがつかず、対処してつきあっていくしかないかもしれません。

それでも、過去と向き合い、それを乗り越えていくことには大きな意味があります。

以前取り上げた概念の中に、心的外傷後成長(ポストトラウマティック・グロース:PTG)というものがありました。逆境を乗り越えて、傷だらけになりながらも、より人間的に成熟して、芯の強い魅力的な存在へと成長する人たちを指す言葉です。

心的外傷後成長(PTG)とは―逆境で人間的に深みを増す人たちの5つの特徴 | いつも空が見えるから

 

PTGを経験する人の中には、子ども虐待を含め、大災害や戦争体験、強制収容所や拷問など、想像を絶するような逆境をくぐり抜けた人もいます。

そうした人たちは、トラウマとなるような経験によって、確かにPTSDに苦しめられます。しかし、PTSDによる侵入的な思考、フラッシュバックのような苦痛に対し、意図的な思考によって対抗し、PTSDをPTGで抑えこんでいくのです。

PTGが生じる過程に必須のものとされる、侵入的な思考を意図的な思考で抑えこむ、というプロセスは、先ほど心理療法の目的として考えたトラウマ記憶を新しい見方で意図的に解釈して、物語記憶に作り変えていくことと同じです。

自分ではコントロールできないトラウマ記憶の脅威あるいはフラッシュバックとして現れる消極的な感情を、ひたすら解釈して意味づけし、修正していくのです。

興味深いことに、いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳によると、虐待の被害者の脳画像を研究したところ、脳の左半球の発達が遅れていることがわかったそうです。

一連の結果は、“虐待と左右半球の発達の間に関係がある”というTeicherの仮説を裏付けていた。大脳の左半球は言語を理解したり表現するのに使われる。

一方、右半球は空間情報の処理や情動、とくに否定的な情動の処理や表現を主にしている。虐待を受けた子どもたちは、そのつらい思い出を右半球に記憶しており、それを思い出すことで右半球を活性化しているのではないかとTeicherは考えた。

…興味深いことに小児期に虐待を受けた経験のある人たちは、中立記憶を考えているとはには圧倒的に左半球を使っており、つらくていやな記憶を思い出すときには、右半球を使っていた。(p64)

一般に、脳は左半球と右半球が協同して働いていますが、特に言語や意味の能力は左半球にほぼ特化していることが知られています。

トラウマ記憶を思い出すときには右半球を使っている、ということから、トラウマ記憶は左半球による意味づけや解釈ができていない、未処理の記憶であるとみなせるかもしれません。

重度のトラウマ記憶を抱える人は、左半球の発達が遅れているようなので、体験を言語化して解釈したり意味づけしたりするのが苦手な傾向もあるのかもしれません。

また健康な人は、左右両方の半球を使って想起するのに対し、トラウマ障害の人は中立記憶は左半球、いやな記憶は右半球を主に用いていて、左右の半球の活動を連携することが難しく脳梁の働きに問題があるのではないか、とも推測されています。

それで、PTSDをPTGに変えていくのは、今までただ右半球で再生していた未加工の記憶に、脳の左半球による解釈や意味づけを加えるよう訓練し、記憶を自分なりに作り変えていく過程といえるでしょう。

心理療法は左半球を活性化させる

興味深いことに、脳の右半球の活動がネガテイブな感情と、左半球の活動がポジティブな感情と関わっているという点は、別の研究によっても実証されています。

脳科学者エレーヌ・フォックスによる脳科学は人格を変えられるか?によると、脳に電極をとりつけてシナプスの活動をはかる実験で、次のようなことがわかっているそうです。

安静にした状態でも、楽観的な人の脳の左半分は右半分よりもかなり活発にはたらいているが、悲観的な人の脳の左半分の活動度は楽観的な人に比べてずっと低いのだ。

…また、脳の左側への偏りが大きい人は、右側への偏りが大きい人に比べ、おしなべて幸福度や楽観性が高いこともあきらかになっている。(p78)

この実験が明らかにしているのは、楽観的な人の脳の活動は左半球に偏っていて、悲観的な人の脳の活動は右半球に偏っている、ということです。

どうしてそのような偏りが生じているのかは不明ですが、ここまで考えたような、左半球に由来する意味の解釈などが関係しているのかもしれませんし、もっと様々なメカニズムが絡み合っているのかもしれません。

では、このような脳の活動の偏りを修正して、悲観的で憂うつな気分に悩んでいる人が、楽観的になることは可能なのでしょうか。

エレーヌ・フォックスは、物事の見方を変化させる認知バイアス修正トレーニングの結果についてこう説明しています。

ポジティブな方向に認知バイアスを修正された被験者の場合、脳内活動は左寄りに変化しており、ネガティブな方向に修正された被験者は皮質上の活動が脳の右側に大きく振れるという結果が出た。(p267)

認知バイアス修正トレーニングは、意図的に視線をポジティブな写真に誘導するものですが、この結果、脳の活動の偏りが修正されることがわかりました。

効果を持続させるにはくり返しトレーニングが必要かもしれませんが、脳の左半球を活性化させ、脳の傾向を変化させることは可能だということがわかります。

また、近年、Googleなどの会社が取り入れていることで話題になっていて、先日の友田先生の研究が一部紹介されたNHKスペシャル「キラーストレス」でも取り上げられていたマインドフルネス療法も、脳の活動への効果がみられたそうです。

標準的な八週間のプログラム終了後に測定を行うと、マインドフルネス法の瞑想を実践した被験者には、脳の活動にも免疫機能にもプラスの変化が認められた。

脳の活動の左右の偏りについては、頭につけられたすべての電極にではないが、すくなくともいくつかの電極に、右から左への活動の移行が見てとれた。(p276)

最近のニュースでも、トラウマ由来の慢性疼痛にマインドフルネスが効果的であることが報道されていました。

その痛み、「考え方」変え改善 検査では異常なし…でも消えない:朝日新聞デジタル

九州大の細井昌子講師(心療内科)によると、重い慢性疼痛の人では両親の不仲やいじめなど、つらい過去を抱えていることが少なくなく、「一般的な認知行動療法では効果が出にくいことがある」という。

 そんな人たちへの治療の一つとして、細井さんらは瞑想(めいそう)の手法を骨格とした「マインドフルネス」を導入している。仰向けの状態で、つま先から頭の先まで意識を向けていく、といった内容だ。新世代の認知行動療法とも呼ばれ、効果を示す研究も出てきた。

こうした結果を見ると、さまざまな心理療法は、単に心の傷を癒やすようなものではなく、脳の左半球の活動を刺激して、PTSDやトラウマ記憶を克服するよう働きかける訓練になるものだと考えられます。

トラウマ記憶の侵入的な思考に対し、意図的な思考を働かせて見方を変えたり、新たな解釈を加えたりすることで、脳の働きの傾向を変えていくことができるかもしれません。

芸術の創造性がもたらすもの

最後に、しばしばトラウマに対する心理療法のひとつとして取り入れられることもある芸術について考えましょう。

芸術は不思議とトラウマとの関わりが強い分野です。絵画療法や音楽療法としてセラピーに用いられるだけでなく、子ども時代にトラウマ経験した人が、本格的なアーティストとして才能を開花させることもあります。

文学や芸術を創造する「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」 | いつも空が見えるから

 

子どものPTSD 診断と治療にもこう書かれています。

有名なアーティストや文学者などを見てみると、そういう人たちの多くが、自分の傷つきをクリエイティブなかたちで発信していることがよくわかります。

子どもがトラウマティックな経験をすると、一生癒えない傷を負ったことになるのではないか、その子はちゃんと育たないのではないかと大人は心配してしまいますが、トラウマにはポジティブな側面もあるし、トラウマをいかすこともできるという視点が重要です。(p68)

先ほど、トラウマに対する心理療法は、単に心の傷を癒やすだけでなく、脳の働きをさえ変化させる可能性がある、ということを考えましたが、芸術にもそのような力があるのでしょうか。

確かなことは言えませんが、芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察という本に、その可能性を示唆する興味深い情報がありました。

この本では、特異な能力を示す自閉症・サヴァン症候群の芸術家の能力の秘密を分析しています。

サヴァン症候群の画家は、見たものを正確に記憶し、写真のような絵を描くことができますが、オリジナリティのある表現はほとんどできません。

その理由は、おそらく、サヴァン症候群の画家が脳の左半球に問題を抱えているからではないかと推測されています。

彼らの脳では、右半球の働きによって見たもののありのままの映像を記憶している一方、左半球に存在する解釈や意味づけを行う「意味システム」が機能していないので、見たとおりには描けても自分なりの解釈を加えることはできないというわけです。(p97-98)

これは先ほど考えた、トラウマ障害の人の脳の状態とよく似ています。右半球によって、生々しいトラウマ記憶を保持していますが、左半球の働きが弱いため、それを解釈することができません。

心理療法では、その解釈や意味づけを助けるために左半球の意図的な思考を強化していたわけですが、同じことが、意味づけや解釈を含めたオリジナリティのある芸術的創作によっても生じるのではないでしょうか。

芸術は、単に心の中にものをそのまま吐き出すわけではなく、形にならないものを自分なりに解釈し、意味づけして、紙の上に形を整えていくことで作品を生み出すプロセスです。

この本では、芸術家の創造性は、一般に思われているのとは逆に、脳の左半球に依存していると言われていて、創造的な芸術を楽しむことは、左半球の活性化につながる可能性があります。

このように考えてくると、こうした非典型的な芸術家の作品から、健常者の左半球は既存の概念を再構成する能力が高く、右半球よりも独創性と革新を生み出す力が強いといえるのである。(p257)

もちろん、芸術の創造性は、左半球のみ、あるいは右半球のみを用いるものではなく、脳全体が協同して初めて生じるものだとされています。こうした脳全体を用いて解釈する作業こそ、トラウマ障害の人の脳活動に欠けているものでした。

だからこそ、辛いトラウマ経験を抱えた人の中には、一種の自己投薬のようにして芸術に打ち込み、アーティストとしての創造性を開花させる人が大勢いるのでしょう。

芸術に打ち込むことは、心理療法ほど直接問題と向かい合うわけではないかもしれませんが、創作を通して気づきを得て、自分の過去を解釈し、意味づけし、新しい作品へと作りなおしていくことにつながるのです。

それはまさに、「トラウマ記憶を物語記憶に変える」心理療法の目的と同じ結果をもたらしているのではないでしょうか。芸術は「トラウマ記憶を作品に変える」のです。

傷だらけになりながらも前に進むなら

この記事では「発達性トラウマ障害」がいかに深刻で破滅的なものかを具体的に考えてきました。さまざまな病名で多重診断され、難治性で深刻な症状の原因は、トラウマによる脳そのものの発達異常にありました。

脳に刻み込まれた傷そのものを癒やすことはもはや不可能かもしれません。過去に経験したトラウマという事実を変えることができないように、刻み込まれた傷跡そのものを消し去ることは困難でしょう。

しかし傷跡を消し去れず、PTSDのような記憶に苦しめられるとしても、打つ手がないわけではない、ということを最後に考えました。意図的な思考を強化し、解釈し、意味づけすることで脳の傾向を変化させ、傷跡を覆うことができるのです。

PTSDを抑えこみ、心的外傷後成長(PTG)で上書きしていく道のりは決してたやすくありません。

PTG 心的外傷後成長―トラウマを超えてによると、トラウマ記憶は一度限り乗り越えればよいものではなく、PTSDとPTGのせめぎあいは生きている限りずっと続くとも言われています。

もがき苦しみながら、行きつもどりつし、揺れ動きながら、PTSDとPTGが併存するような形で進んでいくことも多い。(pii)

しかしそれでも、トラウマ記憶を乗り越え、傷だらけになりながらも前へ進んでいくことには価値があります。結びにひとつの物語を紹介して締めくくることにしましょう。

日本臨牀 2007年 06月号 では、歴史上最も古い慢性疲労症候群(CFS)と思われる病態と、それに用いられた薬についての記述が紹介されています。

そうしたなかで、‘英国のヒポクラテス’といわれたThomas Sydenham(1624-89)は、後世の英国で好んで用いられるようになったMEと考えられる病態について記載している。

彼は元来治療を重視した臨床医であったから、この病気の疼痛にBalm of Gilead(パレスチナ地方でとれるバルサム)を用いた記録が残っている。(p976-977)

この記録の上で最も古い慢性疲労症候群の症例に、名医トーマス・シデナムが処方したのは、当時の社会で重宝されていたバルサムという樹脂でした。

この樹脂は、じつは傷ついた樹木からとれるもので、樹木が傷だらけになった幹を癒やそうとして分泌したものだったのです。それは本来樹木が自分のために作り出したものでしたが、強力な治療効果と芳しい香りを持つことから、多くの人に重宝されました。

「発達性トラウマ障害」によって傷だらけになった人が、自分を癒やすために取り組む不屈の努力もこれと似ています。それは元は自分の苦しみを癒やすための苦闘かもしれません。

しかし悲痛なトラウマを乗り越えようと不屈の努力を傾ける人の姿は、周りの人たちを勇気づけます。

トラウマとの葛藤の中で生み出された芸術は、見る人を癒やし、力を与えます。

そしてPTSDに屈することなく、心的外傷後成長(PTG)を目指して決してあきらめない人の生きざまは、香り高い樹脂にもまして、逆境のもとで苦闘する多く人たちから重宝されるものなのです。

今回紹介した友田先生の本は、難しい専門書ではあるものの、トラウマがもたらすさまざまな影響や治療法について知るのに役立つ情報豊かな本なので、「発達性トラウマ障害」(DTD)を抱えている人やそれに関係する人は、読んでみるとよいかもしれません。

「発達性トラウマ障害」という極めて困難な逆境のもとで、日々苦闘を続けている人たちとその家族や友人の方たちに、この記事や、この記事で紹介した数々の資料が役に立つことを願ってやみません。

光の感受性障害「アーレンシンドローム」とはーまぶしさ過敏,眼精疲労,読み書き困難の隠れた原因

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■いつも光がまぶしすぎる
■まばたきが多く、疲れ目になりやすい
■外出したり、蛍光灯の下で作業したりすると、疲れや頭痛が生じる
■本を読むのが苦手で、文を飛ばしたり、文字が見分けにくかったりする
■距離感をつかむのが苦手で不器用
■音や匂いなどの感覚過敏もある

なたは、こうした問題に悩まされることがありますか?

ここに挙げた、まぶしさや読み書き困難、不器用さなどの症状は、これまで、眼精疲労やディスレクシア(読み書き困難)など、別々の分野の問題とみなされてきました。

しかし、近年の発見によると、ある一つの共通の原因が関係しているかもしれません。

それは、「アーレンシンドローム」と呼ばれる光の感受性障害(Scotopic Sensitivity Syndrome:SSS)、つまり、特定の波長の光をうまく処理できない脳の認知システムの問題です。

「アーレンシンドローム」を持つ人たちは、普通の明るさのもとでもまぶしさを感じたり、文字を読むのに人一倍の集中力が求められたり、距離感をつかむのが難しかったりして、生活のさまざまな場面でストレスや困難を抱えやすくなります。

このような光の感受性障害に悩む人は、発達障害や学習障害の子どもをはじめ、一見、読み書きが得意なように思われる成績優秀な学生、さらには、偏頭痛やむち打ち、慢性疲労症候群、線維筋痛症の患者など、実にさまざまです。

興味深いことに、これらすべてのケースにおいて、色つきフィルターを用いた「アーレン法」と呼ばれる治療によって、症状を軽減できる可能性があるといいます。

「アーレンシンドローム」とはいったい何なのでしょうか。どのような特徴があり、いかにして治療できるのでしょうか。

発見者また第一人者であるヘレン・アーレンの本の待望の邦訳、アーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応 から考えてみたいと思います。

これはどんな本?

今回紹介する アーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応は、1991年に、ヘレン・アーレンによって初版が書かれた、比較的古い本です。

しかしその後の20年で、「アーレンシンドローム」の医学的な根拠について多くのことが明らかになり、内容が改定され、2013年にはついに、筑波大学心理・発達相談室の熊谷恵子先生によって、日本で翻訳されました。

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近年、発達障害や学習障害(LD)、ディスレクシア(読み書き困難)といった、子どもの発達や学習に関わる問題が注目されていますが、それらの原因の一端に関わる「アーレンシンドローム」という概念は、まだほとんど知られていません。

光の感受性障害という観点から、さまざまな問題の原因を読み解いたこの本は、生まれつきにせよ、何らかの病気の二次症状にせよ、感覚過敏を抱えて生きてきた人すべてにとって、大いに参考になる良書です。

「アーレンシンドローム」とは?

まず「アーレンシンドローム」とは何かを知るために、「アーレンシンドローム」の発見の歴史を簡単にたどってみましょう。

「アーレンシンドローム」が発見されるまで

「アーレンシンドローム」を発見したヘレン・アーレンは、1980年ごろ、アメリカのある学校区の学校心理士として働いていました。

彼女は、学習障害(LD)の子どもたちを診るなか、ある事実に気づきます。LDの子どもたちの中には、時間とお金、特別支援教育、そして本人のたゆみない努力をもってしても、症状が一向に改善しない子どもたちがいたのです。

そうした子どもたちは、勉強する意欲がないとか、怠けているとみなされ、なじられていましたが、実際は、むしろ他の子どもたちよりも、高い動機づけや意志をもって努力していました。それでも悲しいことに問題は改善されていませんでした。

そんな折、1981年に、政府が大人のLDを研究するための助成金を出し、ヘレン・アーレンはその機会を捉えて、大人になってもLDが改善しない人たちが抱える未知の要因を探すべく、研究プロジェクトを立ち上げました。

対象となったのは、特別支援教育、感覚統合訓練、家庭教師、薬物療法、食事療法などありあとあらゆる方法を試しても問題が改善せず、人一倍努力して学力を保ってきた人たちです。

ヘレン・アーレンは、その人たちが文字を読むのに普通以上の努力を要し、読んでいる場所を見失ったり、意味がつかめなかったり、あまつさえ文字が動いているように見えたりして、読書に疲れを感じることに気づきました。

その人たちの問題を解決するために6ヶ月以上にわたりさまざまな試行錯誤が続けられましたが、一向に成果が見られぬまま月日が過ぎていきました。

「色を通して読む」

しかし、ついにブレイクスルーのときが訪れます。

ヘレン・アーレンがある学習障害の子どもたちと一緒に作業していたとき、たまたま一人の子どもが、赤色のフィルムで紙面を覆ったところ、文字が劇的に読みやすくなることに気づいたのです。

偶然、もう1人の子どもがその赤色のフィルムで本の紙面を覆いました。そのとき、その子どもが「ええ!」と感嘆の声を上げました。

彼女はそのとき初めて、紙面の上の文字が行ったり来たりせずにじっと動かずに見え、それらの文字を読むことができたのです。(p23)

ヘレン・アーレンはその方法を早速、研究対象の大人たちにも試してもらいました。

すると、70人中58人もの人が、劇的に文章を読むのが楽になり、長時間 本を楽しめるようになったのです。

ただ驚くべきことに、必要なフィルターの色は、ひとりひとり全く違っていて、合わない色を用いると、問題が改善するどころか悪化することもありました。

研究はさらに進み、蛍光灯の影響で読みにくく感じている人がいることや、フィルターの代わりに有色レンズを使った方がよい場合があることなど、この特殊な読み書き障害の本質が次々に明らかになりました。

光の感受性障害(SSS)

こうした研究の結果、ヘレン・アーレンは、この独特な問題を光の感受性障害(Scotopic Sensitivity Syndrome:SSS)と名付けました。

SSSの男女比は同程度であり、ときに遺伝傾向がみられることもわかりました。(p61)

1985年4月には、オーストラリアで、1988年5月にはアメリカで、SSSによる読み書き困難を特集した「シックスティ・ミニッツ」という特集番組が放映されました。

「色を通して読む」ことで、これまで2-3分しか読書ができなかったような子どもや大人が、60分(シックスティ・ミニッツ)にわたり、読書を楽しめるようになったという内容は、大きな反響を呼んだそうです。

その後の年月で、SSSは発見者の名前をとって、「アーレンシンドローム」として知られるようになり、脳の画像診断技術によって、問題の原因が、視覚情報の処理過程にあることが明らかになってきました。

また有色フィルターやレンズを用いた治療法、通称「アーレン法」も、プラセボと比較した研究で、確かに効果があることが実証されました。(p xv)

そして、現在では、この視覚情報の処理異常は、学習障害の子どもだけでなく、他の様々な病気、たとえば偏頭痛や慢性疲労症候群の患者の抱える光過敏症状とも関係していることがわかってきているそうです。(p188)

「アーレンシンドローム」の4つの症状

では、自分が「アーレンシンドローム」を抱えているかどうかは、どうすればわかるのでしょうか。

冒頭で触れたように、「アーレンシンドローム」の症状は多彩です。

一見すると学習障害(LD)やディスレクシア(読み書き障害)と近しい問題に思えますが、それ以外にも様々な症状を伴いますし、中には読み書きに優れた人さえいるのです。

これから、「アーレンシンドローム」の多彩な症状をひとつひとつ見ていきますが、人によって程度の重さや、現れる症状が違う場合があることを思いに留めておいてください。

1.光過敏による まぶしさ、まばたき、目の疲れ

「アーレンシンドローム」の主な原因は、SSS、つまり光の感受性障害でした。

SSSのメカニズムはまだ詳しく解明されているわけではありませんが、おそらく、光のスペクトルの特定の波長に対する感受性の問題だと考えられています。

SSSは、あくまでも視覚認知機能、つまり脳の情報処理の問題なのでアーレンシンドロームを持つ人たちは、目の視力そのものに問題を抱えているわけではありません。

つまり、遠視や近視のために目が疲れやすいとか、斜視があるために読みにくいといった、目の機能の問題ではありません

眼科検診では異常がなかったり、視力矯正のメガネをかけても問題が解決しなかったりするため、本当の原因に気づかれにくいのです。

光の感受性障害を抱えている人たちは、眼科的な検査では異常がなくても、独特のまぶしさや、目の疲れやすさを感じることが多いようです。

わたしが初めて「アーレンシンドローム」という言葉を知ったのは、認知心理学者の山口真美先生の本、発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス) を読んだときでしたが、そこにはこう書かれていました。

瞬きを頻繁にしたり、片目だけで見る行動が、感覚過敏に基づいている可能性がある。

…中には蛍光灯の点滅が、ディスコのミラーボールの点滅のように感じると話す者もいる。

これはディスレクシアの一部であるアーレンシンドロームと呼ばれる症状の可能性が高いかもしれない。

…アーレンシンドロームでは、特定の色の色眼鏡をかけると、文章が正しく読めるようになる。

…ちなみに問題となる色は人によって異なり、どの色に問題が多く生じるという傾向もない。(p64-66)

ここでは、「アーレンシンドローム」の特徴として、まばたきを頻繁にしたり、顔をしかめて片目だけで見たりする癖が挙げられています。

そのような癖が生じるのは、蛍光灯の光をはじめ、明るい光が普通以上にまぶしく感じられ、目が疲れてしまうからです。

今回紹介しているアーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応でも、SSSを抱える人に、まぶしさやまばたきの多さといった特徴が見られることが繰り返し書かれていました。

読み疲れてしまうために、いろいろな症状が出ます。

いま、私が話してきたような見え方をするSSSのある人は、短い時間読んだだけでも、頭痛や疲れ、目がひりひりしたり涙が出たり、眠さや過度の疲れを経験します。

疲れで悩んでいる人は、読み続けるためにまばたきをしたり、目を細めたり、逆に目を大きく見開いたり、頭を横に向けたり、片目を閉じたりするなどの報告があります。(p51)

一般に、まぶしさを感じるというと、自律神経異常で瞳孔の調節異常が生じているのではないか、といわれることが多いように思います。

確かにそのような一面もあるのでしょうが、単に自律神経の異常というより、特定の波長の光の感受性の異常にあるという観点から考えるなら、より具体的な対策を講じることができます。

実際に、特定の色つきフィルターやメガネを通して見れば、まぶしさを感じることが軽減され、目の疲れが軽減されるといわれています。

先天性全色盲にみられる まぶしさ

興味深いことに、単なる自律神経異常ではなく、視覚認知の問題でまぶしさやまばたきに悩まされるのは、「アーレンシンドローム」の人だけではありません。

脳神経学者オリヴァー・サックスによる色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426)には、先天性全色盲という、生まれつき色が見えない、モノクロの世界に生きている人たちのエピソードが書かれています。

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わたしたちの目には、明るい場所で色を見る錐体細胞と、暗い場所で光を捉える杆体細胞、そして概日リズムを調節する光感受性神経節細胞の3つの視細胞があります。

先天性全色盲の人たちは、このうち、色に関わる錐体細胞が生まれつきないので、本来は暗い場所で用いる杆体細胞で、ものを見なければなりません。

それらはもともと明るい光を見るための細胞ではありませんから、先天性全色盲の人たちは、日中は激しいまぶしさや目の痛みを感じ、目を細めたり、頻繁にまばたきしたりする癖がみられます。(p36-37)

あちらこちらで、子どもたちが眩しい日の光りに目をしばたたいたり細めたりしている。

そして、すこし年かさの男の子が一人、黒い布を頭に載せている。彼らが自分と同じ全色盲だということを、クヌートは飛行機を降りて子どもたちを見た瞬間に悟ったのだ。(p58)

先天性全色盲の人たちにとって、まぶしい光をさえぎる濃い色のサングラスは外出する際の必需品です。

もちろん、「アーレンシンドローム」の人たちは、先天性全色盲の人たちとは違って、色が見えないようなことはありません。

しかし経験する症状の傾向は、まぶしさやまばたき、目の疲れだけでなく、夜の暗がりのほうが落ち着くこと、しっかり見るために紙面に目を近づけること、そして光をさえぎるサングラスが役立つことなど、似通ったところがあります。

もしかすると、先天性全色盲は光に含まれるすべての色の波長をまぶしく感じるのに対し、「アーレンシンドローム」の人は特定の色の波長の色だけをまぶしく感じるという接点があるのかもしれません。

発達障害にみられる まぶしさとの関係

視覚認知の問題のせいで まぶしさを感じやすい人たちには、他に発達障害の子ども・大人が含まれていることがよく知られています。

たとえば、近年、アスペルガー症候群など、自閉スペクトラム症(ASD)の人たちは、大多数の人たちとは違った視覚世界を体験していることが明らかになっています。

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大阪大学の研究によると、ASDの人たちの独特な視覚世界には、おもに3つの特徴があるとされています。

■コントラスト強調
瞳孔調整能力の弱さのため光がまぶしい。

■無彩色化
激しい動きを伴う場面を見ると、視界の中心のカラーの映像と、周辺視野の色のない映像が混ざる。

■砂嵐状ノイズ
動きや音の変化が激しいときに、視界に砂嵐状のノイズが混ざる。

このうち、コントラスト強調と呼ばれているものが、まぶしさに相当します。たとえば、スキー場のゲレンデや真っ白な紙の印刷など、コントラストが強いものを見た場合、普通以上にまぶしさを感じて目がくらみます。

二番目の無彩色化は、どことなく先天性全色盲の人たちの視覚認知と似たところが感じられます。

三番目の視界にノイズが生じるという現象については、後ほど考える、「アーレンシンドローム」特有のディスレクシアの症状と似通ったものを感じます。

このようなアスペルガー症候群、自閉スペクトラム症(ASD)の人たちの抱える視覚認知の問題は、単に「アーレンシンドローム」と似ているだけではなく、本質的に同じものであるようです。

アーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応には自閉症の人たちの感覚過敏の治療に、アーレン法が役立つことが書かれていました。

視覚情報を処理する困難は自閉症でSSSもある人の約50%に影響を及ぼし、ある研究では、その割合はさらに上がっていくかもしれないことが示唆されています。

これらの人たちにとって、感覚の重荷を減らすことは機能の改善につながり、視覚に加えて、聴覚、味覚、嗅覚も改善されることになる可能性もあります。(p186)

また、自閉スペクトラム症(ASD)だけでなく、もう一つの発達障害である注意欠如多動症(ADHD)の人や、トゥレット症候群の人が抱えやすいとされるチック症状も光過敏と関係している可能性があります。

チック症状にはさまざまな衝動的な動きや言葉、癖が含まれていますが、中には、頻繁にまばたきをするという症状もみられる場合があります。

この場合、衝動性や激しいまばたきといった症状は、単にADHDの脳内物質のバランス異常によって生じてるわけてはなく、光過敏の二次的症状として生じているケースがあるようです。

SSSそれ自体は、視覚という感覚における学習の困難ではありません。

それよりも、ディスレクシア、算数障害、ADD(注意欠陥障害)、その他の学習の問題の一部分としても存在しているのではないかと思われています。(p33)

SSSのある多くの子どもの振る舞いはADHDに似ていますし、ADHDと合併している可能性もあるのです。(p184)

本書の推薦の言葉では、「わかっているのにできない」脳〈1〉エイメン博士が教えてくれるADDの脳の仕組みなどのADHDの著書を通して日本でもよく知られているダニエル・エイメン先生の推薦も載せられて、大勢の患者にアーレン法を紹介したと書かれています。(p i)

このように、自閉スペクトラム症やADHDの人がもつ光過敏やチック症状、それに伴う落ち着きのなさや集中力のなさはSSSが原因の一部であるかもしれず、その場合は、「アーレンシンドローム」の治療が効果を発揮するかもしれません。

また発達障害の人たちが抱える不器用さは、一般に発達性協調運動障害(DCD)と呼ばれていますが、この症状も、「アーレンシンドローム」の一部である可能性があります。この点は後ほど取り上げます。

2.読み書き困難(ディスレクシア)と学習障害(LD)

「アーレンシンドローム」の人たちが抱えやすい次なる症状は、読み書き困難(ディスレクシア)や、それに伴う学習障害(LD)です。

すでに見てきたように、「アーレンシンドローム」を抱える人たちは、まぶしさや目の疲れから、本を読んだり、集中したりするのが難しい場合が少なくありません。

近年のアメリカの調査によると、「アーレンシンドローム」は健常者の12%に見られますが、ディスレクシアの場合は65%、学習障害には46%という高い割合で光の感受性障害がみられることがわかっています。(p53)

ディスレクシアや学習障害は文化によって有病率が大きくことなるので、あくまで参考程度の数値ですが、読み書き困難を抱えている人は、「アーレンシンドローム」の可能性を疑う十分な根拠があるといえるでしょう。

本書に載せられている「アーレンシンドローム」の自己チェックリストも、主に、この読み書き困難の問題に焦点を当てたものとなっています。

1.文字や単語、行をとばしてしまいますか。

2.同じ行を繰り返し読んでしまいますか。

3.集中力が簡単に途切れたりそれたりしますか。

4.読んでいる最中に、よく休憩をとらないといけなくなりますか。

5.長く読み続けることが困難ですか。

6.読んでいると頭痛がしますか。

7.読んでいるときに目がかゆくなったり涙が出たりしますか。

8.読むと疲れを非常に感じますか。

9.読んでいるとき、まばたきをしたり、目をしばたたかせたりしますか。

10.薄暗い光の中で読書するほうが好きですか。

11.顔を本の紙面に近づけて読みますか。

12.読んでいるところを指さしながら、または何か他にマーカーを使って読みますか。

13.読む時にそわそわと落ち着きがなくなりますか。(p xix)

このチェックリストのうち、3つ以上に「はい」と答えた場合、眼科医の検査で目に異常がなければ、ディスレクシアに加えて、「アーレンシンドローム」を抱えている可能性があるそうです。

「アーレンシンドローム」を持つ人は、一般の学習環境で使われている蛍光灯の光に過敏だったり、白い紙に黒字で印刷されているようなコントラストの強い紙面を読みにくく感じたりします。

そうすると、同じところを何度も読みなおす、まっすぐ順番に読めない、読んでいるところをすぐ見失う、集中力が切れてしまって意味がつかめない、目が疲れたり頭痛がしたりする、といった症状につながります。

また、目の眼球運動がスムーズにいかないので、学校の授業で黒板の内容をノートに書き写す際、どこを見ていたかすぐ見失ってしまって、人よりも課題に時間がかかってしまうこともあります。(p50 )

文字がゆがんで見えるさまざまなパターン

「アーレンシンドローム」を抱えるディスレクシアの人たちは、単にまぶしさや目の疲れを感じたりするだけでなく、独特の不思議な文字の見え方のせいで苦しんでいる場合が少なくありません。

以下のイメージは、本書の説明を参考に作った、さまざまな異常な見え方のパターンです。

注意すべき点として、以下の画像を見たからといって、「アーレンシンドローム」を持つディスレクシアの当事者が、自分の問題に気づけるとは限りません。

当事者は、最初からそのような見え方を経験していて、普通の見え方を知らないため、このブログの文章そのものも、異常な見え方をしているはずです。そして、だれもが皆そう見えていて、それが普通なのだと思い込んでいる場合もあります。

そうした人たちが本当の意味で、普通の見え方を経験するには、専門家の指導のもと、自分に適した色フィルターを 見つける必要があります。

また、以下のイメージは静止画ですが、実際には絶え間なくゆらめいていたり、そのときの体調や読んでいる文章の認知しやすさによって変化したりするため、あくまで参考程度のものと思ってください。

■洗浄現象
白い部分がまぶしすぎて文字の一部を消してしまう。(p38)

洗浄現象

■光背現象
光がネオン効果を生じさせて重なる。(p40)

光背現象

■リバー現象 
文字が流れて動き出す。(p42)

リバー現象

■オーバーラップ現象
文字が重なる。(p44) 

オーバーラップ現象

■回転現象
文字が回転する。(p45)

回転現象

■シェイキー現象
文字が揺れる。(p47)

シェイキー現象

■ぼやけ現象
文字がぼやける。(p48)

ぼやけ現象

■シーソー現象 
文字が上下に動く。(p49)

シーソー現象

■トンネル現象
一度に見える範囲が狭い。(p46、50)

トンネル効果

さきほどの山口真美先生による、発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス) では、このような異常な見え方をする「アーレンシンドローム」のディスレクシアの原因について、こう考察されていました。

アーレンシンドロームの問題は、錐体細胞の色を吸収する仕組みと、外側膝状体の色を伝達する仕組みの混乱にあると考えられる。

すなわち、小細胞に伝達されるはずの色が、動きの信号に混同されて伝わってしまうのだ。

たとえば白い紙を見たとき、すべての周波数の色が錐体細胞に飛び込んでくる。

カラーフィルターや色眼鏡を使うと、あるいは茶色っぽい紙に変えただけで、特定の周波数の色だけをカットできる。

そこで、特定の周波数の色だけが、誤まって動きの信号として大細胞に伝わっているのではないかと考えられるのである。(p66)

この説明によると、「アーレンシンドローム」を持つ人は、視覚情報が動きに関わる信号と混線しているのかもしれません。

もちろん、同じ「アーレンシンドローム」でも、人によって見え方はさまざまに異なりますが、特定の色の波長で、視細胞の情報処理のプロセスに異常が生じていることは、多くの場合において共通しているのでしょう。

やる気のなさや怠けではない

「アーレンシンドローム」を持つディスレクシアの人たちが、文字が動くなど異常な見え方に悩まされることは、単に読み書きが難しくなるだけでなく、二次的な問題も生じさせます。

あなたは、先ほどの「アーレンシンドローム」のディスレクシアの人たちが日々経験している異常な見え方のイメージを見たとき、どう感じたでしょうか?

きっと頭痛がしたり、めまいがしたり、読む気そのものが失せたりしたことでしょう。

重い「アーレンシンドローム」を抱えたディスレクシアの人は、身の回りのあらゆる文章が、教科書から黒板の文字、テストのプリントに至るまで、このような読むのに苦痛を伴う見え方になってしまっているのです。

すべての文章がそのように見えていたら、たとえ学習意欲があっても、特別支援教育を受けていても問題が改善しないのは当然です。

SSSの場合には、読む練習、ドリル学習に多くの時間をさいても、より効果的に早く読めるようになったり、誤りなく読解することができるようになったりすることはないのです。(p5)

よかれと思って診断されたディスレクシアや学習障害(LD)といった名前が足かせとなって、問題の本質を覆い隠してしまい、効果のない特別支援教育を受け続けてしまうこともあるでしょう。

残念なことではありますが、一度ディスレクシアと分類されてしまうと、そうした人々は教育システムのなかで適切な支援がなされずに、SSSの検査を受けるまで、重度の読み困難をずっと抱え続けることになります。(p103)

むしろ、丁寧な指導を受けているのに、読み書き困難がほとんど改善しないせいで、逆効果になってしまうことさえあります。

なぜ、自分はこんなにも努力しているのに、まわりの子どもたちと同じようにできず、だれも自分の努力を認めてくれないのか、と途方にくれて、自尊心を打ち砕かれてしまうかもしれません。

もしSSSがあっても気づかれないままでいるならば、勉強はものすごくたいへんで、本当の理由を誰も知らないし、当然、改善もなされないということになります。

SSSがある学習障害の子どもは、自らの懸命な努力の末にできたものの成果をビリビリと引き裂いてゴミ同然に教師が扱うのをどうすることもできずに黙って見ているしかない状態なのです。(p96)

その結果として、学校社会から脱落して不登校になったり、ストレスのせいで体調を崩したり、刺激を求めて非行に走ったりしてしまう子どもも少なくないのではないでしょうか。

そうした子どもたちにとって、もし問題の本質が、能力や知能ではなく、「アーレンシンドローム」による文字の見え方にある、ということがわかったなら、劇的に人生が変わる可能性があります。

それは、小説家アーネスト・ヘミングウェイの孫娘である、女優のマーゴ・ヘミングウェイの語った次の言葉からはっきりとわかります。

「ヘミングウェイ家に育ちながら文字を読めないというのは、まったく悲惨なことです。

ディスレクシアであるがゆえに、私は台本を読んだり覚えたりすることがうまくできず恐怖でした。

有色フィルターを使えば、文字が紙面上を動き回ることがなくなるので、今は私も勢いよく読むことができます」 (p99)

マーゴ・ヘミングウェイは大人になってから「アーレンシンドローム」であることがわかり、自分を子どものころからずっと苦しめていたコンプレックスの正体を知ることができました。

残念ながらマーゴ・ヘミングウェイは、アルコール依存症や双極性障害のため、1996年に自殺してしまいました。

もしも、彼女がまだ学生のころに、「アーレンシンドローム」だと診断され、有色フィルターを処方されていれば、精神疾患を抱えるほどに自尊心が打ち砕かれてしまうようなことはなかったのではないか、と思わずにはいられません。

読み書きが得意な人でも

こうして、「アーレンシンドローム」とディスレクシア、または学習障害(LD)の関連性を考えてみると、両者は深いつながりをもっていることに気づきます。

しかし、注意しなければならないのは、ディスレクシアと診断されるほどの読み書きの異常がなく、学習障害とみなされるほどの成績の問題がない人にも、「アーレンシンドローム」が存在するという事実です。

むしろ、さきほどの「アーレンシンドローム」の発見の歴史に登場した、最初期の研究の対象となっていた大人たちは、意外にも学校ではトップクラスの成績を収めていた人たちだったのです。

彼らは同学年の人たちよりも、2倍も3倍も勉強していた人たちであったので、成績はトップクラスでした。

学校で勉強を続けるためには、彼らは、他の人が1時間もかけずに読めるところを3時間もかかって読まなければなりませんでした。

彼らは、勉強により多くの時間を重ねられるように、自分の勉強のやり方を工夫し、作り上げなればなりませんでした。(p18)

このような人たちの場合、確かに光の感受性障害による「アーレンシンドローム」を抱えていて、勉強に困難を感じていましたが、工夫や才能によってその困難を克服する方法を見つけていました。

歴史を振り返っても、レオナルド・ダ・ヴィンチや、トーマス・エジソン、アルベルト・アインシュタインといった偉人たちの中に、学習障害(LD)やディスレクシアの傾向を持っていた人が少なくないことはよく知られています。

LD(学習障害)とディスレクシア(読み書き障害) (講談社+α新書)という本では、LDとディスレクシアの専門家である上野一彦先生が、ディスレクシアだったと思われる偉人たちの名前を列挙しています。

その中には、信じがたく思えるかもしれませんが、「名探偵ポワロ」シリーズのアガサ・クリスティーや「不思議の国のアリス」のルイス・キャロル、「ガープの世界」のジョン・アーヴィングといった、名だたる作家たちさえ名を連ねています。

無論、これら偉人たちの抱えたディスレクシアの原因が「アーレンシンドローム」にあったかどうかは定かではありません。

しかし、一つ確かなのは、読み書き困難を抱える人の中には、たゆみない努力でそれを補って克服しているかのように見える人が含まれているということです。

研究には、読みと学習の問題があるとわかった子どもから何ひとつ特定の読みや学習に問題のない子どもや才能のある学生まで、アーレン法によって効果が表れる子どもがいることが報告されてきています。

それらのなかには、本当は学習にとても時間をかけているために、表面的にはすばらしい読みのスキルをもっているように思われる子どももいます。(p178)

しかし、たとえ読み書き困難をある程度克服しているとしても、もし問題の本質が単なる学習障害や読み書き困難にあったのではないとしたら、事情は変わってきます。

これら才能ある人たちは、読むのが苦手なことへの対策として、、飛ばし読みやオーディオブックサービス、タイプライターを活用して読み書きの苦手さは補えるかもしれませんが、おおもとにある光過敏はそのままです。

「アーレンシンドローム」の症状の一部であるディスレクシアは目立たくなっても、まぶしさからくる眼精疲労や、感覚過敏、不器用さなどの問題は依然として当人たちの生活上のストレスをもたらしていることでしょう。

ですから、たとえ読み書き困難が目立たないとしても、「アーレンシンドローム」が存在しているなら、それに気づいて対処する価値は大いにあります。

彼らは賢いので、自分の絶え間ない努力で読みの弱さをカバーすることができます。

しかし、もし彼らがSSSの対処法を受けたとしたら、彼らの苦しみは随分と楽になるでしょう。(p120)

少なくとも、読み書き困難のために、人の2倍も3倍も時間をかけて学校の勉強に打ち込んだり、睡眠時間を削って努力したりする必要がなくなるので、体調面、精神面での健康向上も見込めるはずです。

3.空間感覚や距離感がつかめない

続いて取り上げる「アーレンシンドローム」の症状は、一見、意外に思えるものかもしれません。

それは、先ほど少し触れた、自閉スペクトラム症などの発達障害の人にみられる不器用さ、「発達性協調運動障害」(DCD)と関係しています。

「アーレンシンドローム」を抱える人は、発達障害があるかないかにかかわらず、空間感覚や距離感をつかむのが苦手で、何をやっても不器用でうまくいかない、という場合があります。

SSSのある人はまた、すべての物体が実際の距離よりも少しだけ遠くにあると認知しています。

そのため、スペースが余分にあると思ってしまい、物にはぶつからないで歩けると思っていても、テーブル、ドア、壁等によくぶつかってしまいます。

SSSのある人のなかには、3次元を知覚することに困難がある人もいます。彼らの世界はいわば、すべては2次元により成り立つ「絵本現象」というような状態ですらあるのです。(p121)

なぜ「アーレンシンドローム」があると、単にまぶしさや読み書き困難だけでなく、空間感覚の問題まで生じてしまうのでしょうか。

簡単にいえば、わたしたちが空間を把握するとき、位置関係や距離感をつかむのに用いている主な感覚は目を通して見る視覚である、ということに尽きます。

「アーレンシンドローム」は光の感受性障害、つまり視覚認知機能の異常でした。

さきほどから説明しているように、「アーレンシンドローム」があると、子どものころからずっと、本の文字など、目に見える光景が他の人たちと違っている可能性があります。

そうした違いは文字にのみとどまらず、まわりを見回す際にも、やはり視覚認知の問題が生じていて、特に立体感の把握に影響するようです。

色認知の障害で立体感が把握できない

この点を詳しく説明しているのは、発達障害の室内設計家 岡南さんによる天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー)や、杉山登志郎先生との共著ギフテッド 天才の育て方 (ヒューマンケアブックス)です。

この本については、以下の記事で感想をまとめていますが、「アーレンシンドローム」という文脈から再度考えてみると、非常に意義深い情報が散りばめられています。

アスペルガーの2つのタイプ「天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル」 | いつも空が見えるから

 

この2冊の本は、どちらも発達障害者の認知の特殊性を説明しているものですが、特に聴覚優位の人について説明した部分で、有名な自閉スペクトラム症(ASD)の当事者、ドナ・ウィリアムズのエピソードが引用されています。

ドナ・ウィリアムズは、 ドナの結婚―自閉症だったわたしへという著者の中で、こんな不思議な経験を話しています。

突然、目を落としていたページの文字が、まるで違って見えた。

…これまでわたしは、世界にはさまざまな深さと奥行きがあって、自分が動くことでそれを感じることができると習ってきたが、実際にそうした深さや奥行きの変化を感じたことは、一度もなかった。

それが今はただ目をやるだけで、そうと実感できる。(p72)

このエピソードは、ドナ・ウィリアムズが、はじめて偏光レンズつきメガネをかけたときの感動をつづったものです。それは「アーレンシンドローム」の治療に用いられるレンズと似たものとみなせるでしょう。

そのような色つきメガネをかけてみた結果、ドナ・ウィリアムズは、不思議なことを2つ経験しました。

まずひとつ目は、本のページの文字がまるで違って見えたこと。これは色の波長が補正されて「アーレンシンドローム」によるディスレクシアが改善したことを意味しています。

これについて、ギフテッド 天才の育て方 (ヒューマンケアブックス)にはこう説明されています。

ドナの示す視覚認知の問題が、色つきのめがねと偏光フィルターの組み合わせで是正ができることに注目してほしい。

これは、明暗領域を限定し、その分、拾いを密にしていることによると考えられる。(P79)

ドナのように色のついためがねの着用は、さらに個々に合う色の選択が、いっそうの見やすさを確保する。(P83)

しかし注目に価するのはふたつ目の点です。記述によると、ドナ・ウィリアムズは、色つきメガネをかけることで、世界の奥行きと深さ、という空間認知が改善して、立体感を感じられるようになったのです。これはどういうことでしょうか。

ギフテッド 天才の育て方 (ヒューマンケアブックス)にはこんな興味深い説明が載せられています。

壁と天井の境界線を成立させるものとは、光の当たり方によって生じる二つの面の明度差である。

もしもこの明度差の認知ができない場合には、パースラインの認知ができないということになるのだ。(p73-74)

少し難しいですが、パースラインとは、ものの奥行き立体感を示す線のことです。学生のころの美術の授業で、透視図法によって奥行きのある絵を描いたときのことを思い出してみるとわかりやすいかもしれません。

あなたはトリックアートと呼ばれるだまし絵(トロンプルイユ)を見たことのがあるでしょうか?

トリックアートは、平面に描かれた絵ですが、極めて緻密で立体的な色使いで描かれているので、あたかも三次元のもののように飛び出したり引っ込んだりして見えます。

ものの立体感は、微妙な明るさの変化が描き出すパースラインによって決まり、明暗のわずかな違いが繊細に描写されているほど、リアルな奥行きが感じられます。

では、もしそうした色の明暗を見分ける力が弱いとどうなるのでしょうか。わずかな色の違いが醸し出す立体感がつかみにくいので、三次元の世界に生きていても、なんとなく平べったく見えてしまい、距離感がつかめません。

「アーレンシンドローム」のある人は、まぶしさに過敏なので、コントラストが強すぎて、すべてのものが明るいか暗いかのどちらかになってしまい、わずかな色の明暗を見分けるのが苦手です。

すると、奥行きなどの立体感がつかみにくくなり、次のような特殊な認知が生じます。

物の「奥行き」が見えていないとするなら、空間そのもののボリューム感が異なるということにほかならない。

物が多くひしめき合っている空間でも、奥行きのない見かけだけを意識するなら、狭さを感じないということが生じる。

と同時に、自分に向いた面しか見えていないということにもなる。

奥行きが認知できなければ、体が触れて落としたり、倒したりすることにもなるが、本人にはそうした感覚が事前に持てないのである。(p76)

明るさ過敏のせいで、微妙な明暗をつかみにくく、立体的な空間認知がおおざっぱになって、距離を見誤ってしまった結果、物を落としたり倒したりして、不器用だと言われてしまうのです。

距離感をつかみにくい人の日常

興味深いことに、ゲームの世界では、テレビ画面という平面の映像の中で、立体的な空間を歩きまわるアクションを楽しむことがあります。

テレビの二次元の平面的な画面でも、空間認識を伴う立体的なゲームは遊ぶことができますが、それでも多くの人は奥行きの距離感がつかみづらいといわれています。

任天堂の社長が訊く「スーパーマリオ25周年」 によると、そうした問題は、テレビのような平面の画面ではなく、三次元の立体視ができる画面で見ると、非常にわかりやすくなり、より難しいアクションもできるようになるそうです。

小泉 僕はこれまでずっと3Dマリオをつくってきましたが、そもそも3Dは、空中に浮いてるものを取ったり、乗ったりすること自体が難しかったんです。

でもニンテンドー3DSで距離感がひと目でわかるようになれば、いままで遊びにくかった、空に浮かぶ足場をジャンプで乗り継いで、落ちたらゲームオーバーになるみたいな緊張感あるステージを、積極的につくれそうに感じています。

「アーレンシンドローム」のせいで、距離感のつかみにくい人は、あたかも、三次元空間の難易度の高いアクションを、二次元の平面のテレビ画面でプレイしているかのようなものです。

確かに、大まかな位置関係は把握できますし、簡単な動作であれば、それほど苦労はしないでしょう。経験とともに遠近感もつかみやすくなります。

しかしそれでも、微妙な距離感の誤差が生じてしまうため、先ほどアーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応から引用したとおり、「すべての物体が実際の距離よりも少しだけ遠くにあると認知」してしまうのです。

続く部分では、さらに詳しくこう説明されています。

SSSのある人のなかには、物を取ったり置いたりすることが難しい人もいます。

彼らはテーブルなどに物を置くときに、いつ手を離したらよいかよくわかっていないかもしれません。

コップを取ろうとしても、コップに手をぶつけてしまったりもします。

彼らは育ってきた過程のなかで、ミルクをこぼしたり、コップやバケツをひっくり返したりと、その不器用さのためにどんなにか怒鳴られたことでしょう。(p121)

先ほどの任天堂のマリオの例でいうと、ゲームの場合は、たとえ距離感を見誤ってちょっと物にぶつかっても痛くありませんし、足を踏み外してもコンティニューできます。

しかし現実ではコップの距離感を見誤ったら飲み物をぶちまけてしまいますし、足を踏み外したら転んで怪我をしてしまいます。

「アーレンシンドローム」の人たちの抱える不器用さは、ゲームの中ではなく現実世界での問題だからこそ深刻であり、問題の原因に気づいて治療する価値があるのです。

4.その他の身体症状

「アーレンシンドローム」の一連の症状には、さまざまな身体症状が伴う場合もあります。

「アーレンシンドローム」がもたらす光過敏や読み書き困難は、それそのものが大きなストレスとなるので、目の疲れなどの眼精疲労や、頭痛などを生じさせます。

「アーレンシンドローム」の人たちにとって「読書はむしろ肉体労働に近い」とまで書かれています。(p67)

常にまぶしさや視覚認知のストレスを経験していると、普通よりも疲労がたまりやすかったり、体が緊張して肩こりなどの慢性疼痛が生じたり、ストレスから自律神経異常につながったりするかもしれません。

また先ほど触れたように、チック症状や衝動性、多動性のような行動異常も伴う場合があるでしょう。

「アーレンシンドローム」を持つ人は、視覚以外の感覚過敏も持っていることが多く、視覚の過敏性に対処することで、他の症状も緩和する傾向があるそうです。

私たちの研究によると、アーレンシンドロームのある人は、視覚の過敏性だけでなく、聴覚や触覚など他の感覚過敏も多くもち合わせている人が多いです。

視覚の過敏性が和らぐことで他の感覚過敏性も和らぐという傾向があります。(p196 ※熊谷恵子先生の執筆部分)

さらに覚えておきたい点として、さまざまな病気に伴うSSS症状を緩和することで、その病気そのものの症状を緩和できる可能性があります。

以下に幾つかの例を挙げてみましょう。

偏頭痛は青色の光への光過敏?

まず、「アーレンシンドローム」は、ある種の偏頭痛との関係性が指摘されています。

偏頭痛を特定の光の波長に対する光過敏による症状とみなして「アーレンシンドローム」の観点から治療すると、頭痛だけでなく不眠やめまい、疲労といった身体症状が改善することがわかっているそうです。

さまざまな国の医師からの報告によると、アーレン法は頭痛、腹痛、不眠、偏頭痛、めまい、疲労といった身体的な症状に効果を与えることも示唆されています。(p187)

最近のニュースでも、偏頭痛は特定の色の光に関する光過敏であることを示唆する研究が報道されていました。

偏頭痛治療に「光」、緑色の光で痛みが約20%軽減 - QLifePro 医療ニュース

米ボストンの研究で、偏頭痛患者69人にさまざまな色の光を当てた結果、青色の光では頭痛が悪化したのに対し、狭スペクトルの弱い緑色の光を当てると、光過敏性が有意に軽減することがわかった。

一部の症例では、この緑色の光により偏頭痛の痛みも約 20%軽減することが明らかにされた。

この研究では、偏頭痛の人には、まさに「アーレンシンドローム」のように、特定の色の波長に対する光過敏がみられるとされています。

特に、青い波長の光(ブルーライト)で頭痛が悪化し、緑色の波長では軽減されたと書かれています。

偏頭痛発作の80%以上は光過敏性に関連して悪化するため、患者の多くは暗所を求めて仕事、家族、日常生活から離れることになる」と説明している。

ここで説明されているような、光を避けて暗所を求めて移動するような特徴は、すでに見たとおり「アーレンシンドローム」の患者と共通しています。

この結果を受けて、現在開発中であるという治療法も、やはり「アーレンシンドローム」の場合とよく似ています。

Burstein氏は現在、狭帯域の緑色の光を低強度で発光する低価格の電球や、緑色の光以外を遮断できるサングラスの開発に取り組んでいる。

「アーレンシンドローム」の場合と異なるのは、アーレン法では特定の色の波長だけをカットするメガネを用いるのに対し、偏頭痛では、緑色の光以外のすべてをカットするメガネが作られていることです。

しかしながら、「アーレンシンドローム」の場合も、複数の色の波長に過敏性を持つ人が存在している可能性がありますし、逆に偏頭痛の人の中にも、青色以外の光に過敏性を持つ人がいるかもしれません。

興味深いことに、「アーレンシンドローム」の人の中には、特定の色をカットするメガネをかけても効果の見られない人が6%いるそうです。

もしかするとそのような人には、この研究で開発されているような、色のカット域の拾いメガネが必要なのかもしれません。(p167)

このあたりの詳細な点は、今後の研究を待つ必要がありそうです。

脳脊髄液減少症の光過敏も軽減

やはり「アーレンシンドローム」と同様の光過敏を抱えることで知られている病気の中に、頭部外傷や脳震盪、むち打ちの後遺症があります。

この場合のSSS症状は後天的な二次症状だと思われますが、それでも「アーレンシンドローム」の有色フィルターによる治療で症状を緩和できるそうです。

時どき起きる些細な転倒も含めて、頭部外傷を経験したことのある人は、意識レベルの変化、頭痛、光の過敏性、読みの困難を経験しているかもしれません。

…発作、協調性の運動不全、頭痛、活動性のめまい、疲労、そしてふるえのような異常な動きは有色フィルターを装着することで改善されることがあります。(p185)

この本ではこうした頭部外傷の後遺症によるSSS症状が、むち打ち、脳震盪などと関連して挙げられています。

しかし、脳脊髄液減少症を知っていますか―Dr.篠永の診断・治療・アドバイスなどの本で説明されているとおり、従来、むち打ち後の後遺症や、軽度外傷性脳損傷とみなされてきた病態の多くは、脳脊髄液減少症だった可能性があります。

2016年1月と2月のニュースでは、井上眼科病院の若倉雅登先生が、脳脊髄液減少症には視覚認知機能の症状が伴うことを説明していました。

「ぼやけて見える」には2種類の原因…テレビ番組で大反響 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

 この人の訴えは、「ものがぼやけて見える」「まぶしい」というものですが、正常とか、疲れ目と片付けられていました。確かに、視力は正常ですし、眼球に異常は見当たりません。

脳脊髄液減少症、「保険金目当て」「心因性」と解釈されてきたが… : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

古くから頭頸部外傷後に、ピントが合いにくくなったり、動いているものが見にくい、あるいは尋常でないまぶしさを感じたりする症例があることが知られていました(その一部は本症かもしれません)。しかし、多くの眼科医は、今でもこれを心因性としているのです。

もちろん、脳脊髄液減少症の根本治療のためには、今年4月に保険適用されたブラッドパッチ療法などの専門医療を受けるべきですが、なかなか改善しない例や、症状が残る場合には、有色フィルターによって症状を緩和できるか試してみてもいいかもしれません。

慢性疲労症候群や線維筋痛症が和らぐことも

本書の最後のページには、やはり光過敏のSSS症状が現れる病気として、慢性疲労症候群(CFS)線維筋痛症(FM)といった病気が挙げられています。

これらはこのブログとも関連性の深い病名なので、最初読んだときには、意外なつながりにびっくりしました。

研究的には、さまざまな病気や症状と結びついているSSSに似た症状に関するアーレン法の効果研究がちょうど始まったところです。

自己免疫性の病気、糖尿病、慢性疲労症候群、線維筋痛症またはトゥレット症候群のある人たちがもつSSS症状が一部軽減できるようです。(p188)

もちろん、光過敏のSSS症状がこれらの病気の原因というわけではなく、たいていのケースでは、脳脊髄液減少症と同様、病気がもたらす二次症状のひとつとして光過敏が生じているのでしょう。

しかし、病気そのものがもたらす疲労や痛みとは別に、光過敏がストレスを増し加え、交感神経を刺激し、外出しにくさにつながって、結果として病気の症状を強めてしまっていることがあるかもしれません。

あるいはもともと、発達障害やその他の生まれつきの傾向として、光過敏を含めた感覚の過敏性をもっていて、そのせいで疲労やストレスを貯めこみやすく、慢性疲労症候群や線維筋痛症の発症につながった人もいるかもしれません。

いずれにしても、生まれつきであろうと、二次症状であろうと、特定の光の波長に対する過敏性が生じているのなら、色つきフィルターを用いることで、認知機能の負荷が軽減され、症状がいくらか緩和される可能性があるかもしれません。

概日リズム睡眠障害も光感受性と関係?

最後に、この本に書かれている内容ではありませんが、概日リズム睡眠障害との関連を推察しておきたいと思います。

ここまで見たとおり、どうやら、「アーレンシンドローム」の問題は、目の視細胞の神経伝達のプロセスの異常にあるようです。

目の視細胞には先ほど触れたとおり、3つの種類があります。

それは、色などを見分ける錐体細胞、明暗に敏感な桿体細胞、そして今世紀に入って存在が確かめられ、第三の視細胞として話題になった、概日リズムの調節に関わるipRGC細胞です。

ipRGC細胞、つまり光感受性神経節細胞は、その名の通り、光の感受性に関わっていて、光により概日リズムの調整や、暗所での光の認知に関係しているとされていますが、詳しいことはまだわかっていません。

はっきりしたことは何もいえませんが、「アーレンシンドローム」のような光の感受性障害に、錐体細胞や桿体細胞の感受性のみならず、この第三の視細胞の感受性も関係しているとするなら、概日リズム睡眠障害などのリズム異常とも関係があるのかもしれません。

近年では、睡眠リズムがずれる睡眠相後退症候群(DSPS)や非24時間型睡眠覚醒障害(non-24)、そして季節性うつ病、すなわち季節性情動障害(SAD)などの病気には、光の感受性の個人差が関係しているらしいとされています。

自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如多動症(ADHD)などの発達障害の人は、「アーレンシンドローム」をはじめ、複数の感覚過敏を伴いやすく、しかも概日リズム睡眠障害にもなりやすいと言われています。

すでに概日リズム睡眠障害を防ぐためにブルーライトをカットするアプリやメガネが広く普及していますが、「アーレンシンドローム」の原因とのオーバーラップがあるのかもしれません。

「アーレン法」ー自分だけの色のフィルターを見つける

終わりに「アーレンシンドローム」の治療法である、有色フィルターを用いた「アーレン法」について考えましょう。

有色フィルターを用いると、多彩なSSS症状が緩和されるという点はすでに見たとおりですが、気をつけなければならないのは、人によって、どの色がふさわしいかが千差万別である、ということです。

ディスレクシアの対策を説明した本などを読むと、しばしば、アーレン法に似た対策について書かれている場合がありますが、残念ながら言葉足らずなことが少なくありません。

必要な色はひとりひとり異なる

たとえば、怠けてなんかない! セカンドシーズンあきらめない―読む・書く・記憶するのが苦手なLDの人たちの学び方・働き方は、ディスレクシアに関する優れた本ですが、有色フィルターを用いた治療についてはこう説明されています。

オックスフォード大学のジョン・シュタイン博士らは、ディスレクシアの人たちに青もしくは黄色のカラーフィルターを文章の上に乗せることで読みやすくなることを科学的に証明している。

ただ、私が取材するかぎり、日本人の子どもたちには暖色系(オレンジやピンクなど)のほうが読みやすいという子もいる。(P150)

ここでは、特定の色のフィルターが多くの人に有効であるかのように書かれていますが、これは、「アーレンシンドローム」の実情と異なっています。

アーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応にはこう説明されています。

多くのレンズ会社の専門家はレンズに色をつける腕はもっています。彼らは魅力的な色を提示したり、あなたの好きな色を選ばせてもくれるでしょう。

彼らはさらにこう言うのです。

「もし蛍光灯の光に問題をもっているとすれば、ピンクが一番よい」と。

あなたが他に何も学んでいないのなら、SSSのあるすべての人に共通の色はないということに気づかないでしょう。各個人が本当に必要なのは、その人それぞれに最適な色なのです。(p154」

他の人に合った色が、別の人のSSSにも役立つケースは非常にまれで、むしろ、一人ひとり微妙に異なる色選びをしてはじめて、ふさわしい色のレンズが見つかることを覚えておく必要があります。

特に問題なのは、特定の色を勧められて効果がなかった結果、有色フィルターを試しても意味がないと思い込んで、自分が「アーレンシンドローム」であるという可能性を見限ってしまうことです。

色のわずかな変化でさえ大きな違いをもたらすことがあります。

対処法であるアーレン法を理解していない人から有色フィルムを受け取ることは、その人にプラスになる成果を上げられないことがあります。

…色に関する他の可能性もあるのに、色が役に立たないと失望して、その対処法を経験しないようにしてしまうことになったら、その人にとっても非常に不利益だと思います。(p146)

実際にアーレンシンドロームのスクリーニングでは、すぐに適した色が見つかるということはほとんどなく、数時間ないしは数日かけてフィッティングすることがあるようです。

フィルムの色=レンズの色ではない

またしばしば勘違いされる点として、その人に適したフィルムの色はその人に適したレンズの色とは異なる、という点があります。

フィルムとは、本のページの上に重ねるカラーセロファンのようなもので、レンズとは有色フィルターをはめた色つきメガネのことです。

たとえば、先ほどから引用している発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス) は日本でも数少ない「アーレンシンドローム」に言及している優れた本ですが、次のように書かれている部分があります。

アーレンシンドロームでは、特定の色の色眼鏡をかけると、文章が正しく読めるようになる。

眼鏡と同じ色の透明シートを紙の上に置くだけでも、よみは改善される。(p65)

ここでは、メガネと同じ色の透明シートが役立つとされていますが、これもまた、「アーレンシンドローム」の実情とはそぐわない点のようです。

アーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応にはこう説明されています。

おもしろいことに、フィルターで一番機能する色は、その人にとって一番機能した有色フィルムの色とは異なるのです。

…フィルターにフィルムの色と同じ色をつけることが支援になることはなく、たとえ同じ色を使用しても、おそらく見え方のゆがみは持続し、さらに悪くなっていくこともあるかもしれません。(p152-153)

その人に適したメガネのレンズの色と、透明フィルムの色とが異なるのはなぜか、という疑問に対する答えははっきりとはわかっていないそうです。

しかし、この本では、メガネは視界の色すべてを補正するのに対し、フィルムは紙面の色しか補正しないことが関係しているのではないかとされています。

わたしたちの脳は不思議なもので、特定のフィルターがかかった視界でも、以下のサイトで説明されているとおり、色彩恒常という現象によって、勝手に色が補正されることがよく知られています。

色の恒常性

 

たとえば、自分のお気に入りのカバンを蛍光灯の下で見るときと、白熱電球の下で見るとき、あるいはトンネルの中のナトリウムランプの下で見るときとでは、全然違う色になっているはずですが、意識しない限り、同じ色にみえるので、違和感を感じません。

視界全体に、特定の色のフィルターがかかるとき、わたしたちの脳は、いつも見えている色と同じであるかのように錯覚させます。

色つきフィルターをつけたメガネで視界を見ると、本当は色が大きく変化しているはずなのに、違和感がすぐになくなります。

一方で、透明のフィルムシートを本の上に載せれば、明らかにそこだけ違った色になります。

こうした違いは、脳の色の認知に決定的な違いを及ぼしますから、レンズとフィルムとでは、たとえ同じ色であっても、見え方が大きく異なるのでしょう。

専門家の助けが必要

このように、「アーレンシンドローム」の治療のために「アーレン法」のレンズを選ぶ際は、ディスレクシアや発達障害の専門家でさえ理解が不十分なことが多く、生半可な知識で色探しをすると失敗する危険がつきまといます。

これらの知識をすべて頭に入れたうえで、自分で適した色をみつけようとしても、単に好きな色や、リラックスできる色を、誤って効果があると思い込んで選んでしまうかもしれません。

また、そもそも本当に「アーレンシンドローム」なのかどうか、という点についても、自己診断は危険であり、自分で素人判断を下すと、別の原因を見逃してしまう可能性もあります。

また、「アーレンシンドローム」の対処法は、色つきレンズだけでなく、蛍光灯を変えたり、パソコンの明るさを調節したり、さまざまな感覚過敏への対策を試みたりと、多岐にわたるものであるということも覚えておく必要があります。

それで、「アーレンシンドローム」の可能性を疑っているとしたら、できるかぎり正式な専門家の支援のもとで、的確な診断をあおぎ、本当にフィットする色探しをすることが勧められています。

現在のところ、日本国内では「アーレンシンドローム」に詳しい専門家は非常に限られていますが、今回紹介したアーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応の訳者である熊谷恵子先生の筑波大学心理・発達相談室では、専門的な相談を受け付けているようです。

熊谷恵子先生は、アーレンセンターでアーレン診断士のスキルを身につけ、日本国内の研究の先駆者として、豊富な経験とスキルを持っておられるようです。

心理・発達教育相談室 « 筑波大学附属学校教育局

 

近年では、本文中でも紹介したとおり、多方面から発達障害者の認知の特殊性に関する研究が進んでいます。

今はまだ専門家も少ない状態ですが、今後、おもに自閉スペクトラム症や発達障害の当事者研究の場を中心に「アーレンシンドローム」の理解が日本でも浸透していくのではないかと思います。

そして偏頭痛の光過敏の研究が示すとおり、その他の病気に伴う感覚過敏症状とのオーバーラップも、今後、研究者によって明らかにされていことでしょう。

今回おもに参考にしたアーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応は、日本国内初の「アーレンシンドローム」の本として、非常に重要な意義を持っています。

まぶしさなどの光過敏に悩んできた人はもちろん、ディスレクシアや学習障害(LD)を抱えて苦労を重ねてきた人やその家族は、ぜひ読んでみる価値のある一冊です。

▼学習障害・ディスレクシアについて
学習障害(LD)やディスレクシアについてはこちらの記事もご覧ください。

LD(学習障害/限局性学習症)とディスレクシアの特徴ー親子でできる10のアドバイス+役立つリンク集 | いつも空が見えるから

 


イマジナリーフレンド(IF)「私の中の他人」をめぐる更なる4つの考察

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たしの中にいる他人。心の中に別の人がいる。存在を感じるだけでなく、完全に第三者的な思考を持っていて、友人のように会話することもできる。

そのような感覚を感じることがありますか?

ある人たちは、そのような話を聞くと、何か病的な印象を受けるかもしれません。おそらく、頭の中に声が聞こえるという統合失調症や、心が多くの別人に分かれる多重人格、すなわち解離性同一性障害(DID)を思い浮かべるのでしょう。

しかし、「豹変する心」の現象学―精神科臨床の現場からという本で、そうした病気を専門とする大饗(おおあえ)広之先生ははっきりと、次のように述べています。

たとえば「頭のなかにもう一人の自分がいる」と訴える人がいても、もはやわれわれは彼をすぐさま病的と決めつけるわけにはいかない。

彼らに統合失調症や多重人格などという診断は当てはまらないし、それどころか、その訴えをすぐに「症状」とみなすことさえできない。

信じられないかもしれないが、そういった軽微な人格の複数化が潜在的にはかなりの勢いで拡がっているのである。(p3)

ここでは、そうした現象は、必ずしも「病的」ではなく統合失調症や多重人格の診断は当てはまらず、むしろ意外なほど多くの人が経験しているかもしれない、と書かれています。

この現象は医学的にはイマジナリーコンパニオン(IC:想像上の仲間)、より日常的にはイマジナリーフレンド(IF:空想の友だち)と呼ばれる現象で、いまだ多くの謎に包まれています。

このブログでは、1年半前に、IFについての詳しい考察を書きました。当時は、わたしの知識の及ぶ範囲としては、書けることはすべて網羅したと考えていました。

しかしそれ以降読んだ多くの本、たとえば先ほど挙げた大饗広之先生の「豹変する心」の現象学―精神科臨床の現場からや、岡野憲一郎先生の解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合、アリソン・ゴプニック先生の哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)などを通して、より理解が深まったので、改めて考察をまとめることにしました。

こうした軽微な人格の多重化の原因は何なのでしょぅか。本当に病的でないとみなしても大丈夫なのでしょうか。解離性障害や発達障害との関わりはあるのでしょうか。4つの観点から考えてみたいと思います。

さまざまな「わたしの中の他人」を結び合わせる

「心の中に別の人間がいる」。

そんなことを言おうものなら、冗談とみなされたり、心の健康を疑われたりするかもしれません。見えない友達がいる、というのは、世の中の大半の人にとって、お世辞にも良い印象を与えるものではありません。

しかし、これまでこのブログで何度も扱ってきたとおり、「心の中に別の人間がいる」というのは、意外にも、さほど珍しい現象ではありません。

たとえば以下のような例を考えてみてください。

■子どもの空想の友だち イマジナリーコンパニオン(IC)
幼い子どもの半数近くが空想の友だち(イマジナリーコンパニオン)を持つことが知られています。子どもの空想の友だちは、健全な成長の過程で、見えない遊び友だちとして一時的に現れ、いつの間にか消えてしまいます。

子どもにしか見えない空想の友達? イマジナリーフレンドの7つの特徴に関する日本の研究 | いつも空が見えるから

 

 ■サードマン現象
特殊な条件下でみられる「サードマン現象」は、雪山などで遭難したとき、そばに「もう一人のだれか」がいる気配を感じ、励ます声を聞きながら、生還した人たちのエピソードによって一躍有名になりました。

サードマン・イマジナリーフレンドが現れる5つの条件―「いつもきみのそばを歩くもう一人がいる」 | いつも空が見えるから

 

 ■解離性同一性障害(DID)
重い病気とみなされている、解離性同一性障害(DID)、いわゆる多重人格もまた、心の中に大勢の他人が現れます。子どもの空想の友だちと違って、人格交代して意識をのっとり、ときに攻撃的だったり、トラウマチックだったりすることが特徴です。

多重人格の原因がよくわかる7つのたとえ話と治療法―解離性同一性障害(DID)とは何か | いつも空が見えるから

 

そのほか、トランス性の憑依現象や、睡眠中に別人のように行動するノンレムパラソムニアなども周辺の現象と思われますが、ここでは複雑になるので割愛します。

これらの現象は、見ての通り、まったくの健康とみなされているものから、病的とされているものまで様々であり、それぞれ別々の分野の専門家によって研究されてきた歴史があります。

子どものICは発達心理学者たちにより、DIDは精神科医たちによって、そして、サードマン現象は、ときに宗教家や神学者たち、そして近年では神経科学者たちによってメカニズムが究明されています。

ところが、不思議なことに、これら複数の「わたしの中の他人」現象につながりがあるのか、ということに関しては、それぞれの専門分野を超える具体的な研究は、ほとんどなされてきませんでした。

青年期のイマジナリーフレンドの不可思議さ

さらに、「わたしの中の他人」には、もう一つ、忘れてはならない、規模の大きな集団があります。

それはすなわち、この記事でおもに扱う、青年期のイマジナリーフレンドのことです。

ファンタジーと現実 (認識と文化)によると、1991年の日本の調査では、約2.8%の人が大学生になってもイマジナリーフレンドを持っていることがわかりました。(p125)

代表的な精神疾患である統合失調症でも、有病率は人口の約1%ほどと言われていますから、その3倍近くを数える青年期のイマジナリーフレンドが、その規模の大きさに反して、いかに見過ごされてきたかがわかります。

「豹変する心」の現象学―精神科臨床の現場からの中で、解離性障害に詳しい精神科医の大饗広之先生は、そのことを率直にこう認めています。

精神科臨床の現場でICが認識されるようになったのは、まだここ最近のことである。

しかし、注意を向ければ向けるほど、こうした現象が青年のあいだに(病的か健全かを問わず)広く蔓延していることに気づかざるを得ない。(p183)

青年期のIC、つまりイマジナリーフレンドは、子どもの空想の友だち研究や、病的なDIDの研究から長く取り残されてきました。

時折、それぞれの分野の専門家が、関連性に言及していますが、その意見はまとまりを欠いているように思えます。たとえば次のような意見が聞かれるかもしれません。

■子どものイマジナリーコンパニオンはまったく健康なもので、解離性障害や発達障害と無関係

■青年期のイマジナリーコンパニオンは解離性障害やアスペルガー症候群との関連が示唆され、病的なものとなる場合もある。

■イマジナリーコンパニオンが記憶の消失を伴わないのに対し、解離性同一性障害(多重人格)の交代人格は、人格同士の間で記憶のやりとりができないので、両者は別物

こうした意見からすると、あたかも、青年期のイマジナリーフレンドは、子どもの健康なイマジナリーフレンドとも、病気としての解離性同一性障害(DID)の交代人格とも性質をたがえる謎めいた現象であるかのように思えます。

これらは互いにつながりのない、別のメカニズムによって生じる、異なる現象なのでしょうか。

青年期のイマジナリーフレンドは、「わたしの中に他人がいる」という明確な共通点があるにもかかわらず、健康な子どもの空想の友だちとも、病的な多重人格とも成り立ちを異にする独特な現象なのでしょうか。

すべては根底でつながっている

わたしは、このブログで、1年半ほど前、イマジナリーフレンドとは何か、という4つの考察をまとめた以下の記事を書きました。

イマジナリーフレンド(IF) 実在する特別な存在をめぐる4つの考察 | いつも空が見えるから

 

そのころ様々な分野に点在する「私の中の他人」の現象すべては、おそらくつながりがあるのだろうとは思っていたものの、うまく関係を整理しきれなかったため、あくまで4つの観点から掘り下げるにとどめました。

しかし、それから1年半が経ち、様々な書籍を読んできた結果、4つの観点から掘り下げた先は、確かに奥の方で一つに つながっていることに気づきました。

それぞれの現象の根底にあるメカニズムは、ちょうど虹色のグラデーションのように連続性を持つものであり、その場その場によって、さまざまな形をとって表に現れているにすぎないのです。

これは、多くの子どもが持つ空想の友だちが、解離性同一性障害につながりかねない病的なものだとか、危険な要素を持っている、という意味ではありません。 おいおい説明しますが、どちらかというとその逆です。

1年半前の考察の4つの観点とは、以下のようなものでした。

1.発達心理学
2.解離
3.愛着理論
4.アスペルガー症候群

これらの方向性は、幸いにもすべて正しかったようです。

それで、今回のさらなる4つの考察では、前回の4つの観点をさらに掘り下げ、根底のところでそれらが一つにつながっていることを説明したいと思います。

この解説は、前回の記事を土台としているので、イマジナリーフレンドについての基本的な説明をお知りになりたい場合は、イマジナリーフレンド(IF) 実在する特別な存在をめぐる4つの考察 も合わせてご覧になるようお勧めします。

このたびも、様々な書籍から引用した長文で、おそらくこれまでのわたしの記事の中で最長なので、気楽に読んでいただくのは難しいと思います。しかし、この分野に関心のある方は、辛抱強く最後までお付き合いいただければ幸いです。

もちろん、前回同様、専門家ではない一個人の考察にすぎないこともお含み置きいただければ嬉しく思います。 

第一章 「心の理論」が生み出すIF

まず、最初のセクションでは、発達心理学の研究に軸足を置きつつ、多くの子どもたちに見られるIFと、青年期のIFとの関連性を考えます。

幼年期の子どもに見られる無邪気なIFと、青年期に見られるIFとの間につながりはあるのでしょうか。 

子どものIFは、各統計で割合に差がありますが、かなりの数の子どもが、2-3歳から7-8歳ごろまでの期間に、想像上友だちを一時的に創りだすと言われています。

たとえば解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)にはこうあります。

一般人の20-30%にみられ、一人っ子か第一子の女性に多いとされる。8-12歳の間にはかなり少なくなってしまう。(p128)

一方で、哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)には、もっと割合の高い統計が紹介されています。

テイラーは、三、四歳児とその親を無作為に選び、空想の友だちについて具体的に質問していきました。

すると、子どもたちの大多数、実に63パーセントもが、生き生きとした、ときに不気味な空想の友だちをもっていることがわかりました。(p74) 

こうした調査からすると、おそらくは半数近い子ども、つまり3人に1人から、2人に1人ほどの割合の人が、子ども時代には空想の友だちとの交流を楽しんでいるのでしょう。

多くの人はそのことを覚えていませんが、統計は、IFが子どもたちの間にごく普通に生じる普遍的な現象であることを物語っています。

当然ながら、それほどありふれた現象が、心の病気と関係しているとは思えません。現に、上記のテイラー博士の別の研究結果について、おさなごころを科学する: 進化する幼児観にはこう書かれています。

この研究領域の第一人者であるテイラー博士の研究からも、児童期における空想の友達の有無は、青年期における精神疾患とは関連がないことが示されています。(p141)

それで、まずはっきりと断言しておきますが、これまで何度も書いてきたとおり、子どものIFは基本的に言って精神疾患との関係は何らありません。

ですから、親は我が子がIFを持っていることに気づいた場合、心配したりするのではなく、むしろ子どもと一緒に空想の世界の冒険を楽しむことができます。

キーワードは「心の理論」

しかし、子どものIFが精神疾患とは関係がないからといって、子どものIFと大人のIF、はたまたDIDとの間にまったくつながりがない、というわけではありません。

わかりやすくするために別の例で考えてみましょう。

たとえば、真面目であることは、それそのものが、将来の病気と関係することはないでしょう。むしろ真面目であることは良い結果をもたらします。

しかしあまりに真面目さの度が過ぎて、完璧主義的になってしまうなら、それは様々なストレスを抱え、心身の病気を呼びこむ可能性をはらんでいるかもしれません。

同様に、IFを持つ子どもは、研究によるとある性格特性を持っていることがわかっています。それそのものは決して悪いものではなく、むしろ優れた能力といえます。

しかし、その性格特性が強すぎる場合、子どもは単にIFを持ちやすいだけでなく、あたかも真面目さが行き過ぎた完璧主義の場合のように、心身に大きなストレスを抱え込むことになってしまいます。

その行き過ぎたある性格特性の結果が、青年期のIFであり、さらにはDIDであると考えられます。

ではその性格特性とはなんでしょうか。おさなごころを科学する: 進化する幼児観には、IFを持つ子どもが次のような特徴を示すと書かれています。

空想の友達を持つ幼児は、他者の視点を考慮する能力に長けていること、より複雑な構造を持った発話ができること、知識状態の理解に優れていること、などが示されています。(p253)

ここでは、IFを持つ子どもは、「他者の視点を考慮する能力」や複雑な会話の能力に秀でていると書かれています。

これを、哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)によると、次のような一つの言葉で言い換えることができます。

空想の友だちのいる子はそうでない子より心の理論が発達している傾向はあります。空想の友だちのいる子はいない子よりも他人の思考、感情、行動の予測が上手です。(p88)

そうです、IFを持つ子どもは、他の子どもよりも、他人の思考や感情、行動を汲み取る力、すなわち「心の理論」が優れているのです。

「いない人」のことまで考える

「心の理論」が優れている、というのは、一見して、とても良いことのように思えます。実際にところ、それはすばらしい才能です。

現代社会では、しばしば、空気の読めない人がKYと揶揄されます。空気を読む力は、有能な社会人になる上で、とても大切だと考えられています。

「心の理論」が優れている人は、他の人の気持ちがよくわかるので、適切なときに空気を読むことができますし、優しい気遣いや気配りが得意です。

他の人の心に深い興味と関心を持っているので、周りの人に深く感情移入することができ、とても温かみのある人に成長することもあります。

それで、哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)には、「心の理論」が優れ、IFを持つ子どもについてこう書かれています。

また、これは通説とあべこべなのですが、人なつっこい子のほうが、内気で孤独な子より空想の友だちをもちやすいそうです。

…空想の友だちのいる子は周囲の人たちのことを人一倍気にするので、「いない人」のことまで考えてしまうのかもしれません。(p88)

内気な子どもではなく、他の人に積極的な関心を向ける気配りのできる子どもだからこそ、「いない人」のことまで考えてしまい、イマジナリーフレンドを創造することができます。

単に他の人に興味があるだけでなく、「心の理論」が優れているため、自分以外の人の気持ちに敏感で、相手の立場に立って、どんな気持ちなのか具体的に想像することができます。

その結果、現実に存在する他人だけでなく、現実に「いない人」の気持ちまで手に取るよう想像できてしまいます。そうして創られるのが、架空の目に見えない友だち、イマジナリーフレンドなのです。

子どものイマジナリーフレンドは、このような社交的で、他の人の気持ちを考える能力の高い子どもが、親が下の子の世話などで忙しくなったりして、寂しく感じたときに創りだすことが多いと言われています。

おさなごころを科学する: 進化する幼児観によると、ほかの研究でも、IFを持つ子どもは、無生物やランダムな図形の動きに生き物らしさを感じることができたり、他の子どものIFにも感情移入できたりすることがわかっています。

いずれの研究結果も、IFを持つ子どもが、まわりの人の気持ちをよく汲み取り、時には物や「いない人」にまで感情移入してしまうことを示しています。

小説家としての才能

このような幼いころの優れた「心の理論」は、何も子どものころだけの才能ではありません。

学生のころも、また大人になってからも、優れた才能として開花する可能性があります。

哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)によると、先ほどのテイラー博士は、IFを持つ子どもたちの中には、後に創造的な才能を開花させる人が含まれている、ということに気づきました。

マージョリー・テイラーは、子どもが空想の人物を生み出す能力と、大人が反事実からできている架空の世界を創作する能力、つまり小説家や劇作家、シナリオライター、役者、映画監督がもつような能力には関連性があることに気づきました。(p92)

テイラーが注目したのは、作家や役者の能力と、子どもの創りだすIFの類似性です。

IFを持つ子どもは、「いない人」の気持ちまで想像してしまいますが、それは小説家や俳優には必須の能力です。

小説家やシナリオライターは、現実には存在しない登場人物の心の動きを理解して、リアルな文章を書かなければなりませんし、俳優は存在しない人物の気持ちを理解して役になりきらなれければなりません。

このような想像力は、普通の人にはなかなか備わっていないものですが、子どものときにIFを創造していた人の場合は、そのときの能力が、そのまま活かされる場合があります。

続く部分では、テイラー博士の具体的な調査が紹介されています。

テイラーは文学賞を受けた作家から熱心なアマチュアまで、小説家を自認する50人について調査を行いました。するとほぼ全員が、作品の登場人物の自律性を認めていました。

…興味深いのは、約半数は幼児期の空想の友だちを覚えていて、その特徴もいくらか答えられたことです。

対照的なのは一般の高校生で、幼い頃は多くが空想の友だちをもっていたのでしょうが、今もそれを覚えていると答えた生徒はわずかでした。(p93) 

テイラー博士は、小説家たちを集めて、空想の友だちと、小説のキャラクターについて、アンケートをとりました。

すると、IFと小説のキャラクターには、どちらも自分の意志をもって動くという類似点があり、しかも小説家の半数が子どものころのIFを覚えていたのです。

これは、子ども時代のIFと、小説の創作の両方に、「いない人」の気持ちまでありありと想像する類まれな「心の理論」が関わっていることを示しています。

もちろん、IFを持つ子どもが人口の1/3から1/2ほどいるとはいえ、そのすべてが後に作家や俳優になるわけではありません。

IFを持つ子どもたちは、全体として平均すれば、IFを持たない子どもたちより「心の理論」が優れているのは確かです。

しかしIFを持つ子どもたちの中だけを比べてみると、ほんの少し「心の理論」が優れているだけの子どももいれば、「心の理論」が飛び抜けて優れている子どもも、わずかながらいることでしょう。

そうした飛び抜けて優れた「心の理論」と、そのほかの様々な環境要素や才能とが運良くマッチした場合に、将来、小説家や俳優になる子どもが現れるかもしれません。

このように書くと、「心の理論」は優れていれば優れているほど良いかのように思えます。しかし、必ずしもそうではありません。

行き過ぎた真面目さが身を蝕むように、行き過ぎた「心の理論」もまた、両刃の剣となりかねません

小説家や詩人はなぜ気分障害を抱えやすいのか

天才の脳科学―創造性はいかに創られるかという本では、優れた芸術的才能を持つ作家たちについて、統計的な調査が行われています。

すると、彼らは優れた才能だけでなく、精神的な脆弱性も持ち合わせていることが明らかになりました。

これらの英国の優れた文系の人々は、非常に高い頻度で気分障害に陥っている。

全例の38パーセント以上が感情障害で治療を受けたことがあり、なかでも劇作家がもっとも頻度が高く、その次が詩人だった。(p143)

この研究では、英国の優れた詩人、劇作家、小説家などが調査されましたが、彼らはかなりの割合で気分障害を抱えていました。

有名なところでは、ハリー・ポッターの作家J・K・ローリングが、有名になる前、うつ病で生活保護を受けながら小説を書いていたエピソードが知られています。

興味深いことに、これら小説家や詩人に多かった病気は、一般に天才的な才能との関係が取り沙汰される統合失調症ではありませんでした

作家の面接を始めて一連の精神測定検査を行っていくと、私の仮説の誤りがすぐに明らかになってきた。

意外なことに作家の多くが、双極性障害か単極性鬱病に合った気分障害の個人歴があり、治療を受けたことがあった。(p139)

これに対し、芸術的な分野ではなく、科学的な分野の天才たちに目を向けると、統合失調症の不全型や、家族に統合失調症の患者がいる例がしばしば見られるそうです。(p144)

ではなぜ、科学の分野には統合失調症の天才が多い一方で、芸術の分野には気分障害の天才が多いのでしょうか。

日本の有名作家を見ても、夏目漱石、太宰治、三島由紀夫、川端康成など、気分障害に悩まされた有名作家には事欠きませんが、そこには何が関係しているのでしょうか。

端的に言えば、科学の分野で成功するのと、芸術の分野で成功するのとでは、求められる能力が異なっているのです。

科学の分野では、鋭いひらめきと洞察、論理的で精密な思考が求められます。

これはアスペルガー症候群の人などが得意とする分野であり、近年の研究によると、アスペルガー症候群と統合失調症の脳の活動は類似していて、何らかの共通要因があるとみなされています。

脳MRI画像で自閉スペクトラム症を85%判別―ADHDやうつ病ではなく統合失調症と脳活動が類似 | いつも空が見えるから

 

それに対して、小説家や詩人に必要なのは、データを読み取るロジカルな思考でも、統合失調症の妄想じみた独創的なひらめきでもありません。

芸術に必要なのは感性、特に人の心を読み解く力「心の理論」なのです。

先ほど、行き過ぎた「心の理論」は両刃の剣になると書きました。容易に想像がつくことですが、他の人の気持ちがわかるだけでなく、わかりすぎてしまうことは、大きなストレスになるでしょう。

優れた「心の理論」はこまやかな作品を生み出しますが、同時に人の表情の裏にある感情が読みすぎてしまったり、周囲の人たちの評価に敏感になりすぎてしまったりして、疲れてしまう原因にもなるでしょう。

しかしながら、根底にある問題は、そう単純ではありません。「心の理論」が優れているから、気分障害になりやすい、というのは、問題の本質を見落としている因果関係の錯誤です。

「心の理論」が優れていること自体は何も問題はないのです。「心の理論」が優れ、IFを生み出した子どもたちの多くが心の問題を抱えなかったことがそれを示しています。

要点はここです。 

もし、その優れた「心の理論」が、人への純粋な興味から育まれたものなのであれば、そこには何の問題もありません。

しかしもし、その優れた「心の理論」が、生きるために強いられて発達させた適応だとしたら?

セクション2では、いよいよ発達心理学が描き出す子どものイマジナリーフレンドと、青年期のイマジナリーフレンドとがリンクすることになります。

第二章 「愛着トラウマ」を癒やすIF

セクション1で考えたのは、子どものイマジナリーフレンドを生み出す要因の一つが、優れた「心の理論」、つまり他の人の気持ちを汲み取る能力である、ということでした。

そして、そのような優れた「心の理論」は、小説家や詩人などの芸術的才能とも関係していますが、不穏なことに彼らは気分障害を高い確率でもちあわせている、ということを考えました。

しかしながら、それら小説家や詩人が持つ気分障害を、うつ病や双極性障害などと結びつけるのは、いささか的外れかもしれません。

なぜなら、それらの芸術的な作家たちが持つ気分障害の原因は、一般的な意味でのうつ病や双極性障害ではなかったと考えられるからです。

彼らが優れた「心の理論」を育て、芸術的才能に秀で、しかも気分障害を抱えていた。そのすべてを説明できるのは、うつ病でも双極性障害でもなく、「愛着トラウマ」です。

「愛着トラウマ」とは何か

「愛着トラウマ」とは何でしょうか。

ここは誤解を招きやすい点なので、しっかりと理解していただきたい部分ですが、「愛着トラウマ」は、その語感から連想されるような、激しい児童虐待ではありません

ややこしく感じるかもしれませんが、「愛着トラウマ」とは、「トラウマ」という名前がついていながら、衝撃的な体験どころか、本人も家族もまったく気づいていないような経験を指しています。

以前の記事で説明したとおり、ここでいう「愛着」とは、英国の精神科医、ジョン・ボウルビィが提唱した愛着理論に関するものです。

長引く病気の陰にある「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」 | いつも空が見えるから

 

愛着理論は、ごく幼いころ、生後半年から1歳半くらいまでの養育者の関わり方が、その後の人生における対人関係や思考パターンの型となる、という考え方です。

後ほど説明しますが、現在では、これは単なる理論ではなく、生物学的な現象であることが、脳科学の研究などで裏づけられています。

「愛着トラウマ」というと、さぞかしひどい親のもとで悲惨な育てられ方をした子どもに当てはまるのだろうと思いがちですが、それは全くの誤解です。

むしろ非常に優しい親の元で育ったとしても「愛着トラウマ」を抱える場合があります。

そのことをわかりやすく説明している、母という病 (ポプラ新書)の説明を見てみましょう。

基本的安心感は、ゼロ歳から、1,2歳までの間の、まったく記憶にも残らない体験によって形づくられる。

…この時期に、母親からの全面的な関心と愛情を受けて育った人は幸運だと言える。

しかし、不幸にもそうでなかった場合、子どもは、基本的安心感を育むことができず、いつも居心地の悪さを感じ、自分に対しても違和感を覚えることになる。

自分が自分であって自分でないような不全感をもって育つことになりやすい。(p74-75)

ここにある「基本的安心感」とは、自分以外の他人は、基本的にいって信頼に価するものなのだ、という無意識の感覚のことです。「基本的信頼感」が、つまり「愛着」というものの一面なのだ、と言い換えることができます。

「基本的信頼感」がちゃんと備わっている人は、他の人を道理にかなった仕方で信頼することができますが、もしこれが欠けていたら、その後の人生で、心の底から他人を信頼して自分を委ねることを、たとえ頭では安全だとわかっている相手に対してでさえ難しく感じます。

さらにいえば、人を信じるというのがどういうことなのか、本当の意味で理解することができません。

これはちょうど、子どものときに言語を学ぶかどうか、というシチュエーションに置き換えてみればわかりやすいでしょう。

言語も愛着も学習の臨界期、また感受性と呼ばれる期間があります。子どものときに慣れ親しんでいれば、ネイテイブとして自由に言語を操れますが、その時期を逃すと、後から学んでも、本当の意味で母語のように自由に扱うことはできないのです。

「基本的信頼感」つまり、愛着もそれと同じです。

母親との絆は、いつでも育まれるわけではない。生まれてから一歳半までの限られた時間しか、安定した絆は形成されないのだ。それは、子どもの脳でオキシトシンなどの受容体が、もっとも増える時期でもある。

その限られた時間は、母子双方にとって、かけがえのない特別な時間だ。そのときを過ぎてしまってから、いくら可愛がったところで、もう間に合わない。不可能ではないが、その時間を取り戻すことは容易ではない。(p76)

ここに書かれている、母親との絆を限られた期間に育めなかった状態、それこそが「基本的信頼感」の欠如であり、「愛着トラウマ」です。

「愛着トラウマ」を抱える子どもの中には、虐待やネグレクトに遭った子どもも当然含まれますが、それ以外にも、やむを得ない事情で、この時期の絆の形成に失敗してしまうケースはいくらでも考えられます。

たとえば、親との死別、たまたま親が産後うつなどで子どもをじっくり育てられなかった、仕事が忙しくて母親以外が交代で面倒を見ていたなど、親が悪いとは到底言えないケースも多々あるでしょう。

しかし先ほど書かれていたとおり、いかなる事情があるとしても、その時期を逃せば、後でいくら愛情を注いでも手遅れで、子どもは「愛着トラウマ」を抱えたまま成長することになります。

誰も信じられない、安心できる居場所がない「基本的信頼感」を得られなかった人たち | いつも空が見えるから

 

幼いころに学ぶ感情のパターン

それにしても、「愛着トラウマ」を抱えると、いったい子どもの身に何が生じるのでしょうか。

少し難しいですが、その時期に、幼い赤ちゃんの頭のなかで、何が起こっているのかをかいま見ることにしましょう。

解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合には、「愛着トラウマ」の形成がどのように起こるのかが、次のように書かれています。

幼児は幼いころに母親を通して、その情緒反応を自分の中に取り込んでいく。

それはより具体的には、母親の特に右脳の皮質辺縁系のニューロンの発火パターンが取り入れられる、ということである。

…そしてこれは、ストレスへの反応が世代間伝達を受けるということなのだ。そこに解離様の反応の世代間伝達も含まれる、(p17-18)

少しわかりにくいかもしれませんが、簡単に言えば、生後まもないその時期に、赤ちゃんは養育者の情緒反応のパターンを、自分の脳に取り込む、ということです。

もっとわかりやすくいうと、感情のパターンが親に似る、と言い換えることができるでしょう。

赤ちゃんは、生後半年から1年半ほどのその時期に、生涯にわたる、感情反応の土台となるパターンを、親から読みとることで脳に刻み込みます。以降の人生の感情や思考は、そのパターンに基づいて積み上げていくことになります。

では、たまたまその時期、母親が精神的に不安定で混乱していたならどうなるでしょうか? 母親にとってはその混乱は一時的なものかもしれませんが、子どもはその混乱を土台として取り込んで脳を成長させていきます。

もし虐待されたり、養育者がコロコロ変わったりすればどうでしょうか。やはり普通とは違った異常なパターンが組み込まれることでしょう。

もちろん、ちょっとした育て方のミスが命取りになるというほど、赤ちゃんの脳は柔軟性に欠けるわけではありません。幼いころに言語を学習する機会を逃しても、まだ10代のころまでに学習し始めるなら、ある程度は取り戻せるかもしれません。愛着も、ある程度はフォローアップできます。

しかしそれでも、幼いころに混乱した養育環境にさらされると、その影響は、脳の発火パターンとして、その後の人生に根深い影響を与えます。

空気を読み過ぎる「過剰同調性」

そのような幼いころに学んだ混乱した感情のパターンが現れる結果の一つが、「過剰同調性」と知られている性格特性です。

ようやくここで、1つ目のセクションで考えた話と結びつきます。

「過剰同調性」とは、言い換えると、空気を読みすぎ、相手に合わせすぎる傾向、すなわち、異常発達した「心の理論」なのです。

「過剰同調性」は以前の記事で取り上げたとおり、解離性障害の患者の素因として知られています。

空気を読みすぎて疲れ果てる人たち「過剰同調性」とは何か | いつも空が見えるから

 

解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論で解離性障害の専門家の柴山雅俊先生は、「過剰同調性」についてこう述べていました。

嫌われないように相手に合わせる。相手が喋っている内容から、その人の考え方を読み取って、それをもとにしてその人が好むようなことをいう。嫌われるのも、怒らせるのも、議論になるのも怖い。(p139)

つまり家族の雰囲気や学校という場での緊張感、雰囲気、空気などを読んで、トラブルにならないように自己犠牲的に周囲に合わせようとする。

以上のような特徴を「過剰同調性」と名づける。(p83)

相手の考え方を過剰に読み取って、それに合わせていく、空気が読めないKYとはまさに対極にある特性であることがわかります。

しかしながら、どうして「愛着トラウマ」は「過剰同調性」につながるのでしょうか。

先ほど、行き過ぎた「心の理論」の危険性をめぐる要点として、その「心の理論」が、純粋な他人への興味から育まれたのか、それとも強いられて発達させざるを得なかったのかが問題だ、と書きました。

「愛着トラウマ」の結果、異常発達する「心の理論」は、まさしく後者の強いられて発達させざるを得なかったものです。

「愛着トラウマ」の原因は何だったか、思い出してみてください。幼いころに、養育環境が混乱していて、他の人を信頼することを学べなかったことが、事の発端でした。

だれも心から信頼できず、養育者にさえ警戒してしまうとき、子どもはどんな戦略をとるでしょうか。敵か味方かもわからない見知らぬ人たちに囲まれているとき、あなたはどうやって生き延びますか。

きっと、顔色をうかがい、はたして相手が敵か味方かを知るために、過剰に空気を読んで先を予測しようとするでしょう。

「愛着トラウマ」を抱え持つ人は、本人は自分では気づいていないかもしれませんが、無意識のうちにそのような生き方をするようになります。

基本的信頼感が欠如しているために、常に周りの顔色や感情の変化にアンテナを張り巡らす生き方を、幼児のころからずっと続けてきたので、それが当たり前だと思っているのです。

「豹変する心」の現象学―精神科臨床の現場からの中でも、大饗広之先生が、そのような強いられた空気を読みすぎる生き方について説明しています。

「小さな集団」にはそれぞれ、それなりの準拠枠というのがあって、いつも彼らはアンテナを立てて空気を読んでいなければならない。

みせかけの優しさを維持するにも緊張を緩めることができない。(p159)

常に相手の顔色をうかがっていて、その場その場で最善の身の処し方を無意識のうちに決定します。

そのため、普通の人以上に、場面ごとに空気を読んで別の自分を演じることが多くなります。

さきほど、心の理論の優れた人たちが活躍する職業の中に、小説家やシナリオライターのほかに、俳優が含まれていたのを覚えているでしょうか。

そのことが書かれていた哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)の文脈には、次のような記述がありました。

キラキラのマントを羽織り、髪を振り乱した妖精の正体は、空想の世界に浸っている三歳の女の子であってもいいし、『真夏の夜の夢』のタイターニアを演じる俳優であってもいいわけです。(p92)

「心の理論」の優れた、空想の友だちを持つ子どもが、IFの妖精になりきるように、「心の理論」の優れた俳優は、タイターニアになりきります。

そして、生存戦略として「心の理論」を異常発達させてきた愛着トラウマを抱える人たちは、ファンタジーの中でも、劇場の舞台の上でもなく、この日常世界のただなかで、空気を読んで、様々な自分を演じ分けることで、身を守るようになるのです。

それはまた、解離性障害の患者の特徴でもあります。

解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論にはこう書かれています。

彼らはこのようなありありとした表象の中へと容易に没入する傾向がある。

読書でも映画でもテレビでも、その物語の中へ容易に入り込んで、その中の自分に成りきってしまう。(p203)

以前の記事で取り上げたとおり、解離性障害の人が、小説や詩、絵画、そして演劇などの芸術的な才能に秀でていることはよく知られています。それらは人並み優れた「心の理論」と感受性によって成り立っています。

解離性障害と芸術的創造性ー空想世界の絵・幻想的な詩・感性豊かな小説を生み出すもの | いつも空が見えるから

 

さらに、この「心の理論」、つまり空気を読む、という能力は、あたかも鎖輪のようにして、子どものイマジナリーフレンドと、青年期のイマジナリーフレンド、そしてさらには解離性同一性障害(DID)を結び合わせています。

イマジナリーフレンドを持つ子どもは、空気を読む感受性が強いので、「いない人」のことまで考えてしまいます。

「心の理論」がもっと強くなると、それは過剰同調性へと発展します。その人たちは、空気を読み過ぎるあまり、場面ごとに違う自分、学校や家庭、友だちの前など、それぞれの場に最適な自分を無意識のうちに演じ分けるようになります。それこそが記憶はつながっていても、性格は異なるイマジナリーフレンドの源です。

さらに過剰同調性が強くなると、場面ごとに出ていた自分が独立し、自律性を持つ他人として分裂します。その場その場で最適な交代人格が日常をこなすようになり、記憶のつながりが失われます。

解離性同一性障害の人格交代とは、すなわち、究極の空気を読み過ぎる傾向なのです。

その証拠に、解離性同一性障害の専門家たちは、DIDの交代人格が無秩序に現れるのではなく、空気を読んで現れることを述べています。

たとえば続解離性障害の中で岡野憲一郎先生はこう述べています。

私がかつて担当したある患者は、診察室を一歩出た際に、それまでの幼児人格から主人格に戻ったことがあった。

…一般に解離性障害の患者は、自分の障害を理解して受容してもらえる人にはさまざまな人格を見せる一方で、それ以外の場面では瞬時にそれらの人格を消してしまうという様子はしばしば観察され、それが上記のような誤解を生むものと考えられる。(p151)

これはもちろん、DIDの人が演技をしているというわけではありません。むしろその逆で、無意識のうちに場の空気を読む傾向があまりに強くなってしまったために、自分で自分をコントロールできなくなってしまっているのです。

健康な人が、意識的に空気を読んで場に自分をあわせるよう苦労するのに対し、青年期のイマジナリーフレンドを持つ人は、過剰同調性のせいで無意識のうちに空気を読んで態度が変わってしまいます。それでもギリギリコントロールは保ってはいますが、もし、そのコントロールが失われたなら、そのときにはDIDに発展すると考えられます。

このように、愛着トラウマによって生じる過剰同調性は、イマジナリーフレンドと解離性同一性障害をつなぐミッシングリンク的な役割を果たしているので、岡野憲一郎先生が解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合の中で、解離性障害の人の診察で次のような点を重視していると述べているのも不思議ではありません。

成育歴の聴取の際には、その他のトラウマやストレスに関係した事柄、たとえば家庭内の葛藤や別離、厳しいしつけ、転居、学校でのいじめ、疾病や外傷の体験等も重要となる。

またその当時からICが存在した可能性についても聞いておきたい。また患者が幼少時より他人の感情を読み取り、ないしは顔色をうかがう傾向が強かったか、柴山(2010)の言う「過剰同調性」の有無がなかったかには注意を払う。(p100)

記憶にあるかどうかにかかわらず、幼いころのストレスフルな経験によって、「愛着トラウマ」を抱え持っているかどうか、そして、イマジナリーフレンドや、顔色を読み取る過剰同調性があったかどうかが、解離性障害の可能性を疑うリスク因子となる、ということなのです。

普通のIFと愛着障害のIFの違い

こうして、子どものイマジナリーフレンドと、青年期のイマジナリーフレンド、そして解離性同一性障害との関連性が見えてきたところで、それぞれの性質の違いがなぜ生じるか、という点をもう少し考えてみましょう。

まず、おさなごころを科学する: 進化する幼児観によると、健康な子どものイマジナリーフレンドと、解離性障害の子どものイマジナリーフレンドを比較したテイラー博士の研究では、次のようなことがわかったといいます。

空想の友達を持つことはこれらの精神疾患と関係しているのでしょうか。この点については、答えは否と言えそうです。

定型発達の子どもと解離性障害を持った子どもの空想の友達を比較した研究によると、前者は、空想の友達が実在しているとは思っていないのに対し、後者は空想の友達が実在していると信じているということです。(p241)

この場合、健康な子どもも、解離性障害の子どもも、イマジナリーフレンドを持っていましたが、その性質が少し異なっていました。

健康な子どもはイマジナリーフレンドが実在しないことを知っていたのに対し、解離性障害の子どもは実在を信じていたといいます。

これは、解離性障害の子どもが、現実と空想を混同してしまうことを示しているのでしょうか。

そうではないと思います。

基本的に解離性障害の人は統合失調症と違って、現実と空想の区別はついています

空想の友だちが実在していると信じていた、というのは、統合失調症のように、妄想的な意味で信じている、という意味ではない可能性があります。

それを示唆しているのが、解離性障害の子どもが持つイマジナリーフレンドについて書かれた別の文献、こころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害の子ども虐待の研究者、白川美也子先生の説明です。

想像上の友人現象(imaginary companionship)は、正常児の20%から60%にみられるが、解離性障害の子どもには42-84%と多い。

正常児のもつ想像上の友人は、2歳から4歳までに現れ、通常8歳くらいまでに消失する。

養護施設の子どもたちの想像上の友人は(1)支援者、(2)パワフルな保護者、(3)家族成因などの役割をもっていることがあり、さらに被虐待の子どものそれは、「神」、「悪魔」などの名前をもっていることがある。(p97) 

ここでは、まずイマジナリーフレンドは、健康な子どもよりも解離性障害の子どものほうに頻繁に見られることがわかります。やはり、「心の理論」が強まるにつれて、IFの頻度も上がるのでしょう。

そして、重要な点として、施設の子ども、つまり、強い愛着トラウマを抱えているような子どもたちのIFは、健康な子どものIFとは異なる特徴を持っているということがわかります。

健康な子どものIFは、「想像上の遊び友達」の名のとおり、気軽な遊び相手にすぎませんが、施設の子どものIFは、支援者、保護者、家族などの役割をもっていて、さらにトラウマが強いと、神や悪魔という名前さえ持っていると言われています。

イマジナリーフレンドの役割が異なると、当然、子どもにとっての重要性も変わるでしょう。単なる遊び相手であれば空想の産物で構いませんが、保護者や家族、神にまでなると、強い心の拠り所となっているはずです。

実のところ、健康な人でさえ、信仰心のある人は、神や仏の実在を信じているのではないでしょうか。しかしだからといってその人が妄想的なわけではありません。

つまり、解離性障害の子どもたちが、イマジナリーフレンドの実在性を信じていたという研究結果は、その子たちにとって、IFが、保護者や家族のような大切な存在だった、という意味ではないでしょうか。

なぜ「安全基地」としてのIFが必要なのか

このような、単なる遊び相手の域を越えた、保護者や家族のような役割を持つイマジナリーフレンドについては、前回の4つの考察の際にも詳しく扱ったのを覚えておられる方もいるかもしれません。

そこでは、愛着障害と関わる青年期のイマジナリーフレンドは、助け手や伴侶、さらには友人や恋人のような存在になる場合があることを説明しました。

そして、それら特別なIFは、愛着理論における、「安全基地」という役割を果たしているのではないか、という考察を含めました。

「安全基地」は、本来ならば母親などの養育者がその役割を果たします。「安全基地」という名のとおり、いつも無条件の愛で包み込んでくれる温かな存在がいるおかげで、さまざまな困難に立ち向かう勇気を持つことができ、疲れたときには帰ってきて身を休めることもできるのです。

しかし、さきほど取り上げた「基本的信頼感」が育っていない場合、すなわち「愛着トラウマ」を抱えてしまっている場合は、養育者は安全基地になりそこねてしまったので、だれかがその役割を肩代わりする必要があります。

「基本的信頼感」がないため、現実の人間にその役割を託すことができない場合、イマジナリーフレンドが保護者や、家族、神としてその役目を果たすのでしょう。

しかし、IFが安全基地としての役割を果たさなければならないのは、単に心理的な問題ではなく、実はもっと生物学的な意味があると思われます。

そのことを知るために、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合から、愛着が果たす、生物学的な役割について調べてみましょう。

この愛着トラウマは、具体的な生理学的機序を有している。

母親に感情の調節をしてもらえないことで交感神経系が興奮した状態が引き起こされる。

…しかしそれに対する二次的な反応として、今度は副交感神経の興奮が起きる。(p16)

まずここでは、愛着トラウマは、母親による感情の調節や、交感神経・副交感神経の働きと関係する、とされています。

そもそも愛着とは、生物学的に言えば、安心できる居場所を見分けるためのシステムです。

赤ちゃんは無力で無防備ですから、何よりもまず、どこにいれば、安心して眠っても構わないのか、ということを、 生まれてすぐに学習する必要があります。

生後半年から1年半ごろの早い期間に、自分のために特別な配慮を払ってくれた人、多くの場合、それは母親ですが、その母親の腕の中であれば、交感神経の警戒を解いて、副交感神経を働かせ、安心して眠ってよいのだ、ということを学びます。

そのように、交感神経を働かせ目覚めているべき場所と、副交感神経を働かせ、眠っても構わない安全な場所を見分けるシステムが、愛着と呼ばれる絆の正体なのです。

しかし、その絆が育まれず、愛着トラウマが生じると、何が起こるのでしょうか。

まず安心できる居場所がないため、警戒反応が強くなり、交感神経が過剰に興奮します。そして助けを求めて泣き叫ぶこともあります。

それでも保護が得られないと、何とか体を休めるために、母親に抱かれているわけでもないのに、副交感神経も強く働き始めます。

すると、本来はっきりとメリハリがついて、活動時と休息時に別々に働くはずの交感神経と副交感神経が、同時に興奮するという奇妙な状態になります。続く説明を見ると、その状態の異常さがわかります。

ちょうど「アクセルとブレーキを両方踏んでいるような状態」と考えると分かりやすいかもしれない。

そしてそれは、エネルギーを消費する交感神経系と、それを節約しようとする副交感神経系の両方がパラドキシカルに賦活されている状態であるとする。これが解離状態であるというのだ。(p17)

それは、「アクセルとブレーキを両方踏んでいるような状態」なのです。

この異常な状態は、混乱した無秩序な愛着パターン、通称「D型アタッチメント」と呼ばれて、以前の記事で詳しく取り上げました。

人への恐怖と過敏な気遣い,ありとあらゆる不定愁訴に呪われた「無秩序型愛着」を抱えた人たち | いつも空が見えるから

 

基本的信頼感が育まれていないため、親や他の人と接する際、頼って心を休めたいと感じる反応と、傷つけられることを警戒して身構える反応とが同時に起こります。

もう少し成長すると、それは、他の人に一見親しげに振るまって接近しつつも、同時に警戒を緩めることができないという苦痛に満ちた人間関係に発展しがちです。

それこそが、かの「過剰同調性」です。他の人の顔色を読む強い「心の理論」を発達させ、優しく気配りしますが、心の底では、相手を信頼することができず、常に緊張しています。

本来なら同居するはずのない、人に対して親しげに振る舞う自分と、人に対して警戒する自分が同時に現れることが日常的に続くなら、行き着く先は一つ、自分が分裂した状態、すなわち「解離」なのです。

もちろん、解離の程度は人それぞれですが、解離は愛着トラウマによる「アクセルとブレーキを両方踏んでいるような状態」の結果と解釈すると、さらにわかることがあります。

たとえば、愛着トラウマを抱える人や、解離性障害の人は、感情の不安定さを抱えることが多いと言われています。

子を愛せない母 母を拒否する子によると、子どもの愛着障害は、ADHDや双極性障害とよく似ていて、区別するのが難しいようです。子どもの愛着障害は、一般的に午前中うつっぽく、夜にハイテンションになりやすいそうです。

愛着障害に詳しい杉山登志郎先生は、子どものPTSD 診断と治療の中でこう書いています。

この親の側に認められる気分障害を診断カテゴリーに当てはめれば、双極II型がほとんどである。

ところが、うつ状態と診断され、抗うつ薬のみが処方されていて逆に悪化したという例が多い。(p200)

その背後には愛着形成の障害があり、それゆえに情緒調整の障害が生じるのである。

…愛着障害を基盤にした気分調整不全が、成人に至ったときに双極II型類似の気分変動を生じるのである。(p201)

ここでは、子どものころに愛着トラウマを抱えた成人(親)は、双極性障害II型に似た気分変動を示しやすく、うつ病と誤診されていることも多いと言われています。

ここから思い出されるのは、先ほど引用した天才の脳科学―創造性はいかに創られるかの、作家たちの健康状態について調査したデータです。作家たちが抱えていた病の多くは、うつ病または双極性障害でした。

優れた「心の理論」の感受性を活かして、小説家として活躍する人たちと、愛着トラウマのために気分変動を生じた人たちが、同じ症状を示すのは決して偶然ではありません。

以下の記事で取り上げたとおり、愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)という本によると、小説家として成功する人の中には、愛着トラウマを基盤とした空気を読み過ぎる能力を、創作という形で昇華している人が多いのです。

文学や芸術を創造する「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」 | いつも空が見えるから

 

解離性障害の専門家の柴山雅俊先生も、解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)の中で、解離性障害はうつ状態や強い疲労感を伴い、双極性障害II型によく似ていると述べています。(p147)

さらに、もう少し掘り下げてみると、先ほどの杉山登志郎先生は愛着トラウマが気分障害を生じさせる理由を次のように説明しています。

愛着行動とは幼児が不安に駆られたときに養育者の存在によってその不安をなだめる行動である。

やかて養育者の存在は幼児の中に内在化され、養育者が目の前にいなくとも、不安をなだめることが可能になる。

これこそが愛着形成の過程であり、その未形成とは、自ら不安をなだめることを不可能にする。(p201)

愛着トラウマとはすなわち、心の中に存在するはずの安全で包み込んでくれる親のイメージが存在していない状態、言い換えると、正常な安全基地の不在です。

安全基地が心の中に存在しなければ、不安が生じたとき、それを抑えこむことが難しいので、慢性的なうつ状態になりやすくなり、感情のコントロールも難しくなります。

そうした状況に置かれたとき、一部の子どもたちは、だれに頼るでもなく、自分自身でその問題を解決する適応反応を見せます。

自分の気分を調節してくれる養育者を現実に見いだせなかったのであれば、どうやって感情を調節すればよいのか。

答えは簡単です。現実にいないのであれば、自分で創り出せばよいのです。

それこそが、解離性障害の子どもや、施設で過ごす愛着障害の子どもに高率に認められる、保護者、家族などの役割を持ったイマジナリーフレンドの正体なのです。

IFはトラウマ記憶を再固定化する

こうして、自分で自分を守るための適応反応として生み出された「安全基地」としてのイマジナリーフレンドは、愛着トラウマを癒やす働きさえ持っています。

そもそも、トラウマが癒されるというのはどういうことなのでしょうか。

近年では、トラウマが癒される過程は「記憶の再固定化」、専門的には、治療的再固定化のプロセス(TRP)と呼ばれています。

TRPとは、簡単に言えば、エラーを起こしているファイルを開いて、中身を書き換えて、再保存するようなものです。

苦しいトラウマ記憶を思い出し、その記憶に別の解釈が加えることで、トラウマ記憶の修正を図ります。多くのトラウマ治療法は、たいていこのプロセスを含んでいます。

しかし、記憶の再固定化は、医師やカウンセラーでないとできない特殊なものではなく、日常的に生じています。

岡野憲一郎先生は、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合の中でこう説明しています。

まず記憶の再固定化ということについて強調しておきたいことがある。それは記憶が改編されるプロセスは、前章で紹介したTRPのようなある特殊な治療状況以外でも、常に起きている可能性があるということだ。

記憶の改編自体は日常生活でも起きていて、私たちはその原理を知らないうちに応用しながら、辛い体験を乗り切っている可能性があるのである。(p50)

記憶の再固定化によるトラウマ治療は、わたしたちの日常生活の中でも常に起きているとされています。たとえばどんな場合でしょうか。

ある苦痛な体験を持った後、私たちの多くはそれを誰かに話したくなるものだ。

胸の内を誰かに聞いてもらい、すっきりしたいと思うのは、おそにく過去にも似た体験があり、人に話すことで苦しみがある程度は楽になるということが学習されているからであろう。

もちろんだからといってその体験の後すぐに適切な話し相手が見つかるわけではない。

時にはその話し相手は、唯一の信頼できる友人でなくてはならないであろうし、別の場合には、客観的な立場にあり秘密を守ってくれるようなカウンセラーでなくてはならない。(p50-51)

岡野憲一郎先生が注目したのは、「会話」による記憶の再固定化です。

そもそもカウンセラーとの心理療法自体が会話ですが、ときに家族や親友が、有能なカウンセラー以上に助けになることは、多くの人が身を持って体験しています。

なぜそうした信頼できる人との会話が、記憶の再固定化を促し、トラウマを癒やすのか、ということについては、さらにこう説明されています。

トラウマ的な体験を持った後、私たちはしばしば奇妙な心の状態を体験する。それはそれを恐怖とともに体験した自分の方が異常であり、自分がされたことは必然であったという心境である。

あるいはこれを恐ろしいと感じているのは自分ひとりであり、その意味で自分は孤独である、という心境になることもある。

そんなときに一人で壁に向かってその体験を語ったところで、そこに記憶の改編が起きるはずがない。

ところが目の前に、自分を理解してくれる人が存在し、自分の感情に保証を与えてくれたり、それに共感してくれたりするという体験が生じると、たとえその人が気休めの言葉しかかけてくれないとしても、それもまた記憶の改編を生むのだ。(p52)

トラウマ的な経験をすると、さまざまな困惑や葛藤が沸き起こります。

そんなときに、一人で壁に向かってしゃべるのではなく、信頼できる人が話し相手になってくれるなら、新鮮な体験が生まれます。

自分が思い悩んでいることについて、まったく別の解釈を示してもらってハッとするかもしれません。あるいは、ただ聞いて共感してくれるだけでも、 自分は一人ではなく、ここにいても構わないのだ、という気づきにつながるかもしれません。

そうすると、トラウマ記憶は改編され、徐々にトラウマでない記憶へと修正されていくのです。

そして、もうお気づきと思いますが、このような信頼できる友人との対話は、愛着トラウマを持つ人がイマジナリーフレンドとの対話において経験していることそのものです。

傍から見ると、それは壁に向かってひとりごとを言っているように思えるかもしれません。もしイマジナリーフレンドが自分自身の空想の延長にすぎないとしたら、確かにそのとおりでしょう。

しかしイマジナリーフレンドは、ほとんどの場合、本人とは区別できる別人格として存在していて、会話によって違う観点から意見をやりとりしたり、本物の他人のように気遣いあったりすることができます。

逆説的に言えば、愛着トラウマを抱える人は、自分の空想の中だけで問題を解決することはできないのです。だからこそ、自分の一部を解離させ、自分とは別の人格としてのイマジナリーフレンドを生み出すのです。

前回の4つの考察で取り上げたとおり、 稀で特異な精神症候群ないし状態像の中でこう書かれていたのは、何の不思議もありません。

I.C.はその扱い方によってはこれを治療の協力者となすことも可能だと考えられるのである。(p49)

愛着トラウマにおけるIFは、治療の協力者となすことができるどころか、ある意味で治療者そのもの、専属のカウンセラーなのです。

もちろんそれは、自分自身で意図的に創りだしたものではなく、人の心にはるか昔から組み込まれている無意識の防衛規制という救済システムが、そうさせるのです。

人間にこのような防衛システムが組み込まれていることは、冒頭で触れた別の例「サードマン現象」にも如実に示されています。

以前の記事で取り上げたとおり、イマジナリーフレンドもサードマンも、人が危機に直面したときに、空想の他者を創りだすことで、脳を保護する働きであると考えられています。

脳は絶望的状況で空想の他者を創り出す―サードマン,イマジナリーフレンド,愛する故人との対話 | いつも空が見えるから

 

この点については、日本における子どものイマジナリーフレンドの研究者である森口先生も、おさなごころを科学する: 進化する幼児観の中でこう同意しています。

各発達時期で支配的な行動が見られるものの、空想の友達がたとえば大人でサードマン現象として見られるように、時として他の発達時期で顔を出すことがあるのです。

つまり、加齢によってこれらの行動は消えるわけではなく、出てくる確率が相対的に低減するだけなのです。(p170)

社交的な幼い子どもが孤独を感じたときに子どもを支え守るために現れるのがイマジナリーフレンドであれば、大人が遭難などの極限状況で孤独に押しつぶされそうになったときに現れるのがサードマンです。

そして、青年期に、愛着トラウマによる「基本的信頼感」の欠如によって、この大勢の人がひしめきあう社会で遭難し、だれをも心から信頼できず、だれをも頼ることができないときに現れるのが、「安全基地」としてのイマジナリーフレンドだといえるでしょう。

脳の左半球と右半球の二つの自己のせめぎあい

IFがいかにして、愛着トラウマを抑えこむのか、という点をさらに調べてみると、興味深い事実が浮かび上がります。

解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合によると、愛着トラウマで生じる心身の問題をさらに生物学的に読み解くと、それは右脳の機能不全であると考えられています。

逆に愛着の失敗やトラウマ等で同調不全が生じた場合は、それが解離の病理にもつながっていく。

つまりトラウマや解離反応において生じているのは、一種の右脳の機能不全というわけである。

ショアがこれを強調するのには、それなりの根拠がある。

というのも人間の発達段階において、特に生後の最初の1年でまず機能を発揮し始めるのは右脳だからだ。(p19)

この点は別の記事でも詳しく取り上げましたが、愛着トラウマを抱える人は、左右の脳の連携が弱く、右半球の優位性が見られると言われています。

本来ならば論理的な思考をつかさどる左半球が、感情的な反応をつかさどる右半球を制御するはずですが、連携が弱いため、それがうまくいきません。

左半球によって右半球の感情的な反応が抑え込めないと、感情や記憶が、PTSDのフラッシュバックの形をとって暴走します。

しかし、ある人たちの場合は、左半球と右半球の連携が弱いとしても、別の方法で右半球の興奮を鎮める術を身につけます。

先ほどの説明の続きを見ると、次のような興味深いことが解説されています。

最後にショアが呈示する自己selfの理論が興味深いので、付け加えておきたい。

彼の説は、脳の発達とは自己の発達であり、それはもうひとつの自己(典型的な場合は母親のそれ)との交流により成立する、というものである。

そしてそこでも最初に発達を開始する右脳の機能が大きく関与している。

ショアは、自己の表象は左脳と右脳の両方に別々に存在するという考えが、専門家の間でコンセンサスを得つつあるという。

前者には言語的な自己表象が、後者には情緒的な自己表象が関係しているというわけだ。(p23)

人間の脳の左半球と右半球には、それぞれ別の自己が存在していると言われています。 

これは荒唐無稽な話ではなく、以前の記事で紹介したとおり、てんかんの手術などでやむをえず脳の左右をつなぐ脳梁を切断した、分離脳(両断脳)の患者の研究によって確証されています。

脳の左右のつながりを失った患者は、あたかも二人の別々の自己が存在するかのように、右手と左手が、別々の意志をもって行動しました。

通常は、この二つの自己は統合されていて、多くの人は二人の自分がいるなどと思いません。しかし、愛着トラウマによって、左右の脳の連携が弱く発達してしまった人の場合、それぞれがある程度独立した人格を帯びています。

もちろん、愛着トラウマを抱える人の場合、脳の左右をつなぐ脳梁が切断されたわけではありませんから、完全に二つの自己にわかたれるわけではありません。

しかし脳梁の機能が弱く、普通の人よりも結びつきが弱いので、左半球を中心とした神経ネットワークの理性的な自己と、右半球を中心とした神経ネットワークの感情的な自己とを別々のものと感じやすいのかもしれません。

連携の弱い左半球は、その連携の弱さのために、あたかも別の人格であるかのように振る舞うことができ、「安全基地」としてのIFや内的自己救済者(ISH)として、母親の代わりに支えを与える場合があるのです。 このISHについてはもう少し先で改めて考えます。

内省的で柔軟な思考

おそらく、「安全基地」としてのIFを持つ人は、DIDの人よりも、比較的左右の脳の連携がまだ保たれているのでしょう。

自分とIFを別人格として認識しつつも、同時に両方を認識し、会話などのやりとりをすることができます。

その結果、おそらくは、暴走する右半球の感情を抑えこむために、左半球の理知的な働きがIFによって強化され、普通以上に内省的で柔軟な思考が形成されるのではないかと思います。

私見ではありますが、青年期を過ぎてもIFを持つ人は、実際の年齢以上に思考力が成長していることが多いように思えます。

その点は、「豹変する心」の現象学―精神科臨床の現場からの中で、大饗広之先生も書いていました。

たとえば、社会的に成功していた43歳の男性S氏は、大饗先生に、若いころからイマジナリーフレンドを持っていたことを告白しました。

それは若い頃から少しはあったんですけど、最近になってそれが以前よりはっきりしてきた。「おいおい」と自分に誰かが呼びかけてくる感じです。

…頭の中でものを考えるとき、討論会やっている感じになるんです。それで自分は二重人格じゃないかと疑ったこともあった。

…論理的で慎重なことを言ってくるのは今の私に近い人……そいつはいたって平和主義で少し道を外れそうな自分を抑えてくれる。声も私と同じで「他の人」という感じはしないけど、思考は完全に第三者ですね。(p76)

S氏は、完全に第三者的な思考を持つイマジナリーフレンドと頭の中で会話を交わすことができました。イマジナリーフレンドの中には、論理的で慎重な、いわゆる脳の左半球の機能に特化した人格も含まれていました。

大饗先生は、そのようなS氏や、別のイマジナリーフレンドを持つ他の大人たちについて、こう評しています。

彼は内省力豊かでしかも柔軟な思考の持ち主であり、かなり苦痛と思われる体験も含めて冷静に回想することができた。(p77)

彼らはふつう以上に思考の柔軟性や内省能力を持っている人たちであった。(p86)

青年期以降もIFを持っていた人たちは、内省力豊で、ふつう以上に思考の柔軟性を持っていことが多かったのです。

おそらくは、一種の反転現象が生じているのでしょう。つまり、「愛着トラウマ」のせいで右半球の感情が暴走しやすく、それを抑えこむために左半球による理知的なIFを生み出し、常にせめぎあいを続けてきた結果、普通の人以上に思考力が発達していくのだと思われます。

優れた心の理論によって別人格を創造できるので、自分の気持ちだけでなく人の気持ちもわかるようになり、多角的・多面的な考え方ができるという事情も関係しているのでしょう。

こうした代償的な反転現象は、様々なケースで見られます。たとえば、先日亡くなった横綱千代の富士は、肩に慢性的な脱臼癖を抱えていましたが、それを克服するために人並み外れた筋力トレーニングをするようになり、横綱にまで上り詰めました。

明らかな弱点があると、それを克服するために正反対の域にまで成長していく、ということが、一部の人の場合に生じるようです。

解離性障害の人の場合もある程度同じことが言えそうです。解離性障害の人は、人が怖いという気持ちを抱えながら、繊細で優しい気配りが得意です。内省的で柔軟な思考の持ち主も少なくありません。

このような気配りは、すでに考えた過剰同調性の一面ですが、過剰同調性を示すには並外れた感情のコントロール脳力が必要なのも確かです。人前では、自分の感情や意欲を抑え、相手に合わせることになるからです。

そのようなコントロール能力は、ある程度、慢性的な感情の不安定さを抑えこむために発達したものなのでしょう。

そのようなせめぎあいが、限界を超えると、交代人格の解離にまで至ってしまいますが、ギリギリのところでバランスが取れていれば、IFとして認識されるのではないかと思います。

なんとかバランスがとれていれば、IFは絶望をわかちあう「安全基地」として、あたかも見守る親のように機能します。しかし、耐えられないほどのストレスがかかると、主人格が意識を失い、別人格が身代わりになって表に出てきて、あたかも子どもの代わりにやってあげる親のように、人格交代を伴うDIDに発展してくとみなせるかもしれません。

もちろん、青年期以降もIFを持っている人が、すべて内省力豊かで柔軟な思考を持っているとは限りません。

大饗先生も、反証となる一例を挙げていてイマジナリーフレンドを持ちながら、「内省的とはいえない」K氏の例を紹介しています。(p125)

しかし、K氏は、さきほどのS氏とは異なり、物心ついたときから周囲との疎外感を自覚していて、周囲に過剰に気を使うどころか、友人もおらず、ゲームに没頭して妻のことさえ気にかけない男性だったといいます。

大饗先生は、こうした点から、「彼が自閉的な傾向をもっていたという可能性が排除できない」と述べていて、別の要素の関与を指摘しています。この点については、後ほどセクション4で扱います。

過去の自分がIFになることもある

さて、ここまでのところ、脳の左半球を源として生じると思われる「安全基地」としてのIFについて考えてきました。

しかし、IFを持つ人たちは、右半球と左半球それぞれの1つずつのたった2つの人格しか認識していないとは限りません。DIDにしても、ISHのような理性的自己のほかに、たくさんの人格が出現するのです。

これらの多くの断片的な人格は、いったいどこからやってくるのでしょうか。

大饗先生は、過去の別モードの自分がIFとなるケースがあるという、興味深い説明を展開しています。

ある時期に急激なモード変換(物語の屈曲)が生じると、屈曲前のモードは単に忘却(抑圧)されるのではなく、まったく別の系列(アイデンティティー)として併存することになる。(p104)

人生の屈曲、すなわちクサビが打ち込まれる五歳までの天真爛漫だったナオミの記憶体系は、無意識へ垂直に抑え込まれずに、主体に並列する形で浮かび上がってきたのである。

五歳のときに断裂した部分が、彼女の歴史の全体性を外れて、別の人格体系(アキナ)として蘇ってきたのはなぜだろうか。(p104)

ここでは、IFの別人格アキナを持っていた、主人格のナオミという人について書かれています。

このケースでは5歳ごろに家庭内でショックとなる出来事があり、そのとき以降、周りの空気を読んで、性格や振る舞いを変えて生きていかなければならなくなりました。

すると、5歳まで育ってきた本来の天真爛漫な人格は封印され、5歳以降、必要に迫られて作った人格が、ナオミのアイデンティティになりました。

しかし5歳ごろまでの本来の人格は、消えてなくなったわけではなく、IF的な別人格、アキナとして、心の中に残り続けていたのです。

これは本来の人格がIFとなり、創られた人格が主人格となって生活してきた例といえるでしょう。

このような例は、珍しいものではないようで、大饗先生はこう説明しています。

解離された過去は「私」以外にだれか(多くはイマジナリーコンパニオンの形態をとる)に託されるようになる。「中心」そのものが多重化していくわけである(物語の多重化)。(p209)

IFを生み出すような人たちは、「過剰同調性」によって、その場その場に合わせてモード切り換えを続けながら生きてきているわけですが、過去のモードの名残が消えずに、IFとして独立することがあるのです。

これは、IFというよりは、幼いころにトラウマ経験を持つ解離性同一性障害(DID)の戦略として知られていて、「私」が、私でない人たち―「多重人格」専門医の診察室からの著者ラルフ・アリソンはこうしたタイプをDIDではなく多重人格障害(MPD)として分けて考えています。

MPDの人は、新しい状況に対応するとき、その状況に即した新しい人格を創ることで対処していて、無制限に人格が増殖していきます。このMPDの軽いものが、モード切替ごとに生じて残っていくIFなのかもしれません。

このようにして、幼いころのモード切替の名残としてみられる別人格は、愛着障害とも関係しているのではないか、と岡野憲一郎先生は解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合の中で述べています。

ただし子どもの人格部分には、とても無邪気で創造的な振る舞いを示すものもある。一見明白なトラウマを抱えているわけではなく、ただ遊ぶことを目的に出てくるように見える子どもたちであるが、臨床上はこちらに出会うことのほうがむしろ多い。彼らの目的は何であろうか?

おそらくこちらはトラウマを背負った子どもの人格部分とは、多少なりとも異なる来歴を持つ可能性がある。

どちらかというと愛着障害に由来するのではないか。のびのびと甘え、遊ぶ体験を実際には持てず、ファンタジーの中でのみそれが実現していた場合、それもまた子どもの人格部分として隔離されている可能性があるのだ。

ただし最近用いられる「愛着トラウマ」の表現を用いるならば、こちらもまたある意味でトラウマ由来ということができるかもしれない。(p146)

ここで説明されているケースによると、愛着トラウマを抱える人の場合、ここまで考えてきた「安全基地」のような支え手となる別人格だけでなく、ただ無邪気に遊ぶことを目的とする子ども人格が存在する場合があるようです。

その子ども人格は、幼いころの天真爛漫で無邪気な自分、周りの空気を読んで、欲求や感情を抑制する前の本来の自分が、解離されて残っているものであるようです。

衝撃的なトラウマではなく、愛着トラウマから生じた過剰同調性のために空気を読んで、本来の子どもらしい自分を抑えた結果、そのときの満たされなかった自分が別人格となったりIFとなったりして、存在し続けることがあるのでしょう。

内的自己救済者(ISH)とは何か

このような考え方は、MPDを提唱しているラルフ・アリソンのもう一つの概念である内的自己救済者(ISH)とは何者か、ということに関して、いくらか洞察を与えてくれます。

アリソンは、多重人格の患者に見られる人格のうち、個々の役割に特化した交代人格が多くいる一方で、当人の過去すべてを知り、生まれたときから存在し、冷静で理知的かつ愛に満ち、他の人格を超越した特殊な人格がいることに気づき、内的自己救済者(ISH)と名づけました。

多重人格治療のパイオニア ラルフ・アリソンの素顔―患者のために涙を流した医師 | いつも空が見えるから

 

アリソンは、だれでも理性的自己と感情的自己を持っており、DIDの場合は、理性的自己が独立しているように振る舞いはじめ、ISHとして認識されると述べています。

この理性的自己、またISHの特徴は、脳の左半球の特徴と非常に似通っています。感情的自己は右半球とみなせます。ISHがすべての人に最初から存在しているということからしても、おそらくは、脳の左半球にもともと存在する自己のことを指しているのでしょう。

おそらくは、DIDでは愛着トラウマのせいで脳の左右の結びつきが弱くなるために、左半球の自己が独立してISHとなるのでしょう。

そして、そのほかの多彩な人格は、その後の空気を読みすぎる生き方のモード切替の名残りとして創られていくものだと考えることができます。

アリソンの慧眼どおり、確かにISHと他の人格は別物であり、役割も異なるのだと思われます。

青年期のイマジナリーフレンドの場合も、やはりISHに近い「安全基地」としてのIFと、モード切替の名残としての多様なIFという二種類のタイプが存在している可能性があります。

しかしIFを持つ人は、DIDの人ほど左右の脳の結びつきが弱いわけではないでしょうから、「安全基地」としてのIFは、完全に左脳的で冷静沈着かつ論理的なISHと比べると、もう少し右脳的な感情要素も伴う、人間味のある人格として意識されるかもしれません。

子どものころの脳の名残

愛着トラウマから生じる一連のIFの考察の最後に、どうして愛着トラウマを抱える人は、本来子ども時代だけに生じるはずのIFを、青年期以降も持ち続けるのか、という点を考えておきたいと思います。

ここまで考えてきたことから明らかなとおり、幼い子どもの半数近くが経験するIFと、青年期以降に存在するIFは、別のものではありません。

どちらも、同様の脳の防衛機制によって創りだされる別人格であり、子どもの場合は孤独や退屈、青年期以降は愛着トラウマによる苦しさなどを和らげるために無意識的に生み出されます。

しかし、普通の人は、たとえ子ども時代にIFを持つとしても、その後の人生でトラウマなどの強いストレス経験をしたときに、IFが現れるということはまずありません。

ごくまれにサードマン現象のようにして、極限状況でIFが現れますが、一時的なものに過ぎませんし、何よりすべての遭難者がサードマン現象を経験するわけでもありません。

そもそも、IFを持つ子どもが20%-60%ほどの高率であるのに対し、IFを持つ大人は、冒頭で挙げた調査でも2.8%と、だいたい10分の1以下になります。

なぜ、たいていの人は大人になるとIFを持たなくなるのに、愛着トラウマを抱える人はIFを持ち続けることができるのでしょうか。

これはおそらく、愛着トラウマが脳の発達に影響を及ぼし、子ども時代の名残を残した脳のまま、大人になるという仕組みが絡んでいるようです。

たとえば、おさなごころを科学する: 進化する幼児観の中にはこんな説明があります。 

子どもの頃、世界はもっと私たちに身近で、鮮明だったように思えます。太陽はまぶしく、草木の緑は濃く、水は本当に青い空をしていました。虫と会話をし、小人の足跡を見つけ、神様の存在を感じることができました。

…詩人などの一部の人間だけが、その感覚を大人になっても保持し、表現できるのかもしれません。(ii)

この場合、詩人になるような人は、おそらく子ども時代の感覚、つまり脳の性質を溜まったまま成長していったのでしょう。

子どものころは脳がまだ十分発達しておらず、抑制機能の基盤である前頭葉も未熟なので、感覚の統合が十分ではなく、空想の友だちや、共感覚、絶対音感などの不思議な現象が当たり前のように存在します。

しかし、赤ちゃんはすべて共感覚や絶対音感を持ち、幼児の半数近くがIFを持つのに、大人になると、それらはいずれもまれになります。脳が発達すると、各部分の結びつきが安定し、解離しにくくなるからです。

ところが、ADHDやアスペルガー症候群などの発達障害の人は、大人になっても共感覚を持っている場合があります。これは脳の発達の未熟さから、子ども時代の名残が残っているためです。

同様のことが、愛着トラウマの場合も生じます。近年の研究によると、愛着トラウマは、脳の発達を妨げ、生来の発達障害と似たような成長の遅れをもたらすことがわかっています。

それどころか、生来の発達障害よりも、子ども時代の過酷な環境のほうが脳の発達を妨げる度合が強いとも言われていて、「発達性トラウマ障害」(DTD)という概念が提唱されています。

発達性トラウマ障害(DTD)の10の特徴―難治性で多重診断される発達障害,睡眠障害,慢性疲労,双極II型などの正体 | いつも空が見えるから

 

 それで、愛着トラウマを抱えた人や、後ほど取り上げるアスペルガー症候群などの発達障害の人がIFを持ちやすいのは、脳の発達が定型的でなく、大人になっても解離しやすさが残っているからなのかもしれません。

子ども時代の脳の名残を抱えたまま大人になってしまうので、イマジナリーフレンドのような、本来は子ども限定の不思議な現象を感じ続けることができるのでしょう。

ここまで、愛着トラウマや心の理論というキーワードを通して、子どものイマジナリーフレンドと、青年期のイマジナリーフレンドの関わりについて考察してきました。

続くセクション3では、解離に焦点を当てて、青年期のイマジナリーフレンドと、解離性同一性障害(DID)の交代人格のつながりについて考えてみたいと思います。

第三章 解離的な「夢」として考えるIF

ここまで考えてきた子どものイマジナリーフレンドも、愛着トラウマに由来する青年期のイマジナリーフレンドも、 いずれも根底にあるのは防衛機制の解離というメカニズムの働きです。

解離には、わたしたちが日常的に経験している没頭体験や白昼夢などの程度の弱い解離から、空想の友だちを創り上げ、人格が別れてしまう程度の強い解離まで、様々なものが含まれます。

このセクション3では、そもそも「解離」とはいったい何なのか、という点を睡眠中の夢との関係で掘り下げ、イマジナリーフレンドとDIDの交代人格のつながりについて考察します。

IFとDIDは連続するもの

これまで、IFとDIDは関連性のある現象なのかどうか、という点について、多くの専門家が議論してきました。

おもな争点となっているのは、記憶の断絶があるかどうかです。

DIDでは、一般に、人格交代している間の記憶は失われることが多く、それぞれの人格の間で記憶が隔てられる健忘障壁が見られるとされています。

それに対して、IFはそれぞれの人格間の記憶は筒抜けであり、健忘障壁はありません。

では、IFとDIDはまったく別物なのかというと、そうではないようです。

問題なのは、専門家たちが理論先行で議論を戦わせてきた結果、現実に即していない机上の空論が組み立てられてしまったことです。

これまで、人格交代がありながら健忘障壁はほとんどない解離性障害は、DIDとみなすことはできず、DDNOS(特定不能の解離性障害)と診断されてきました。

ところが、岡野憲一郎先生が、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合の中で述べているところによると、典型的なDIDなどというのは非常にまれで、ほとんどの症例がDDNOSになってしまう「ゴミ箱満杯問題」が生じていたそうです。(p116)

そこで近年、新しい診断基準であるDSM-5が作られた際、次のような変更が加えられたそうです。

ここではDDNOSに列挙されていたものを思い出そう。そこには「例」として、1.DIDの不全型(明確に区別されるパーソナリティ状態が存在しない。重要な個人的情報に関する健忘が生じていない)…などが挙げられていた。

このうち1.DIDの不全型については、上記のように診断基準が緩められたことで、以前はここに入り込んでいたケースの多くがDIDとして診断を下される可能性があろう。(p116-117)

つまり、DIDには健忘障壁が必須、という考え方は緩められ、これまでイマジナリーコンパニオンとみなされていたケースがDIDとみなされる可能性が出てきたということです。

この変更によって、診断名が変わるかもしれない有名な、ただし架空の人物に、ジキル博士とハイド氏がいます。

意外に思えるかもしれませんが、しばしば多重人格の代名詞とされているジキル博士とハイド氏と、これまでの診断基準だと、厳密にはDIDではなく、イマジナリーコンパニオンとみなされていました。

「豹変する心」の現象学―精神科臨床の現場からの中で、大饗広之先生はこう述べています。

主人格が別人格を認識している場合には、それは主人格による空想の産物として扱われ、DIDの交代人格とは似て非なるものとみなされ、イマジナリーコンパニオンという名称があてられる(ジキル博士にとってのハイド氏もそれにあたる)。

また解離した人格ーが人格としての深みを欠き、要素的感情(たとえば怒り、喜びなど)しか持たない場合などには人格断片という呼称があてられる。

しかし交代人格がICから発展する可能性も以前から指摘されており、両者の関係には依然として曖昧な点が多い。(p178)

なぜジキル博士とハイド氏が多重人格でないのか、というと、ジキル博士とハイド氏の間に。健忘障壁はなく、二つの人格はそれぞれの存在をよく知っていたからです。

しかし大饗先生が述べているとおり、たとえその時点では健忘障壁が存在しないとしても、やがてICからDIDに発展する可能性が、かねてより指摘されていました。

大饗広之先生は、臨床で出会うICの場合も、ハイド氏のように人格としての一貫性が認められ、単なる空想の産物とは言いがたいという点を述べてています。

実際に人格の多重化を訴えるケースを覗いてみると、主人格と交代人格をそれほど簡単には区別できないケースが圧倒的に多い。

そして交代人格(IC)にも人格としての一貫性が備わっていることが少なくないのである。(p179)

そして実際の臨床では、DIDとICの境界線を引くのが難しいケースも少なくないことを述べています。

ヨウコのような症例においてはICとDIDを質的にわけることができないのである。

両者には断片的な性格のものから人格として高度に統合されたものまでさまざまな段階のものがあり、少なくとも健忘の程度によって質的に区別することは難しい。(p181)

結局のところ、健忘障壁があれば病的なDID、互いに会話できればイマジナリーコンパニオンという分け方は、学者が作り出した机上の空論に過ぎず、臨床の場では、両者は複雑に絡み合っているのです。

もちろん、これは、IFを持つ人がみな、DIDのような状態に発展していくという意味では決してありません。

次のセクションでも改めて取り上げる点ですが、これは自閉スペクトラム症の連続性と似ています。

自閉スペクトラム症では、明確な境界線は存在しておらず、少し自閉的なもののほとんど気づかれない自閉症表現型(BAP)と呼ばれる人たち、ある程度自閉的なもののコミュニケーション能力を備えたアスペルガー症候群(AS)の人たち、そして、重いコミュニケーション障害を抱えるカナー型自閉症の人たちなどが連続的に分布しています。

しかし、だからといって自閉症表現型の人がアスペルガー症候群に発展したりするわけではありません。

同様に、人格の多重化も、一瞬だけ人格交代が生じる人、会話できるイマジナリーフレンドを持つ愛着トラウマを抱えた人、人格交代して健忘障壁を伴うDIDの人などが、連続性をもって分布しているようです。

しかしこの場合も、連続性があるとはいえ、イマジナリーフレンドがDIDに発展するかというと、必ずしもそうなるわけではありません。

そのようなわけで、人格の多重化スペクトラムという観点から見ると、DIDのような典型例は少なく、むしろ中間的な位置にあるイマジナリーフレンドが思いのほか広く存在している可能性があります。

また、これまで、DIDのような人格の多重化は、性的虐待などの衝撃的なトラウマをきっかけに発症するものと考えられていましたが、近年は見方が変わってきています。

岡野憲一郎先生は、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合の中で、次のように述べています。

すなわち解離性障害とは、それが基本的にはいわゆる「愛着トラウマ」による障害のひとつと理解されることを常に念頭に置くべきなのである。(p15)

解離性障害、または解離性同一性障害(DID)は、ここまで考えてきたような愛着トラウマを発端とする症状のうち、極端なケースであると考えることができます。

実際に、解離性障害の臨床では、PTSDのような明確なトラウマ因が見つからないことも多いと言われています。

それに解離性障害には、PTSDなどについて考えるようなトラウマやストレスが必要条件として存在するべきなのかについての識者の見解は統一されているとは言えない。

私の臨床場面でも、過去の明確なトラウマ因を見いだせないケースは実際に体験されるのである。(p106)
 

もし原因がショッキングなトラウマではなく、乳幼児期の愛着形成の失敗にあるのだとしたら、トラウマ因が見当たらないケースがあるのも当然ですし、普通の家庭の子どもがたまたまやむを得ない事情で愛着形成に失敗したせいで、のちのち解離性障害になりやすくなるケースもあるでしょう。

人格の多重化の根底にあるのは、結局のところ、セクション2で見たような、乳幼児期の愛着トラウマによる左右脳半球のつながりの弱さなのです。その中でも特殊で程度の重い事例が、DIDと呼ばれる多重人格だと理解することができます。

解離は感覚遮断から始まる

それにしても、このような人格の多重化を引き起こす要因である、解離とは何なのでしょうか。なぜ多重化してしまうのでしょうか。

解離にはさまざまなメカニズムが関与していると思われますが、解離を引き起こす大きなきっかけは感覚遮断だと思われます。

感覚遮断とは、防衛反応として、外部からの刺激をシャットアウトする脳の働きのことです。

感覚遮断は、ごく普通の人にも生じることがあり、そのような場面ではだれもが解離性障害のような症状を一時的に経験します。

たとえば、臨死体験はその一つで、死の危機に瀕した際に、脳が危機を感じて感覚遮断することで、解離性障害に見られるような幻覚や体外離脱が生じます。

幻覚とはすなわち、外からの視覚や聴覚の入力がなくなったときに、脳が記憶の中から感覚を再生するものであり、体外離脱とは解離性障害の離人症のような体の感覚統合が失われている状態です。

そのあたりの詳しい内容については、以下の記事で詳しく説明しています。

なぜ人は死の間際に「走馬灯」を見るのか―解離として考える臨死体験のメカニズム | いつも空が見えるから

 

さらに、感覚遮断は、危機的な状況に直面しなくても、実はわたしたちが毎日のように経験している日常的な現象です。

「夢」の認知心理学という本には、レム睡眠の際に起こる生理的な現象について、次のように書かれています。

内的に活性化した脳波、睡眠を維持し、夢を持続させるために外界からの刺激を遮断する。(p14)

レム睡眠とは、わたしたちが毎晩経験している浅い眠りのことですが、そのとき、脳は外部からの感覚を遮断しているのです。

覚醒とレム睡眠は電気的には似た状態であるが、前者が外部からの感覚と同期しているが、レム睡眠時には同期しない点で決定的に異なるのである。(p37)

この説明が示す通り、レム睡眠の最中には、覚醒時と同じように脳が活発に働いています。

覚醒時と異なっているのは、感覚が遮断されていることだけです。そうすると何が起こるのでしょうか。

実はレム睡眠とは、わたしたちが様々な夢を見ている状態です。夢はノンレム睡眠のときにも見ますが、一般によく言われる不思議な内容の夢は、レム睡眠の最中に見ているとされています。

そして、感覚遮断されているときに見る夢の内容は、解離性障害で生じるような幻覚や意識の変容と非常に類似しています。

また、感覚遮断されているレム睡眠の最中にたまたま目が覚めると、意識は目覚めているのに、体からの信号はプロックされているため、体が動かせない金縛りや幽体離脱を経験する場合があります。これらも解離性障害ではよく見られるものです。

それで、「解離」とは「感覚遮断」であり、解離性障害の人は、目が覚めているときに感覚遮断のメカニズムが部分的に働いているせいで、離人感や幻覚、浮遊感など、あたかも夢のなかのような現象が生じるのだ、と解釈することができます。

HSPー敏感すぎる人たち

しかし、いったいなぜ、解離性障害の人たちは、目覚めていながら、レム睡眠のときのような感覚遮断のメカニズムが働いてしまうのでしょうか。

その理由は、これまで考えてきた「愛着トラウマ」や強すぎる「心の理論」と結びついています。

愛着トラウマとはすなわち、「基本的信頼感」が欠如していて、安心できる居場所がなく、他の人を心の底から信頼できない状態でした。常に人の顔色をうかがって警戒している過敏状態にあるということです。

また、心の理論が強すぎるというのは、他の人に気持ちに敏感すぎて、感情移入しすぎる傾向のことでした。同時にちょっとした感情の行き違いや批判に過敏になっているともいえます。

このような心の敏感さを抱えていると、当然ながら、身の回りのものからくる感覚刺激は強すぎて、圧倒され、パニックになってしまうでしょう。

人混みに行くだけでも疲れ果てたり、ニュースを見るだけでもいちいち無意識のうちに感情移入してしまってくたくたになるかもしれません。

そうすると、自己防衛のために、解離、つまり感覚遮断のメカニズムが働き出すのは、ごく自然なことです。

また、感覚遮断が働くのは、愛着トラウマのような後天的な経験のせいだけではないかもしれません。

たとえばセクション4で取り上げる自閉スペクトラム症のアスペルガー症候群では、生まれつき五感のさまざまな感覚過敏を抱えていることが多く、トラウマ経験のあるなしに関わらず、外部からの刺激が強すぎて解離しやすいと言われています。

さらに、ひといちばい敏感な子によると、近年では、遺伝的な傾向として、高度に過敏で感受性が強い人が5人に1人程度の割合で存在するとされていて、HSP( Highly Sensitive Person)と呼ばれています。

また、母という病 (ポプラ新書)によると、愛着の安定性は完全に後天的なものではなく、遺伝要因が25%程度関係しているようです。

これは、おそらくADHDの関わるドーパミン関連の特定の遺伝子タイプなどを持っていることによる感受性の強さのため、他の子どもでは問題とはならない程度の養育環境でも不安定な愛着を生じやすいのではないかだと言われています。(p94)

このような生まれつきの遺伝的な過敏性が、HSPのような感受性の強さを生み、人よりも傷つきやすかったり、、愛着トラウマや感覚遮断を引き起こしやすい体質として関与している可能性があります。

ちなみに、感覚過敏への対処法が感覚遮断による解離である、というのは医療現場でも難病の治療に応用されています。

たとえば、全身に激痛が走る痛覚過敏の病気である線維筋痛症の治療として、アイソレーションタンク(感覚遮断タンク)を用いて痛みを軽減する治療法が試されています。

また「病は気から」を科学するによると、過敏性腸症候群(その名の通り腸の感覚過敏)の治療法として、催眠療法によって人為的に解離状態を作り出し、感覚遮断する方法が成果を挙げているそうです。

これらの例からわかるとおり、感覚遮断による解離というのは、病的なメカニズムどころか、健全な体の反応であり、世の中には解離がうまく働かないせいで痛みなどの過敏に悩んでいる人も少なくないのです。

統合失調症のような「疾患」ではない

ここで、少し話を戻しましょう。

先ほど、解離性障害とは、目覚めていながらにして、感覚遮断が生じ、あたかも夢の中のような不思議な感覚が生じている状態だと説明しました。

しかし、このような説明は、これまでしばしば統合失調症に適用されてきました。

統合失調症は奇妙な幻覚を伴い、判断能力も失われているので、あたかも起きながらにして夢を見ているような状態だと言うわけです。

しかしこれもまた、現場のデータを無視した研究者による机上の空論である可能性があります。

「夢」の認知心理学では、レム睡眠の間に見る夢の内容を分析したところ、次のような意外な結果が得られたそうです。

大人と子どもの両者からレム期からの報告についての実験室研究の結果は、夢見は一般に考えられているほど奇怪なものとは程遠いことを示すものであった。(p73)

全体としてみると、実験室での研究と自宅での研究は、夢の内容の特徴が高度に感情的で奇怪で妄想あるいは統合失調症のような内容を持つという証拠はない事を示している。(p83-84)

なんと、レム睡眠の間に見ている夢は、多くの場合、統合失調症の世界のような奇怪なものではなかったのです。

夢はもっと日常的な内容が多いのに、わずかな奇怪な例が印象に残ることが多いために、誤った印象を抱かれていたのでした。

さらに、夢は奇怪なものであるという誤解だけでなく、統合失調症の性質のほうにも、とても大きな誤解が生じています。

解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合にはこう書かれていました。

他方の幻視はどうか。統合失調症においては少ないとされる幻視は解離性障害では比較的多く聞かれる。

また統合失調症の幻視が奇怪な内容であるのに対し、解離性障害の幻視の内容はおおむね現実的で、過去のトラウマのフラッシュバックという色彩を持つ。(Bremner,2009)。(p125)

統合失調症では、幻視は少ないのです。

そして統合失調症では幻視が奇怪な内容であるのに対し、解離性障害では幻視が頻繁にみられ、内容はもっと日常的だとされています。

この説明から明らかなとおり、夢の内容とよく似ているのは、統合失調症ではなく、解離性障害です。

夢の主な要素は視覚イメージですが、統合失調症では視覚的な幻覚は少ないこともそれを裏づけています。

「夢」の認知心理学には、夢の視覚的要素について、こう書かれていました。

夢の内容を作り出す能力は覚醒時のイメージ能力を反映している、すなわち夢≒覚醒時のイメージと言えそうです。

夢は覚醒時のイメージと似たようなことが感覚遮断状態で起こる現象であるということです。(p86)

解離性障害の人は、絵などの芸術的才能に優れた人が多いですが、視覚的イメージ力が通常よりも高いようです。

おさなごころを科学する: 進化する幼児観によると、イマジナリーフレンドを持つ大学院生を対象とした研究では、視覚イメージ力が高い傾向が得られたとも言われています。

麻生博士らの大学生を対象にした研究では、大学生でも、空想の友達の強い視覚的イメージを持つことが報告されていますし、筆者らの研究でも、空想の友達を持つ大学院生は、空想の友達を持たない大学院生よりも、視覚イメージを生成する能力が高いことが示されました。(p251)

感覚遮断による解離傾向が生じている人たちは、幻視を見るほどではなくても、空想癖や白昼夢の傾向があるために視覚イメージが発達しやすいのでしょう。

さらに感覚遮断と解離傾向が強くなると、起きながらにして少し夢を見ているような感じになり、本来は夢の中で生じるはずの視覚イメージが現実に重なって見える場合があるようです。

解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合にはこうあります。

また幻視は統合失調症ではあまり見られないものであるが、解離性の幻覚としてはしばしば報告される。

それがIC(空想上の友達)のものである場合、その姿は視覚像として体験される場合もそうでない場合もある。

またそれが実在するぬいぐるみや人形などの姿を借りるということもしばしば報告される。(p100)

おそらく本物の夢を見ているときほどに感覚入力が遮断されているわけではないものの、感覚入力がいくらか減っていて、そのぶんを幻視で補っているのかもしれません。

これと同様の状況には、視力が衰えた老人に生じるシャルル・ボネ症候群があります。こちらも、視覚からの入力が少なくなることで、現実に重なる幻が見えるようになります。

ただし、解離性障害では目の機能そのものが衰えたわけではなく、脳が外部からの入力を抑制するために、内部から幻が再生されるのです。

このように考えてくると、解離性障害とは何なのか、ということについて、極めて重要な洞察が得られます。

解離性障害で生じる状態は、夢のメカニズムと非常によく似ていますが、夢は、健康な人がだれでも毎晩のように見ているありふれた現象です。

解離性障害では昼間に感覚遮断が生じるために、起きながらにして夢を見ているような状態に近づきますが、そもそも感覚遮断は異常なことではなく、毎晩普通に生じるものです。

そうすると、解離性障害の人の脳では、何か異常な事態が生じているわけではなく、だれにでも備わっている防衛反応が、普通より強く働いているだけだ、ということになります。

解離性障害は、脳の「障害」あるいは「病気」ではなく、強いストレス環境に対して、脳が自分を守ろうと働いている状態ではないか、という見方ができます。

それはちょうどインフルエンザになったときと同じです。インフルエンザでは、ひどい不調が生じますが、それは体が壊れたせいではなく、ウイルスという外敵に対して免疫系が闘っているためです。機能は正常なので、危機が去れば元に戻ります。

解離性障害の場合も、どうやらそれと同じようなことが、脳の中で起こっているようです。

解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合の中で、岡野先生は、統合失調症と解離性障害の最も大きな違いについて、こう説明しています。

端的に言えば、精神病の代表格ともいえる統合失調症は、一般的に時と共に人格の崩壊に向かい、予後も決してよくない。

他方、解離性障害は社会適応の余地を十分に残し、また年を重ねるにつれて症状が軽減する傾向にある。

両者が全く別物であるというのは、この予後の観点から特に言えることなのだ。(p123)

統合失調症は予後が悪く、どんどん悪化していくのに対し、解離性障害は年と共に回復していくのです。

このことからすると、統合失調症が明らかな脳のトラブルであるのに対し、解離性障害はウイルスに対して免疫系が戦うように、愛着トラウマに対して脳の正常な防衛機制が戦っている状態だとみなせます。

冒頭で、多くの子どもが持つ空想の友だちが、解離性同一性障害と地続きだと言っても、病的なものだとか、危険な要素を持っている、という意味ではなく、どちらかというとその逆だ、と書いたのを覚えておられるでしょうか。

それはつまり、イマジナリーフレンドやDIDのような人格の多重化現象は、本質的に言って害を及ぼす病気なのではなく、危機に面した心を守るために脳が働かせる正常な防衛反応なのだ、という意味なのです。

適応的な「夢」としてのIF

解離による人格の多重化が正常な防衛反応であることを示すさらなる根拠は、解離によって生じる別人格と、夜に見る夢とが、どちらも同じような役割を持っているようだ、ということです。

夢は何のために見るのか、という点は未だ多くの論争がありますが、「夢」の認知心理学によると、以下のような適応的な役割があるという研究結果があります。

両方とも夢は適応的な機能に役立つということを主張できるものであった。

一つは、我々はストレスフルな出来事を統御できるようになるために夢見るということ。

もう一つは、心理学的にそれを補償するために現実のストレスとは反対方向の性質をもつ出来事を夢見るということである。(p102)

かねてから夢は記憶の定着の役割を持っているとされることがありましたが、近年ではレム睡眠を削っても記憶の定着が妨げられることはなく、エピソード記憶の定着はノンレム睡眠中に行われているのではないか、と言われているそうです。

その代わりにレム睡眠は手続き記憶の定着や感情の整理を担っており、その現れが夢なのかもしれないという意見があるそうです。

実際に夢の内容を調べると、ストレスに関わる感情の整理に役立っているらしきことがわかりました。

ただし、一般に考えられているような、ホラー映画を見れば怖い夢を見るといって関連の仕方ではなく、その反対、つまりストレスとなった出来事と正反対の性質の夢を見やすいことがわかったのです。

眠る前に受けた刺激に関しては夢に現れるのではないかと一般的に思われているかもしれないが実験の結果はむしろ逆になる傾向が多く確認されている。

フロイトは夢の内容は昼間の経験で抑圧した「日常の残渣」が現れるとしたが、どうやらこの説はあまり説得力を持たないようである。

しかし、強いストレスの場合には当てはまるケースもあるようであるが、あまりに強すぎると「抑圧」されてしまうらしい。(p109)

この説明が示す通り、基本的に、夢は受けたストレスと正反対の内容になることで、感情を調節する「補償」の役割を果たします。

しかし、ストレスが強すぎると、内容もストレスフルなものになる場合があります。

そして、ストレスがあまりに強すぎると、今度はそれが抑圧されて、そもそもその夢を見ないようです。

これはイマジナリーフレンドなどの人格の多重化における反応と極めてよく似ています。

人格の多重化は、ある程度の慢性的なストレスのもとでは、イマジナリーフレンドという形で現れ、ストレスとは正反対の励まし手として、愛着トラウマに対する安全基地として、補償的な役割を果たします。

しかしよりストレスが強くなると、バランスが崩壊して、悪意を持つ人格が現れる場合があります。

ストレスがあまりに強すぎると、DIDとなって記憶が分断され、トラウマ記憶を隔離する健忘障壁が生じます。

どうやら、夢と人格の多重化は、感覚遮断による解離という同じメカニズムによって支えられているため、果たす機能もよく似ているようです。

言ってみれば、イマジナリーフレンドとは、起きながらにして不思議な夢の世界の住人と出会っているようなものであり、DIDとは、起きながらにして悪夢に悩まされているようなものなのです。

IFを持たない「心が空っぽ」な人たちとの違い

イマジナリーフレンドや解離性障害は、心を守る適応的な働きだとすると、次のような疑問が生じます。

本当に問題なのは、防衛機制である解離が生じない場合ではないでしょうか。

セクション2では愛着トラウマについて考えましたが、愛着トラウマを抱える子どもすべてが保護者のようなIFに出会うわけではありません。

ある意味で、愛着トラウマを癒やすためにIFが現れるのは幸運なケースであり、「安全基地」をどこにも得られないまま、ひたすらさまよう、心が空っぽな人は決して少なくないのです。

「安全基地」としてのIFが創られるのは、解離という防衛機制の働きですが、解離が弱い人たちは、心を守るためにIFが作られることはありません。

重い愛着トラウマがあるのに、心を守る解離が十分に働かない場合に生じるもの、それは何でしょうか。

それは、トラウマ経験と最もよく結び付けられる病気、すなわち心的外傷後ストレス障害(PTSD)です。

PTSDは、脳科学的には解離と正反対の現象だと言われています。解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合ではこう説明されていました。

ところで解離において右脳で起きていることを知るためには、心的外傷後ストレス障害(以下PTSDと記載する)の右脳で起きていることを理解する必要がある。

解離とPTSDは、ともに心的なトラウマに対する心ないしは脳の反応といえるが、そこではおおむね逆のことが起きているものとして説明し、理解するのが最近の傾向である。(p19)

PTSDと解離は、正反対の現象ではあるものの、連続性を持つ、人間の危機対処システムの一部です。

人間の危機対処システムは二段構えで構成されています。

獰猛なライオンに出くわしたときのことを考えてみてください。

まず、頭がパニックになって何も考えられなくなり、なんとかして闘うか、あるいはその場から逃れようとします。

これはストレス反応として有名な「闘争か逃走か」の反応です。

しかしそれがうまく行かず、ついにライオンに組み伏せられてしまったら、第二段階のシステムに移行します。

それは「固まり・麻痺」反応で、仮死状態になったり、気絶したりする状態です。

この二段構え危機対処システムは、突然の危機のときだけでなく、日常のストレスに対しても生じます。

一段階目の「闘争・逃走」反応がPTSD、ニ段階目の「固まり・麻痺」が解離に相当します。固まり・麻痺は、もはや逃げられない状況で、感覚遮断をして苦痛をやり過ごそうとする反応です。

すると、危機の際の反応は、

 積極的なもの……闘争、逃避
 消去的なもの……固まり、麻痺

の2種類に分かれることになる。そして後者の消極的なものは解離に関係づけられるというわけである。(p22)

セクション2で、愛着トラウマから解離に至る人たちは、まず交感神経(アクセル)が過剰興奮し、次いで副交感神経(ブレーキ)も過剰反応するという説明を引用しましたが、それらがすなわちPTSDと解離なのです。

問題は、解離という防衛機制が弱いせいで、第一段階の「闘争・逃走」のままで、第二段階の「固まり・麻痺」が起動しない人たちです。

交感神経が過剰反応してパニックになるだけで、それを抑えこもうとして副交感神経が働くことがありません。

すると、愛着トラウマのときに説明したような、脳の右半球の感情的混乱を抑えこむために、左半球から理性的なIFが生み出されるということもありません

ただ、ひたすらパニックになり、PTSDのフラッシュバックを起こしながら、「安全基地」のない世界をひたすらさまよい歩くことになります。

このような状態に陥っているのが、境界性パーソナリティ障害(BPD)の人たちです。

境界性パーソナリティ障害(BPD)は、突然激しく怒りだしたり、見捨てられ不安がフラッシュバックしたりする一種のPTSDです。

BPDの人のキレる現象やフラッシュバックは、軽度の人格交代ですが、解離傾向が弱いため、別人格を形成するほどには至りません。

解離性障害の人が気配りに富み、心の中に大きな内的世界を抱え、多くの仲間を有しているのに対し、境界性パーソナリティ障害の人はカッとなりやすく、心の中は空虚で、一人ぼっちです。

解離傾向の強い人たちは、「逃走・闘争」反応に次いで、「固まり・麻痺」反応に至るので、感覚遮断することで、危機的状況から逃れて、冷静さを取り戻すことができます。

ところが、解離の弱い人たちは、ずっと「逃走・闘争」反応のままなので、常に危機的状況のまっただ中にいて、絶え間ない不安に苛まれて、冷静に考えることも、心が満たされることもありません。

解離による感覚遮断がうまくできず、敏感な心が常にむき出しの状態なので、傷つけ傷つけられながら、一人ぼっちで生きていくという苦しみに直面します。

解離が弱いBPDと、解離が強いIFやDIDの違いについては、詳しくは以下の記事をご覧ください。

境界性パーソナリティ障害と解離性障害の7つの違い―リストカットだけでは診断できない | いつも空が見えるから

 

青年期のイマジナリーフレンドや、解離性同一性障害としての交代人格を持つ人たちも、それぞれストレスや苦悩を抱えているのは確かです。

しかし、助け手としてのイマジナリーフレンドにしても、身代わりとしての交代人格にしても、それらは耐え切れないストレスから身を守るための防衛反応、愛着トラウマというウイルスと戦う心の免疫系です。

もしも、心の免疫系が働かず、愛着トラウマに面しても、それらの別人格が生まれなかったなら、自分はどうなっていただろう、と考えたことがありますか。

世の中には、同じほどのストレスに直面しても、解離という防衛機制がうまく働かないせいで、苦しみを分け合う別人格を生み出せず、たった一人で立ち向かっていかなければならない人たちがいるのです。

IFがDIDになるとき

このセクションで考えてきたように、人格の多重化は、一種のスペクトラムのように連続した現象です。

単一人格 → PTSDやBPD(弱い解離) → IF(中程度の解離) → DID(強い解離)

解離の観点からIFを考察したこのセクション3の最後に、次の点を考えておくのは適切なことでしょう。

IFはいつかDIDに発展するのでしょうか。

一般的に言って、大半のIFはDIDに発展しないでしょう。

IFを持っている人は、むしろIFが存在することによって、解離性障害が発症するのを阻止し、心のバランスを保っているはずです。

そしておそらくは、人格の多重化と、人格交代は、別のメカニズムに基づいているのではないかと思われます。

先ほど解離とPTSDは正反対のものだと説明しましたが、人格の多重化は解離傾向によるものに、人格交代はPTSDのフラッシュバックの延長線上にあるように思われます。

したがって、解離傾向の強い人は人格が多重化し、PTSD傾向の強い人は感情がフラッシュバックし、解離傾向とPTSD傾向の両方が強い人が、多重化した人格のフラッシュバック、すなわち人格交代に至るのではないかと思います。

PTSDと解離の10の違い―実は脳科学的には正反対のトラウマ反応だった | いつも空が見えるから

 

しかし、解離傾向のみ、PTSD傾向のみを持っているという人はまれで、たいていの人は程度の差こそあれ、どちらか一方が強いものの、もう一つの傾向も持ち合わせているでしょう。

かろうじてIFの存在によって心のバランスをとっている人が、より強いストレスに直面したとき、バランスが崩壊してDIDに発展する例は存在しているようです。

「豹変する心」の現象学―精神科臨床の現場からによると、このセクションの最初で紹介したジキル博士とハイド氏は、当初はIFのような関係だったハイド氏が次第にコントロールできなくなり、DIDのような状態に発展していく物語でした。

ハイドは次第に彼のコントロールを離れて行動するようになってしまうのである。そしてジキルはハイドを「彼」と呼ぶようになり、もはや彼を「私」の一部とは感じなくなった。

ハイドはジキルとはまったくの別人格としてふるまうようになったのである。ハイドの出現によって保たれていた彼の心のバランスは、再び破壊に向かって突き進むことになってしまった。(p92)

ジキル博士とハイド氏は、単なる物語でありながら、もしかすると、作者のロバート・ルイス・スティーブンソンが経験していたことなのではないかと思わせるほど、 真に迫った描写がなされています。

スティーブンソンも作家たちの例に漏れず、愛着トラウマによる心の理論の強さを有していたのかもしれません。

大饗先生は、ジキル博士とハイド氏の崩壊の原因をこう指摘します。

つまり「解離」はある時期まではジキルにとって適応的に働いていたのである。

問題が生じたのは、そのような「解離」に頼っていた微妙なバランスが破綻した後であった。(p94)

そしてそれと同様の現象が、現実の臨床でも時おり見られると述べています。

アキナという人格は快活で奔放な性格であり、当初抑うつ的になりがちなナオミを「姉のように」励まし、ときには無気力に陥った彼女に成り代って(人格変換)、仕事を行ってくれることもあったという。

しかし、そのうちにアキナは夫に隠れて同僚のK氏との交際を始めるようになってしまった。(p97)

基本的にIFは、主人格を支える副次的な位置に存在しています。

IFがDIDに発展するような事態がそう簡単に起こるとは思えませんが、何かしらのストレスが異常に大きくなりすぎて、IFが自律性を持ち始めると、問題が複雑になってきます。

別人格が、主人格と苦しみをわかちあう仲間であるうちはいいのですが、主人格が危機に瀕して、別人格が身代わりや犠牲、盾となってかばうようになると、DIDへと発展していく可能性は否定できないでしょう。

先ほどの防衛反応でいうと、最初は「闘争・逃走」というPTSD的なシステムが働きますが、より大きな問題のもとでは、解離傾向の強い人の場合は「固まり・麻痺」に移行します。

これを日常生活に当てはめると、「固まり」、つまり感覚遮断して危機から逃れている段階では、IFは助け手として主人格を励ますことができます。

しかしさらにストレスが大きくなり、「麻痺」、つまり気絶して意識を失うという究極の手段を用いなければならなくなったら、日常生活においては、だれかが代わりに体をコントロールしなければならなくなります。

そのときこそ、耐え切れず意識の奥へと退いた主人格に代わって、IFが身代わりの交代人格となり、DIDへと発展してしまう瞬間なのかもしれません。

このセクションでは、夢や感覚遮断という解離の機能を通して、人格の多重化は防衛機制の強さによるスペクトラムであり、統合失調症のような病的なものではない、ということを見てきました。

最後の4つ目のセクションでは、ここまで取り上げたIFとは少し異なる特殊な例として、アスペルガー症候群のIFについて考えます。

第四章 「アスペルガー症候群」のもう一つのIF

これまで、IFが生まれる原因として、強い心の理論や、愛着トラウマ、解離という要因を考えてきました。

しかし、 ここまでの説明は、主に定型発達の人に当てはまるものです。

わたしたちの身近な別の民族とも称される、アスペルガー症候群などの自閉スペクトラム症(ASD)の人たちの場合、考え方そのものを見直さなくてはなりません。

IFに限らず、あらゆる物事において、違う尺度をもって考えなければ、彼らの独特な文化を理解することはできません。

興味深いことに、以前に記事で取り上げたとおり、アスペルガー症候群の人には、しばしばIFが見られることが報告されています。

アスペルガーは想像上の友だちイマジナリーフレンド(IF)を持ちやすい? | いつも空が見えるから

 

ASDは解離症状を伴いやすい

アスペルガー症候群の人がIFを持ちやすい理由を簡潔に一言で言い表わせば、それはアスペルガー症候群の人は解離しやすいからだと思います。

「豹変する心」の現象学―精神科臨床の現場からには、アスペルガー症候群の人がIFを持っているケースも紹介されていますが、アスペルガーは解離しやすいということがはっきりと書かれています。

アスペルガーには解離様の現象が伴われることがまれではなく、それがチグハグな印象によりいっそう拍車をかけることがしばしばである。(p28)

セクション2で少し触れましたが、ある自閉圏の男性は、友だちとほとんど遊んだことがなく、周囲の家族の気持ちを読み取るどころかゲームに没頭して、青年期のIFを持つ人特有の内省的で柔軟な性格でもありませんでしたが、それでもIFを有していたと書かれています。

彼のIFはいったいどこから出てきたのでしょうか。IFは「心の理論」すなわち他の人への優れた感受性の結果、生み出されるものであるなら、共感性に乏しいと言われるアスペルガー症候群に見られるのはどうしてでしょうか。

哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)では、そのような論理に基づいて、アスペルガー症候群を含め、自閉圏の子どもはIFを持たないと書かれています。

自閉症の子には空想の友だちがいないし、そもそもごっこ遊びをしません。ごっこ遊びとは何かということからして、わからないようです。

…自閉症の子どもは、他人の心の因果関係についての理論を組み立てるのに大変な苦労をしますし、いろいろな空想をして遊ぶこともありません。(p91)

しかし本当にそうでしょうか。

このような疑問について考えるに際し、導きとしたい言葉があります。

柴山雅俊先生は、解離の病理―自己・世界・時代の中でこう述べています。

ASD者が解離症状を呈する割合は定型発達者に比べて若干多いという印象はある。

もちろん自己のあり方が異なるため、ASD者の示す解離が発症要因、症候、治療などさまざまな点で通常の定型発達者の解離とは違ってくるのは当然であろう。

定型発達者の解離のみが解離ではない。ASDにはASDの解離がある。(p181-182)

定型発達者の解離のみが解離ではなく、ASDにはASDの解離がある。言い換えれば、定型発達者のIFのみがIFではなく、アスペルガーにはアスペルガーのIFがあるのです。

アスペルガーの解離と一般的な解離性障害の7つの違い―定型発達とは治療も異なる | いつも空が見えるから

 

ASDは「心の理論」が弱い?

まず最初のステップは、自閉症についてのさまざまな誤解を解くことです。

先ほどの説明において、アスペルガー症候群をはじめ、自閉症の人がイマジナリーフレンドを持たない根拠とされていたのは、心の理論が弱く、空想的な遊びもしない、ということでした。

これは、ローナ・ウィングが提唱した自閉症の三つ組の障害、すなわち、社会性の障害、コミュニケーションの障害、想像力の障害に基づいているのでしょう。

しかし、近年、自閉症の当事者研究や、注意深い調査において、三つ組の障害は必ずしも正しくないことがわかってきました。最新の診断基準のDSM-5でも、想像力の障害のような項目はなくなっています。

自閉症というと、他人に共感できず、気持ちがわからず、心の理論が弱い、空気の読めない人々だという未だ根強い偏見がありますが、成長し衰退する脳 (社会脳シリーズ)では次のような研究が報告されています。

過去の研究において、ASD児は他者の心情が理解できない、というように、二値論的に可-不可で考えられてきた。しかしながら、近年では、そのような二値論的な見方では理解できない実験結果もある。

…定型発達児では、最初から人物の感情に言及できていたものの、ASD圏内の子どもでは、当初人物の感情に言及せずに、情景や描かれている他の物などについて言及してしまった。

ASD圏内の子どもに対して、人物に注目するように追加の教示を行っていくと、彼らでも描かれた人物の感情を正答することができた。(p129)

この研究では、 ASDの子どもたちが、他人の心を理解できない、とされてきたのは誤りであり、単に注意が向かないだけなのだ、という見方が示されています。

すなわち、ASD児は自発的に他者そのものや、他者の顔、声といったものに注意が向きにくいということである。

…何よりも特筆すべきことは、他者に注意を向けられれば、感情や言外の意味といった従来難しいと言われてきた部分への理解も問題なく、かつ脳機能というレベルでも障害が認められなかったのである。(p130)

ASDの子どもたちは、他の人の感情を読めないのではなく、注意が向かないだけであって、適切な注意の喚起がなされると、感情や比喩も理解できたのです。

そのため、空気が読めなくなってしまうのは、ASDの生来の症状ではなく、自分から他人に関心を持ちにくく、コミュニケーションの機会が少なくなるので、結果的にコミュニケーションスキルが育ちにくいだけなのではないか、とされています。

そして、根本となっている他者に注意が向きにくいという特徴は、自他の区別があいまいなことによると推察されています。

また、発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス)という本では、ASDの子どもは心の理論が弱い、と言われていることに関して、別の意見が提唱されています。

誤信念課題に関するもうひとつの批判は、そもそも一定の割合で自閉症児が「心の理論」の課題をパスしてしまうという事実にある。バロン=コーエンらの研究にしても、約2割の自閉症は課題をクリアしていた。

…誤信念課題の成績がよい(他者の心がよめる)自閉症児はほど理解できた物語の数は多く、社会性に問題のない、知的障害児や健常児とほとんど差がなかった。(p26-27)

この誤信念課題というのは、サリーとアンのテストのような、他人の立場に立って考える能力を測る、心の理論の発達を調べるものです。

一般にASDの子どもたちは、サリーアン課題がうまくできないので、心の理論が発達しておらず、他者の気持ちも読めない、と言われがちなのですが、そもそもASDの子どもの2割はこのテストを通過し、他の人の気持ちを適切に理解することができます。

さらに、誤答してしまう残りの8割のASDの子どもたちの場合も、性急に心の理論が育っていないと結論するのは間違っている可能性が示唆されています。

誤った解答をした場合でも、その理由を問われると、きちんと心にかかわる用語を駆使して説明をする。

…つまり「誤信念課題」にパスできなかったとしても、自閉症児は相手の心を推測することはできるのである。

パスできない問題の原因は、その推測が普通とは異なる独自の視点に基づくということだ。(p27)

ポイントは、心の理論がないことではなく、心の理論が定型発達者とは異なる、という部分にあります。

定型発達の心の理論のみが心の理論ではなく、ASDにはASDの心の理論があるのです。

そのことをまざまざと示しているのが、ASDの人はASDの人同士であれば、強く共感し、互いの気持ちを深く理解し合えるということです。

アスペルガーは「共感性がない」わけではない―実は定型発達者も同じだった | いつも空が見えるから

 

 わかってみれば簡単な話で、定型発達の人たちには定型発達の心の理論があり、ASDの人にはASDなりの心の理論があるので、どちらも自分と同じ集団の人の気持ちはわかるのに、自分とは違う集団の人の気持ちは理解できないのです。

もしASDの人が多数派で、ASDの人の心の理論が一般的だったとしたら、今ごろ定型発達の人たちは、心の理論が欠如していると言われているかもしれません。

そうすると、ASDの人たちは他者の気持ちを考えることができないから、イマジナリーフレンドも持たない、とする論理は成り立たなくなります。

確かに、定型発達者のIFとは性質は異なるはずですが、ASDの人はASDなりのIFを持っているとしても何ら不思議ではありません。

また、ASDの子どもは空想的な遊びをしない、とも言われていましたが、それはあくまでも定型発達の子どもがするようなごっこ遊びなどをしないというだけで、実際にはASDの子どもも様々に想像力を働かせている、ということは、当事者のニキ・リンコさんの自閉っ子におけるモンダイな想像力を読めばわかります。

アスペルガー症候群だったとされる、ルイス・キャロルやハンス・クリスチャン・アンデルセンの作品を読むと、ASDの人でも豊かな空想世界や、登場人物を思い描ける場合があることは明らかです。

自閉症・アスペルガー症候群の作家・小説家・詩人の9つの特徴 | いつも空が見えるから

 

 定型発達者の人が読むと、キャロルやアンデルセンの童話の登場人物は、どことなく異質で奇妙な人たちに思えるでしょう。

それは、彼らが創りだした登場人物たちが、定型発達者の心の理論ではなく、ASDの心の理論に沿って行動する人たちだからです。

心の理論が強くなると、小説家としての才能や過剰同調性につながると述べましたが、アスペルガーの場合も、キャロルやアンデルセンのように小説家になる人がいますし、さらには過剰同調性になる場合もあることがわかっています。

それで、アスペルガー症候群などASDの人たちが、IFを持ちやすいかというと、特に定型発達に比べて多いわけではないかもしれませんが、IFを持たないというわけでもないのでしょう。

アスペルガーは中心不在

ASDにはASDの心の理論があるのであれば、ASDが持つIFの特徴は、定型発達の人たちのIFと異なるのでしょうか。

その可能性は十分にあります。

ASDの人たちは、先ほど少し触れたように、自他の区別に困難を抱えやすいようで、まとまったアイデンティティを持たないことが少なくありません。

大饗先生は、「豹変する心」の現象学―精神科臨床の現場からの中でその理由をこう説明しています。

イマジナリーコンパニオンとは中心を失った人格モードの乱立を意味していた。

あるいはアスペルガー症候群においては、そもそも主体の一貫性、すなわち過去-現在-未来という階層が成立せず、エピソードがランダムに乱立してしまうことが問題になっていた。(p210)

ASDの人たちは、時間の連続性の感覚があいまいであり、過去から未来へと脈々と続く一つの自分というのをイメージしにくいようです。

これは、ASDの人が感覚統合の問題を抱えていて、運動時に手足などを協調して動かすことが苦手だったり、複数の五感からの入力を統合するのが難しかったり、時には空気に溶け込むような拡散体験を訴えたりすることと共通しています。

一つのまとまった自己を持ちにくいASDの人たちは、しばしば、生きるためにIFやDIDのようなしくみを活用することがあります。

解離の病理―自己・世界・時代の中で、広沢正孝先生はこう述べています。 

彼らは一般者のように、固有の自己像を持ち、「自生的に人格の中心から出発し、種々の外的な状況にふさわしい反応を」取ることは困難である。

これに対処するために彼らは、しばしば内界にモデルとなる人物像を取り入れて、それにピッタリ合わせる形で生きようとすることもある。(p71)

この説明によると、ASDの人たちは、新しいことに対処する際、柔軟に適応する代わりに、それにふさわしい人格を取り入れて、あたかも服を着替えるように、それぞれの人格になりきることで対応する場合があります。

さらに彼らの中にはこのような、外部の人物像ではなく、自らのうちに具体的な人物像を創造し、それにピッタリ合わせる形で生きようとする者もある。それはとりわけ年少者の女性に多いように思われる。(p71)

そのような衣服を着替えるかのような人格の多重化は、外部の人物像を取り込むだけでなく、自分で創造することによって生まれる場合もあります。

自分で人格を創れるということは、当然IFを創ることもできる、ということにほかなりません。

ここでは特に年少者の女性のASDにそのようなケースが多いとされています。女性のASDは男性のASDに比べて空気が読めない傾向は弱いので、IFを生み出しやすいのかもしれません。

女性のアスペルガー症候群の意外な10の特徴―慢性疲労や感覚過敏,解離,男性的な考え方など | いつも空が見えるから

 

この後の文脈では、その一例として、自閉症だったわたしへ (新潮文庫)の著者ドナ・ウィリアムズが挙げられています。

ドナは、ウィリーとキャロルという別人格を創造することで、学校や人間関係の問題に対処していました。

ドナはウィリーとキャロルという別人格の存在を認識していましたし、記憶もつながっていましたから、古い診断基準に当てはめると、ドナはジキル博士と同じく、DIDではなくIC、つまりイマジナリーフレンドを持っていたとみなされるはずです。

広沢先生は、ASDの人たちにとって、このような多重人格的な生き方はごく自然なものだとさえ述べています。

PDD型自己の場合、そもそもの構造が区画化されており、「個」の感覚が希薄である。

したがって高機能PDD者においては、むしろいくつかの人物像が併存することは自然なことといえよう。 (p72)

PDDというのは広汎性発達障害のことで、現在はASDの一部としてまとめらたものです。そのようなPDD、つまりASDの人たちは中心となる自己のアイデンティティが希薄なために、その場その場で様々な人格になりきることは、トラウマへの反応ではなく、むしろ日常の一部なのです。

とはいえ、ASDの人たちは、愛着形成に遅れが生じやすいと言われていますし、孤立しがちでトラウマ経験にさらされることもあります。

ですから、単にASDだから人格の多重化が生じるというわけではなく、愛着トラウマなどの様々な要因が重なり合っているケースも少なくないでしょう。 

定型発達のIFとASDのIFの違い

では、定型発達の人たちが持つIFと、ASDの人たちが持つIFに、質的な違いはあるのでしょうか。

まず、脱ぎ着する衣服のようなIFは、どちらかというとASDに特有のものであり、定型発達の人のIFは人格交代のために創られることは少ないのではないかと思います。

しかしダニエル・タメットのIFのアンのように、ASDの人がただ会話するためのIFを生み出すことももちろんありますし、定型発達のIFがときに人格交代して主人格を手助けすることもあるでしょう。

また、IFを持つ年齢でいえば、ASDの子どもは発達が遅れるため、幼児期ではなく、学童期などの遅い時期にIFを持ちやすい可能性があります。

しかし、ドナ・ウィリアムズのウィリーは2歳のころ、キャロルはその1年半後に現れたので、定型発達の子どもと変わらない可能性もあります。

興味深いことに、広沢先生は、先ほどの引用文の続きで、次のように述べています。

また彼らの場合、このような複数の人物像の存在を、ごく自然に認識しており、むしろうまくそれらを使いわけることが、社会適応の手段となっている。

一方一般型自己をもつ解離性同一性障害の患者にとっては、…最終的には「個」の統一が課題となってくる。複数の人格の存在自体が苦痛となり得る。(p72)

ASDの人は中心不在のため人格の多重化を自然なものと感じるのに対し、定型発達のDIDの人は、なまじ中心となる自己が存在するせいで、人格の多重化を苦痛に感じる、と書かれています。

この違いは興味深いものですが、必ずしもASDと定型発達の感じ方の違いとはいえないようです。

というのは、以前も登場した、アリソンの提唱する多重人格障害(MPD)、つまり7歳以前に発症した多重人格の人の感じ方は、ASDの人の感じ方とよく似ているからです。

アリソンは「私」が、私でない人たち―「多重人格」専門医の診察室からの中で、7歳以前に多重人格となった人は、自己が確立する前に人格が多重化し、本来の自己は内側に隠れてしまったために、自己同一性の葛藤を感じないので「解離性同一性障害」ではなく「多重人格障害」の名称のほうが適切だと述べています。(p259)

アリソンの主張するMPDの人たちは、自己同一性の違和感を感じないだけでなく、場面ごとにふさわしい人格を創りだして対処することが当たり前になっていて、ASDの人が複数の人格を脱ぎ着して現実に対処する姿とよく似ています。

MPDの人たちの大半は、もともと自閉的なわけではないでしょうが、自己が確立する前に人格の多重化が生じてしまい、中心となる自己の不在という点でASDに似るため、同じような生き方に至りやすいのかもしれません。

しかし、ASDか定型発達かを問わず、IFやDIDなどの人格の多重化を抱える人の中には、自己同一性の葛藤を抱える人たちと、まったく自然なこととみなして違和感を感じない人たちとがいる、という点は注目に値します。

IFにも当事者研究が必要

このセクションを締めくくるにあたり、自閉スペクトラム症(ASD)の人たちと、青年期のIFを抱え持つ人たちとが、文化的な意味において、同じような局面に立たされているという共通性を考えたいと思います。

自閉スペクトラム症は、その名の通り、程度の軽いものから重いものまで、スペクトラムとしての連続性をもっている、ということを先に述べました。

単純に白か黒かで二分できれば楽なのですが、定型発達とカナー型の自閉症という両極端の人たちが比較される一方で、その中間に位置するアスペルガー症候群の人たちは、社会からも医学者からも長年誤解されてきました。

近年、ようやくアスペルガー症候群の当事者自身が、自伝や当事者研究を通して、自分たちは何者なのかを自ら語るようになり、心の理論がないとか共感性に乏しいといった偏見が正されてきたように思います。その中には、先ほどから名前が出ている、ドナ・ウィリアムズやダニエル・タメットも含まれています。

イマジナリーフレンドのような人格の多重化も自閉症と類似したスペクトラム性を持っている、ということを説明してきましたが、こちらもやはり、極端な例のDIDは研究されてきたものの、DIDと単一人格者の中間に位置する、青年期のイマジナリーフレンドの事例は、ほとんど手がつけられてきませんでした。

そのせいで、イマジナリーフレンドを持つ青年は、精神的に病んでいるとか、妄想の世界に引きこもっているといった誤ったイメージが流布しているように思えます。

こうした誤解が解かれるためにはアスペルガー症候群の人たちが、自分たちの口でそのユニークな文化を語り始めたように、青年期のIFを持つ人たち自身が、当事者研究を通して、その独特な文化や世界観を発信しなければならないのではないでしょうか。

子どものイマジナリーフレンドを研究してきた麻生武先生は、想像の遊び友達一その多様性と現実性の最後にこんな付記を添えていました。

日本では,「想像の遊び友達」について語られることがほとんどなく,研究されることもほとんどなかった。

よって,日本において「想像の遊び友達」を持っていた人々・子どもたちは,そっと人知れず自分だけの王国を持っていたと言える。

私は,その王国に足を踏みいれ,その高原に咲く草花を分類しこのような形で発表してしまった。

本論を読んでくださった方が,子どもたちの内なる王国を,好奇心という土足で踏みにじらないことを願いたい。

とは言え,このように発表しつつそのような願いを人にすること自体あまりにも自己中心的かとも思っている。

アメリカが発見されなければ,1千万のインディアンが殺されずにすんだのにという思いがある。私の発見したと思っている王国がアメリカではないことを祈りたい。

何度読んでも、非常にすばらしい心遣いが感じられる文章だと思います。

イマジナリーフレンドという概念についての記事がネット上に増えるにつれ、はじめは、良い意図で書かれていたとしても、分母の拡大ととも底質な意見を述べる非当事者が増えることは避けられないでしょう。

非当事者は、決して当事者の感覚を十分正しく把握することはできませんから、誤った見解が流布すことになります。

しかし、今はアメリカ・インディアンが虐殺された時代とは違うのです。アメリカ・インディアンは、自ら声を上げる場を持っていませんでしたが、現代社会は、インターネット上を含め、当事者たちが自分の言葉を発信する機会が多くあります。

確かに、IFを持つのが子どもだけであれば、当事者研究の余地はなかったかもしれません。しかし実際には、青年期以降もIFは存在するのであり、子どものIFとはある程度地続きになっているため、当事者研究の余地は大いにあると思います。

もちろん、IFを持つ人の中にはIFの存在を発信することに違和感を持たない人がいる一方で、IFの存在を秘しておきたいと感じる人もいるでしょう。

IFが一人の人間としての人格を持っている存在であることを考えると、いち早く当事者研究を世に送り出したここにいないと言わないで ―イマジナリーフレンドと生きるための存在証明―の著者のように、友だちの存在を積極的に語りたい人がいる一方で、私秘性を保ち、プライバシーを守りたいと考える人がいるのも当然です。

走馬灯などの解離体験の不思議について記しているなぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学の中に、「意識は座席が一つしかない劇場」であると書かれているとおり、どれほどの言葉を持ってしても、IFを持つ人の実感を持たざる人に伝えるのは難しいことです。(p335)

自分だけが感じているIFという不思議な現象のクオリアを言葉にしてしまうと、多くの重要な要素が削ぎ落とされてしまい、感動が失われるように感じる人もいるかもしれません。

IFはいわば、起きながらにして夢を見ているような現象だとセクション3で説明しましたが、夢は夢のままでそっとしておきたい、まだ現実に目覚めることなく、自分だけの劇場で夢の続きを見ていたいと感じる人もいることでしょう。

様々な感じ方があるでしょうから、他の人の気持ちを尊重するのは大切なことです。

しかし、もしも、アスペルガー症候群の当事者研究のように、当事者として、自らの手でIFの体験談としての半生記や、系統立った文化論をまとめたい、と感じる人がいるとすれば、それはきっと意義のある仕事になると思うのです。

終章 あなたのIFは、あなただけのIF

以上が今回のさらなる4つの考察のすべてです。

この記事で考えたことを最後にまとめましょう。

まず、一つ目のセクションでは、IFは「心の理論」を基盤として、他の人の気持ちを想像する能力から生じることを説明しました。

「心の理論」が発達した子どもが「いない人」のことまで考えてしまうように、小説家もまた強い感受性によって、架空の登場人物を創作することができました。

二つ目のセクションでは、「心の理論」が強く発達しすぎる背景として、「愛着トラウマ」の存在を考えました。

生後わずかな期間の経験が、脳の左右の結びつきを弱め、「安全基地」としてのIFを生み出すことがあります。

三つ目のセクションでは、「解離」という脳の機能の正体に迫りました。

それは感覚遮断によって、起きながらにして夢を見ているような不思議な状態を創りだすものであり、解離による人格の多重化は病気ではなく愛着トラウマに対する防衛反応である、という点を明らかにしました。

最後の四つ目のセクションでは、「自閉スペクトラム症」のIFの特殊性について考えました。

一般的な意見とは異なり、自閉スペクトラム症の人たちも彼らなりのIFを持つことがあり、複数の人格を抱え持つ生き方を自然なものと感じているのです。

これら今回の4つの考察が目的としていたのは、子どものIF、青年期以降のIF、そしてDIDの交代人格、さらにはアスペルガー症候群のIFという、それぞれ一見隔たっているように感じる現象を結び合わせることでした。

様々な違いはあるにせよ、根底のところでスペクトラム性を有している、ということをある程度、論理的に説明できたのではないかと思います。

しかし、このようなスペクトラム性を有しているとはいえ、最後に、強調しておきたいのは、あなたのIFは、あなただけのIFである、ということです。

IFは現実の人間と同じように、一人ひとり性質が異なります。この記事に書いたような一般化された内容がぴったり当てはまるというのはむしろ稀で、実情はもっと多様性に富んでいるはずです。

わたしの見解としては、IFというのは、意識して創り出せるものではなく、ある意味で生まれつきの才能に近いものなのではないかと考えています。

正確には生まれつきではなく、生まれて間もない愛着形成の時期に、その人の脳の解離傾向が決定されます。その時期を過ぎると愛着形成が難しくなるように、後になって解離傾向を強めたり弱めたりすることはおそらく不可能です。

それは、解離傾向が比較的弱いため、ストレスに直面しても、IFを創りだすことができず、心の中が空っぽのまま、さまようことになる境界性パーソナリティ障害の人たちの場合によく表れています。

岡野憲一郎先生は、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合の中でこんなことを綴っていました。

私自身は会ったことがないが、解離に興味を持ち、「そのような症状を持ってみたい」という願望や空想を持つ人は少なからずいるということを、患者さんたちから聞くことがある。

私は「解離になりたいと思っても簡単にはなれない」という立場である。「解離になりたい」人たちは「解離になりたい」けれどもそうなれない人のはずだ。(p5)

なぜなのかよくわかりませんが、世の中には「解離になりたい」と考える人たちが存在するようです。

アインシュタインのようなアスペルガー症候群の天才の論理的な思考に憧れて「アスペルガー症候群になりたい」と考える人たちと似ているかもしれません。

実際に、以前の記事で取り上げたように、IFの作り方を知りたい、と思って調べる人たちはけっこういるようです。

イマジナリーフレンドは自分で「作る」ものなのか「作り方」があるのか | いつも空が見えるから

 

しかし、岡野先生は『「解離になりたい」人は「解離になりたい」けれどもそうなれない人のはずだ』と述べています。

わたしもまったくの同意見で、上記の記事で説明したとおり、たとえIFを作りたいと思って作った人がいるとしても、生来の解離傾向によって創りだされたIFと、見よう見まねで創ったIFとでは、母語と第二言語ほどの違いがあるはずです。ネイティブになりたいと思っても簡単にはなれないのです。

2015年の第14回日本トラウマティック・ストレス学会で発表された、大饗広之先生らの近年の研究、大学生年代におけるイマジナリー・コンパニオン体験の諸相 - を見ても、解離群と非解離群のIF周辺体験を比較したところ、性質が大きく異なることがわかっています。

実際に、この記事をここまで読んでくださった方であれば、IFが単なる空想によって生まれるわけではないことを承知しておられると思います。

それは幼少期からの愛着トラウマや過剰同調性、あるいはアスペルガー症候群などからくる苦悩と絶えず向き合わなければならなかった結果、防衛機制が創りだした助け手であり、闇夜にきらめく星のように、まず深い漆黒があって始めて輝き出すものなのです。

上記の記事で取り上げたタメットらのように、IFを自分で創った、と感じている人もいるかもしれませんが、厳密な意味でIFらしいIFを創れるのは、おそらくはある程度の潜在的な解離傾向を持っている人たちに限られるのでしょう。

幼いころに決まる解離傾向を、後々手に入れることができない、解離になりたくてもなれない、というのは、裏を返せば、解離をやめたくてもやめることはできない、という意味でもあります。

解離性障害の人は、加齢と共に症状が軽くなりますし、人格の多重化が消えていくこともありますが、それは生来の解離傾向が弱まったという意味ではなく、解離を用いなくてもストレスに対処できるようになっていくということでしょう。

DIDの予後についての次の記述は、生来の解離傾向が、おそらく生涯にわたりそれほど変化しないことを裏づけているように思えます。

DIDを持つ患者のかなりの部分は、大きなストレスがない保護的な環境に置かれれば、次第に人格部分の出現がみられなくなり、「自然治癒」に近い経路をたどることが観察される。

…ただしそのような例でも多くが長年にわたし心の中に人格部分の存在を内側で感じ続けたり、時折幻聴を体験したりすることが報告されている。(p139)

たとえ別人格が役目を眠りにつこうとも、それらは「眠る」のであって「消える」わけではないようです。それらが本当の意味で「消える」のは、主人格が死ぬときでしょう。

IFにしても、DIDの交代人格にしても、ひとたび精緻な人格としてのアイデンティティを形成したなら、生涯にわたって主人格と人生を共にするのでしょう。

解離傾向は、コントロールを失うと、ときに苦痛を伴うものとなるかもしれませんが、基本的には、苦痛の原因は愛着トラウマなどの別の部分にあり、解離傾向は、それらから心を守るために働いています。

あなたの解離傾向は、優れた感受性や内省的な思考力、芸術的才能などをもたらしているかもしれませんが、それらすべてはあなただけのものです。それを後から獲得することはできません。

それはすなわち、あなたが出会ったIFは、だれか他の人が創り出したいと思っても、決して創り出すことができず、あなたのために、ただあなただけのために、オーダーメイドの存在として、生み出されたものだということです。

最後に、もう一度言います。

あなたのIFは、あなただけのIFなのです。

脳卒中から生還した科学者が語る「奇跡の脳」―右脳と左脳が織りなす不思議な世界

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鏡の中に見える反転した自分の姿に向かって、わたしは嘆願しました。

(おぼえていてね、あなたが体験していることをぜんぶ、どうか、おぼえていてね!

こののうそっちゅうで、認知力がこわれていくことで、まったくあたらしい発見ができるように―) (p48)

しも、刻一刻と壊れていく自分をリアルタイムで体験することになったら、あなたはどう感じるでしょうか。

一分一秒と時経つうちに、ひとつ、またひとつと能力が失われていき、体を動かす力も、言葉を話す能力も、見たものを把握する理解力も、次々に削がれ失われていくのを、ただ見ているしかない状況に置かれたとしたら。

科学者のジル・ボルト・テイラー博士が置かれたのはまさにそのような状況でした。37歳のある朝、彼女は朝起きると脳卒中になっていて、わずか数時間のうちに自分の能力が失われていくのを見つめることになったのです。

普通の人ならば、わけもわからずただパニックになるような異常な事態ですが、冷静な科学者たる彼女は違いました。

これまでの知識を総動員して、自分に何が起きているのか把握しました。そして働かない体と思考を駆使してなんとか助けを求め、壊れゆく思考の中で、冒頭の言葉を思いに刻みました。

「こののうそっちゅうで、認知力がこわれていくことで、まったくあたらしい発見ができるように―」。

この記事では、博士の劇的な体験記奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)をもとに興味深く思った点をまとめ、右脳と左脳の機能の違いや、自閉スペクトラム症(ASD)における右脳の役割などを考察してみました。

これはどんな本?

今回紹介する奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)は、脳卒中によって左脳の機能がほぼすべて失われるという極めて過酷な逆境に陥りながら、科学者の目を失わずに自らの身に起きたことを分析し、たゆまぬリハビリによって後遺症を克服してきたテイラー博士の体験記です。

この本は大きく分けて3つの部分からなり、前半は脳卒中とリハビリの体験談、後半は脳卒中の経験から学んだ新しい生き方の勧め、そして付録として脳についての科学的な説明が収録されています。

特に前半部分の、脳卒中を身をもってリアルタイムで経験し、科学的な分析と当事者としての感情を織り交ぜて書かれた体験記は、極めて特異な感覚世界へ旅をして生還したテイラー博士にしか書けないすばらしい見聞録になっています。

後半部分は、読む人を選ぶ内容で、飛躍した意見も見られますが、奇跡の脳の織りなす不思議な世界を垣間見て、新たな人生観を持つに至ったテイラー博士の覚めやらぬ興奮が熱く伝わってきます。

37歳で脳動静脈奇形(AVM)から脳卒中へ

この本の著者のテイラー博士は、とても有能かつ前途有望な神経解剖学者でした。

統合失調症を発症して社会生活を送れなくなってしまった兄を見て育った彼女は、この破壊的な精神疾患の正体を探るべく医学の道に進み、35歳の若さで全米精神疾患同盟(NAMI)の理事に抜擢されます。

史上最年少の理事として若さとエネルギーに満ち溢れ、それまで否定的に見られがちだった脳バンクへの献体を、歌によって身近に感じさせる「歌う科学者」として活動するなど、前途洋々の人生を送っていました。

しかし1996年12月10日の朝、目が醒めた時に、彼女の人生は一変してしまいます。

最初に感じたのは、ひどい頭痛と、体の動きのぎこちなさでした。自分を外から見ているような解離状態が生じ、体のバランスが崩れ、何気ない物音が耳をつんざくような轟音になりました。

次々に思考と体に生じる不思議な症状を目の当たりにし、科学者としての知識を総動員した彼女は、ついにその正体に気づきます。

なんと37歳の若さで、脳卒中になってしまったのです。

それでも、絶望してショックを受けるどころか、冒頭に引用した言葉のように、自分の経験から新たな発見しようと決意したのは、知の探究に人生を捧げる科学者らしいところです。

これまで外から研究するしかなかった脳の機能を、自分の体験をもって、内側から調べるチャンスが訪れた、と感じたのです。

わたしのこれまでの人生は、人間の脳が現実に対する知覚をつくり出す仕組みを理解することに費やされてきました。

でも今、目を瞠(みは)るような新しい発見につながる一撃(脳卒中)を体験してる!(p44)

しかし、科学者として新たな発見を前に高揚する気持ちとは裏腹に、次々と脳の機能が失われていくのは、とても苦しく不自由極まりない経験でした。

ひとたび脳卒中が生じ、当たり前の脳の機能が失われていくと、ほんのささいなこと、たとえば助けを求めて電話をするといったことでさえ、不可能な難題に様変わりする、ということに彼女は気づきました。(p49)

一瞬前に何を考えていたかさえ忘れてしまう、電話番号をほんの数秒ワーキングメモリにとどめておくことさえできない、ごく普通の手の動きがままならない、文字が理解できない、そしてあまりに長い時間悪戦苦闘して、なんとか電話をかけることに成功しても、言葉がでてこない…。

わたしたちが常日頃、ごく当たり前とみなして気にも留めない諸々の認知機能が失われるだけで、助けを求めるという小さなステップが、どれほど高い、乗り越えられない壁になるかを経験したのです。

幸い、彼女は周期的に訪れる思考の「明晰な波」をとらえて、助けを求める電話番号を奇跡的に思い出しました。電話ではうめき声しか出せませんでしたが、これまた奇跡的に電話に友人の医師が出て、彼女の異常事態を察知してくれました。

そうして病院に入院した彼女は、先天性の脳動静脈奇形(AVM)による脳卒中と診断されます。彼女はかねてから偏頭痛のような痛みを感じていましたが、それは実は、AVMによる脳卒中の前兆だったことも知りました。

そのときから彼女の脳は新しく配線され、右脳だけで生きるとはどういうことか、そして左脳の機能を取り戻す中で、自分にどのような変化が起きていくのか、という摩訶不思議な過程を身をもって体験することになります。

脳卒中から回復するために必要なこと

続く部分では、入院中の苦労や心細さ、リハビリの過程などが綴られていきます。

体験者にしか書けない生き生きとした真に迫る描写の数々は、あらゆる人が読む価値のある貴重な現地リポートだと思います。

たとえば、脳卒中の患者という視点から見た病院の制度の問題や、助けになるスタッフと、苦痛を増し加えるスタッフについての違いは、医療関係者やヘルパーなどにとって必読ともいえる部分です。(p82 86 106 124)

「病院の一番の責務は患者のエネルギーを吸い取らないこと」というテイラー博士の実感のこもった言葉に思わず共感する人は少なくないでしょう。 (p118)

患者が今どんな状態にあるかを顧みようとしない機械的な対応や、ただ情報を聞き出そうとするぞんざいな扱い、体調を推し量ることなく全員を一律に扱って重病人を待たせて放置することなどが、いかに患者のエネルギーを奪うかが切々と語られています。

一方で、 親切なスタッフがどのように共感的に、尊厳を重んじて扱ってくれたか、ということも具体的に記されているのでとても参考になります。彼らは、テイラー博士が言葉を話せなくても、決して知的に劣る者のように扱ったりしませんでした。

さらに、テイラー博士のリハビリにおいて大いに助けになった、母GGによる世話の記述を読むと、回復に必要な支えとはどんなものかがよくわかります。

テイラー博士は、そうしたこまやかな支えが得られないために、本当は回復できるのにその可能性を閉ざされてしまっている脳卒中患者が少なくないと述べています。

脳卒中で一命をとりとめた方の多くが、自分はもう回復できないと嘆いています。

でも本当は、彼らが成し遂げている小さな成功に、誰も注意を払わないから回復できないのだと、わたしは常日頃考えています。

だって、できることとできないことの境目がはっきりしなければ、次に何に挑戦していいのか、わからないはず。

そんなことでは、回復なんて気の遠くなるような話ではありませんか。(p144)

同時に、そうした共感的、献身的な支えのもとで、できなくなったことではなく、できることに注意を向けて、達成可能なハードルを少しずつ設定し、たゆまずリハビリに努めたテイラー博士の姿勢からも大いに学べるものがあります。

外界のいかなるものも、わたしの心の安らぎを取り去ることはできません。それは自分次第なのです。

自分の人生に起きることを完全にコントロールすることはできないでしょう。でも、自分の体験をどうとらえるかは、自分で決めるべきことなのです。(p195-196)

テイラー博士は、多くの能力が失われても、決して無力感に打ちのめされたりせず、いつも自分の人生は自分でコントロールしている、という認識を抱いていました。

冒頭で引用したとおり、たとえ自分が壊れていく中にあっても、そこから何か新しい発見を得ようと未来を見据えていたほどでした。

これは、以前の記事で紹介した、自己統御感そのものでしょう。

難病や試練を乗り越える人の共通点は「統御感」ー「コップに水が半分もある」ではなく「蛇口はどこですか」 | いつも空が見えるから

 

まさにその自己統御感ゆえに、テイラー博士は脳卒中の後遺症から回復し、科学者として、再び一線に復帰することができたのです。

この本のp291-297には、付録として、テイラー博士の経験に基づく「病状評価のための10の質問」「最も必要だった40のこと」が載せられています。

それらは、この本の体験談と合わせて、さまざまな病気の人と接する家族や医療・福祉関係者にぜひ読んでもらいたい内容だと感じました。特に「最も必要だった40のこと」は、印刷してデスクに貼っておくべきリストかもしれません。

アスペルガー症候群とよく似ている?

ところで、わたしは本書を読んでいるうちに気になったことが幾つかありました。

まず気になったのは、脳卒中後、言語中枢をはじめ、左脳の機能の大部分が低下しているときに著者が経験した様々な症状についてです。

読んでいるうちに、それらの症状が、どうも自閉スペクトラム症(ASD)、つまりアスペルガー症候群の人たちが経験するとされる症状に、極めて似通っているように思えてきました。

著者が体験した特異な症状は、リストアップしてみると、例えば、以下のようなものがありました。

■時間感覚:
「今ここ」に心を奪われる 115
過去や未来がわからない 137

■空間感覚
三次元がわからない 98 114
どこに手足があるかわからない 115

■感覚過敏・鈍麻
光過敏、蛍光灯の明かりが強すぎる 116 163
声を背景から区別できない 102 114
感覚の洪水、情報の集中砲火 136
洗濯機でパニックに 165
感情を過敏に読み取ってしまう 106 121

■ひどく疲れる
テレビにエネルギーを吸い取られる 148 182
頭と体の活動に区別なく疲れる 149
エネルギーを節約する必要がある 126
負のエネルギーを出している人の影響を受ける 192 193

■視覚的思考
絵で考えることはできた 108
全体思考 112

■失読症   
読むことが一番難しい 157
文字が染みにしか見えない 158
書けるのにそれを読めない 168
音読しながら意味を理解することが理解できない 187 

■自己同一性についての感覚
残された自分の人格はだれなのかわからない 93 101
左脳と右脳で異なる人格を感じる 223

こうした症状はいずれも、自閉スペクトラム症の人の本を読むと、たびたび目にするものばかりです。

たとえば、時間の流れの連続性がなくなり、常に「今ここ」にとらわれている特殊な時間感覚については、過去の記事で扱いました。

アスペルガーとADHDの時間感覚の違い―過去と現在と未来 | いつも空が見えるから

 

また、特に自閉スペクトラム症との類似性を思わせるのは、過剰な感覚の洪水に圧倒されてしまう症状です。テイラー博士はこう述べています。

脳が、最低限の刺激しか望んでいなかったからです。意気消沈していたわけではなく、脳が感覚の洪水でアップアップの状態にあり、情報の集中砲火を処理できなかったから。(p136)

この情報過多のせいで、テイラー博士はまぶしい光やつんざくような音に悩まされ、まわりの雑音に圧倒され、洗濯機を使っていてパニックになりそうになりました。

これと似たようなことは、自閉スペクトラム症の人たちがよく述べていて、たとえば綾屋紗月さんの発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい (シリーズ ケアをひらく)では「感覚飽和」と呼ばれていました。

本来は、外部から五感が受け取る情報はフィルターにかけられて必要なものだけが意識に上るのですが、自閉症の人たちはそれがうまく働かないようです。

女性のアスペルガー症候群の意外な10の特徴―慢性疲労や感覚過敏,解離,男性的な考え方など | いつも空が見えるから

 

また、テイラー博士は物事を文字で考えるのが不可能になり、絵で考えることしかできなかったと述べています。

外部の世界とのコミュニケーションは途切れていました。言語の順序立った処理もダメ。

でも絵で考えることはできました。瞬間、瞬間に垣間見た情報を集め、その体験について時間をかけて考えることもできました。(p108)

このような強い視覚的思考はしばしば自閉スペクトラム症の人たちにみられます。

最近、金沢大学の研究によって、「三次元の物体イメージを,心の中でうまく回転させることができる」ような視覚的思考の能力が高い自閉スペクトラム症の子どもでは、脳に特殊な結合が見られることがわかりました。

世界初! 自閉スペクトラム症児の視覚類推能力に関わる脳の特徴を捉える | 金沢大学

自閉スペクトラム症児においては,視覚野に相当する後頭部と前頭部の間で,ガンマ帯域を介した脳機能結合(図2)が強いと,視覚性課題の遂行力が高いことを発見しました。

自閉症とサヴァンな人たち -自閉症にみられるさまざまな現象に関する考察‐では、こうした独特な視覚的思考は、高名なアスペルガーの数学者が幾何学を通してひらめきを得るときに役立ったのではないかと考えられていました。

有名なアスペルガーの動物学者テンプル・グランディンは、まさに「わたしは絵で考える」と述べています。

自閉症の動物学者テンプル・グランディンのTED「世の中には いろいろなタイプの脳が必要だ」まとめ | いつも空が見えるから

どうして、右脳の機能に頼るようになったテイラー博士の感覚と、自閉スペクトラム症(ASD)の人たちの感覚とがこうも似通っているのでしょうか。

まず思い出したのは、以前に読んだ芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察の中で、自閉症の人たちの特徴から推測するに、それらの人たちは脳機能のバランスが悪く、特に左脳の機能低下が生じているのではないか、と書かれていたことです。

自閉症者は、言語とコミュニケーションの面で重篤な障害があるので、左半球の機能不全がこの障害の主要な原因であると考えられているが、自閉症の視覚芸術家の脳についてこの点を確認できる資料はほとんど存在していない(p256-257)

自閉スペクトラム症の中でも、アスペルガー症候群など高機能とされる人たちの場合は、言語能力が高く、コミュニケーションもできますが、それでも、比喩表現や言外の意味を理解し、いわゆる空気を読むことが苦手だと言われています。

脳の左半球は、単に言語を扱うだけでなく、「既存の概念を再構成する能力」があり、想像力を働かせて意味を解釈することにも関わっているので、言葉を額面どおりに真に受けてしまうアスペルガー症候群の人はやはり左半球が弱いのかもしれません。(p257)

一方で、アスペルガー症候群の人は、視覚的な思考に長けていて、言葉より映像で考えるのが得意な場合があります。

同じ本によると、そうした視覚的思考の能力は言語能力とは逆に右半球の機能と大きく関係しているようです。

空間知覚や全体のなかの位置の判断、物理的空間のイメージ化、同じ対象や地形を心のイメージを通じてさまざまな視点から捉えることなどの機能に関しては、ほとんどの人で右半球が特殊化されている(De Renzi,1982:MeCarthy & Warrington,1990)。(p172)

テイラー博士の場合、脳卒中後、三次元を認識するのに苦労していましたが、それでも絵で考える視覚的思考が強くでていました。

空間認識能力は、完全に右脳だけで成り立っているわけではないのかもしれませんが、一般的に右脳が視覚情報の処理に特化していることはよく知られています。

また、テイラー博士の感覚過敏や、自閉スペクトラム症の人たちの感覚飽和についても、やはり右脳の優位性という観点から説明がつくように思います。

先程の右脳と左脳研究の第一人者、マイケル・S・ガザニガによる右脳と左脳を見つけた男 - 認知神経科学の父、脳と人生を語る -には、脳の左半球と右半球の役割の違いについて、次のような説明があります。

左半球には、状況の要点を把握し、できごとの概要にうまく当てはまるような推論を行い、そうでないものはみな捨て去る傾向がある。

こうした手の込んだ作業をすることで正確性には悪影響が生じるが、一般的には新しい情報の処理が容易になる。

右半球はこういうことはしない。まったく正確に、最初に見た写真だけを見分けるのだ。(p179)

このことから右脳は見たままの、感じたままの正確な情報を保存し、左脳はそれを加工し解釈する、という役割を担っているというものがあります。

先程の芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察の中では、左脳の加工し解釈する役割は「意味システム」と呼ばれていました。

マイケル・S・ガザニガはそれをインタープリター(解釈者)とも呼んでいます。

自閉症の一種とみなされるサヴァン症候群の人の中に、極めて正確な記憶力で知られるキム・ピークや、精密な写実画で知られるスティーブン・ウィルシャーがいますが、彼らの正確な記憶力は、「意味システム」や「インタープリター」(解釈者)が働いていない、つまり受け取った情報が加工されていないことを示しています。

これはアスペルガー症候群の人が冗談を字句通りに受け取ってしまうことともよく似ています。 彼らは正確な情報を扱うことには長けていますが、飛躍させたり、混ぜ合わせたり、行間を読んだりするのは苦手なのです。

なぜ自閉症・サヴァン症候群の人は精密な写実絵を描けるのか | いつも空が見えるから

 

また、いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳の研究を見ると、虐待児の研究では、脳の右半球にはトラウマ記憶など、加工されていないありのままの生々しい記憶が保存されていると言われています。

一方、右半球は空間情報の処理や情動、とくに否定的な情動の処理や表現を主にしている。

虐待を受けた子どもたちは、そのつらい思い出を右半球に記憶しており、それを思い出すことで右半球を活性化しているのではないかとTeicherは考えた。(p64)

この場合、左半球の機能が弱いことで、過去のトラウマ記憶を適切に処理し、忘れたり受け入れたりするのが難しくなっているとみなせます。

脳卒中後のテイラー博士や自閉スペクトラム症の人の場合も、受け取った感覚を未加工のまま認識してしまうので、音や光や、さまざまな感覚が情報過多になって圧倒されてしまうのでしょう。

その反面、見たままの映像を処理する能力に長けていて、視覚的思考によって言葉を読み取る力の弱さを補い、他の人とは異なる仕方で考えることができるのではないでしょうか。

ただし、ここで注意しておかなければならないのは、どうやらテイラー博士は、もともと自閉スペクトラム症の傾向を持っていたように思えることです。

テイラー博士自身が、自分はずっと右脳優位で、 視覚的なパターンで考えることが得意だったと回想しています。 また極端に他人に依存しない生き方をしてきたことも述べています。(p60、191)

テイラー博士が、もともと能力の高いアスペルガー症候群であったとしたら、脳卒中によって左半球の能力が失われたことで、本来の自閉症に似た右半球の特徴が表面化したとしても不思議ではないように思えます。

もしも生来の脳の傾向が関わっていたのだとしたら、テイラー博士の個人的経験だけに基づいて、右脳と左脳の機能についてあれこれと推測しても、必ずしも万人に当てはまるものにはならないかもしれません。

だれもが左半球の能力を失ったときに自閉スペクトラム症のような感覚世界を体験する、というわけではなく、単にテイラー博士が生まれつきそうした脳の傾向を持っていたにすぎないかもしれないのです。 

「後半の調子についていかれない」?

脳卒中の体験隊を客観的に振り返っていた前半部分と打って変わって、この本の後半部分は、突如、論調が大きく変わり、まったく別の本のような様相を呈します。

その変貌ぶりは、訳者がわざわざあとがきでこうフォローしているくらいです。

もしかしたら、後半の調子についていかれない、と感じた読者もいるかもしれません。

でも、本書は宗教書でもなければ神秘主義の本でもありません。れっきとした科学書であり、科学者の自伝なのです。(p338)

この本の後半は、テイラー博士が、脳卒中後、ほとんど右脳だけで思考する状態になったとき、不思議な幸福感や世界との一体感を感じ、涅槃(ニルヴァーナ)は誰にとっても身近にあるものだと気づいた、というような内容になっています。

つまり、宗教における深い安らぎと共感は、右脳の働きによるものであって、だれでも左脳の批判的な精神を黙らせればその境地に至れるという、「右脳マインドのススメ」が熱弁されています。

わたしは、特に宗教的・スピリチュアル的内容だからという点では「後半の調子についていかれない」と思うことはありませんでした。

巻末の解説で養老孟司先生が書いておられるのと同じようにわたしは考えています。

いわゆる宗教体験、あるいは臨死体験が脳の機能であることは、いうまでもない。

しかしそれが世間の常識になるまでには、ずいぶん時間がかかっている。

神秘体験としての臨死体験が世間の話題になった時期に、私は大学に勤めていたから、取材の電話に何度お答えしたか、わからない。

あれは特殊な状態に置かれた脳の働きなんですよ。(p341)

宗教における神秘体験や臨死体験は、このブログでよく扱う「解離」という脳の機能と関わりの深い現象なので、過去にも正面切って考察したことがあります。

なぜ人は死の間際に「走馬灯」を見るのか―解離として考える臨死体験のメカニズム | いつも空が見えるから

 

そうした現象は、解離性障害や側頭葉てんかんといった特殊な脳の状態では頻繁に生じるものであり、たまたま普通の人がそれと同じような状態になったときに神秘体験として認識されるのです。

それで、わたしは後半の著者の話題にも抵抗がなく、むしろ興味深く感じていたのですが、一方でいくらか「後半の調子についていかれない」と言わざるを得ない部分もありました。

それは、本来、冷静な科学者であるはずの著者が、「右脳マインド」と「左脳マインド」を極端に誇張しているように感じられたことです。

「右脳マインド」「左脳マインド」の落とし穴

かつて左脳は男性的で科学的、右脳は女性的で芸術的といった極端なラベル付けがはやり、特に右脳の創造性を鍛える脳科学グッズなどが人気を博したりしました。

しかし脳科学の真贋―神経神話を斬る科学の眼 (B&Tブックス)などの専門家の本が警鐘を鳴らすとおり、それは誇張であり、どんな人でも、左脳と右脳を協調させて創造性を生み出しています。

盲信しないために知っておきたい「脳科学の真贋―神経神話を斬る科学の眼」 | いつも空が見えるから

 

この本の中でテイラー博士も、科学者として、左脳と右脳については、「左右が互いに補い合ってひとつになるというほうがより適切だ」と認めています。(p322)

ところがテイラー博士の後半の説明では、自身の劇的な経験から、「右脳マインド」は安らかで共感的で幸福、「左脳マインド」は批判的な物語作家、という誇張したキャラクター付けがなされてしまっています。

そして、不安や恐れは批判的な左脳が引き起こすので、「右脳マインド」をもっと育むべきだ、そうすれば安らぎや宇宙との一体感を得られる、という自己啓発に終始しています。

わたしは専門家でもなんでもないので、本職の科学者の本に疑問をさしはさむのは出過ぎたことだと承知していますが、それでもこの本の、「右脳マインド」は幸福で安らか、「左脳マインド」はマイナスの思考パターンをもたらすという説明には疑問を感じざるを得ません。(p246)

高名な科学者の実体験に基づく すばらしい本だからこそ、誇張されている結論を、読者がすんなり事実として受け入れてしまいやすいのではないか、というおそれも感じました。

この点について、たとえば脳科学者エレーヌ・フォックスによる脳科学は人格を変えられるか?によると、楽観的な人の場合、脳の左半球への活動の偏りが大きいとする実験が紹介されていました。

また、脳の左側への偏りが大きい人は、右側への偏りが大きい人に比べ、おしなべて幸福度や楽観性が高いこともあきらかになっている。(p78)

先程引用したいやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳の虐待児の脳の研究では、逆に脳の右半球は否定的な情動と関係しているとされていました。

どちらの説明も、右脳の働きが強いことを否定的な情動と結びつけていて、テイラー博士の「右脳マインド」を鍛えれば幸福になる! という自己啓発とは正反対です。

いったいどういうことなのか。

あくまで推測にすぎませんが、一見真っ向から矛盾しているように見えるこれらの相対する意見には共通点が見いだせるように思います。

テイラー博士が左脳は「マイナス思考」の源だと意識するようになったのは、脳卒中からある程度回復し、失われていた左脳の機能をいくぶん取り戻してからでした。

そのときのテイラー博士は、健全のままだった右脳が優位で、ようやく回復しはじめた左脳の働きは弱い状態にあったことになります。

すると、お気づきの通り、これは先程の実験で、悲観主義だった人たちの脳の状態、つまり脳の左半球の活動が弱かった人たちの状態と似ています。

つまり、テイラー博士が回復のさなかに感じた「マイナス思考」は、単に左脳マインドのせいで引き起こされたのではなく、左脳の働きが右脳の働きに比べて相対的に弱かったせいで生じたのではないかと思います。

テイラー博士は、恐怖とは「誤った予測なのに本当に見えること」だと説明していますが、左脳の働きが弱いために認知の歪みが生じ、それによって右脳の感情が刺激され、不安のループにとらわれるようになったのかもしれません。 (p284)

一つ前の副見出しで考えた左脳と右脳の役割によると、右脳はありのままの感覚をそのまま感じ、左脳がそれを解釈したり加工したりしているのではないか、ということでした。

すなわち、「右脳マインド」はいつも幸せと安らぎに満たされているわけではなく、ただありのままの感情、未加工の感情を感じるだけなのです。

「右脳マインド」は強い幸せに満たされることもあれば、強い不安や悲しみに圧倒されることもあり、それを調整する役割を「左脳マインド」が担っているのではないか、ということになります。

テイラー博士が圧倒するような幸福感に満たされたのも、逆に不安のループにはまりこんだのも、どちらも右脳が優位になって歯止めが効いていなかったためでしょう。

テイラー博士自身は、そのようなマイナス思考になって不安にとらわれた時は、「言葉に適切な感情をこめて、情感たっぷりに[左脳の]物語作家に語りかけ」ることが効果的だと述べています。(p248)

テイラー博士はこれを、左脳の物語作家、つまり「解釈者」をなだめる方法としていますが、どちらかというと、情感たっぷりに語りかけて反応するのは右脳のほうでしょう。

テイラー博士は右脳によって暴走する左脳をなだめていたのではなく、左脳の言語能力を用いて暴走する右脳をなだめていたのではないかと思います。

つまり、不安を和らげるには、よりいっそうの「右脳マインド」を培うのではなく、認知の歪みを正す左脳の機能を強め、右脳と左脳の連携を深めることのほうが適切ではないでしょうか。

もっとも、テイラー博士が脳卒中後、ほぼ右脳の機能だけのときに、さまざまな入り混じった感情ではなく、ただ強い幸福感を感じていた理由は定かではありません。

臨死体験やそれと似たてんかん発作のときなども深い幸福感を感じると言われますから、右脳が完全に切り離された解離状態では確かにテイラー博士の言うように深い安らぎを感じるのでしょう。

しかし、だからといって、ストレスを感じるときに、いつも解離状態を生じさせて対処するわけにもいきません。結局のところ、深い安らぎに包まれることは時には有益ですが、それと同じほど、思考力を用いて現実に対処することもまた大切なのです。

また、テイラー博士が右脳だけで思考してるときに安心感を感じられた理由として、テイラー博士の生まれ育った環境による影響も考える必要があるように思います。

右脳は生後間もない時期に左脳に先立って機能し始めますが、テイラー博士はGGというとても愛情深い母親のもとで育ったので、安定した愛着が右脳に刻み込まれ、基本的な安心感が備わっていたのかもしれません。

逆に、もしも温かい家庭に恵まれず、安定した愛着を得られず育った人の場合は、右脳のデフォルトの感情は悲しみや孤独であるはずです。

先程引用したいやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳によると、虐待を経験した人は「中立記憶を考えているときには圧倒的に左半球を使っており、つらくていやな記憶を思い出すときには、右半球を使っていた」そうです。(p64)

幼い時期に劣悪な環境で育った人の場合、右脳にはテイラー博士が感じたような安心感は備わっていないのかもしれません。

誰も信じられない、安心できる居場所がない「基本的信頼感」を得られなかった人たち | いつも空が見えるから

 

このように考えると、テイラー博士が経験した右脳の安らぎもまた、だれもが経験できるものではない可能性があります。

テイラー博士の独特な経験は、生まれつきの自閉スペクトラム症の傾向と、幼年期に育まれた安定型愛着に基づく、テイラー博士の脳だからこそ経験できたものであり、人はそれぞれ違った脳を持っている、という可能性を見過ごしているのではないでしょうか。

一人ひとりの「奇跡の脳」

以前の記事で書いたとおり、わたしたちは一人ひとり違う脳の傾向を持っているので、万人に当てはまる「右脳マインドのススメ」などは存在せず、それぞれが自分に合ったやり方を見つける必要があるのではないか、とわたしは思います。

万人に役立つライフハックや勉強法などない!―ADHDやアスペルガーに必要なのはオーダーメイド | いつも空が見えるから

 

先程も引用した右脳と左脳の研究の第一人者マイケル・ガザニガの右脳と左脳を見つけた男 - 認知神経科学の父、脳と人生を語る -にはこんな一文がありました。

科学ではよくあることだが、最初に得られた観察結果が正しくとも、最初に行った解釈がまったく間違っている場合もある。(p334)

テイラー博士の体験記も、前半の観察結果は正しくとも、後半の解釈は飛躍しすぎていたように思います。

ガザニガは右脳思考や左脳思考がメディアを席巻するよりも前から、「脳の機能を単純に説明づけることが魅力的に思えなくなってきた」と振り返っています。(p136)

確かに、右脳と左脳にはそれぞれ得意なことがありますが、たいていはどんな作業でも左右で連携していますし、人によって脳の用い方やそれぞれの経路の反応速度は異なりますし、あまつさえ左脳の専売特許とみなされている言語機能を右脳に持っている人さえいるのです。

ですから、この記事でわたしが書いたこともまた憶測にすぎません。現時点でのほんのわずかな知識を用いて左脳のインタープリター(解釈者)が創り出した、もっともらしい話でしかありません。

未だ謎の多い脳の機能について、手持ちの知識だけで早計に結論を出すのは、つくづくふさわしくないと感じます。ところが人間は、やっかいなことに手持ちの知識以外の可能性を考えられないのです。

結局のところ、右脳と左脳は密接に協力しあってひとつの脳、「奇跡の脳」を織りなしているということに尽きるのできないでしょうか。

「右脳マインド」と「左脳マインド」のどちらが勝っているとか、どちらが創造的だとかいう議論に意味はなく、一人ひとりが自分だけの奇跡の脳を持っているのです。

いみじくもテイラー博士は、この奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)の冒頭で、そのことを、はっきりと読者に告げていました。

テイラー博士は終盤脱線したように見えて、そんなことは始めからしっかりわかっていたのです。

ただ自分の経験した、あまりに不思議な脳の世界のすばらしさと感動ゆえに、熱っぽく語り出したらちょっと飛躍して止まらなくなってしまっただけなのです。

そう、すべてテイラー博士がはじめにこう語ったとおりです。

どんな脳にもそれぞれの物語があります。

そして、これはわたしの脳の物語。(p3)

 

自閉スペクトラム症(ASD)の子どもの視覚的思考力とボトムアップ処理のメカニズムが解明!

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覚的思考力が高い自閉スペクトラム症(ASD)の子どもの脳の特徴が、金沢大学 子どものこころの発達研究センターとモントリオール大学の共同研究プロジェクトで明らかにされました。

世界初! 自閉スペクトラム症児の視覚類推能力に関わる脳の特徴を捉える | 金沢大学

 

 自閉スペクトラム症児の視覚類推能力に関わる脳の特徴明らかに-金沢大 - QLifePro 医療ニュース

ASD児の視覚類推能力に新知見|QLifePro 医療ニュース|医療情報サイトその視覚的能力の高さは、脳の視覚野につながるボトムアップ型の情報処理と関連している多様な個性の一つであることがわかったそうです。

自閉スペクトラム症の優れた視覚的思考力

アスペルガー症候群などを含む、自閉スペクトラム症(ASD)の人の中には,たとえば「三次元の物体イメージを,心の中でうまく回転させることができる」など、視覚性の問題を解く能力が優れた人たちがいます。

そのことは、以前の記事で取り上げた天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー)にも詳しく書かれていました。

アスペルガーの2つのタイプ「天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル」 | いつも空が見えるから

 

その秘訣として、モントリオール大学のローレン・モトロン教授らの、自閉スペクトラム症の大人を対象とした これまでの研究によると、脳の視覚野と他の場所の機能的結合、すなわち神経活動のつながりが強いことが重要であると考えられてきました。

一方で、脳機能を計測するには、放射線被曝のリスクがあったり、大掛かりな機器を使ってじっとしていることが必要だったりする難しさがあり、子どもを対象とした研究は行われていませんでした。

しかし、このたび国内唯一の、幼児用脳磁図計(MEG)という、子どもの頭の大きさに合わせて巻き、体に害のない方法で脳活動を計測できる機器を利用でき、研究への道が開けたそうです。

視覚的思考とボトムアップ思考が関係している

研究では、4 -10 歳の定型発達の子どもと自閉スペクトラム症の子ども、それぞれ18名を対象に、視覚を用いる課題をこなしてもらい、幼児用MEGで脳の神経活動を記録しました。

すると、自閉スペクトラム症の子どもでは、大人の場合と同様に、脳の後頭部の視覚野から他の部位への神経の活動のつながりが強いほど、視覚的な課題をこなす能力が高かったそうです。

自閉スペクトラム症児においては,視覚野(後頭部)から他の部位への機能的結合が強いほど,視覚性の課題(視空間課題および視覚性類推課題)の遂行能力が高いこと(※)が世界で初めて示されました。

またこの視覚野と他の領域との神経活動のつながりには、ガンマ帯域活動(GBA)と呼ばれる脳波の活動が見られたそうです。GBAは特にボトムアップ型の情報処理と関連していると言われています。

ガンマ帯域はボトムアップ処理を反映していると考えられることを踏まえると、自閉スペクトラム症児においては、視覚野からのボトムアップ情報処理が促進されている場合に、視覚情報処理の長所が発揮されていることが分かったとしている。

多様な個性を「見える化」する

ボトムアップ型の情報処理とは、トップダウン型の情報処理と対をなす言葉です。

トッブダウン型が上から見押すかのようにまず全体をおおまかに把握するのに対し、ボトムアップ型は下から積み上げていくように、細部を正確に把握してから全体像へと進んでいきます。

トップダウン処理とボトムアップ処理の違いや、それぞれの利点については、発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス)にも次のような説明がありました。

大多数の取るトップダウン処理は、社会の維持にとって便利な反面、先入観が強くて独断的な判断に陥る可能性もある。

逆にいえば、自閉症者は、先入観なしに物事を判断する資質をもっているともいえるのだ。絶対的な物差しに則る、フェアな判断というわけだ。

…フェアで公平な見方をすることによって、必然的にコンピュータに強かったり、数学に強かったりする特徴に至るわけでもあろう。

一方で絶対的な判断は、相対的判断をする多数派から見ると、機械的だと称されることにもなる。(p81)

こうした大多数のトップダウン思考と、自閉スペクトラム症(ASD)のボトムアップ思考との違いは、以前の記事でも取り上げた互いへの違和感にもつながっているのでしょう。

アスペルガーから見たおかしな定型発達症候群 | いつも空が見えるから

 

しかしながら、トップダウン処理とボトムアップ処理はどちらも個性、向き不向きであり、優劣があるわけではありません。多様な思考が共存してこそ豊かな社会が生まれます。

今回の研究では、このような多様な個性の一端を客観的に明らかにしたという点で大きな意義を持っています。

この成果は、視覚性類推課題についての自閉スペクトラム症児の頭の働き方の特徴をとらえることができた世界で初めての報告。

子どもの脳の個性を「見える化」するひとつのステップになると、研究グループは期待を寄せている。

今後のさらなる研究による多様性の理解の進展にも期待したいところです。

金沢大学子どものこころの発達研究センターはこれまでにも自閉症に関する多数の先進的な研究を行っています。

その成果はこのブログでも以前に紹介した自閉症という謎に迫る 研究最前線報告(小学館新書)にまとめられているので、興味のある方はぜひ一読をおすすめします。

「トマティス効果」―なぜ高周波音が聞こえてしまう人は感情がこまやかなのか

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なたは、他の人が気に留めない耳障りな音が聞こえて悩まされることがありますか?

ここでいう耳障りな音とは、耳鳴りのことではありません。耳鳴りを抱える人も持続的な音に悩まされますが、それとは別に、大半の人が気に留めない高周波音が聞こえてしまう人がいます。

この現象は、モスキート音としても知られていますし、電化製品の場合は、一種のコイル鳴きとみなせるかもしれません。

大半の人は大人になるにつれ、高周波音は聞こえにくくなりますが、中には、子どものころからずっと、高周波音が聴こえ続け、耳障りに感じたり、うっとうしく思ったり、あるいはあまりにずっと聴こえるせいで慣れきってしまう人もいます。

わたしの身の回りにも そんな人がちらほらといて、どういうことなのか疑問に思っていたのですが、最近読んだ脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線という本に興味深いことが書かれていました。

それによると、高周波音が聞こえてしまう現象は、おそらくは感情表現の豊かさとも関係しているようです。そして、それとは逆の、細かい感情の読み取りが苦手で、冗談を真に受けてしまうようなアスペルガー症候群など自閉症の人たちについて知る手がかりにもなります。

なぜ高周波音が聴こえることが感情の豊かさと関わっているのでしょうか。「トマティス効果」というキーワードを通して考えてみましょう。

これはどんな本?

脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線は、カナダ・トロントに住む精神科医ノーマン・ドイジによる、脳の可能性を引き出す最新治療の取り組みを解説した本です。

前著脳は奇跡を起こすに続いて、脳は大人になっても配線を組み替える柔軟さを持っているという発見、神経可塑性(しんけいかそせい)に注目し、いかにすれば、難治性の脳疾患を改善できるのか先進的な医師たちの多彩な研究が紹介されています。

ノーマン・ドイジは医師であるだけでなく、作家また詩人でもあるそうで、ご自身もまた神経可塑性に富んだ脳を最大限に活用しておられるように思います。

「トマティス効果」―人は耳で歌う

高周波音と感情表現とのつながりを発見をしたのは、1919年にフランスで生まれた医師アルフレッド・トマティスでした。

トマティスは未熟児として生まれ、さまざまな体調不良を抱えていたこともあって、自分で原因を究明しようと医学の道に進みます。

医師になったトマティスは、航空機製造工場に務める人たちが、絶え間ない騒音によって、一部の音域に対する難聴を抱えるということに気づき、騒音による聴覚障害という先駆的な発見をしました。

その時期にトマティスは、歌手だった父の同僚たちの診察もしていました。そのオペラ歌手たちは、声のコントロールが難しくなったため、のどの治療を求めて、耳鼻咽喉科のトマティスのもとを訪れたのでした。

ところが、トマティスは、そのオペラ歌手たちの問題が、のどにあるわけではない、という意外な事実に気づきます。当時の通説とは異なり、彼らは声帯を損傷したせいで声の質が悪化したわけではありませんでした。

トマティスは、彼らに航空機製造工場の従業員のときと同じ検査をしてみて、共通点があることを発見しました。オペラ歌手たちもまた、騒音被害による難聴を抱えた人たちと同じく、特定の音域における難聴を抱えていたのです。

トマティスは、オペラ歌手たちの声の質の低下は、のどの声帯の問題ではなく、聴覚障害によるものではないか、と推察します。

つまり、特定の周波数のもとでは、歌手は、歌うことで頭蓋内に生じる音の強度のために、自らの聴覚能力を損なっているとも言える。

要するに、彼らの歌が劣化するのは聴覚能力が低下するせいだ。(p441)

オペラ歌手たちは、自分の大音量の声を聞くせいで、あたかも騒音被害のような形で、一部音域に対する聴覚障害を抱え、それが、歌の質を劣化させていたのです。

このことから、トマティスは「人は耳で歌うのだ」という前代未聞の主張を展開します。(p441)

そして、彼の発見はフランス医学アカデミーとフランス科学アカデミーで認められ、「トマティス効果」と名付けられます。

その意味するところは、次のようなものでした。

「発することのできる声の周波数は、耳が聴くことのできる周波数のみである」(p442)

耳と声、聴くことと話すことは、一見別のもののように思えますが、トマティス効果によればそうではありません。

そもそも、わたしたちが話せるようになるのは、耳で聴くことから始まります。母語を学ぶときも、第二言語を学ぶときも、まず話される言葉を聞いて、それを念頭に置きながら自分で発音することによって習得していきます。

トマティスは、さまざまな国籍の人が、自分の言語に合った音域の聴き取りに秀でていることも発見しました。わたしたちの耳は、それぞれの国の母語の音域に合わせて適応、発達していきし、それが発音の滑らかさにつながります。(p446)

裏を返せば、わたしたち日本人が英語を含め、他の言語の発音が難しいのは、単純に口に動きや声帯の機能によるものではありません。聴覚が日本語の音域に沿って発達するために、外国語の発音を十分に聞き取ることができず、その結果、声に出して発音することも難しくなるのです。

わたしたちは、耳で聞こえる範囲の音にしたがって、発音したり歌ったりすることができる、わたしたちの声の表現力は、聴こえる周波数の幅に依存している、これが「トマティス効果」なのです。

アルフレッド・トマティスは、そのほかにも興味深い発見をいろいろしていて、たとえば、パーティー会場などで、特定の人の声に注目できる「聴覚ズーム」、通称カクテルパーティー効果を見つけています。(p446)

また、耳が前庭系のバランス感覚に関係していることにも注目しました。これは自閉スペクトラム症の人たちが抱える身体感覚の異常、発達性協調運動障害とも関係しているようです。(p476)

なぜ感情がこまやかな人は高周波音に敏感なのか

トマティスの数々の発見の中でもとりわけ興味深いのは、音は周波数帯によって異なる役割を持っているということです。

特に、感情表現の豊かさに関わるのは高い周波数帯の音だといいます。

トマティスは、有名なオペラ歌手エンリコ・カルーソーの歌声を分析したところ、彼が最も華々しく美しい声で歌った期間の歌声は、高周波音に富み、低周波音に欠けていることを発見しました。(p443)

オペラ歌手としての美しい感情表現は、高周波帯域の音に依存していたのです。

これは、単に高い声は感情表現豊かで、低い声は単調だという意味ではありません。声には様々な周波数の倍音(基本の周波数を何倍かした周波数を持つ音。オクターブが上がった音が重なる)が混ざっています。

自身もトマティスによる治療を受けた心理士ポール・マドールはこう言います。

「音に生命を与えるのは高い周波数です。低くても、高周波数帯域の倍音に富んだ(……)生き生きとした声を出すこともできます。

逆に言えば、高くても倍音が貧弱で、か弱く魅力のない声も出せます。誰でも低音の〈オーム〉は発することができますが、高音なくしては平板に聴こえるのです」(p520)

オペラ歌手の歌声に美しさを与えるのが高周波音であるように、わたしたちの話し声を生き生きとしたもの、感情表現豊かで魅力的なものにするのもまた高周波帯域の倍音なのです。

倍音は楽器ごとの音色の違いとも関連していて、たとえば澄んだ音のフルートに比べ、ヴァイオリンが非常に味わい深い複雑な音色をしているのも、この高周波数帯域の倍音に富んでいるせいです。

高周波音が聴こえるから感情がこまやかに?

この発見を、「トマティス効果」に照らすと、次のようなことに気づきます。

すなわち、感情表現豊かに話せる人は、もともと話し声のうちの、感情表現に関わる倍音、つまり、高周波帯域の音が聴こえるので、生き生きと話せるのではないでしょうか。

以前の記事で紹介したように、近年、とりわけ感情がこまやかで、繊細な感性を持つ人たちは、HSP (Highly Sensitive Person)、つまり人一倍敏感な人たちと呼ばれるようになっています。

生まれつき敏感な子ども「HSP」とは? 繊細で疲れやすく創造性豊かな人たち | いつも空が見えるから

 

「敏感すぎる自分」を好きになれる本によると、HSPの人たちの中には、音に普通以上に敏感な人もいるようです。

たとえば、聴覚であれば、ほかの人たちが気づかないような小さな音が気になりますし、突然大きな音がしようものなら、飛び上がるほど驚いてしまうはずです。(p38)

このような音に対する過敏さは、感情を揺さぶる高周波帯域の音が聴こえるという鋭敏な感覚とも結びついているのでしょう。

そして、ここまで考えてきた「トマティス効果」からすると、HSPの人の感情がこまやかで、人の気持ちを汲み取る能力に長けているのは、もともと感情が豊かだったというよりは、生まれつき聴覚の感受性が強かったことに由来するのかもしれません。

つまり、生まれたときから、あるいはお母さんのお腹の中にいたころから、感情表現に関わる高周波帯域の音に敏感だったため、感情表現が発達し、人の気持ちをより深く汲み取るようになり、こまやかで繊細な感性を発達させていくのではないでしょうか。

HSPだから高周波音に敏感だ、というよりは、生まれつき高周波音に敏感なせいでHSP特有の共感性豊かな性格が発達していく、ということではないでしょうか。

HSPの人の中には、文学や詩など、言語的な感性に優れた人も多いですが、高周波音は、右耳とそれに関連する左半球の言語領域で処理されるという点と関係しているのかもしれません。

わたしたちの脳は、多くの場合、左半球に言語機能に特化した領域が存在していますが、脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線によると、コミュニケーションの上手な人は、右耳で高周波音を聞いて、すぐさま左半球で処理することに長けているようです。(p451)

冒頭で触れた、わたしの身の回りにいる、高周波帯域が聴こえる人たちも、考えてみれば、コミュニケーションに秀でたHSPや、感受性の強いADHDの傾向を持つ人たちばかりです。

わたしの身の回りの少数例だけで判断するのは早計ですが、このような他の人には聞こえない高周波音に敏感な人たちは、共感能力の高いHSPの人たちでもあるのかもしれません。

なぜ自閉症の人は平板な話し方をするのか

それでは、もし高周波帯域の音が感情表現のこまやかさと関係しているのだとしたら、その逆、つまり高周波数帯域が聞こえない場合は、どのような影響が生じるのでしょうか。

以前の記事で説明したとおり、感受性豊かなHSPと対極にあるのは、他の人の気持ちを読み取ることが難しいとされる、自閉スペクトラム症の人たちです。

トマティスは、自閉症の子どもたちが他の人の気持ちを読み取るのが難しいのは、低周波数帯域の音が聞こえすぎて、高周波数帯域の音が覆い隠されてしまうせいではないか、としています。

トマティスの示すところによれば、自閉症、学習障害、発話や言語能力の発達の遅れを抱える子ども(および複合的な耳感染を抱える子ども)の多くは、中耳の筋肉によって低周波数帯域を抑制できないために、人間の音声の周波数に波長を合わせられない。

低周波数帯域の音が大きな音量で押し寄せてくると、高周波数帯域の音声は覆い隠され、自閉症の子どもを、音、とりわけ電気掃除機や警報などの持続音に対して過敏にする。(p495)

自閉症の人たちは、HSPの人たちとは別の意味での過敏性を持っています。

どちらも感覚過敏という言葉で一緒くたにされがちですが、実際にはかなり異なる性質を持っている、ということは以前に詳しく説明しました。

HSPの人たちの過敏性は、他の人たちが気づかないようなささいな感覚や、小さな違いに鋭敏であること、また受け取った感覚が増幅されてより大きく、より深く感じてしまうことでした。

それに対し、自閉症の人たちの感覚過敏は、情報が整理されず、ふるいわけられることもなく、洪水のように押し寄せてくることだと言われてます。

さまざまな自閉スペクトラム症の人たちの手記を分析した自閉症とサヴァンな人たち -自閉症にみられるさまざまな現象に関する考察‐では、彼らの感覚過敏の性質について、こう書かれています。

同時に入力された刺激の中からある刺激を選択して、状況に応じて適切に反応すること、つまり事態に即応した行動ができないばかりでなく、一層悪いことに激しい混乱状態に陥ることを示すこの記載は、自閉症に付随するいろいろな問題行動がさまざまなレベルの感覚異常によって生じている可能性があることを示唆している。(p211)

自閉症の人たちの感覚異常は多くの情報が選り分けられず押し寄せてくることであり、聴覚刺激の面でも同様のことが起こっているようです。

話し声が心地よく感じられない

では、押し寄せてくる低周波音の洪水のせいで、高周波音が覆い隠されてしまうと、どのような影響が生じるのでしょうか。

先ほどのポール・マドールの説明からすると、高周波音が聞こえないからといって、会話の声そのものが聞こえなくなることはありません。

しかし、高周波数帯域の倍音は「音に生命を与える」要素なので、それが欠けると、声には魅力がなくなり、平板に聴こえてしまいます。

もしも、生まれたときから、話し声がそのような聞こえ方をしていたら、子どもの感性はどのように発達するでしょうか。

耳にする話し声の魅力的な部分が削ぎ落とされていれば、そもそも話すことやコミュニケーションに魅力を感じないでしょう。

また、話し言葉のうちの微妙な感情を伝える部分が聞こえないなら、言葉の内容を超えた繊細なニュアンスに気づくことができないでしょう。

自閉スペクトラム症の中でも、言語能力に秀でた人たちは、アスペルガー症候群と呼ばれています。彼らは、話したりコミュニケーションをしたりすることはできます。

しかし、微妙な空気を読むことが難しく、冗談を真に受けてしまったり、抑揚のない無機質な話し方をしたり、言葉に込められた感情以外の要素、たとえば語呂やリズムを好んだりもします。

ひといちばい敏感な子には、そのような特徴についてこう書かれています。

アスペルガーの子は、コミュニケーションを取りたがりますが、人の話を聴いたり、話すタイミングを直感的に理解することができず、なかなかうまくいきません。

婉曲表現や皮肉を理解する、秘密を守る、顔色を読む、といったことも苦手です。誰も興味がないような事柄について、淡々と話すことがよくあります。(p66)

そうなってしまうのは、話し言葉のうち、感情やニュアンスを伝える高周波数帯域の音が聞き取りにくく、表面的な内容や字句通りの意味やリズムを伝える低周波数帯域の音によって覆い隠されてしまうせいなのかもしれません。

自閉症の原因については、これまで諸説唱えられていますが、中には他の人への共感性が欠如している「心の理論」の障害だという意見もあり、自閉症は、心の目が盲目である、という無思慮なレッテルを貼られてきました。

しかし、近年明らかになっているとおり、自閉症の人たちは、決して共感能力がないわけではなく、人の気持ちを理解できないわけでもありません。

アスペルガーは「共感性がない」わけではない―実は定型発達者も同じだった | いつも空が見えるから

 

ここまで考えてきたことからすると、他の人の感情を汲み取りにくくなるのは、自閉症の原因ではなく、感覚過敏のせいで会話が心地よく感じられないことからくる副次的な問題であるように思えます。

脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線はこう説明しています。

この他者の心に気づく能力の欠如は、感覚刺激を処理する脳機能の障害によって引き起こされる二次的な問題である場合が多い。

ポールは次のように指摘する。「感覚系の目的は、世界との接触を求めると同時に、感覚世界から自己を守ることにある。ところが感覚刺激に対して過敏に反応するようになると、その人は、外界を遮断するメカニズムを発達させ始めるのだ」(p496)

わたしたちは、なんであれ、心地よい、と感じることを繰り返し行い、不快に感じるものからは遠ざかります。

HSPの人が、なぜ生まれつき他の人への深い興味を持っているのか、そして自閉症の人たちが、なぜ人よりも物に関心を持ちやすいのか、という点もしかりです。

そうした違いが生じるのは、話し声という聴覚刺激が心地よく感じられるか、それとも不快に感じられるか、という点に源を発している可能性があります。

最近、自閉症の人たちは、愛着や共感に関するホルモンであるオキシトシンが不足していて、オキシトシン点鼻スプレーによって症状が緩和されるのではないか、とする臨床研究が進んでいます。

オキシトシン経鼻剤で自閉スペクトラム症(ASD)の前頭前野とコミュニケーション能力が改善(臨床研究) | いつも空が見えるから

 

脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線によれば、自閉症の人たちでオキシトシンが不足するのは、もしかすると、聴覚の過敏さによる二次的なものではないかと考えられています。

オキシトシンレベルの低下の原因は現在のところ不明だが、おそらく二次的なものではないかと思われる。

以下に述べるように、多くの子どもの場合、聴覚刺激に対する過敏さのゆえにリスニングが苦痛になり、そのために聴覚野と脳の報酬中枢の結合が低下した結果である可能性が考えられる。(p494)

実際に、自閉症の子どもたちの脳の画像検査によると、声を聞くことに関わる聴覚皮質と、快感を感じることに関わる報酬系とが十分に結合していないことが発見されたそうです。

近年、リスニングがいかに自閉症の影響をうけるかを説明する一助となる「脳の配線の問題」について、神経科学者たちの理解が進んだ。

2013年7月、ダニエル・A・エイブラムズとヴィノッド・メノンが率いるスタンフォード大学の科学者たちは、自閉症の子どもにおいては、人間の声を処理する聴覚皮質と皮質下の報酬中枢の結合が不十分であることを明らかにした。

…その結果、声を処理する脳領域を報酬中枢に結びつける能力を欠く子どもは、発話を快く感じられなくなる。(p492)

自閉症の子どもたちは、高周波数帯域の音が覆い隠されてしまう聴覚過敏のせいで、話し声を聞くことが心地よく感じらず、その結果としてコミュニケーションを好まなかったり、苦手になったりしてしまう可能性があります。

また、以前の記事で取り上げたように、聴覚だけでなく視覚の過敏性も、自閉症の独特な性格特性の発達に影響しているようです。

顔を忘れるフツーの人、瞬時に覚える一流の人 - 「読顔術」で心を見抜く (中公新書ラクレ)では、自閉症の子どもは、生まれつきの視覚の過敏性のゆえに、他の人と目を合わせるのが難しかったり、細部に過度に注目する認知特性を発達させたりするのではないか、とされていました。

なぜアスペルガー症候群の人はポケモン博士になれるのに人の顔が覚えられないのか | いつも空が見えるから

 

自閉スペクトラム症では、視覚や聴覚を含むさまざまな感覚の統合に問題を抱えていますが、そうした通常とは異なる感覚入力によって、通常とは異なる脳が発達していき、特有の傾向が形作られていくのでしょう。

脳の慢性炎症が感覚統合を妨げる

ではなぜ、自閉スペクトラム症では、聴覚を含め、さまざまな感覚刺激が選り分けられず洪水のように押し寄せてくる感覚過敏が生じるのでしょうか。

まだはっきりとした結論は出ていませんが、この本では、近年、自閉症の脳に慢性炎症が発見されたことが取り上げられています。

2005年にジョンズホプキンス大学医学部のチームによって行われた研究によれば、自閉症者の脳は炎症を起こしている場合が多い。(p490)

2008年以来、五つの研究によって、かなりの数の自閉症の子どもは、子宮にいるあいだに脳細胞を標的とする母親由来の抗体を持つことが示されている。(p491)

このような慢性炎症は、脳のネットワークの発達に影響を及ぼし、感覚刺激の統合を難しくする場合があるようです。

慢性的な炎症は、神経回路の発達を阻害する。

自閉症の子どもにおいては、多くの神経ネットワークが「過少結合」され、脳の前面のニューロン(目的の追求や意図を理解する)と背後のニューロン(感覚を処理する)の結合が不十分であることが脳画像で示されている。

また、他の脳領域は「過剰結合」され、これは自閉症の子どもによく見られる痙攣発作の原因となっている。(p491)

脳に慢性炎症が生じる理由については、まだ十分解明されていませんが、おそらくさまざまな遺伝的要素や環境要因が絡み合っているのでしょう。

たとえば、その一つとして、以前の記事で紹介したような体内の免疫異常が大きな役割を果たしているのかもしれません。

近年の発見によれば、先進国を中心とする腸内細菌の多様性の減少が、自閉症を含む脳の慢性炎症や自己免疫疾患の増加と関連していることが示唆されています。

自閉症や慢性疲労症候群の脳の炎症は細菌などの不在がもたらした?―寄生虫療法・糞便移植で治療 | いつも空が見えるから

 

この点の解明には、さらなる研究の進展や治療法の開発を待つ必要がありそうです。

いずれにせよ、自閉症は心の理論や共感性の障害である、という古い観点ではなく、脳の炎症とそれに伴う感覚過敏による症状である、という新しい観点が重要になってきそうです。

感覚刺激は脳の発達を左右する

この記事では、「発することのできる声の周波数は、耳が聴くことのできる周波数のみである」というトマティス効果をヒントにして、HSPや自閉スペクトラム症の人たちのコミュニケーションの違いを分析してきました。

どのような音が聴こえるか、という聴覚機能が、発する言葉や、感情表現を含めた脳の発達を左右する、という発見はたいへん興味深いものです。

モスキート音や他の人には聞こえないコイル鳴きが気になってしまう人たちは、じつはその敏感さが、自身の性格やコミュニケーションスキルなどにも影響しているかもしれない、ということを考えてみると興味が広がるかもしれません。

この記事では、「トマティス効果」とその周辺の話題にしぼって取り上げましたが、今回紹介した本脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線は、こうした感覚器官からの入力によって脳が形作られていく事例が豊富に載せられています。

わたしたちは、脳はすべてをコントロールする司令官のようなものだと考えがちですが、実際はさまざまな感覚器官からの入力こそが、粘土のように柔軟な脳をさまざまな形へとこねあげていく陶芸家なのです。

そしてそれは、裏を返せば、外部からの感覚入力を工夫すれば、脳に影響を及ぼせる、ということも意味しています。

たとえば、聴覚について扱った部分の続きには、特殊な音域を強調するフィルターを用いて自閉症や学習障害を治療するトマティス療法家の取り組みや、サウンドセラピーやニューロフィードバックによるADHDの治療などが紹介されています。

そのほかにも、光刺激によって細胞を活性化させる低強度レーザー、舌への電気刺激によって脳を刺激するPoNS、体の気づきを促すフェンデルクライス療法など、さまざまな方法による病気の治療が取り上げられているので、興味のある人はぜひ読んでみてください。

光の感受性障害「アーレンシンドローム」とはーまぶしさ過敏,眼精疲労,読み書き困難の隠れた原因

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■いつも光がまぶしすぎる
■まばたきが多く、疲れ目になりやすい
■外出したり、蛍光灯の下で作業したりすると、疲れや頭痛が生じる
■本を読むのが苦手で、文を飛ばしたり、文字が見分けにくかったりする
■距離感をつかむのが苦手で不器用
■音や匂いなどの感覚過敏もある

なたは、こうした問題に悩まされることがありますか?

ここに挙げた、まぶしさや読み書き困難、不器用さなどの症状は、これまで、眼精疲労やディスレクシア(読み書き困難)など、別々の分野の問題とみなされてきました。

しかし、近年の発見によると、ある一つの共通の原因が関係しているかもしれません。

それは、「アーレンシンドローム」と呼ばれる光の感受性障害(Scotopic Sensitivity Syndrome:SSS)、つまり、特定の波長の光をうまく処理できない脳の認知システムの問題です。

「アーレンシンドローム」を持つ人たちは、普通の明るさのもとでもまぶしさを感じたり、文字を読むのに人一倍の集中力が求められたり、距離感をつかむのが難しかったりして、生活のさまざまな場面でストレスや困難を抱えやすくなります。

このような光の感受性障害に悩む人は、発達障害や学習障害の子どもをはじめ、一見、読み書きが得意なように思われる成績優秀な学生、さらには、偏頭痛やむち打ち、慢性疲労症候群、線維筋痛症の患者など、実にさまざまです。

興味深いことに、これらすべてのケースにおいて、色つきフィルターを用いた「アーレン法」と呼ばれる治療によって、症状を軽減できる可能性があるといいます。

「アーレンシンドローム」とはいったい何なのでしょうか。どのような特徴があり、いかにして治療できるのでしょうか。

発見者また第一人者であるヘレン・アーレンの本の待望の邦訳、アーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応 から考えてみたいと思います。

これはどんな本?

今回紹介する アーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応は、1991年に、ヘレン・アーレンによって初版が書かれた、比較的古い本です。

しかしその後の20年で、「アーレンシンドローム」の医学的な根拠について多くのことが明らかになり、内容が改定され、2013年にはついに、筑波大学心理・発達相談室の熊谷恵子先生によって、日本で翻訳されました。

Irlen — The Official Irlen International Website, Colored Lenses, Colored Overlays, Diagnosticians, Screeners

 

近年、発達障害や学習障害(LD)、ディスレクシア(読み書き困難)といった、子どもの発達や学習に関わる問題が注目されていますが、それらの原因の一端に関わる「アーレンシンドローム」という概念は、まだほとんど知られていません。

光の感受性障害という観点から、さまざまな問題の原因を読み解いたこの本は、生まれつきにせよ、何らかの病気の二次症状にせよ、感覚過敏を抱えて生きてきた人すべてにとって、大いに参考になる良書です。

「アーレンシンドローム」とは?

まず「アーレンシンドローム」とは何かを知るために、「アーレンシンドローム」の発見の歴史を簡単にたどってみましょう。

「アーレンシンドローム」が発見されるまで

「アーレンシンドローム」を発見したヘレン・アーレンは、1980年ごろ、アメリカのある学校区の学校心理士として働いていました。

彼女は、学習障害(LD)の子どもたちを診るなか、ある事実に気づきます。LDの子どもたちの中には、時間とお金、特別支援教育、そして本人のたゆみない努力をもってしても、症状が一向に改善しない子どもたちがいたのです。

そうした子どもたちは、勉強する意欲がないとか、怠けているとみなされ、なじられていましたが、実際は、むしろ他の子どもたちよりも、高い動機づけや意志をもって努力していました。それでも悲しいことに問題は改善されていませんでした。

そんな折、1981年に、政府が大人のLDを研究するための助成金を出し、ヘレン・アーレンはその機会を捉えて、大人になってもLDが改善しない人たちが抱える未知の要因を探すべく、研究プロジェクトを立ち上げました。

対象となったのは、特別支援教育、感覚統合訓練、家庭教師、薬物療法、食事療法などありあとあらゆる方法を試しても問題が改善せず、人一倍努力して学力を保ってきた人たちです。

ヘレン・アーレンは、その人たちが文字を読むのに普通以上の努力を要し、読んでいる場所を見失ったり、意味がつかめなかったり、あまつさえ文字が動いているように見えたりして、読書に疲れを感じることに気づきました。

その人たちの問題を解決するために6ヶ月以上にわたりさまざまな試行錯誤が続けられましたが、一向に成果が見られぬまま月日が過ぎていきました。

「色を通して読む」

しかし、ついにブレイクスルーのときが訪れます。

ヘレン・アーレンがある学習障害の子どもたちと一緒に作業していたとき、たまたま一人の子どもが、赤色のフィルムで紙面を覆ったところ、文字が劇的に読みやすくなることに気づいたのです。

偶然、もう1人の子どもがその赤色のフィルムで本の紙面を覆いました。そのとき、その子どもが「ええ!」と感嘆の声を上げました。

彼女はそのとき初めて、紙面の上の文字が行ったり来たりせずにじっと動かずに見え、それらの文字を読むことができたのです。(p23)

ヘレン・アーレンはその方法を早速、研究対象の大人たちにも試してもらいました。

すると、70人中58人もの人が、劇的に文章を読むのが楽になり、長時間 本を楽しめるようになったのです。

ただ興味深いことに、必要なフィルターの色は、ひとりひとり全く違っていて、合わない色を用いると、問題が改善するどころか悪化することもありました。

研究はさらに進み、蛍光灯の影響で読みにくく感じている人がいることや、フィルターの代わりに有色レンズを使った方がよい場合があることなど、この特殊な読み書き障害の本質が次々に明らかになりました。

光の感受性障害(SSS)

こうした研究の結果、ヘレン・アーレンは、この独特な問題を光の感受性障害(Scotopic Sensitivity Syndrome:SSS)と名付けました。

SSSの男女比は同程度であり、ときに遺伝傾向がみられることもわかりました。(p61)

1985年4月にはオーストラリアで、1988年5月にはアメリカで、SSSによる読み書き困難を特集した「シックスティ・ミニッツ」という特集番組が放映されました。

「色を通して読む」ことで、これまで2-3分しか読書ができなかったような子どもや大人が、60分(シックスティ・ミニッツ)にわたり、読書を楽しめるようになったという内容は、大きな反響を呼んだそうです。

その後の年月で、SSSは発見者の名前をとって、「アーレンシンドローム」として知られるようになり、脳の画像診断技術によって、問題の原因が、視覚情報の処理過程にあることが明らかになってきました。

また有色フィルターやレンズを用いた治療法、通称「アーレン法」も、プラセボと比較した研究で、確かに効果があることが実証されました。(p xv)

そして、現在では、この視覚情報の処理異常は、学習障害の子どもだけでなく、他の様々な病気、たとえば偏頭痛や慢性疲労症候群の患者の抱える光過敏症状とも関係していることがわかってきているそうです。(p188)

「アーレンシンドローム」の4つの症状

では、自分が「アーレンシンドローム」を抱えているかどうかは、どうすればわかるのでしょうか。

冒頭で触れたように、「アーレンシンドローム」の症状は多彩です。

一見すると学習障害(LD)やディスレクシア(読み書き障害)と近しい問題に思えますが、それ以外にも様々な症状を伴いますし、中には読み書きに優れた人さえいるのです。

これから、「アーレンシンドローム」の多彩な症状をひとつひとつ見ていきますが、人によって程度の重さや、現れる症状が違う場合があることを思いに留めておいてください。

1.光過敏による まぶしさ、まばたき、目の疲れ

「アーレンシンドローム」の主な原因は、SSS、つまり光の感受性障害でした。

SSSのメカニズムはまだ詳しく解明されているわけではありませんが、おそらく、光のスペクトルの特定の波長に対する感受性の問題だと考えられています。

SSSは、あくまでも視覚認知機能、つまり脳の情報処理の問題なのでアーレンシンドロームを持つ人たちは、目の視力そのものに問題を抱えているわけではありません。

つまり、遠視や近視のために目が疲れやすいとか、斜視があるために読みにくいといった、目の機能の問題ではありません

眼科検診では異常がなかったり、視力矯正のメガネをかけても問題が解決しなかったりするため、本当の原因に気づかれにくいのです。

光の感受性障害を抱えている人たちは、眼科的な検査では異常がなくても、独特のまぶしさや、目の疲れやすさを感じることが多いようです。

わたしが初めて「アーレンシンドローム」という言葉を知ったのは、認知心理学者の山口真美先生の本、発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス) を読んだときでしたが、そこにはこう書かれていました。

瞬きを頻繁にしたり、片目だけで見る行動が、感覚過敏に基づいている可能性がある。

…中には蛍光灯の点滅が、ディスコのミラーボールの点滅のように感じると話す者もいる。

これはディスレクシアの一部であるアーレンシンドロームと呼ばれる症状の可能性が高いかもしれない。

…アーレンシンドロームでは、特定の色の色眼鏡をかけると、文章が正しく読めるようになる。

…ちなみに問題となる色は人によって異なり、どの色に問題が多く生じるという傾向もない。(p64-66)

ここでは、「アーレンシンドローム」の特徴として、まばたきを頻繁にしたり、顔をしかめて片目だけで見たりする癖が挙げられています。

そのような癖が生じるのは、蛍光灯の光をはじめ、明るい光が普通以上にまぶしく感じられ、目が疲れてしまうからです。

今回紹介しているアーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応でも、SSSを抱える人に、まぶしさやまばたきの多さといった特徴が見られることが繰り返し書かれていました。

読み疲れてしまうために、いろいろな症状が出ます。

いま、私が話してきたような見え方をするSSSのある人は、短い時間読んだだけでも、頭痛や疲れ、目がひりひりしたり涙が出たり、眠さや過度の疲れを経験します。

疲れで悩んでいる人は、読み続けるためにまばたきをしたり、目を細めたり、逆に目を大きく見開いたり、頭を横に向けたり、片目を閉じたりするなどの報告があります。(p51)

一般に、まぶしさを感じるというと、自律神経異常で瞳孔の調節異常が生じているのではないか、といわれることが多いように思います。

確かにそのような一面もあるのでしょうが、単に自律神経の異常というより、特定の波長の光の感受性の異常にあるという観点から考えるなら、より具体的な対策を講じることができます。

先天性全色盲にみられる まぶしさ

興味深いことに、単なる自律神経異常ではなく、視覚認知の問題でまぶしさやまばたきに悩まされるのは、「アーレンシンドローム」の人だけではありません。

脳神経学者オリヴァー・サックスによる色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426)には、先天性全色盲という、生まれつき色が見えない、モノクロの世界に生きている人たちのエピソードが書かれています。

少数派を「障害者」と見なすと気づけないユニークな世界―全色盲,アスペルガー,トゥレットの豊かな文化 | いつも空が見えるから

 

わたしたちの目には、明るい場所で色を見る錐体細胞と、暗い場所で光を捉える杆体細胞、そして概日リズムを調節する光感受性神経節細胞の3つの視細胞があります。

先天性全色盲の人たちは、このうち、色に関わる錐体細胞が生まれつきないので、本来は暗い場所で用いる杆体細胞で、ものを見なければなりません。

それらはもともと明るい光を見るための細胞ではありませんから、先天性全色盲の人たちは、日中は激しいまぶしさや目の痛みを感じ、目を細めたり、頻繁にまばたきしたりする癖がみられます。(p36-37)

あちらこちらで、子どもたちが眩しい日の光りに目をしばたたいたり細めたりしている。そして、すこし年かさの男の子が一人、黒い布を頭に載せている。

彼らが自分と同じ全色盲だということを、クヌートは飛行機を降りて子どもたちを見た瞬間に悟ったのだ。(p58)

先天性全色盲の人たちにとって、まぶしい光をさえぎる濃い色のサングラスは外出する際の必需品です。

もちろん、「アーレンシンドローム」の人たちは、先天性全色盲の人たちとは違って、色が見えないようなことはありません。

しかし経験する症状の傾向は、まぶしさやまばたき、目の疲れだけでなく、夜の暗がりのほうが落ち着くこと、しっかり見るために紙面に目を近づけること、そして光をさえぎるサングラスが役立つことなど、似通ったところがあります。

興味深いことに、サックスの別の著書火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)によると、事故によって後天的に色覚を失い、全色盲になった画家のI氏も、同様の症状を経験しました。

そのときに助けになったのは、アーレンシンドロームと同様の色つきメガネだったといいます。

わたしたちはひとつだけ現実的な助言をすることができた。

I氏は中間的な波長の光のときモンドリアン図形をもっとも明瞭に見ることができたので、ゼキ博士がこの波長の光だけを通す緑のサングラスをかけたらどうかと提案したのだ。

とくべつのメガネがつくられ、I氏はとくに明るい光のもとではこのメガネをかけるようになった。I氏は喜んだ。

色覚を回復することはできなかったが、コントラストの状態がよくなり、形や輪郭が見やすくなったからだ。

夫人と一緒にカラーテレビを見ることもできるようになった。ダークグリーンのサングラスをかけると、カラー画面が白黒になる。(p71)

I氏の場合、問題が生じていたのは、目の視細胞そのものではなく、そこからの刺激を色として認識する視覚野のV4という領域、あるいはそこにつながる経路だったとされています。(p70)

いずれにしても、全色盲の状態では単に色が見えなくなるだけでなく、明るさへの過敏や、形の見分けにくさ、特定の光の波長への感受性の変化が生じるようです。

もしかすると、全色盲は光に含まれるほぼすべての色の波長をまぶしく感じるのに対し、「アーレンシンドローム」の人は一部の色の波長の色だけをまぶしく感じるという接点があるのかもしれません。

発達障害にみられる まぶしさとの関係

視覚認知の問題のせいで まぶしさを感じやすい人たちには、他に発達障害の子ども・大人が含まれていることがよく知られています。

たとえば、近年、アスペルガー症候群など、自閉スペクトラム症(ASD)の人たちは、大多数の人たちとは違った視覚世界を体験していることが明らかになっています。

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大阪大学の研究によると、ASDの人たちの独特な視覚世界には、おもに3つの特徴があるとされています。

■コントラスト強調
瞳孔調整能力の弱さのため光がまぶしい。

■無彩色化
激しい動きを伴う場面を見ると、視界の中心のカラーの映像と、周辺視野の色のない映像が混ざる。

■砂嵐状ノイズ
動きや音の変化が激しいときに、視界に砂嵐状のノイズが混ざる。

このうち、コントラスト強調と呼ばれているものが、まぶしさに相当します。たとえば、スキー場のゲレンデや真っ白な紙の印刷など、コントラストが強いものを見た場合、普通以上にまぶしさを感じて目がくらみます。

二番目の無彩色化は、どことなく先天性全色盲の人たちの視覚認知と似たところが感じられます。

三番目の視界にノイズが生じるという現象については、後ほど考える、「アーレンシンドローム」特有のディスレクシアの症状と似通ったものを感じます。

このようなアスペルガー症候群、自閉スペクトラム症(ASD)の人たちの抱える視覚認知の問題は、単に「アーレンシンドローム」と似ているだけではなく、深い関連性があるようです。

アーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応には自閉症の人たちの感覚過敏の治療に、アーレン法が役立つことが書かれていました。

視覚情報を処理する困難は自閉症でSSSもある人の約50%に影響を及ぼし、ある研究では、その割合はさらに上がっていくかもしれないことが示唆されています。

これらの人たちにとって、感覚の重荷を減らすことは機能の改善につながり、視覚に加えて、聴覚、味覚、嗅覚も改善されることになる可能性もあります。(p186)

また、自閉スペクトラム症(ASD)だけでなく、もう一つの発達障害である注意欠如多動症(ADHD)の人や、トゥレット症候群の人が抱えやすいとされるチック症状も光過敏と関係している可能性があります。

チック症状にはさまざまな衝動的な動きや言葉、癖が含まれていますが、中には、頻繁にまばたきをするという症状もみられる場合があります。

この場合、衝動性や激しいまばたきといった症状は、単にADHDの脳内物質のバランス異常によって生じているわけではなく、光過敏の二次的症状として生じているケースがあるようです。

SSSそれ自体は、視覚という感覚における学習の困難ではありません。

それよりも、ディスレクシア、算数障害、ADD(注意欠陥障害)、その他の学習の問題の一部分としても存在しているのではないかと思われています。(p33)

SSSのある多くの子どもの振る舞いはADHDに似ていますし、ADHDと合併している可能性もあるのです。(p184)

本書の推薦の言葉では、「わかっているのにできない」脳〈1〉エイメン博士が教えてくれるADDの脳の仕組みなどのADHDの著書を通して日本でもよく知られているダニエル・エイメン先生の推薦も載せられて、大勢の患者にアーレン法を紹介したと書かれています。(p i)

このように、自閉スペクトラム症やADHDの人がもつ光過敏やチック症状、それに伴う落ち着きのなさや集中力のなさはSSSが原因の一部であるかもしれず、その場合は、「アーレンシンドローム」の治療が効果を発揮するかもしれません。

また発達障害の人たちが抱える不器用さは、一般に発達性協調運動障害(DCD)と呼ばれていますが、この症状も、「アーレンシンドローム」の一部オーバーラップしている可能性があります。この点は後ほど取り上げます。

生まれつき敏感な人「HSP」

発達障害と類似しているものの、異なる概念として、生まれつきあらゆる感覚がひといちばい敏感な子どもを指す、HSP (Highly Sensitive Person:ひといちばい敏感な人)、あるいはHSC (Highly Sensitive Child:ひといちばい敏感な子)というものがあります。

これは1996年にアメリカの心理学者、エレイン・N・アーロン博士が提唱した概念で、日本でも著書ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫)ひといちばい敏感な子が邦訳されています。

近年、北海道でHSPや愛着障害、トラウマ障害などを治療しておられる長沼睦雄先生による「敏感すぎる自分」を好きになれる本といった本も出版されており、HSPという概念が国内でも広く認知されつつあります。

それらの本によると、HSPとは、五感の感受性の強さだけでなく、他の人の顔色や感情にも過敏で、直感力が鋭いといった特徴があります。

おそらくは、ADHDの素因としての側面もあると思われますが、強い感受性を持っている反面、空気を読みすぎる過剰同調性や愛着障害のリスク要因ともなるとされています。

光の感受性障害アーレンシンドロームの原因として、生まれつきの自閉傾向が関与しているケースだけでなく、生まれつきのHSP傾向によって様々な感覚の過敏性が生じているケースもあると考えられます。

生まれつき敏感な子ども「HSP」とは? 繊細で疲れやすく創造性豊かな人たち | いつも空が見えるから

 

脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線では、光や音など多くの感覚に敏感になる場合、脳の感覚伝達経路における、介在ニューロンと呼ばれる神経が関わっていることがあると指摘されています。

入力される信号のレベルが低すぎて感覚ニューロンがそれを検知できない場合、対応する介在ニューロンは、入力信号を増幅することでそのニューロンを興奮させ、発火の手助けをする。

入力される信号のレベルが高すぎる場合、対応する介在ニューロンは、感覚ニューロンの反応度を下げることでその発火を抑制する。

…脳の疾患は、この介在ニューロンに悪影響を及ぼすことが多い。

…ジェリが音や光や動きに過敏になったとき、まさにこの現象が生じていたのである。(p408)

脳の感覚伝達経路に存在する介在ニューロンは、感覚刺激の大きさを調節する役割を果たしていますが、その機能が不調だと光や音などが不必要に増幅されることがあるのでしょう。

この記述は外傷性脳損傷の人についてのものですが、もしかすると、生まれつき様々な感覚が増幅されやすい体質の人もいるのかもしれません。

続く記述では、そのような感受性が強すぎる人は、感覚に圧倒されて疲れやすいとされています。

ひとたびネットワークが「飽和」すると、入ってくる信号に処理が追いつかなくなるために、情報は取りこぼされ、個々の情報間の区別ができなくなる。

(おそらくそのために、この種の問題を抱えているほとんどのヒトが途方もない疲労を感じ、最低限のものごとを行うだけでも膨大な労力を要し、脳に過剰な負荷がかかっているという感覚を覚えるのではないだろうか)(p409)

先ほど触れた生まれつき敏感な人(HSP)は、感覚刺激が過剰なせいで疲れやすく、慢性疲労症候群との関わりも深いとされています。

そして、後ほど取り上げますが、外傷性脳損傷や慢性疲労症候群には、光の感受性障害が伴う場合があり、アーレンシンドロームと同様の処置が役立つことが知られています。

2.読み書き困難(ディスレクシア)と学習障害(LD)

「アーレンシンドローム」の人たちが抱えやすい次なる症状は、読み書き困難(ディスレクシア)や、それに伴う学習障害(LD)です。

すでに見てきたように、「アーレンシンドローム」を抱える人たちは、まぶしさや目の疲れから、本を読んだり、集中したりするのが難しい場合が少なくありません。

アーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応に載せられている近年のアメリカの調査によると、ある程度の「アーレンシンドローム」は健常者の12%に見られますが、ディスレクシアの場合は65%、学習障害には46%という高い割合で光の感受性障害がみられることがわかっています。(p53)

ディスレクシアや学習障害は文化によって有病率が大きくことなるので、あくまで参考程度の数値ですが、読み書き困難を抱えている人は、「アーレンシンドローム」の可能性を疑う十分な根拠があるといえるでしょう。

本書に載せられている「アーレンシンドローム」の自己チェックリストも、主に、この読み書き困難の問題に焦点を当てたものとなっています。

1.文字や単語、行をとばしてしまいますか。

2.同じ行を繰り返し読んでしまいますか。

3.集中力が簡単に途切れたりそれたりしますか。

4.読んでいる最中に、よく休憩をとらないといけなくなりますか。

5.長く読み続けることが困難ですか。

6.読んでいると頭痛がしますか。

7.読んでいるときに目がかゆくなったり涙が出たりしますか。

8.読むと疲れを非常に感じますか。

9.読んでいるとき、まばたきをしたり、目をしばたたかせたりしますか。

10.薄暗い光の中で読書するほうが好きですか。

11.顔を本の紙面に近づけて読みますか。

12.読んでいるところを指さしながら、または何か他にマーカーを使って読みますか。

13.読む時にそわそわと落ち着きがなくなりますか。(p xix)

このチェックリストのうち、3つ以上に「はい」と答えた場合、眼科医の検査で目に異常がなければ、ディスレクシアに加えて、「アーレンシンドローム」を抱えている可能性があるそうです。

「アーレンシンドローム」を持つ人は、一般の学習環境で使われている蛍光灯の光に過敏だったり、白い紙に黒字で印刷されているようなコントラストの強い紙面を読みにくく感じたりします。

そうすると、同じところを何度も読みなおす、まっすぐ順番に読めない、読んでいるところをすぐ見失う、集中力が切れてしまって意味がつかめない、目が疲れたり頭痛がしたりする、といった症状につながります。

また、目の眼球運動がスムーズにいかないので、学校の授業で黒板の内容をノートに書き写す際、どこを見ていたかすぐ見失ってしまって、人よりも課題に時間がかかってしまうこともあります。(p50 )

文字がゆがんで見えるさまざまなパターン

「アーレンシンドローム」を抱えるディスレクシアの人たちは、単にまぶしさや目の疲れを感じたりするだけでなく、独特の不思議な文字の見え方のせいで苦しんでいる場合が少なくありません。

以下のイメージは、本書の説明を参考に作った、さまざまな異常な見え方のパターンです。

注意すべき点として、以下の画像を見たからといって、「アーレンシンドローム」を持つディスレクシアの当事者が、自分の問題に気づけるとは限りません。

当事者は、最初からそのような見え方を経験していて、普通の見え方を知らないため、このブログの文章そのものも、異常な見え方をしているはずです。そして、だれもが皆そう見えていて、それが普通なのだと思い込んでいる場合もあります。

そうした人たちが本当の意味で、普通の見え方を経験するには、専門家の指導のもと、自分に適した色フィルターを 見つける必要があります。

また、以下のイメージは静止画ですが、実際には絶え間なくゆらめいていたり、そのときの体調や読んでいる文章の認知しやすさによって変化したりするため、あくまで参考程度のものと思ってください。

■洗浄現象
白い部分がまぶしすぎて文字の一部を消してしまう。(p38)

洗浄現象

■光背現象
光がネオン効果を生じさせて重なる。(p40)

光背現象

■リバー現象 
文字が流れて動き出す。(p42)

リバー現象

■オーバーラップ現象
文字が重なる。(p44) 

オーバーラップ現象

■回転現象
文字が回転する。(p45)

回転現象

■シェイキー現象
文字が揺れる。(p47)

シェイキー現象

■ぼやけ現象
文字がぼやける。(p48)

ぼやけ現象

■シーソー現象 
文字が上下に動く。(p49)

シーソー現象

■トンネル現象
一度に見える範囲が狭い。(p46、50)

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さきほどの山口真美先生による、発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス) では、このような異常な見え方をする「アーレンシンドローム」のディスレクシアの原因について、こう考察されていました。

アーレンシンドロームの問題は、錐体細胞の色を吸収する仕組みと、外側膝状体の色を伝達する仕組みの混乱にあると考えられる。

すなわち、小細胞に伝達されるはずの色が、動きの信号に混同されて伝わってしまうのだ。

たとえば白い紙を見たとき、すべての周波数の色が錐体細胞に飛び込んでくる。

カラーフィルターや色眼鏡を使うと、あるいは茶色っぽい紙に変えただけで、特定の周波数の色だけをカットできる。

そこで、特定の周波数の色だけが、誤まって動きの信号として大細胞に伝わっているのではないかと考えられるのである。(p66)

この説明によると、「アーレンシンドローム」を持つ人は、視覚情報が動きに関わる信号と混線しているのかもしれません。

もちろん、同じ「アーレンシンドローム」でも、人によって見え方はさまざまに異なりますが、特定の色の波長で、視細胞の情報処理のプロセスに異常が生じていることは、多くの場合において共通しているのでしょう。

やる気のなさや怠けではない

「アーレンシンドローム」を持つディスレクシアの人たちが、文字が動くなど異常な見え方に悩まされることは、単に読み書きが難しくなるだけでなく、二次的な問題も生じさせます。

あなたは、先ほどの「アーレンシンドローム」のディスレクシアの人たちが日々経験している異常な見え方のイメージを見たとき、どう感じたでしょうか?

きっと頭痛がしたり、めまいがしたり、読む気そのものが失せたりしたことでしょう。

重い「アーレンシンドローム」を抱えたディスレクシアの人は、身の回りのあらゆる文章が、教科書から黒板の文字、テストのプリントに至るまで、このような読むのに苦痛を伴う見え方になってしまっているのです。

すべての文章がそのように見えていたら、たとえ学習意欲があっても、特別支援教育を受けていても問題が改善しないのは当然です。

SSSの場合には、読む練習、ドリル学習に多くの時間をさいても、より効果的に早く読めるようになったり、誤りなく読解することができるようになったりすることはないのです。(p5)

よかれと思って診断されたディスレクシアや学習障害(LD)といった名前が足かせとなって、問題の本質を覆い隠してしまい、効果のない特別支援教育を受け続けてしまうこともあるでしょう。

残念なことではありますが、一度ディスレクシアと分類されてしまうと、そうした人々は教育システムのなかで適切な支援がなされずに、SSSの検査を受けるまで、重度の読み困難をずっと抱え続けることになります。(p103)

むしろ、丁寧な指導を受けているのに、読み書き困難がほとんど改善しないせいで、逆効果になってしまうことさえあります。

なぜ、自分はこんなにも努力しているのに、まわりの子どもたちと同じようにできず、だれも自分の努力を認めてくれないのか、と途方にくれて、自尊心を打ち砕かれてしまうかもしれません。

もしSSSがあっても気づかれないままでいるならば、勉強はものすごくたいへんで、本当の理由を誰も知らないし、当然、改善もなされないということになります。

SSSがある学習障害の子どもは、自らの懸命な努力の末にできたものの成果をビリビリと引き裂いてゴミ同然に教師が扱うのをどうすることもできずに黙って見ているしかない状態なのです。(p96)

その結果として、学校社会から脱落して不登校になったり、ストレスのせいで体調を崩したり、刺激を求めて非行に走ったりしてしまう子どもも少なくないのではないでしょうか。

いまだに根強い誤解がはびこっていますが、こちらのウォール・ストリート・ジャーナル紙の記事で書かれているとおり、勉強ができないのは知能が低いせいだ、とする関連付けは正しくありません。

IQテストの不都合な真実 - WSJ

 マグリュー氏によれば最も正確なIQテストで高い点数を取る生徒は、学業テストでも優秀な成績を収める傾向があるという。ただしどんなに詳しいIQテストであっても、学業の面での成績を4割から5割程度の精度でしか予測できないという。

 「心理学ではその確率は高いと言える。ただ、要は勉強の出来の5割から6割は知能とは関係ない部分で決まるということだ」とマグリュー氏は話す。

しかし残念ながら、勉強のできない子どもたちは「あほ」「ばか」呼ばわりされ、知能が劣っているとみなされ、他の子どもたちと比較しする学校教育によって自信を打ち砕かれ、自分でも、わたしは頭が悪いのだ、と思うようになってしまいます。

そうした子どもたちにとって、もし問題の本質が、能力や知能ではなく、「アーレンシンドローム」による文字の見え方にある、ということがわかったなら、劇的に人生が変わる可能性があります。

それは、小説家アーネスト・ヘミングウェイの孫娘である、女優のマーゴ・ヘミングウェイの語った次の言葉からはっきりとわかります。

「ヘミングウェイ家に育ちながら文字を読めないというのは、まったく悲惨なことです。

ディスレクシアであるがゆえに、私は台本を読んだり覚えたりすることがうまくできず恐怖でした。

有色フィルターを使えば、文字が紙面上を動き回ることがなくなるので、今は私も勢いよく読むことができます」 (p99)

マーゴ・ヘミングウェイは大人になってから「アーレンシンドローム」であることがわかり、自分を子どものころからずっと苦しめていたコンプレックスの正体を知ることができました。

残念ながらマーゴ・ヘミングウェイは、アルコール依存症や双極性障害のため、1996年に自殺してしまいました。

もしも、彼女がまだ学生のころに、「アーレンシンドローム」だと診断され、有色フィルターを処方されていれば、精神疾患を抱えるほどに自尊心が打ち砕かれてしまうようなことはなかったのではないか、と思わずにはいられません。

ギフテッド 天才の育て方 (ヒューマンケアブックス)によると、このような、特定の色の周波数が原因とみられるディスレクシアの問題は、すでに英国などでは色つきレンズを用いて支援されているようです。

前述のC君の例でもすでに述べたことではあるが、白の紙に黒のインクという一般的な印刷は、コントラストが強すぎて非常に読みにくく、例えば薄い青やピンクの色がついていると一挙に読みやすくなる。

これは薄い色のついたメガネを着用するのと同じである。ドナのように色のついためがねの着用は、さらに個々に合う色の選択が、いっそうの見やすさを確保する。

英国においてそのような配慮が実際に行われている場合があることは、紹介した。翻って我が国ではこのような配慮が行われた例は聞かない。(p83)

前に読んだ LDを活かして生きよう―LD教授(パパ)のチャレンジでは、英国ではディスレクシアは障害ではなく、たとえば(科学的に正しい話ではないとはいえ)日本の血液型くらいの認識で、個性として受け入れられているとも書かれていました。

藤堂 日本で血液型ってよくいわれるじゃないですか。イギリスでは、あれに近い感じの社会的な扱いですね。

ディスレクシアっていうひとつの個性みたいな。だから、それは障がいっていうよりも、プラスマイナスを含めたものとして扱われている。(p105)

上野 イギリスのデザイン関係の学校に行ったら、校長さんがね、六割はそういう子だよって。日本よりはもっと広くとらえられているんだろうけど。(p105)

日本と違って、ディスレクシアが個性のように受け入れられている背景には、それが知能の障害ではなく、色つきレンズなどの支援で改善されうる認知の違いにすぎない、ということがよく知られているからなのかもしれません。

読み書きが得意な人でも

こうして、「アーレンシンドローム」とディスレクシア、または学習障害(LD)の関連性を考えてみると、両者は深いつながりをもっていることに気づきます。

しかし、注意しなければならないのは、ディスレクシアと診断されるほどの読み書きの異常がなく、学習障害とみなされるほどの成績の問題がない人にも、「アーレンシンドローム」が存在するという事実です。

むしろ、さきほどの「アーレンシンドローム」の発見の歴史に登場した、最初期の研究の対象となっていた大人たちは、意外にも学校ではトップクラスの成績を収めていた人たちだったのです。

彼らは同学年の人たちよりも、2倍も3倍も勉強していた人たちであったので、成績はトップクラスでした。

学校で勉強を続けるためには、彼らは、他の人が1時間もかけずに読めるところを3時間もかかって読まなければなりませんでした。

彼らは、勉強により多くの時間を重ねられるように、自分の勉強のやり方を工夫し、作り上げなればなりませんでした。(p18)

このような人たちの場合、確かに光の感受性障害による「アーレンシンドローム」を抱えていて、勉強に困難を感じていましたが、工夫や才能によってその困難を克服する方法を見つけていました。

最近のニュースでは、学校ではトップクラスの成績ながら、横書きの英語の文章など、特定の場面でのみ読み書き困難が出るという症状が、アーレンシンドロームの遮光レンズで改善した例もありました。

井上眼科病院の若倉雅登先生が、「発達障害と眼科」というテーマの第10回心療眼科研究会で発表した内容のようです。

視覚系に問題ないのに、うまく読み書きできない…発達障害の可能性 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

私たちのグループは、学年の成績トップクラスにいる女子高生が、英語の長文問題に限ってとても手間取ってしまうという症例を提示しました。

 調べると、行を間違えたり、次の行の文字列や隙間が気になるなど、縦書きの読み書きではほとんど起こらない能率低下が生じました。ある種の遮光レンズを用いると、多少改善する不思議な現象もありした。これも、一種の学習障害に分類されます。

歴史を振り返っても、レオナルド・ダ・ヴィンチや、トーマス・エジソン、アルベルト・アインシュタインといった偉人たちの中に、学習障害(LD)やディスレクシアの傾向を持っていた人が少なくないことはよく知られています。

LD(学習障害)とディスレクシア(読み書き障害) (講談社+α新書)という本では、LDとディスレクシアの専門家である上野一彦先生が、ディスレクシアだったと思われる偉人たちの名前を列挙しています。

その中には、信じがたく思えるかもしれませんが、「名探偵ポワロ」シリーズのアガサ・クリスティーや「不思議の国のアリス」のルイス・キャロル、「ガープの世界」のジョン・アーヴィングといった、名だたる作家たちさえ名を連ねています。

無論、これら偉人たちの抱えたディスレクシアの原因が「アーレンシンドローム」にあったかどうかは定かではありません。

しかし、一つ確かなのは、読み書き困難を抱える人の中には、たゆみない努力でそれを補って克服しているかのように見える人が含まれているということです。

研究には、読みと学習の問題があるとわかった子どもから何ひとつ特定の読みや学習に問題のない子どもや才能のある学生まで、アーレン法によって効果が表れる子どもがいることが報告されてきています。

それらのなかには、本当は学習にとても時間をかけているために、表面的にはすばらしい読みのスキルをもっているように思われる子どももいます。(p178)

しかし、たとえ読み書き困難をある程度克服しているとしても、もし問題の本質が単なる学習障害や読み書き困難にあったのではないとしたら、事情は変わってきます。

これら才能ある人たちは、読むのが苦手なことへの対策として、、飛ばし読みやオーディオブックサービス、タイプライターを活用して読み書きの苦手さは補えるかもしれませんが、おおもとにある光過敏はそのままです。

「アーレンシンドローム」の症状の一部であるディスレクシアは目立たくなっても、まぶしさからくる眼精疲労や、感覚過敏、不器用さなどの問題は依然として当人たちの生活上のストレスをもたらしていることでしょう。

ですから、たとえ読み書き困難が目立たないとしても、「アーレンシンドローム」が存在しているなら、それに気づいて対処する価値は大いにあります。

彼らは賢いので、自分の絶え間ない努力で読みの弱さをカバーすることができます。

しかし、もし彼らがSSSの対処法を受けたとしたら、彼らの苦しみは随分と楽になるでしょう。(p120)

少なくとも、読み書き困難のために、人の2倍も3倍も時間をかけて学校の勉強に打ち込んだり、睡眠時間を削って努力したりする必要がなくなるので、体調面、精神面での健康向上も見込めるはずです。

目の輻輳不全によるディスレクシア

ここでは、光の感受性障害によって紙面がうまく見えずディスレクシア症状が出るケースについて考えましたが、目の運動機能の障害によっても似たような症状が現れるケースがあります。

視覚はよみがえる 三次元のクオリア (筑摩選書)には、輻輳不全(ふくそう ふぜん)と呼ばれる、目の両方の眼球を協調して動かせないことで、読み書きが難しくなり、注意力散漫なADHDと診断されていたエリックの話が出てきます。

何年ものあいだ医者の診断や学校の検査で見過ごされてきたあとで、ミシェルはようやく、エリックの問題が輻輳不全と呼ばれる視覚障害から生じていることを知った。

さほど珍しい事例ではないのに、難読症と誤診されることがよくある障害だ。

エリックは遠くを見るときにはちゃんと目を動かせるが、近くを見るときには動かせない。対象物が顔に近づくと、立体視を放棄してしまう。

…彼女の話からもわかるように、綿密な検査を行わないかぎり、輻輳不全はなかなか発見できない。しかも、当の子どもはたいてい、自分に視覚上の問題があることに気づいていない。

文章を読むときに単語がページの上を飛びまわるのがおかしいとは思っていないのだ。また、文字が二重に見えたりぼやけたりするのが変だとも思っていない。

当然の話だが、文章を読むのが人より大変であることに気づいておらず、結果として学校の成績が悪くなると、エリックのように行動上の問題を生じる場合がある。(p70-71)

エリックの場合、知覚のものに両目を同時に向けることが難しく、すぐに目がそれてしまうために、文字が飛び回ったり、行を追えなかったりするディスレクシアが生じました。

輻輳不全は、斜位(隠れ斜視とも呼ばれる)の一種で、立体視はできるものの、無理をして視線をそろえる必要があるので、目が疲れやすかったり、ADHDのような不注意や学習障害の症状が出たりするそうです。

輻輳不全は、プリズム入りのメガネをかけたり、輻輳力を鍛える視能訓練をすることで改善するとされていて、この話に出てきたエリックも、学習障害が解消され、大学でトップクラスの成績を収めるまでになりました。

輻輳不全は、両方の目を動かす機能の問題ですが、文中で書かれていたように、一般的な検査では見つかりにくいため、斜位を調べる眼位検査、眼球運動検査、両眼視機能検などを実施している診療機関を探す必要があります。

輻輳不全は、アーレンシンドロームの症状とオーバーラップしている可能性もあるため、読み書き困難が生じている場合は、明るさや色の光の感受性障害に加え、眼球運動も調べたほうがよいと思われます。

3.空間感覚や距離感がつかめない

続いて取り上げる「アーレンシンドローム」の症状は、一見、意外に思えるものかもしれません。

それは、先ほど少し触れた、自閉スペクトラム症などの発達障害の人にみられる不器用さ、「発達性協調運動障害」(DCD)と関係しています。

「アーレンシンドローム」を抱える人は、発達障害があるかないかにかかわらず、空間感覚や距離感をつかむのが苦手で、何をやっても不器用でうまくいかない、という場合があります。

SSSのある人はまた、すべての物体が実際の距離よりも少しだけ遠くにあると認知しています。

そのため、スペースが余分にあると思ってしまい、物にはぶつからないで歩けると思っていても、テーブル、ドア、壁等によくぶつかってしまいます。

SSSのある人のなかには、3次元を知覚することに困難がある人もいます。彼らの世界はいわば、すべては2次元により成り立つ「絵本現象」というような状態ですらあるのです。(p121)

なぜ「アーレンシンドローム」があると、単にまぶしさや読み書き困難だけでなく、空間感覚の問題まで生じてしまうのでしょうか。

簡単にいえば、わたしたちが空間を把握するとき、位置関係や距離感をつかむのに用いている主な感覚は目を通して見る視覚である、ということに尽きます。

「アーレンシンドローム」は光の感受性障害、つまり視覚認知機能の異常でした。

さきほどから説明しているように、「アーレンシンドローム」があると、子どものころからずっと、本の文字など、目に見える光景が他の人たちと違っている可能性があります。

また、アーレンシンドロームだけでなく、先ほど出てきた両眼視機能の問題、輻輳不全によって、一時的に立体視がうまくいかない場面がある可能性もあります。

そうした違いは文字にのみとどまらず、まわりを見回す際にも、やはり視覚認知の問題が生じていて、特に距離感などの空間把握に影響するようです。

色認知の障害で立体感が把握できない

この点を詳しく説明しているのは、発達障害の室内設計家 岡南さんによる天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー)や、先ほど少し引用した杉山登志郎先生との共著ギフテッド 天才の育て方 (ヒューマンケアブックス)です。

この本については、以下の記事で感想をまとめていますが、「アーレンシンドローム」という文脈から再度考えてみると、非常に意義深い情報が散りばめられています。

アスペルガーの2つのタイプ「天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル」 | いつも空が見えるから

 

この2冊の本は、どちらも発達障害者の認知の特殊性を説明しているものですが、特に聴覚優位の人について説明した部分で、有名な自閉スペクトラム症(ASD)の当事者、ドナ・ウィリアムズのエピソードが引用されています。

ドナ・ウィリアムズは、 ドナの結婚―自閉症だったわたしへという著者の中で、こんな不思議な経験を話しています。

突然、目を落としていたページの文字が、まるで違って見えた。

…これまでわたしは、世界にはさまざまな深さと奥行きがあって、自分が動くことでそれを感じることができると習ってきたが、実際にそうした深さや奥行きの変化を感じたことは、一度もなかった。

それが今はただ目をやるだけで、そうと実感できる。(p72)

このエピソードは、ドナ・ウィリアムズが、はじめて色つきレンズと偏光フィルターを組み合わせたメガネをかけたときの感動をつづったものです。特に色つきレンズについての部分は「アーレンシンドローム」の治療に用いられるレンズと似たものとみなせるでしょう。

そのような色つきメガネをかけてみた結果、ドナ・ウィリアムズは、不思議なことを2つ経験しました。

まず一つ目は、本のページの文字がまるで違って見えたこと。これは色の波長が補正されて「アーレンシンドローム」によるディスレクシアが改善したことを意味しています。

これについて、ギフテッド 天才の育て方 (ヒューマンケアブックス)にはこう説明されています。

ドナの示す視覚認知の問題が、色つきのめがねと偏光フィルターの組み合わせで是正ができることに注目してほしい。

これは、明暗領域を限定し、その分、拾いを密にしていることによると考えられる。(P79)

ドナのように色のついためがねの着用は、さらに個々に合う色の選択が、いっそうの見やすさを確保する。(P83)

しかし注目に価するのは二つ目の点です。記述によると、ドナ・ウィリアムズは、色つきメガネをかけることで、世界の奥行きと深さ、という空間認知が改善して、立体感を感じられるようになったのです。これはどういうことでしょうか。

こんな興味深い説明が載せられています。

壁と天井の境界線を成立させるものとは、光の当たり方によって生じる二つの面の明度差である。

もしもこの明度差の認知ができない場合には、パースラインの認知ができないということになるのだ。(p73-74)

少し難しいですが、パースラインとは、ものの奥行きや立体感を示す線のことです。学生のころの美術の授業で、透視図法によって奥行きのある絵を描いたときのことを思い出してみるとわかりやすいかもしれません。

あなたはトリックアートと呼ばれるだまし絵(トロンプルイユ)を見たことがあるでしょうか?

トリックアートは、平面に描かれた絵ですが、極めて緻密で立体的な色使いで描かれているので、あたかも三次元のもののように飛び出したり引っ込んだりして見えます。

ものの立体感は、微妙な明るさの変化が描き出すパースラインによって決まり、明暗のわずかな違いが繊細に描写されているほど、リアルな奥行きが感じられます。

では、もしそうした色の明暗を見分ける力が弱いとどうなるのでしょうか。わずかな色の違いが醸し出す立体感がつかみにくいので、三次元の世界に生きていても、なんとなく平べったく見えてしまい、距離感がつかめません。

「アーレンシンドローム」のある人は、まぶしさに過敏なので、コントラストが強すぎて、すべてのものが明るいか暗いかのどちらかになってしまい、わずかな色の明暗を見分けるのが苦手です。

すると、奥行きなどの立体感がつかみにくくなり、次のような特殊な認知が生じます。

物の「奥行き」が見えていないとするなら、空間そのもののボリューム感が異なるということにほかならない。

物が多くひしめき合っている空間でも、奥行きのない見かけだけを意識するなら、狭さを感じないということが生じる。

と同時に、自分に向いた面しか見えていないということにもなる。

奥行きが認知できなければ、体が触れて落としたり、倒したりすることにもなるが、本人にはそうした感覚が事前に持てないのである。(p76)

明るさ過敏のせいで、微妙な明暗をつかみにくく、立体的な空間認知がおおざっぱになって、距離を見誤ってしまった結果、物を落としたり倒したりして、不器用だと言われてしまうのです。

また、ドナ・ウィリアムズはドナの結婚―自閉症だったわたしへの中で、色付きレンズを用いたことで、もう一つ、三つ目の不思議な体験をしました。

そこにはイアンの顔があった。目が、鼻が、口が、あごが、ひとつのつながりの中に、同じくらいのインパクトを持って存在していた。(p234)

ドナ・ウィリアムズは、色付きメガネをかけることで、他の人の顔をひとつのまとまりとして認識できるようになりました。

人間の顔というのは明暗の凹凸によって作り出される立体的なものなので、明暗の認知の弱い人たちは、人の顔を見分けるのが難しい、「相貌失認」と呼ばれる症状を抱えることがあるようです。

「相貌失認」もまた自閉スペクトラム症(ASD)などに伴いやすい症状の一つですが、もし原因が光の感受性障害にあるのだとしたら、「アーレン法」によって症状が改善する可能性があります。

人の顔が覚えられない「相貌失認」の3人の有名人とその対処方法―記憶力のせいではない | いつも空が見えるから

 

興味深いことに、天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー)によると、このような立体感覚のつかみにくさは、視覚野の色を認識する領域であるV4の機能不全にあるのではないかとされています。(p157)

お気づきのとおり、これは火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)に出てきた、全色盲のI氏と同じ部位の問題です。

そうすると、アーレンシンドロームと全色盲にはある程度の関連性があり、視細胞から視覚野までの視覚処理の異常が、程度や種類の差こそあれ、同じような問題を生じさせている可能性がありそうです。

なお、ドナ・ウィリアムズは、色つきレンズを偏光フィルターと組み合わせて用いたと書かれていました。

この偏光フィルターは、アーレンシンドロームとはまた異なるもので、乱反射光をカットすることで、まぶしさを抑える効果があり、大阪市立大学の研究によって、疲労改善効果も認められています。

後ほど、慢性疲労症候群との関わりのところで改めて取り上げます。

距離感をつかみにくい人の日常

ところで、ゲームの世界では、テレビ画面という平面の映像の中で、立体的な空間を歩きまわるアクションを楽しむことがあります。

テレビの二次元の平面的な画面でも、空間認識を伴う立体的なゲームは遊ぶことができますが、それでも多くの人は奥行きの距離感がつかみづらいといわれています。

任天堂の社長が訊く「スーパーマリオ25周年」 によると、そうした問題は、テレビのような平面の画面ではなく、三次元の立体視ができる画面で見ると、非常にわかりやすくなり、より難しいアクションもできるようになるそうです。

小泉 僕はこれまでずっと3Dマリオをつくってきましたが、そもそも3Dは、空中に浮いてるものを取ったり、乗ったりすること自体が難しかったんです。

でもニンテンドー3DSで距離感がひと目でわかるようになれば、いままで遊びにくかった、空に浮かぶ足場をジャンプで乗り継いで、落ちたらゲームオーバーになるみたいな緊張感あるステージを、積極的につくれそうに感じています。

「アーレンシンドローム」のせいで、距離感のつかみにくい人は、あたかも、三次元空間の難易度の高いアクションを、二次元の平面のテレビ画面でプレイしているかのようなものです。

確かに、大まかな位置関係は把握できますし、簡単な動作であれば、それほど苦労はしないでしょう。経験とともに遠近感もつかみやすくなります。

しかしそれでも、微妙な距離感の誤差が生じてしまうため、先ほどアーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応から引用したとおり、「すべての物体が実際の距離よりも少しだけ遠くにあると認知」してしまうのです。

続く部分では、さらに詳しくこう説明されています。

SSSのある人のなかには、物を取ったり置いたりすることが難しい人もいます。

彼らはテーブルなどに物を置くときに、いつ手を離したらよいかよくわかっていないかもしれません。

コップを取ろうとしても、コップに手をぶつけてしまったりもします。

彼らは育ってきた過程のなかで、ミルクをこぼしたり、コップやバケツをひっくり返したりと、その不器用さのためにどんなにか怒鳴られたことでしょう。(p121)

先ほどの任天堂のマリオの例でいうと、ゲームの場合は、たとえ距離感を見誤ってちょっと物にぶつかっても痛くありませんし、足を踏み外してもコンティニューできます。

しかし現実ではコップの距離感を見誤ったら飲み物をぶちまけてしまいますし、足を踏み外したら転んで怪我をしてしまいます。

「アーレンシンドローム」の人たちの抱える不器用さは、ゲームの中ではなく現実世界での問題だからこそ深刻であり、問題の原因に気づいて治療する価値があるのです。

4.その他の身体症状

「アーレンシンドローム」の一連の症状には、さまざまな身体症状が伴う場合もあります。

「アーレンシンドローム」がもたらす光過敏や読み書き困難は、それそのものが大きなストレスとなるので、目の疲れなどの眼精疲労や、頭痛などを生じさせます。

「アーレンシンドローム」の人たちにとって「読書はむしろ肉体労働に近い」とまで書かれています。(p67)

常にまぶしさや視覚認知のストレスを経験していると、普通よりも疲労がたまりやすかったり、体が緊張して肩こりなどの慢性疼痛が生じたり、ストレスから自律神経異常につながったりするかもしれません。

また先ほど触れたように、チック症状や衝動性、多動性のような行動異常も伴う場合があるでしょう。

「アーレンシンドローム」を持つ人は、視覚以外の感覚過敏も持っていることが多く、視覚の過敏性に対処することで、他の症状も緩和する傾向があるそうです。

私たちの研究によると、アーレンシンドロームのある人は、視覚の過敏性だけでなく、聴覚や触覚など他の感覚過敏も多くもち合わせている人が多いです。

視覚の過敏性が和らぐことで他の感覚過敏性も和らぐという傾向があります。(p196 ※熊谷恵子先生の執筆部分)

さらに覚えておきたい点として、さまざまな病気に伴うSSS症状を緩和することで、その病気そのものの症状を緩和できる可能性があります。

以下に幾つかの例を挙げてみましょう。

偏頭痛は青色の光への光過敏?

まず、「アーレンシンドローム」は、ある種の偏頭痛との関係性が指摘されています。

偏頭痛を特定の光の波長に対する光過敏による症状とみなして「アーレンシンドローム」の観点から治療すると、頭痛だけでなく不眠やめまい、疲労といった身体症状が改善することがわかっているそうです。

さまざまな国の医師からの報告によると、アーレン法は頭痛、腹痛、不眠、偏頭痛、めまい、疲労といった身体的な症状に効果を与えることも示唆されています。(p187)

最近のニュースでも、偏頭痛は特定の色の光に関する光過敏であることを示唆する研究が報道されていました。

偏頭痛治療に「光」、緑色の光で痛みが約20%軽減 - QLifePro 医療ニュース

米ボストンの研究で、偏頭痛患者69人にさまざまな色の光を当てた結果、青色の光では頭痛が悪化したのに対し、狭スペクトルの弱い緑色の光を当てると、光過敏性が有意に軽減することがわかった。

一部の症例では、この緑色の光により偏頭痛の痛みも約 20%軽減することが明らかにされた。

この研究では、偏頭痛の人には、まさに「アーレンシンドローム」のように、特定の色の波長に対する光過敏がみられるとされています。

特に、青い波長の光(ブルーライト)で頭痛が悪化し、緑色の波長では軽減されたと書かれています。

偏頭痛発作の80%以上は光過敏性に関連して悪化するため、患者の多くは暗所を求めて仕事、家族、日常生活から離れることになる」と説明している。

ここで説明されているような、光を避けて暗所を求めて移動するような特徴は、すでに見たとおり「アーレンシンドローム」の患者と共通しています。

この結果を受けて、現在開発中であるという治療法も、やはり「アーレンシンドローム」の場合とよく似ています。

Burstein氏は現在、狭帯域の緑色の光を低強度で発光する低価格の電球や、緑色の光以外を遮断できるサングラスの開発に取り組んでいる。

電球の光を調整するのは、「アーレンシンドローム」の人たちが蛍光灯の光に敏感で、柔らかい光の電球のほうが症状が和らぐのと通じるものがあります。

緑の波長だけを通すメガネを用いるのは、すでに紹介した火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)の中に出てくる全色盲の画家のI氏が、中間的な波長の色だけを通す緑のメガネを着用していたのとよく似ています。

しかしながら、偏頭痛の人の中にも、青色以外の光に過敏性を持つ人がいるかもしれません。詳細な点は、今後の研究を待つ必要がありそうです。

 脳脊髄液減少症の光過敏も軽減?

やはり「アーレンシンドローム」と同様の光過敏を抱えることで知られている病気の中に、頭部外傷や脳震盪、むち打ちの後遺症があります。

この場合のSSS症状は後天的な二次症状だと思われますが、それでも「アーレンシンドローム」の有色フィルターによる治療で症状を緩和できるそうです。

時どき起きる些細な転倒も含めて、頭部外傷を経験したことのある人は、意識レベルの変化、頭痛、光の過敏性、読みの困難を経験しているかもしれません。

…発作、協調性の運動不全、頭痛、活動性のめまい、疲労、そしてふるえのような異常な動きは有色フィルターを装着することで改善されることがあります。(p185)

この本ではこうした頭部外傷の後遺症によるSSS症状が、むち打ち、脳震盪などと関連して挙げられています。

しかし、脳脊髄液減少症を知っていますか―Dr.篠永の診断・治療・アドバイスなどの本で説明されているとおり、従来、むち打ち後の後遺症や、軽度外傷性脳損傷とみなされてきた病態の多くは、脳脊髄液減少症だった可能性があります。

2016年1月と2月のニュースでは、先ほども紹介した井上眼科病院の若倉雅登先生が、脳脊髄液減少症には視覚認知機能の症状が伴うことを説明していました。

「ぼやけて見える」には2種類の原因…テレビ番組で大反響 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

 この人の訴えは、「ものがぼやけて見える」「まぶしい」というものですが、正常とか、疲れ目と片付けられていました。確かに、視力は正常ですし、眼球に異常は見当たりません。

脳脊髄液減少症、「保険金目当て」「心因性」と解釈されてきたが… : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

古くから頭頸部外傷後に、ピントが合いにくくなったり、動いているものが見にくい、あるいは尋常でないまぶしさを感じたりする症例があることが知られていました(その一部は本症かもしれません)。しかし、多くの眼科医は、今でもこれを心因性としているのです。

もちろん、脳脊髄液減少症の根本治療のためには、今年4月に保険適用されたブラッドパッチ療法などの専門医療を受けるべきですが、なかなか改善しない例や、症状が残る場合もあると言われています。

若倉先生は、脳脊髄液減少症の症状の中で、視覚に関係した症状はかなり多いにもかかわらず、十分な研究がなされていないことを危惧しています。

多彩な症状の中で、視覚に関する症状はかなり多いと思われます。

しかし、多くの眼科医は脳脊髄液減少症に種々の視覚異常症状があることを認識していませんし、本症の研究者にも視覚系の専門家が含まれていないので、そうした症状の解明はほとんど行われていないのです。

そして、脳脊髄液減少症は、髄液漏れだけが問題なのではなく、脳の損傷による認知機能の問題が生じていて、それが髄液漏れによって悪化している可能性にも注目する必要があると説明しています。

もし脳脊髄液減少症の治療をしても認知機能の問題が十分改善しない場合があれば、「アーレン法」を試してみる価値があるかもしれません。

脳脊髄液減少症の視機能障害については井上眼科医院の山上明子先生らの報告を受けて専門医の高橋浩一先生らも注目し始めているようです 。

脳脊髄液減少症と視機能 - Dr.高橋浩一のブログ

 

慢性疲労症候群や線維筋痛症が和らぐ?

本書の最後のページには、やはり光過敏のSSS症状が現れる病気として、慢性疲労症候群(CFS)線維筋痛症(FM)といった病気が挙げられています。

これらはこのブログとも関連性の深い病名なので、最初読んだときには、意外なつながりにびっくりしました。

研究的には、さまざまな病気や症状と結びついているSSSに似た症状に関するアーレン法の効果研究がちょうど始まったところです。

自己免疫性の病気、糖尿病、慢性疲労症候群、線維筋痛症またはトゥレット症候群のある人たちがもつSSS症状が一部軽減できるようです。(p188)

もちろん、光過敏のSSS症状がこれらの病気の原因というわけではなく、たいていのケースでは、脳脊髄液減少症と同様、病気がもたらす二次症状のひとつとして光過敏が生じているのでしょう。

しかし、病気そのものがもたらす疲労や痛みとは別に、光過敏がストレスを増し加え、交感神経を刺激し、外出しにくさにつながって、結果として病気の症状を強めてしまっていることがあるかもしれません。

あるいはもともと、発達障害やその他の生まれつきの傾向として、光過敏を含めた感覚の過敏性をもっていて、そのせいで疲労やストレスを貯めこみやすく、慢性疲労症候群や線維筋痛症の発症につながった人もいるかもしれません。

いずれにしても、生まれつきであろうと、二次症状であろうと、特定の光の波長に対する過敏性が生じているのなら、色つきフィルターを用いることで、認知機能の負荷が軽減され、症状がいくらか緩和される可能性があるかもしれません。

また、先ほど脳脊髄液減少症の視覚認知症状について書いておられた若倉先生は、別の記事で、中枢性の羞明(まぶしさ)や眼痛について、慢性疲労症候群と似た病態である化学物質過敏症(CS)においてもみられると述べています。

脳障害で「眩しい」「眼痛」…障害者と認定されない理由 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

感覚と運動の調和を乱す、脳に起因する中枢性の 羞明(じゅうめい) や眼痛はどういう場合に起こりやすいのでしょうか。

 私の外来では最も多いのは、6月中に本コラムで取り上げた、 眼瞼(がんけん) けいれんの自覚症状 としてのものです)。

 ほかに、 頭頸(とうけい) 部外傷後遺症、化学物質過敏症、神経薬物の中毒や副作用、何らかの精神疾患が誘因や原因になっているものもみられます。

 こういう症状についての知識が乏しいために、正しい診断に至らず、異常なし、自律神経失調症、心因性疾患、詐病の疑いなどと、雑な診断をされている例をみると、同じ医師としてとてもがっかりします。

化学物質過敏症(CS)患者のまぶしさの場合も、もしかすると、光の感受性障害としての対策によって、まぶしさや他の感覚過敏が軽減されるかもしれません。

乱反射光のまぶしさをカットする「抗疲労レンズ」

また、慢性疲労症候群をはじめ、疲労についての詳しい研究で知られる大阪市立大学では、色つきレンズとは異なる方法で、疲労の軽減が可能なレンズの研究もしていました。

それは、先ほどドナ・ウィリアムズの話のところでチラッと出ていた偏光レンズです。

大阪市立大学では特にTALEXというメーカーと共同研究して疲労改善効果を確かめており、「抗疲労レンズ」と呼んでいるようです。

医学研究科・井上教授が監修の運転疲労に対する抗疲労レンズの効果の実証実験 — 大阪市立大学

この度、「疲労☆バスターズ」会員企業のタレックス光学工業株式会社の商品「ザ・レンズTALEX」は、地面の照り返しや反射光などを除去するレンズで、大阪市立大学大学院医学研究科 井上正康教授との共同研究により疲労軽減効果があると動物実験の結果(参考資料(PDF))が出たことから、大阪市交通局との企業間マッチングの一環として実証実験を実施するものです。

この偏光レンズ、または抗疲労レンズとは、光の方向を揃えて、照り返しのような乱反射する光を除去することで、まぶしさを軽減するものです。

マウスを用いた動物実験では、このレンズによって、ストレスホルモンであるコルチゾールが低下し、人間でも主観疲労が低下するなど、一定の疲労改善効果が見られているといいます。

TRUEVIEW®|タレックス|TALEX

「マウスにさまざまな確度から光を照射すると血中のストレスホルモンは一気に上昇。行動量も激減し、強く疲労することが判ります。一方、トゥルービューにより乱反射光を遮断したところ、ストレスホルモンの血中レベルと行動量が著明に改善されることが判りました。」

と語る井上教授は、「この様な結果はある程度予測していましたが、トゥルービューの疲労予防効果は顕著であり、目を酷使する日常生活での疲労やそれによる作業低下などを予防できる可能性がある」とコメントされています。

TALEXでは、この偏光フィルターによる抗疲労レンズを、さまざまな色と組み合わせてスポーツやアウトドア用サングラスとして販売しているようです。

アーレンシンドロームによるまぶしさの軽減は特定の色の波長をカットすることによるものですが、偏光フィルターは乱反射光をカットするという別のメカニズムに基づいています。

どちらが自分の疲労に効果があるのか、あるいは両方併用するとよいのかは確かめてみる必要があるでしょう。

概日リズム睡眠障害も光感受性と関係?

最後に、この本に書かれている内容ではありませんが、概日リズム睡眠障害との関連を推察しておきたいと思います。

ここまで見たとおり、どうやら、「アーレンシンドローム」の問題は、目の視細胞の神経伝達のプロセスの異常にあるようです。

目の視細胞には先ほど触れたとおり、3つの種類があります。

それは、色などを見分ける錐体細胞、明暗に敏感な桿体細胞、そして今世紀に入って存在が確かめられ、第三の視細胞として話題になった、概日リズムの調節に関わるipRGC細胞です。

ipRGC細胞、つまり光感受性神経節細胞は、その名の通り、光の感受性に関わっていて、光による概日リズムの調整や、暗所での光の認知に関係しているとされていますが、詳しいことはまだわかっていません。

はっきりしたことは何もいえませんが、「アーレンシンドローム」のような光の感受性障害に、錐体細胞や桿体細胞の感受性のみならず、この第三の視細胞の感受性も関係しているとするなら、概日リズム睡眠障害のなりやすさとも関係があるのかもしれません。

近年では、睡眠リズムがずれる睡眠相後退症候群(DSPS)や非24時間型睡眠覚醒障害(non-24)、そして冬季うつ病、すなわち季節性情動障害(SAD)などの病気には、光の感受性の個人差が関係しているらしいとされています。

自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如多動症(ADHD)などの発達障害の人は、「アーレンシンドローム」をはじめ、複数の感覚過敏を伴いやすく、しかも概日リズム睡眠障害にもなりやすいと言われています。

すでに概日リズム睡眠障害を防ぐためにブルーライトをカットするアプリやメガネが広く普及していますが、「アーレンシンドローム」の原因とのオーバーラップがあるのかもしれません。

「アーレン法」ー自分だけの色のフィルターを見つける

終わりに「アーレンシンドローム」の治療法である、有色フィルターを用いた「アーレン法」について考えましょう。

有色フィルターを用いると、多彩なSSS症状が緩和されるという点はすでに見たとおりですが、気をつけなければならないのは、人によって、どの色がふさわしいかが千差万別である、ということです。

ディスレクシアの対策を説明した本などを読むと、しばしば、アーレン法に似た対策について書かれている場合がありますが、残念ながら正確さを欠くことが少なくありません。

必要な色はひとりひとり異なる

たとえば、怠けてなんかない! セカンドシーズンあきらめない―読む・書く・記憶するのが苦手なLDの人たちの学び方・働き方は、ディスレクシアに関する優れた本ですが、有色フィルターを用いた治療についてはこう説明されています。

オックスフォード大学のジョン・シュタイン博士らは、ディスレクシアの人たちに青もしくは黄色のカラーフィルターを文章の上に乗せることで読みやすくなることを科学的に証明している。

ただ、私が取材するかぎり、日本人の子どもたちには暖色系(オレンジやピンクなど)のほうが読みやすいという子もいる。(P150)

ここでは、特定の色のフィルターが多くの人に有効であるかのように書かれていますが、これは、「アーレンシンドローム」の実情と異なっています。

アーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応にはこう説明されています。

多くのレンズ会社の専門家はレンズに色をつける腕はもっています。彼らは魅力的な色を提示したり、あなたの好きな色を選ばせてもくれるでしょう。

彼らはさらにこう言うのです。

「もし蛍光灯の光に問題をもっているとすれば、ピンクが一番よい」と。

あなたが他に何も学んでいないのなら、SSSのあるすべての人に共通の色はないということに気づかないでしょう。各個人が本当に必要なのは、その人それぞれに最適な色なのです。(p154」

ある人にフイットした色が、別の人のSSSにも役立つケースは非常にまれで、むしろ、一人ひとり微妙に異なる色選びを経てはじめて、ふさわしい色のレンズが見つかることを覚えておく必要があります。

特に問題なのは、特定の色を勧められて効果がなかった結果、有色フィルターを試しても意味がないと思い込んで、自分が「アーレンシンドローム」であるという可能性を見限ってしまうことです。

色のわずかな変化でさえ大きな違いをもたらすことがあります。

対処法であるアーレン法を理解していない人から有色フィルムを受け取ることは、その人にプラスになる成果を上げられないことがあります。

…色に関する他の可能性もあるのに、色が役に立たないと失望して、その対処法を経験しないようにしてしまうことになったら、その人にとっても非常に不利益だと思います。(p146)

実際にアーレンシンドロームのスクリーニングでは、すぐに適した色が見つかるということはほとんどなく、数時間ないしは数日かけてフィッティングすることがあるようです。

フィルムの色=レンズの色ではない

またしばしば勘違いされる点として、その人に適したフィルムの色はその人に適したレンズの色とは異なる、という点があります。

フィルムとは、本のページの上に重ねるカラーセロファンのようなもので、レンズとは有色フィルターをはめた色つきメガネのことです。

たとえば、先ほどから引用している発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス) は日本でも数少ない「アーレンシンドローム」に言及している優れた本ですが、次のように書かれている部分があります。

アーレンシンドロームでは、特定の色の色眼鏡をかけると、文章が正しく読めるようになる。

眼鏡と同じ色の透明シートを紙の上に置くだけでも、よみは改善される。(p65)

ここでは、メガネと同じ色の透明シートが役立つとされていますが、これもまた、「アーレンシンドローム」の実情とはそぐわない点のようです。

アーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応にはこう説明されています。

おもしろいことに、フィルターで一番機能する色は、その人にとって一番機能した有色フィルムの色とは異なるのです。

…フィルターにフィルムの色と同じ色をつけることが支援になることはなく、たとえ同じ色を使用しても、おそらく見え方のゆがみは持続し、さらに悪くなっていくこともあるかもしれません。(p152-153)

その人に適したメガネのレンズの色と、透明フィルムの色とが異なるのはなぜか、という疑問に対する答えははっきりとはわかっていないそうです。

しかし、この本では、メガネは視界の色すべてを補正するのに対し、フィルムは紙面の色しか補正しないことが関係しているのではないかとされています。

わたしたちの脳は不思議なもので、特定の色のフィルターがかかった視界でも、以下のサイトで説明されているとおり、色彩恒常という現象によって、無意識のうちに色が補正されることがよく知られています。

色の恒常性

 

たとえば、自分のお気に入りのカバンを蛍光灯の下で見るときと、白熱電球の下で見るとき、あるいはトンネルの中のナトリウムランプの下で見るときとでは、全然違う色になっているはずですが、意識しない限り、同じ色にみえるので、違和感を感じません。

視界全体に、特定の色のフィルターがかかるとき、わたしたちの脳は、いつも見えている色と同じであるかのように錯覚させます。

色つきフィルターをつけたメガネで視界を見ると、本当は色が大きく変化しているはずなのに、違和感がすぐになくなります。

一方で、透明のフィルムシートを本の上に載せれば、明らかにそこだけ違った色になります。

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)には色彩恒常についてこう書かれていました。

ヘルムホルツは「色彩の恒常性」を強く意識していた。照明の波長が大きく変化しても、ものの色は同じだと感じるからこそ、ものを認識することができるし、なにを見ているのか知ることができる。

たとえば、リンゴが反射する光の波長は、照明によって大きく変化するが、いつも赤だと感じられる。

したがって単純に波長を色に置き換えているだけではないのはたしかだ。(p62)

単にものの色を補正するだけのフィルムシートと、照明全体の色を変える色つきフィルターのメガネとでは、脳の色の認知に決定的な違いを及ぼしますから、たとえ同じ色であっても、見え方が大きく異なるのでしょう。

専門家の助けが必要

このように、「アーレンシンドローム」の治療のために「アーレン法」のレンズを選ぶ際は、ディスレクシアや発達障害の専門家でさえ理解が不十分なことが多く、生半可な知識で色探しをすると失敗する危険がつきまといます。

これらの知識をすべて頭に入れたうえで、自分で適した色をみつけようとしても、単に好きな色や、リラックスできる色を、誤って効果がある色だと思い込んで選んでしまうかもしれません。

また、そもそも本当に「アーレンシンドローム」なのかどうか、という点についても、自己診断は危険であり、素人判断を下すと、別の原因を見逃してしまう可能性もあります。

また、「アーレンシンドローム」の対処法は、色つきレンズだけでなく、蛍光灯を変えたり、パソコンの明るさを調節したり、さまざまな感覚過敏への対策を試みたりと、多岐にわたるものであるということも覚えておく必要があります。

それで、「アーレンシンドローム」の可能性を疑っているとしたら、できるかぎり正式な専門家の支援のもとで、的確な診断をあおぎ、本当にフィットする色探しをすることが勧められています。

現在のところ、日本国内では「アーレンシンドローム」に詳しい専門家は非常に限られていますが、今回紹介したアーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応の訳者である熊谷恵子先生の筑波大学心理・発達相談室では、専門的な相談を受け付けているようです。

熊谷恵子先生は、アーレンセンターでアーレン診断士のスキルを身につけ、日本国内の研究の先駆者として、豊富な経験とスキルを持っておられるようです。

心理・発達教育相談室 « 筑波大学附属学校教育局

 

またCiNii 論文 -  遮光レンズ眼鏡装用で改善した, Irlen症候群と考えられる読字障害の1例によると、京都大学医学部附属病院小児科で、アーレンシンドロームが扱われたケースがあるようです。

本症例では, 遮光レンズ眼鏡非装用下では全く本が読めない状態から, 遮光レンズ眼鏡装用下では年齢相応の読字能力を示し, 何らかの光学的な情報処理の異常が読字に影響を与えていると推察された.

そのほか、アーレン診断士の資格を取得しているかは不明ですが、こちらのツイートによると和歌山の小児科のクリニックの生馬医院でアーレンのスクリーニングキットを導入しているそうです。

この記事の中で何度か論説を引用した若倉雅登先生が担当する、井上眼科病院の神経眼科、心療眼科を主とした予約制の特別外来でも、光過敏による学習障害に対して理解があるのではないかと思います。

ところで、上の京大の論文では、これまでアーレンシンドロームについて、「[遮光レンズ眼鏡による治療の]効果には懐疑的な意見も多くIrlen症候群の存在自体にも議論」があったことが書かれています。

それもそのはず、これまで発達障害者の感覚異常は、長い間、「気にしすぎ」や「心因性」としてみなされてきました。感覚に大きな個人差があるなどと考える研究者はとても少なかったのです。

しかし近年では、本文中でも紹介したとおり、多方面から発達障害者の認知の特殊性に関する研究が進んでいます。

発達障害とは、何かが欠如している「障害」ではなく、生まれつきの独特な感覚認知のせいで異なる発達を遂げた「少数派」であるとみなされ始めています。

今はまだ専門家も少ない状態ですが、今後、おもに自閉スペクトラム症など発達障害の当事者研究の場を中心に「アーレンシンドローム」の概念が再評価され、日本でも浸透していくのではないかと思います。

そして偏頭痛の光過敏の研究が示すとおり、その他の病気に伴う感覚過敏症状とのオーバーラップも、今後、研究者によって明らかにされていことでしょう。

今回おもに参考にしたアーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応は、日本国内初の「アーレンシンドローム」の本として、非常に重要な意義を持っています。

まぶしさなどの光過敏に悩んできた人はもちろん、ディスレクシアや学習障害(LD)を抱えて苦労を重ねてきた人やその家族は、ぜひ読んでみる価値のある一冊です。

▼学習障害・ディスレクシアについて
学習障害(LD)やディスレクシアについてはこちらの記事もご覧ください。

LD(学習障害/限局性学習症)とディスレクシアの特徴ー親子でできる10のアドバイス+役立つリンク集 | いつも空が見えるから

 

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